「二心どの」と言うこのあだ名が徳川最後の将軍慶喜の事であることはもう有名だろうと思うが彼にはこの他にもあだ名が有った。
松平春嶽がつけたもので春嶽は家茂の死後、慶喜に将軍になるように勧めたが、なかなか首を縦に振らなかった。そこで春嶽は慶喜に「ねじあげの酒飲み」とあだ名を付けたと言う。
口では飲めない飲めないと断りながら、本心は飲みたいし無理にでも勧めないとヘソを曲げてしまうと言うのだから始末が悪いと言うのである。事実、将軍職という酒を断り続けながら結局はその酒を飲み干したのである。
松平春嶽がつけたもので春嶽は家茂の死後、慶喜に将軍になるように勧めたが、なかなか首を縦に振らなかった。そこで春嶽は慶喜に「ねじあげの酒飲み」とあだ名を付けたと言う。
口では飲めない飲めないと断りながら、本心は飲みたいし無理にでも勧めないとヘソを曲げてしまうと言うのだから始末が悪いと言うのである。事実、将軍職という酒を断り続けながら結局はその酒を飲み干したのである。
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