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明治維新と言う文化革命期に仏教各宗派は思想的刺激を受けず現状維持の態度を保持した。しかし思想的反応は二例ほど有ったと言う。その一つに浄土真宗が有った。明治中頃、西本願寺に、ある反省運動が起こった。当時のキリスト教の牧師や神父の真面目な生活態度が本願寺の有志に影響をもたらしたのだ。酒を飲まないようにしようと言う「反省会」が生まれ、明治20年「反省会雑誌」(後に「反省雑誌」に改題)が出された。禁酒道徳と言う幼稚なモットーであったため思想的に高まりは無かったがその雑誌は10年ほど継続した。明治32年、これが「中央公論」と言う名になり本願寺とは関係が無くなり発展したと言う事である。司馬遼太郎「この国のかたち」より。