枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

本音と建前の差・・・

2018年03月07日 | Weblog

 お雛さまを譲られて来たから、飾りましょう。と言うが、現在のレベルで、人数も不足しての状態で、時間的にも無理なことを、しましょうと言う根拠が分からない。こっちを介護していれば、あちらが大変な状況下に陥るで、更に混乱するばかり。

 日勤帯のぎりぎりの人数で、入浴を行い、トイレと食事介助がある。傍にいるだけでは、横から手が出てくるわ、口に入れられないわ、目の前にあるのにじっとしたまま。声掛けを行いつつ、介助していっていると言うに。これ以上の負担は無理よ。

 ちょっと目を離せば、信じられないことが起きており、トイレから出てきても、手は洗っておらず、はみ出していたり、汚染があったりで、てんてこ舞いの状況だ。人形だから飾っておけばいいでは。物言わぬ物にも魂があるのに。介護職にも不明か。

 きっと、そういった事情を知らずにくださったのであろうが、飾られるお雛さまも気の毒である。段飾りなど、屋敷でないと飾れない。雛人形に願いを籠め、孫や近しい者に贈った相手がいよう。人形が気の毒で可哀相です。そういうこと無頓着なの。

 昨今は、武家屋敷の面影を残す各地や、飾られなくなった人形を集めて、一同に並べるが、そこにはお世話をされる方がおいでで、きちんと管理されているのだ。出し方も仕舞い方もとんちんかんな、時間もあってない、介護の現場には不向きですよ。

 きっと断れなくて、もらった物であるのだろう。そうしてみれば、お雛さまも哀れである。物言わぬとはいえ、災いも降り懸かるような気がする。供養してもらうか、お寺社に預けて祈願してもらうかだろう。祟りは怖いよ。わたくしはご遠慮したい。

 朝、勤務先に急いでいたら、施設の前の小学校時の恩師が、卵を上げる。とのたまうではないか。枇杷葉で元気になったもので、何かとお礼を言うが、それはわたくしの力ではなく宇宙のエネルギーでもある。こちらこそ感謝。折角の好意なので戴く。

 人に差し上げる時には、惜しまないことだとも思う。枇杷葉の生葉を、躊躇なく採って持って行った。打ち身の身体中に、せっせと貼ったらしく、痛かったのが嘘のように治った。長生きをしてね、と言うと、百まで生きる。と即答されてしまった。

 カメリア。エリノアというか?木丈が伸びないが、鉢植えなので丁度良い。今年も蕾が見えている。


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