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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

心は、複雑怪奇

2018年03月15日 | Weblog

 接遇研修がある度に、期待外れの思いがある。今回はそれ程ではなかったが、もう少し踏み込んだ内容を思っていたので、やっぱりがっかりした。1企業の名前を公にするのはどうだろう。販売していない商品を作って売ってくれ、闘病生活を続けている者に、1枚のカードに書かれた思いやりを、映像で観た者だが、個人的には遣り過ぎの感が否めなかった。

 ここで何度も書いてきたが、莫迦丁寧な言い方よりも、相手を思い遣れる気持ちがなければ通じない。認知症状の方々を相手に、仕事と割り切ってはいるが、そこは人間同士の関わりである。命への危険行為は止めねばならない。加えて、集団生活を送っているので、個人への配慮も大切である。時には、言わねば分からないことも。理解不能に陥る事態にも。

 自然治癒能力というのは、薬を常飲していては効かない。罹りつけの医者は、診療所のDrであるが、薬は一応出されるが、相当なことがない限り、途中で止めてしまう。普段、薬を呑んでいないから、実によく効く。今年も、風邪らしい症状は、多少はあったと思うが、通草に刀豆、千振と梅で治してしまった。これ以上の薬草は必要なく、お陰で乗り切った。

 尤もこれには、枇杷葉茶が根本にあってで、飽くこともなく続けている。根気と持続性とがあれば、安上がりの健康体が保証される。まあ、個人さは否めなく、年数も効果も違うのは明らかだ。10年以上もやっているので、それが当たり前としか思えない。誰に慮る訳でなし、自分で決めてしているので、気持ちは楽だ。健康維持が何よりうれしく、感謝するよ。

 今朝、耳が痒くて堪らなかった。勤務先でテレビを観ていたら、天気は崩れると言う。よく当たるわたくしの耳より情報。春の天気であることと、納得してしまう。それにしても、原発の再稼働や、沖縄県の敗訴には心が痛む。辺野古の撤退を望んでいる本心は、沖縄の平和だろう。県民の自由も平等も踏みにじっておいて、己に有利に司法判断であるのは違う。

 睦月は明日までで、如月に代わる。季節の変わり目には、気温の著しい変化が付きもので、風邪を引かれないように。自分の普段の環境を考慮して、薄着をしないように気をつけて。わたくしは、膝掛や薄い座布団、携帯懐炉を持参しましたね。痩せている分、目立たなくて助かりました。多少は荷物になるかもしれませんが、体調を崩すよりはいいと思います。

 青空市に向かう道路脇には、様々な花や、植えた木々がある。名前は何というのか?甘くて強い匂いがしていた花だった。

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風そよかに・・・

2018年03月14日 | Weblog

 日中の気温が、一気に上昇して、暖房を止め窓を開けても寒くない。春眠暁を覚えずで、瞼が塞がる一方だった。休憩時間には眠るようにしており、疲れを取りたい。身体を酷使するので、いつの間にか喧騒に慣れる。最近は、疲労度が半端でなく、爆睡状態となっている。若作りはしていないのだが。

 沢田研二さんのコンサート日程が分かる。さて、チケットを何処で買うかだ。催し会場に行ってみて、手に入るようならラッキィと思おう。前の席は、ファンクラブが占めるから、どうせ後ろなら2階席がいい。近直行って来る予定にしておく。電話で確認してから出掛けよう。今年は随分と早いんだ。

 宮部みゆきさんの近著がなく、図書館での借り出しに失望が大きい。今年は、冊数を決めての読書ではない。好きなように思い付いた書籍を読もう。と思っているが、中々当たりには出遭えないものだ。平岩弓枝さんも、宮城谷昌光さんも、それなりにお歳であるので、執筆の速度もゆったりとであるよ。

