読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

陸前高田の歴史をつなげ

2011-07-30 10:49:00 | 新聞
wsj日本版から
 【陸前高田】熊谷賢(まさる)さん(44)が地道な作業を続ける廃校は、さしずめ自治体共同の屋根裏部屋といった雰囲気だ。時代物の漁具や農機具から古いおもちゃや学校の記録まであらゆるものが押し込められている。

 これらは、3月11日の巨大津波で市の中心部が壊滅的被害を受け、人口の10%近くに当たる約2万3000人が死亡した陸前高田市の市立博物館所蔵の遺物だ。

 陸前高田市立博物館の学芸員である熊谷さんは、もりの先端やその他有史以前の道具の汚れをこすり落としながら、これら工芸品はわれわれの文化や歴史を表すものであり、これらの保存なしに本当の復興はなし得ない、と話す。

 考古学者の熊谷さんは、何週間も前から、長年勤めていた職場である被災した博物館で泥の中から所蔵物を探し出す作業を率いている。

 津波は窓やドアを破って博物館の中にまで流れ込み、後には大量の泥とがれきが残された。主要展示ホールには自動車が1台横倒しになっている。

 だが、熊谷さんは湿気の多い建物内部からできる限り多くの所蔵物を回収しようと懸命に取り組んだ。

 中でも最も重要な回収物は、有史以前に陸前高田の土着民によって作られた骨の漁具と古代陶器の破片だ。

 文化財を保護し、新たな所蔵先を見つけることは、震災で最も大きな被害を受けた市区町村の1つである陸前高田市にとって特別な、難しい課題だ。

 市当局は避難先や仕事、基本的インフラの確保など住民の直接的なニーズへの対応に追われている。だが彼らは、結びつきの強いこのコミュニティーが津波によって負った大きな精神的傷を癒す必要性も認識している。

 4月下旬、熊谷さんの耳に博物館の1階から「見つけた。見つけた」という大きな叫び声が飛び込んできた。1階へ降りると、昆虫学者の砂田比左男さんが1200年以上前のものと思われる鉄製の剣を振り回していた。
イメージ Go Takayama for The Wall Street Journal

回収された古代の剣

 その付近をさらに掘り続けると、砂とさびがこびり付いた2本の剣がさらに発見された。学者らによると、それら3本の古代の剣は、日本のサムライ文化の中心、日本刀の初期の進化を表すものだという。

 これら刀ほどではないが、ほかにも初期の漫画本やクマのぬいぐるみ、著名な地元の博物学者のブロンズ胸像をはじめ多くの貴重な標本が発見された。これらはすべて存続が危ぶまれる陸前高田市の一部を表すものだ。

 オオヤマネコの歯で作られた有史以前の極めて貴重な首飾りをはじめ、まだ見つかっていない遺物も一部あるが、熊谷さんは見つかる可能性は低いだろうと話す。

 熊谷さん自身も自宅を津波で流され、避難所として利用されている老人ホームでの寝泊まりを余儀なくされている。熊谷さんは起きている時間のほとんどを被害を受けた陸前高田市の文化遺産を保護する作業に充てており、その最も重要な遺産の大半は市立博物館に所蔵されていた。熊谷さん率いる小さなチームは、所蔵物回収に向け最初の一歩を踏み出している。

 彼らは漁網や着物に付着した塩を洗い流したり、濡れた書物を乾かしたり、歯ブラシで骨器の汚れをこすり落とし、アルコールで防かび処理を施したりといった作業を行っている。

 部屋には古い鞍(くら)や精米機、神社のしめ縄に至るまで過去の記憶が高く積み上げられている。

 熊谷さんは、まだやるべきことはたくさんある、あとどのくらい時間がかかるか見当もつかない、と話す。

 刀や歴史的文献をはじめ最も重要な文化遺産の多くは、復元や安全な保管のため別の博物館に引き渡された。

 熊谷さんは、こうした活動へと自らを突き動かしている大きな原動力の1つは、津波で亡くなった市職員全員への追悼の気持ちだと話す。熊谷さんが師と仰ぐ存在であり、熊谷さんに考古学を志すことを勧めてくれた地元の考古学者、佐藤正彦さんもその1人だ。

 熊谷さんは、津波が襲った当時、陸前高田市立「海と貝のミュージアム」の主任学芸員を務めていた。同ミュージアムも被災したため、そちらでも回収作業が行われている。

 熊谷さんは、子どもの頃から物集めに凝っていたという。高校時代、陸上を諦めて歴史部に入ったことが考古学に興味を持つきっかけだった話す。

 毎週部活動で訪れる市立博物館をとおして、分類学と人類学の世界に触れるようになっていった。左官職人の1人息子に生まれた熊谷さんにとって、それは素晴らしい、魅惑的な世界で、博物館はやがて第2の家となった。

 奥さんのジュンコさんは、熊谷さんとまだ付き合っていた頃、冷蔵庫の中に、熊谷さんが博物館の標本として収集していたたくさんの鳥の死骸を見つけたこともあったという。

 新婚旅行で訪れた沖縄では大半の時間を珍しい貝殻を探して過ごしたという。ジュンコさんは、彼はいつも博物館のことばかり考えている、と話す。

 熊谷さんいわく、「自分は博物館に育てられた」。

 熊谷さんは、陸前高田の子どもたちにも、少なくとも自分たちの街の歴史の豊かさを知って欲しいと話す。最近の子どもの中には処理されたものや、スーパーに並んだ魚しか見たことがない子もおり、自分たちの文化の起源とのかかわりが失われつつあると嘆く。

 だが、陸前高田市は、日本の他の多くの地域と同様、震災前から大きな負債を抱えており、ほかに満たすべきニーズが山積みのなかで、少なくとも震災以前の状態に博物館を復旧させることはそう簡単ではない。

 熊谷さんは、新しい市立博物館の建設には数億円かかると見積もる。だが、それでも博物館を何としても再開し、陸前高田の過去のメッセージを未来の世代へとつないでいく決意だ。

 海は我々に命を与えてくれるが、ときにそれを奪いもする、ということを多くの人が忘れている、と熊谷さんは話す。


一連の記録には、飢饉(ききん)に際して地元住民が草の根や木の繊維を食べることで、いかにして生き残ったかが記されている。そのほか、過去の火災や台風、洪水後の復興や出生率を高く維持するための妊婦に対する食料支援についても描かれている

記者: Gordon Fairclough


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