GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「出会い」を考察する(2)<ブレない>

2011年12月20日 | Weblog
 素晴らしい出会いであったに違いないと思われる出会いを紹介します。先日王貞治氏の特集番組を見ました。その中で王さんと出会った3人の野球選手の言葉から、出会いについて印象的な言葉があったのでお話します。WBC(ワールド・ベイスボール・クラッシック)に参加したイチロー選手、育ててもらった城島と小久保選手のお話です。彼らのインタビューから人との出会いを大切したい気持ちが生まれる要因を考えてみたいと思います。

 2005年、日本(NPB)はWBC(ワールド・ベイスボール・クラッシック)への参加に対して、MLB側の一方的な開催通告やMLB中心の利益配分に反発し、参加を保留していました。日本プロ野球選手会も開催時期の問題から参加に反対し、2005年7月22日の選手会総会で不参加を決議しました。しかし、米国のMLB機構は、参加を保留するNPBに対し、改めて参加を要求し、もし日本の不参加によりWBCが失敗に終わった場合、日本に経済的補償を要求することを通達してきました。更に、WBCへの不参加は「日本の国際的な孤立を招くだろう」と警告しました。酷い通達と警告です。これを受けて、日本プロ野球選手会は不参加の方針を撤回し、9月16日、最終的に選手会の古田敦也会長がNPB機構に参加の意向を伝え、日本の参加が決まりました。(参考:ウィキペディアより)


               
 王貞治氏の日本代表監督が決定し、選手の選考時期に入った9月後半以降だと思われますが、イチロー選手がWBC参加について王監督に電話ました。イチロー選手はどうすれば参加しないでいられるか考えていたそうです。理由は開幕に近い時期のWBC開催では、今までのオフの身体作り・コンディション作りとはまったく違う時期から始めなくてならないことや開幕後の体力的不安、また米国MLBの強引な参加支持にも憤りを感じていたのかもしれません。王さんにかけた電話は非通知の携帯であったにも関わらず、「はい、王です!」という信じられない大らかな声が聞こえてきたそうです。イチロー選手は、オリックス時代、王監督率いるダイエーホークスとの試合で初回から敬遠されたことで、人物的にいい評価をしていませんでした。(非通知という失礼も、不参加の意志、王さんへの不信感が感じられる)。しかし、話せば話すほど野球を愛する純真な気持ちが伝わってきました。そして、日本を代表するチームの監督を引き受けた野球人としての覚悟を考えたとき、並々ならぬ覚悟であることを知りました。(自分が王さんの立場だったら引き受けられただろうかと自問自答したに違いありません) そして、会って話せば話すほど世界の王選手を世界の王監督したいという気持ちが沸き上がってきたそうです。

イチローは王さんに対して、このように評しています。
「王さんと会って、話したらきっと嫌う人は一人もいないと思います。王貞治という人の心の中に私がわずかでも存在しているというだけで十分です。そんな人から優勝したとき、日の丸の旗に囲まれながら、君のお陰だと云われました。人から言葉を受けて、あんなに感激したことは生涯で初めてでした」
 イチロー選手は、マスコミのインタビューに対して、なかなか正対して言葉を発しません。相手を煙に巻くような比喩を多用し、本音を表しません。言い換えれば、マスコミに対しては不信感(邪な感情)を持っていると思います。王さんも、監督、選手時代を含めてたくさんのマスコミに囲まれ、イチロー選手以上に数多くのインタビュー受け、不振な時は、マスコミから叩かれてきたはずです。そんな王さんが、非通知の突然の電話に、あんなに大らかに出られたことに、イチロー選手は自分とは違う人間的大きさ感じたに違いありません。王さんの話をするイチロー選手の言葉や表情には、いつもの斜に構えた表情ではなく、本当に心から王貞治という人間その人に心酔し、少年のような憧れの気持ちすら感じられました。
 イチロー選手は、最後にこのように云っていました。「人は最初は真っ白な心を持っていても、だんだんといろんな色に染まってくるものです。そして、最後はとても綺麗な色とは云えない色になってしまうものです。しかし、王さんは真っ白なんです。どうしてあんなに真っ白でいられるのか、私にはわかりません。本当に素晴らしい人です」
イチロー選手はインタビューの最後まで、自らの言動を恥じるような謙虚で尊敬心溢れる言葉を連発していました。

               

 王監督の愛弟子である城島選手や小久保選手が別々のインタビューの中で同じ言葉を使って王監督を評していました。二人は王さんが14年間Bクラスに低迷してきたダイエーホークスの監督を引き受けたことを信じられなかったそうです。
(城島)『ドラフト当時、私は大学進学を決めていました。ところが王さんから直接「優勝するには君の力が必要だ。一緒にプレーして欲しい」に頼まれました。世界の王さんのラブコールを断ることができる人がいますか? 入団してからも王監督の気持ちは一度もブレませんでした。(入団後ダイエーの投手陣がエラーの多い城島選手に不信感を抱いた時期があった)監督はエラーの多かった私を一度も外すことなく使い続けてくれました。そして、野球人は勝負師だ。負けてくやしがらないのはおかしい。優勝できるチームになるんだ。私は恩義に報いようと必死なって練習しました。私を使って優勝できるチームにしたいという目標から一度もブレることがありませんでした」
(小久保)『どんなに負けが続いても、ブレることがありませんでした。「目先の小さな勝ちではなく、ずっと先の優勝を目指す気持ちを持て!」とおっしゃり続けられました』

 二人が偶然に発した<ブレない>という言葉です。<ブレない>、指導者にはとても大切なスタンスです。私も指導的立場の経験がありますが、上司達の新しい指示、周囲の意見や視線、、変化する状況のために、方針を変えざるえなかったことが何度もあります。<ブレない>ということが如何に難しいかを身に沁みて知っているだけに、イチローや城島、小久保という一流選手の言葉から、王さんの偉大さが、改めて知ることができました。

 イチロー選手が感じた<真っ白>という王さんのイメージは、どんな色にも染まってしまう白色ではなく、どんな色にも染まらない野球への類い希ない純真な想いの白であり、言い換えればブレることのない固い意志を示す強烈な<白>だったに違いありません。

               

 私の大切な恩人や友人たち、本や映画で出会った素晴らしい人たちを思うとき、そのすべての人たちは、今も一度もブレるとがありません。「ブレない」という言葉は、信念やスタンスを形容するときに用いる言葉です。自分自身を振り返るとき、自分の信念やスタンスの堅固さにまだまだ足りないものを感じてしまいます。竜安寺のつくばいには「吾唯足知」(われただたるをしる)と掘られています。私は物質欲を捨てなさいと理解していますが、私はこのように言い換えたい。精神的な意味で「吾唯足りずを知る」つまり、まだまだ青二才だということを忘れてはならないということです。

「ブレない」たった四文字ですが、3人の野球選手の言葉を聞いて、とても大切な意味を感じるようになりました。そして、それはリーダーや指導的立場の人間において、重要な資質であるという理解と共に、一つの出会いがその後も続くためのキーワードのような気がするのです。


     (http://rkb.jp/oh/ 2011 12.11放映のRKB60周年記念番組を見て)  


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