 以前に読んだのを、再読したり、気儘に眺めているのもあるが、何度読んでも新鮮な感動がある。そうして読む度に、とても不思議な想いに、捉われるのは何故だろう。どちらかというと時代物に惹かれるが、ソロモンの偽証や英雄の書にも、感慨深いものがある。模倣犯は、読みながら旋律がはしった。

 小暮写真館や、悲嘆の門には引き付けられてしまった。龍は眠ると蒲生邸事件は、中でも好きな作品です。自分の特異体質が、多いに影響している気がする。超能力を持っている者は、世の中から排斥されねばならないの?クロス・ファイアでは、殺さないで!と叫んでいた。物語は消えることなく紡がれる。

 ぐがあぁ・・・という鼾が聴こえるので、傍のすばるを見やれば、気持ちよさそうにひっくり返っている。おまえ、猫なんだよな。とじっと見てしまった。えっ?猫でも人間のように鼾をかくの。いえいえ、我が家に来る猫は、一風変わっていますんです。枇杷葉茶のお陰です。日々、猫離れして人間に変身。

 蒲団で一緒に眠る時にも、手でちょっとと頭から入って来て、くるりと向きを変えて腕枕をする。眠る時に文庫本を読むのが習慣だが、気に入らないらしく、蒲団の中からじっと見上げている。未だ小さいので、いつの間にか眠ってしまう。朝は、お腹が空いたと、元気に起きるのも可愛い。悪戯腕白盛りです。

 孫の通う小学校の道に、桜並木が続いている。一級河川の川岸になり、春の川の煌きを受けて。

 

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すばるの成長に・・・

2018年03月13日 | Weblog

  否、大きくなったとは思う。加えて重いのである。とても片手では持ち上がらず、両手を使う。見かけはすっかり大人だが、気分は未だ1歳です。悪戯好きの腕白で、遠出をしようにも無理である。甘えん坊でもある。ちょっと市内までの用事も、不機嫌なこと夥しい。天気が良いので、外に行きたそうだが、網戸からの散策。麦が育ってきており、その内にね。

 年齢と共に、視力の低下に愕然とする。車の運転があるので、検査は欠かせない。数ヶ月に一度は行かないと、事故をしたのでは始まらない。診察の人数も少なく、予約をしていたこともあり直ぐに終わり、とんぼ帰りとする。帰宅して、草抜きやら片付けをし、洗濯物を取り込む。天気で風があるので、乾きが早いのだ。外回りも掃いておく。暖かくなると多忙。

 昨日のことだが、団地内の悪餓鬼が、フェンスを乗り越えて庭に入って来る。そのまま挨拶もせず、通り過ぎようとしたので、注意をしておく。他所んちの庭に無断で入って、黙って行くとは、親は何を躾ているんだ。もう1件は電話応対。電話口に、必ず用事のある人が出るとは限らない。受けた方に、名前を告げ、取り次いでもらいたいことを聞いた答えに絶句。

 何と、『いらっしゃいます』と答えたのだ。れっきとした大人がですよ。そういう時には、○○ですか、在席していますので、少々お待ちください。ではないのか?思わず、その日本語は違いますよと言っておいた。呆れるというか、電話の受け答えの出来ない者を雇うな。何時も書いてはいるが、いただきますとあげるの使い方にも首を傾げる。使う相手を考えて。

 児童書の中にも、新聞でも、びっくりしてしまう。驚きを隠せない。まあ、一国のトップが、忖度等と言うのだから、滅茶苦茶な日本語とは気づかないのだろう。せめて表記には気をつけて、と言いたいが無理かな?庶民の生活に合った、言葉使いをしたいものだ。丁寧に言うのが好いとばかりは限らないのだ。却って失礼にあたる。そういうのを慇懃無礼と云う。

 年寄りに対して、可愛い等以ての外だ。昔は惚けたと言い、それでは人権侵害と痴呆になった。今は認知症状である。病気ではなく、人間が通って往く路で、症状を指すのだ。でも、中身は以前よりもややこしいし、理解不能が増えた。生活の便利さが、高齢者の役割を奪い、生きる糧を失くしているのに気づかない。テレビにお守りをさせ、集団管理の状態です。

