GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

<今を生きる>2

2012年03月05日 | Weblog
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秋を待ち
今私は嫁いでゆく

 YouTubeにアップした私のオリジナル曲です。こんなことができる現在の日本の自由がとても貴重だと思います。そして、どんな職業にも就けて何処へでも行ける自由は、近代国家として、とても大切な仕組みです。お隣の大国や半島の独裁国家、アフリカや南アメリカの多くの国々では、まだまだこんな自由は手にできません。私たちは大戦後、米国から与えられた<自由>を当たり前の自由として享受してきましたが、そんな自由ですら国が違えば遠い遠い自由となります。同じ地球という星に、地球人として生まれながら、この差は何処からくるのでしょうか。

 以前読んだ誉田哲也の警察小説『ジウ』(3部作)では、愛は足枷であって、それは既得権者たちの陰謀だというのです。愛が足枷?今まで考えたこともない発想だっただけに心に残りました。確かに、親や子供を愛し、人と人をつなぐものは愛である、これは現在の秩序を保つために必要な思想・秩序と云えます。しかし、その愛が足枷となっていると『ジウ』の主人公は言い放ちます。自由もまた与えられた自由を錯覚していると云うのです。そして、愛を知らずに育った<ジウ>が犯罪組織「新世界秩序」の中心人物となって、日本の国家権力・警察組織と戦う物語は、今まで日本の警察小説にはないジャンルで、しかも壮大な展開でした。(ドラマ化されたテレビ番組ではこの辺りがほとんど描かれてなかったが…)
 今、親が子供に<愛>をうまく教えられず、そのためにこれまでの秩序が崩壊しつつあると感じるのは私だけでしょうか。小説の原作者誉田哲也氏は私が感じるような不安こそ、実は既得権者の陰謀ではないだろうか、と言いたかったのかもしれません。

 話は少し変わりますが、アマゾンの先住民、インディオの人々の保護を目的に「熱帯森林保護団体」を設立した南研子さんのお話を思い出しました。
「熱帯林って緑がいっぱいあるから、すごく強くて緑が濃いって思いがちですけど、実は、ジャングルの中で地面を削るとすぐ岩盤に突き当たるんですよ。というのは、ジャングルが脆弱で決して肥沃な土地ではないからなんですね。3センチの表土を作るのに100年かかるんです」
「ジャングルの中では、電気・ガス・水道・お金・文字もない。と同時に、差別もない、いじめもない、自殺もいない、犯罪もない、寝たきりもいない、白髪もハゲもいないんですよ。それで、大した食べ物でもないのに、みんな平均にいい体をしているし、『この星で生きていくための理想の体だな』って体つきをしているんですよ。私たちはそういう体になるためにジムに通ったりして、『バカじゃないか』って思えてきますよね(笑)」
「密林に住むインディオに『幸せって何?』って聞くと、『幸せって何?』って返ってくるわけ(笑)。だから、『胸の辺りが温かくなって、ワクワクするようなことさ』って説明をすると、『んー、おいしい芋をお母さんがすっていて、家族に食べさせてあげるときかなぁ』って答えるんですよ」
「私、そこで考えたんだけど、例えば、幸せとか悲しみっていうのは時間的感情の流れじゃないかと思ったんです。ここからここまでに至る、その間のことを表現するには幸せとか悲しみとかあるけれど、彼らは今しかないんですよ。だから泣いたりはしますよ。人間的な喜怒哀楽の怒ったり、わめいたり、泣いたりっていうことはあるけれど、それを引きずらないんですね。だから、部族によっては現在形しか言葉がないところもあるんですよ。過去形も未来もないわけ。彼らと話していても、それが1万5千年前の話なのか、3時間前の話なのか分からなくてすごく困るわけ。だって、1万5千年も脈々と同じ暮らしをしているんだから、昨日も1万5千年前も基本的には同じなんですよね」

