枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

東日本大震災・7年

2018年03月11日 | Weblog

 日本は島国で、火山帯の上に乗っかっているのを、人々はややもすると忘れるが、火山活動は続いている。テレビで、BTRで川水を遡る様子が映し出されていた。これが大潮で、満潮時だったら、被害は東京にも及んでいたのだ。福島の方々だけではない。加えて原発の稼働が、人の心を大きく変えた。

 然し、災害の怖さを、身を持って知っていても、生かされることのないことを願う。地震など起きないことを祈りたい。原発さえ、稼働していなかったら、と思わずにはいられない。復興の兆しが見えてきたとはいえども、少数の者のことになる。多くの避難された方々は、今なお生活が立ち行かない。

 本当の勇気とは何だろう。生きていくことの真実は、誰にどうあるのだろう。堪えていても、胸の中を抉るような感覚を、経験した者は忘れられない。国は、広島や長崎の禎哲を踏むばかり。自国の者を守れなくて、政治家と言えるのだろうか?自分勝手な言い訳ばかりで、この国を牛耳るのは止めて!

 小さなことでも、こつこつと続けていれば、それが実を結ぶことにも繋がる。でも、何と時間の掛かることだろう。飽きらめないで、希望を失わないで。どんな人にも、試練はあるのよ。それが何時かは不明だけれど。幸せなことに気づけば、明日に向かえるだろうが。生きていればしあわせなんだね。

 明日は、お水取り。春は、どんな年にもやって来る。哀しみの最中にも、心をずたずたに切り裂かれても、残った者に生きてほしい。神も仏もないのかもしれない。或いは、人間を試しているのやも知れず。テレビの画面を勤務先で観ながら、言葉も出てこなくて、涙だけが広がった。泣けるだけ幸せかな。

 沢田研二さんの歌の中に、しんみりとした歌詞がある。あの歌のように歳を重ねていけるといいなぁ。でもそれが、何等前触れもなく、突然に起こるのは、自分の配慮の無さかもしれない。人間、何時何が起きても、騒がず、慌てず、背筋を伸ばして生きていられたら、いいのだけれども。煩悩には勝てない。

 我が家の庭に、春が静かに訪れている。水仙も、猫柳に次いで咲き出した。梅は満開に。

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