 介護の仕事を遣りながら、哀しくなるのは必然的で、自分の親の老後を何故看れないのか?産まれて間もない自分を、育てて大きくしてくれたのは、他ならぬあなたの親でしょう。資格云々ではありません。人間として当然の行為です。国は、こういったことにこそ、充実した対応をしてほしい。他国の援助もいいが、アメリカの言い成りには、絶対に反対します。

 地球は、アメリカの物でも、日本のでも、フランスやイギリスのでもない。蒼い惑星には、数知れない命の営みがあり、人間だけではなく、そこに棲んでいるのを、決して忘れまい。一部の者が自分勝手にすれば、そういった連鎖反応で、災害へと繋がっていくのだ。地球を壊さないで。命を消してしまわないで。人間には誰一人、その権利はない。神にも然りだ。

 春の夕方。宇宙に懸かる月にも、大気の影響が見える。ぼんやりと朧に映る月の姿もまた、なよやかで美しいものだ。

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陽射しは和らぐものの

2018年03月12日 | Weblog

 風は多少の冷たさが残るが、奈良二月堂お水取りになると、何もかもが和らいで来るのもうれしい。彼岸になれば更に、春めいて来ようというものだ。日本の四季を知るにつけ、小さなことにも幸せを想える。哀しみは、決して忘れはしないが、思い出となるものだろう。シンデレラの台詞ではないが、信じること。

 午前中の天気に、どっこいしょと起きる。最近は、掛け声で起きないと、あちこち支障が生じる。ぎっくり腰やら、こむら返りやらの痛みに合う。内臓年齢差は、可なりの開きがあるが、年齢や体力的なことは別のことで、医者に罹ることをしないで、暮らしを立ち行かせたい。年金も、働いた分との合算であります。

 税務署の掟ではないが、庶民を泣かせる非常識ばかり。介護保険など、使う気もなければ、払う気もないのを知ってか、強制的に年金から引くが、本人の承諾は無視していいのか?無茶苦茶な行政である。何で、払わねばならないんだ!貯金など一切ないというのに持って行くとは許せん。赤字公債を出すな。

 何処の景気が回復して来ているんだ?これに加えて、オリンピックの開催や、大阪万博への無謀さに呆れる。庶民の金なら、何に使おうと良くて、自腹を切るのは御免らしい。これが自分の財産なら絶対に隠すのに。せこいなぁ・・・と怒り心頭になる。国民を無視し、耳どころか新聞さえ読まない人の政治です。

 福島の方々や東日本の、災害に合われた方たちのことを思えば、自分の恵まれたことを感謝するが、庶民泣かせの政治であることよ。健康であることを、貧しいながらも家があって、暮らせることを宇宙に祈る。金星がそろそろ、西の低い位置に観えてき始めた。新月になってからは、西の方が賑やかになるよ。

 庭の鉢に植えてあるのや、地植えのクリスマスローズが、先日の雨で元気を取り戻して、楚々と咲いている。水仙も数輪だが、頭を垂れているのが清々しい。梅は満開で馥郁とした香りが漂っている。心がうきうきしてくるのは、気温の上昇だけではないが、心を籠めた花々が開花してくるのは、何よりも待ち遠。

 姫金魚草。この愛らしさが好きで、毎年生えてくるのを楽しみにしている。昨今は発芽しない処理に。

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東日本大震災・7年

2018年03月11日 | Weblog

 日本は島国で、火山帯の上に乗っかっているのを、人々はややもすると忘れるが、火山活動は続いている。テレビで、BTRで川水を遡る様子が映し出されていた。これが大潮で、満潮時だったら、被害は東京にも及んでいたのだ。福島の方々だけではない。加えて原発の稼働が、人の心を大きく変えた。