 インディオの子供が南さんの後を付いてくるのでポケットのあった一個のキャラメルをあげると、4歳にも持たない子供が、口に入れた小さいキャラメルを3つに分けて、幼い子に分け与えたとか。4歳児ですよ。きっと昔の日本もこんな子供達が沢山いたはずです。
 最近日本では子が親を殺し親が子を殺すような事件がたびたび発生していますが、インディオに話しても理解してもらえず、もしそんな部族が本当にいたらその部族は滅びるといったそうです。インディオの世界では、年寄りが大切にされ、部族で問題が発生すると解決できなときは必ず長老の意見を聞く。文字も本もないわけですから記録など残っていないのです。だから多くの経験と知識を持っている年齢が高い人の記憶に頼るしかないのです。1万5千年前からこの風習は変わっておらず、責任業務が明確で習慣化されていて、しっかりとしたアイデンティーがあり、よってハゲやボケ老人は一人もいないそうです。
 最後に南さんは、こんな話もされていました。インディオと一緒に生活を共にしていて「嫉妬・不安・希望を持たない生活」、<今しかない>という単純な心のあり方を推奨したくなったそうです。「嫉妬・不安」は私も理解できますが、<希望を持たない生活>には驚かされました。希望は未来の妄想でしかなく、満たされなければストレスを感じてしまう、だから最初から希望を持たないのです。

 
    南 研子著『アマゾン、インディオからの伝言』  

 待てよ、デュマのモンテクリスト伯も「待て、そして希望せよ」と教わったではないか。しかし、その後の彼は牢から抜けて復讐に向かった。復讐に意味や価値があるのか。強制収容所に入れられた人は「希望をイメージできた人」だけが生き残ったではないか。しかし、その後生き残ったユダヤ人は経済力で社会を支配するという復讐を続けている。

 今までの自分自身の概念が揺らいでくるの感じました。人は誰もが<幸せになりたい>という気持ちを持っている、と私は思い込んでいました。しかし、この思いもアマゾンのインディオからすれば、首をかしげてしまうのでしょう。多くの人が幸せになれるわけではない。ほとんどの人が幸せを感じるような仕事に就けるわけではない。多くの人が自分の仕事に誇りを持ち、工夫してオリジナルを編み出し、仕事を楽しんでいるわけではない。であるなら、幸せや希望や夢は、「百害あって一利なし」ではないのか…………

 <文明>とはいったいなんなのか? 文明を享受したがために大切なものを見失って来たのではないか。大切なものとは? 南さんが伝えてくれた<今しかない>は、<今を生きる>と同意語なのか。「性悪説」や「性善説」、「愛」や「友情」や「絆」、私が今まで構築してきたスタンスは、正しかったのか。どちらにしても私の信念体系に何らかの影響を与えそうな気配です。
 何がどう変化しそうなのか、まだ明確に自覚できませんが、<今しかない>というスタンスは以前から学び、実行してきたように思います。しかし、インディオの教えを知った今、何かが違っているように感じるのです。ただ、<今しかない>を「もっと自分のものとしなさい」と肩を押してくれているように感じています。

 煩悩を捨て、夢や希望も持たず、過去も振り返らず、未来も想像せず、ただシンプルに<今しかない>を生きる。言葉を並べただけでも、現在の私の生活とは大きな開きがあると感じます。しかし、シンプルライフを押し進めたいを思っているのは事実です。頑張るとか、挑戦したいと云うのもインディオ的ではありません。

 人は吐いて吸う呼吸をほとんど無意識に行っています。しかし、お腹から身体全体で吸い込み、身体全体に溜まっている気をゆっくり吐き出すような呼吸は集中しなければできません。
 もしかするとこんな気持ちかもしれません。生きるとはただゆっくり吐いて、ゆっくり吸うことではないか。入ったものを吐き出す。

『この世のすべてのものは(人も動物も虫も草も)お互いにつながりを持っているからこの世に存在する。お互いにつながっているんだから、むやみに奪ったり、殺したり、壊したりしてはいけない。今の社会や自然との一体感を感じながらゆっくり吐いてゆっくり吸う。<今しかない>は今を生きること。生きることは吸えば吐き出すという生命維持の単なる動作と考えること。生きることに目的や価値など考える必要はない。それは自分を苦しめるだけ。だからこそ今だけを生きなさい』
 
 こんなふうに考えるととても気持ちが軽くなってきました。残された季節をよりシンプルに生きたいと思っています。


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