 然し、災害の怖さを、身を持って知っていても、生かされることのないことを願う。地震など起きないことを祈りたい。原発さえ、稼働していなかったら、と思わずにはいられない。復興の兆しが見えてきたとはいえども、少数の者のことになる。多くの避難された方々は、今なお生活が立ち行かない。

 本当の勇気とは何だろう。生きていくことの真実は、誰にどうあるのだろう。堪えていても、胸の中を抉るような感覚を、経験した者は忘れられない。国は、広島や長崎の禎哲を踏むばかり。自国の者を守れなくて、政治家と言えるのだろうか?自分勝手な言い訳ばかりで、この国を牛耳るのは止めて!

 小さなことでも、こつこつと続けていれば、それが実を結ぶことにも繋がる。でも、何と時間の掛かることだろう。飽きらめないで、希望を失わないで。どんな人にも、試練はあるのよ。それが何時かは不明だけれど。幸せなことに気づけば、明日に向かえるだろうが。生きていればしあわせなんだね。

 明日は、お水取り。春は、どんな年にもやって来る。哀しみの最中にも、心をずたずたに切り裂かれても、残った者に生きてほしい。神も仏もないのかもしれない。或いは、人間を試しているのやも知れず。テレビの画面を勤務先で観ながら、言葉も出てこなくて、涙だけが広がった。泣けるだけ幸せかな。

 沢田研二さんの歌の中に、しんみりとした歌詞がある。あの歌のように歳を重ねていけるといいなぁ。でもそれが、何等前触れもなく、突然に起こるのは、自分の配慮の無さかもしれない。人間、何時何が起きても、騒がず、慌てず、背筋を伸ばして生きていられたら、いいのだけれども。煩悩には勝てない。

 我が家の庭に、春が静かに訪れている。水仙も、猫柳に次いで咲き出した。梅は満開に。

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記憶を呼び覚ます・・・

2018年03月10日 | Weblog

 何時のことだったか?施設を開設された方が、自由奔放で、人間らしい生活を送るには、薬に頼らず、そこら辺の雑草を煎じて飲むのが最適だ。と書かれていたことがあったのを記憶している。ドクダミ、スギナ、オオバコ、母子草、実に庭に生えてくる。それらを季節に応じて刈り取り、干して薬草茶にして飲んでいた。

 医者に等行かなくても、自分の身体を良く知っていれば、体調の異変には直ぐに気づくもの。そうして、医者に行くよりも、自然治癒能力を促し、細胞の活性化に繫げる。何が何でも、医者に罹るのが良しとされるが、透視能力もない藪では、症状を見抜けない。手術などとんでもないしで、新聞記事で読むにつけ旋律が。

 獣医学部を増やそうという動きに、唖然とした。犬や猫なら、物言わぬから、何をしても、金額が高くてもいいと言うのだろうか。我が家のすばるを見るにつけ不信感が募る。すばるの突っ伏して、大泣きに鳴いた姿が脳裏に残る。枇杷葉茶を飲ませていれば頭脳明晰になる。哺乳類は同じだろうと、観察して驚きを増す。

 糖尿病も、前立腺にも確かな効き目がある。頻尿にも効果が著しい。万能薬と云うが事実で、枇杷葉茶のお陰で、命は輝く。それにも況して、気をしっかり持って生きる、ということは何にも代え難い。悩める方の心に、このブログが止まるといいです。生きるのはあなたです。無理も無茶もしないで生きていくことだ。

 枇杷葉にも、葉を煎じるのと、花芽茶と種があります。枇杷葉は、これから結実して、6月から7月にかけて熟れます。店頭で買ったり、農家直送で求めたりでき、届いたら、冷蔵庫で保管して、皮をゆっくり剥いて戴ます。剥いた皮も、特に種は捨てないように。乾燥させるのがいいですが、焼酎に漬けるのも方法です。

 枇杷葉の種は、手挽きでも機械でもいいですが、珈琲を挽くようにすれば好い。次に新聞紙の上に乗せて、風のよく通る場所か、涼しい場所で乾燥させる。この時に、飛んでしまわないように注意します。保管先は、冷凍庫がよろしい。お茶での飲用には、分量を守ってしうます。アミグダリンは青酸カリに匹敵する猛毒だ。

 焼酎に漬けた場合にも、癌に効くからと、がぶ飲みにしてはいけない。症状にも依るが、慌てずじっくりと治すこと。自分の身体の一部だということを、決して忘れないでください。仲良く共に生きてこそ、枇杷葉の値打ちと効果がある。神さまのくださった命を、そうして自分に与えられた使命を、果たしてこそあの世に。

 リエさんのにしてある枇杷葉。昨年から実が生り始め、それも鈴生りになったのでびっくり。

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養老の枇杷葉

2018年03月09日 | Weblog

 人間ドッグに行き、タニタの体重計に乗る。これは体脂肪が測れるので便利らしいが、何分用紙での記録で、紙が無くなった。看護師の対応に剣がある。職場の人間なので大儀そう。で、何気なく途切れた紙を見てびっくり!年齢や身長を打ち込み、データが出て来る仕掛けで、実年齢と体内年齢があるらしい。65歳に対して40歳とあった。

 へ!はひふへである。内臓の疾患は無い自信を持っていたが、昨年よりも若返っているのでは?と思ってしまう。看護師さん、半端の紙をくれず徐に取り上げる。血液検査があるので椅子に座るが、針を刺すのが下手で血が止まらない。レントゲンに向かうが、更に噴き出て来る始末に、気分が悪くなってしまう。倒れて死ぬかもしれないでしょう。

 レントゲン室のブザーを押すと、直ぐに対応してくれるが、血が止まらないのと言うと、親切にガーゼを出して、上から押さえてくれる。あらまっ、下手くそな看護師だったのは明白、辺りが黒ずんでわっかになってきた。撮影着を貸してくださり、何とか取り終えたもの。何時もの上手な看護師さんは、他の所での対応らしく、声ばかりしていた。

 心電図を取ってくれた技師さんは、病は気からと話され、医者嫌い位で丁度いいのかもしれない、とのことだった。1時間もかからずで、直ぐに終わったので、一旦家に帰り、本屋まで出直す。支払いもあるしで、何よりも朝食が未だである。腹が減っては動けない。軽くご飯をよそって、みそ汁で戴く。リエさんのみそ汁は美味しかったと思い出す。

 用事をして帰宅したら、すばるの悪戯が絶好調で、あちこち散乱している。さみしかったんだろうとは思うが、上の物を落として、雪を降らせていた。ティッシュの箱を蹴落として、中身を掻き出している。さぞ面白かっただろう、とため息をついたが後の祭りだ。

 チャイコフスキーの下巻が届いており、借りに寄る。以前、図書館に勤務していた方が居て、地元の歴史を話す。加えて、薬草の効能を話題にするが、枇杷葉を知らないという始末。こういう手合いの男性は、始末が悪い。自力で探さないと、効き目はありません。

 我が家の枇杷葉は、真実困っている方でないと、効き目もないし、差し上げる気にもならない。窮地にあってこそ、援けは必要なのだが、何でも無料で貰えると言うのは間違いだろう。それに値する金銭は、自分の命との引き換えなのよ。安易に考えては効果は無い。

 昨年は、摘芽をしてみた。1枝に3つ位がいいようだ。放っていたら、粒も小さいし、花芽も枯れてしまう。

 

 

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蜜蜂の日

2018年03月08日 | Weblog

 枇杷葉の花芽が咲いているのに、啓蟄以前より虫の姿が見えていた。よくしたものだと感心する。自然の掟では、こういった些細なことも、命を育んでいくものなのだ。結実するかは別として、興味深い出来事だった。ブログに書いておけば忘れない。観察できたのも実にあり難いこと。自然から教えてもらえることに感謝する。

 友人がやってきて、風邪の具合が芳しくないと話す。枇杷葉の焼酎漬けを飲用しているそうだが、時間がかかるのは否めない。これはお茶に塩を入れて、嗽をしなくては。飲むのは山女の方だよ。山女は、咳止めにも痰の絡みにも効果がある。自然の力を借りて、援けてもらうのだから、素直な気持ちで暮らしたい。祈りと感謝を。

 癌細胞への偏見かな?とも思えるが、癌も身体の一部であるのを、悪性と決めつけて切ってしまう。生きていようとするなら、仲良くしなくては。諍いは良くない結果になるから、共に暮らせる方法を見つけてほしい。何でも医者の言うことが正しいとは限らない。自分の身体であるのに、他人任せにするから、命まで終えるのだ。

 どんな名医でも、人間であることに変わりはない。手術の経験が幾らあっても、そこは感も大切なことだろう。悪者をやっつけるというのは、鬼退治みたいなもの。だが、鬼にしてみれば、先住民族で其処に棲んでいただけのことだ。彼等には金銀財宝も、何ら意味をなさなかったのを、後から来た者が、涎を垂らし、目が眩んだ。

 古事記や日本書紀を読むに、至極尤もらしい記述があるが、その時代に居た訳ではないし、藤原不比等に依って書き換えられたともある。権力に絶大な金や地位があれば、何なりとできた時代でもあろう。長屋王の事件もそういった背景があった。目ざわりの者は、政権の実権を握っているという錯覚者にとっては、許せない相手だ。

 昨夜からの雨である。気温が上がっているので、洗濯物は生乾きだ。室内に取り込んでも、常温で多少は乾く。急ぎの物ではないのと、着替えはあるのとで軒下に干したままだ。明日は、勤務先の病院に人間ドッグで行く。更新の手続きをするためには仕方ないが、可能なら出向きたくない。歳を重ねれば故障するのは、当たり前です。

 枇杷葉茶の最大の効力は、獣の臭いを消すこと。人間と同じ効果があるので、すばるを見ていれば想像がつくのだ。実に美しい毛艶だ。そろそろ1年が来るが賢い。対して10年以上の飲用である。悪戯はするものの、飼い主の顔色を読んでいる。声の調子や態度で、自分の失態を察知する。人間の評定も分かるので、すばるを見れば。

 庭の海棠が咲いた。春爛漫である時期に、桜より、ちょっと遅れて咲き始めるのが好い。

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本音と建前の差・・・

2018年03月07日 | Weblog

 お雛さまを譲られて来たから、飾りましょう。と言うが、現在のレベルで、人数も不足しての状態で、時間的にも無理なことを、しましょうと言う根拠が分からない。こっちを介護していれば、あちらが大変な状況下に陥るで、更に混乱するばかり。

 日勤帯のぎりぎりの人数で、入浴を行い、トイレと食事介助がある。傍にいるだけでは、横から手が出てくるわ、口に入れられないわ、目の前にあるのにじっとしたまま。声掛けを行いつつ、介助していっていると言うに。これ以上の負担は無理よ。

 ちょっと目を離せば、信じられないことが起きており、トイレから出てきても、手は洗っておらず、はみ出していたり、汚染があったりで、てんてこ舞いの状況だ。人形だから飾っておけばいいでは。物言わぬ物にも魂があるのに。介護職にも不明か。

 きっと、そういった事情を知らずにくださったのであろうが、飾られるお雛さまも気の毒である。段飾りなど、屋敷でないと飾れない。雛人形に願いを籠め、孫や近しい者に贈った相手がいよう。人形が気の毒で可哀相です。そういうこと無頓着なの。

 昨今は、武家屋敷の面影を残す各地や、飾られなくなった人形を集めて、一同に並べるが、そこにはお世話をされる方がおいでで、きちんと管理されているのだ。出し方も仕舞い方もとんちんかんな、時間もあってない、介護の現場には不向きですよ。

 きっと断れなくて、もらった物であるのだろう。そうしてみれば、お雛さまも哀れである。物言わぬとはいえ、災いも降り懸かるような気がする。供養してもらうか、お寺社に預けて祈願してもらうかだろう。祟りは怖いよ。わたくしはご遠慮したい。

 朝、勤務先に急いでいたら、施設の前の小学校時の恩師が、卵を上げる。とのたまうではないか。枇杷葉で元気になったもので、何かとお礼を言うが、それはわたくしの力ではなく宇宙のエネルギーでもある。こちらこそ感謝。折角の好意なので戴く。

 人に差し上げる時には、惜しまないことだとも思う。枇杷葉の生葉を、躊躇なく採って持って行った。打ち身の身体中に、せっせと貼ったらしく、痛かったのが嘘のように治った。長生きをしてね、と言うと、百まで生きる。と即答されてしまった。

 カメリア。エリノアというか?木丈が伸びないが、鉢植えなので丁度良い。今年も蕾が見えている。

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睦月、啓蟄

2018年03月06日 | Weblog

 二十四節気 啓蟄 地中で冬眠した虫類が、陽気で地上に這い出す頃の意で、啓蟄と云う。毎年、三月六日頃である。先週の気温とは異なり、寒さも然程感じず、暖かさが心地よい。春になったものと心が弾んでくる。

 然し、昨日の暴風雨には、流石に洗濯物は干せず、室内に取り込んでいた。表の物はぶっ飛んでいくわ、枇杷葉の木は大揺れである。寒さは感じないとはいえ、じっとしていると寒い。懐炉を貼り付けて過ごす羽目に。

 新しいパソコンにして良かったのは、ブログの更新が直ぐに出来、ベルメの買い物が復活し、ネット検索が可能になったこと。拙かったのは、ブログへの写真の縮小が、さっぱりな出来で困惑した。方法習得に時間が。

 何しろ、windowXPである。然も、買い換えたのは10になっており、相当に進歩している。使用方法が分からなくて、戸惑うのは当然でもある。初めからのパソコンならこうはいかないが、少しは学んでいて好かった。

 当時は、重労働の仕事を辞めるに、多少は資格も必要と習得に行った。事務系を狙ったが、年齢で不利な扱いを受け、正社員への道を諦める。介護の仕事には、未分野でもあったが、簡単な内容に応募してしまった。

 自分の性格の短所でもあるが、負けず嫌いが高じて、誰よりも熱心に学び、研修を受け、レポートを提出し、疑問点は納得いくまで追及した。心の籠った介護を想い、日々励んできたが、言うは易く行うは難くである。

 人間誰しも、何時かは命を終える。その覚悟があるかないかで、生き方にも差が出るように思える。わたくしなど、如何なる場合にも、助けは願っていない。産まれてくるのは、親に助けてもらったが、死ぬのは独なのよ。

 そういってしまえば、薄情かも知れぬが、命の延命はしたくないし、自然に逝けるのが、宇宙の摂理であろう。死期というのは、自ずと分かるもので、どんなにもがいても逃れられない。殺すのも、殺されるのも嫌だが。

 人間も、医学や化学の進歩で、長生きをしてきたもので、平安時代や江戸時代ともに、全く異なる生活だ。どの時代にも、長生きをしたい者はいたようで、寿命が延びるなら、権力に物を言わせて、服従させ手に入れた。

 枇杷葉には、活力や延命の働きがあるのかも知れぬが、千差万別で効力の程は不明だ。何かのエキスが、寿命を延ばすのか、そういった物ではなく、突然変異で産まれた者が、シャーマンとなって子孫を増やしたのかも。

 リナリアとも言い、金魚草であるが、花が小さくて群れる。本来は、一年草らしいが、我が家は零れ種で。

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