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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

がんこちゃんは、知ってるよ。

2011年11月19日 | Weblog

 学習発表会が学年別にあるというので、孫たちの通う小学校に出かける。中学年の孫は、大人になっていて、同窓会で巡り会い、各人が現在の職業を言う。過去の世界にいくという博士になった人が、子どもの頃にした楽しいことはなんだった?と皆に聴く。

 其々が、思い思いの話をし、もう一度未来に帰っていく。まあ、ちょっと小首を傾げる場面もあったが、楽器を演奏したり、運動や組体操を披露してくれた。最期に朗読劇『ごんぎつね』をして幕が下りた。季節的にはピッタリの雰囲気であった。外は雨、枯葉も舞っていた。

 低学年の孫は、人数が5人なので、何しろ出番も台詞も多い。こちらも演奏があった。最期に落語があって、『饅頭こわい』を、演じた。孫の作った饅頭は、紅白饅頭と葬式饅頭であった。曾祖父母が亡くなっているせいか。と、笑いをかみ殺した。

 休憩時間に、もう一度中学年の教室に行く。孫は、末吉暁子さんにお会いした時のことを、話していなかったらしく、えっ、誰?誰のこと。どうしたの?何なの。と、先生やお友達から質問攻めにあう。どうやら自分ひとりが目立つということが、照れくさくてしようがないらしい。

 作者の末吉暁子さんのお名はわからなくても、がんこちゃん、ぞくぞく村というと、直ぐにわかるのだ。あちこちで、しってるよぉ!と声が上がった。孫は小さくなって、教室の片隅に身を縮めているのが、何とも愛らしい。もしや、内緒にしておきたかったのか。

 枇杷葉の苞が、そろそろっと綻んで、雨の降りそぼる中を咲いている。なんといい匂いであろうか。思わず深呼吸をした。東側のは満開に近い。12月になったら少し採ろう。適度な水分と暖かな陽射しに、毎年咲いてくれる。自然の恵みのありがたいことか。

 中秋の名月。旧暦での十五夜です。その上に観えるのは、木星です。薄がやっと咲き始めていました。

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しし座流星群は雨・・・

2011年11月18日 | Weblog

 お天気が気になってはいたが、雨である。少なくとも諦めはつく。今年は、月が出ているので、観測条件はよくない。それでも天気なら、と期待はするのだ。しかたない、来年にかけよう。好条件での観測ができるような気がする。

 流星群も、まるで雨が降り注ぐように流れることがある。それを観たのは、言葉もないくらいの驚きで、自然界の恐ろしさであった。なす術がない。というくらいに流れる星は、後から痕から飛び出してくる。まるで戦火であるような凄まじさであった。

 写真で見るのとは大違いで、まさに恐怖でもある。人間は、自然からの恩恵を当たり前に受けるが、そうでないと天災だと息巻く。いやいや、自分に都合のいいように解釈するだけで、真実には人災であろう。誰しも気づかぬ内に、しでかしていることなのだから。

 何だか月日の経つのが早く感じられる。年齢を重ねてきたからだろうか?一日が24時間というのが早過ぎる。母や父が亡くなったことも、大いに無関係ではない。兄や妹のしでかしたことや、していることは、およそ心の入っていない親への仕打ちに他ならない。

 枇杷葉の苞が、少しづつ開いていく。夜気に紛れて漂う香りは、鼻腔を擽る。思わず、顔を近づけ匂う。杏仁のやさしい匂いだ。心に溶けていく。体の隅々まで入っていくのがわかる。なんと心地よいのだろうか。

 季節がずれて咲いたかすみ草。初夏に咲くのが、晩夏に咲いた。

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泳げ!

2011年11月17日 | Weblog

 基本的に運動オンチである。姿からは想像できないらしいが、体育系は大の苦手。柔道は別です。山下泰裕さんが、オリンピックで優勝した時、涙が出た。この人の誠実さが好きなのだ。中学生の時、やりたかった。女子は、剣道はいいが柔道はだめであった。

 水泳は、泳ぐ場所がなかった。川も池も狭く、水温が低い危険な所である。蝮がいた。家の周りにも危険な箇所が多く、抱えて更なる大冒険には、命が幾つあっても足りない。泳げなくても川で魚は捕れるし、困ることも略なかった。

 従って泳げない。球技もきらいだ。球が来ると避ける。敵味方がわからず、点数を入れてしまう。視力のせいもある。動かないで運動でき、且つ有意義であればやってもいい。本を読みながらだと、更に好ましいがどうか?

 枇杷葉と蒟蒻を使ったやり方は、体内の毒素が生葉に出る。まことに不思議だが、葉が真っ黒になるのだ。たかが枇杷葉と侮ってはいけません。蒟蒻もです。何回か繰り返すと、体がすっきりしてきます。患部も温められて、自然と癒されるのです。

 夏になり、おいしそうに色づく枇杷の実。この程度の色づきだと、1週間後には収穫できる。リエさん、風邪はよくなった?珈琲、送ってもらえますか。今回は、ナマケモノブレンドで。

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民間療法

2011年11月16日 | Weblog

 蒟蒻と枇杷葉の相乗効果は、やり方にも依るのだろうが、その効き目は驚くものがある。体内からの毒素が出て癒され、体の芯までが温められて安眠できる。注意するのは火傷であるが、熱くなり過ぎないように、皮膚から離すことである。枇杷葉は、生葉を用いる。

 先日、Aさんのてあてに伺ったが、生葉は真っ黒に変わり、反対に表情が明るくなって、気分爽快になられた。お灸は跡形が残るが、蒟蒻は、低温火傷に気をつけてさえいれば、心配はない。しかも安い。加えて、小さくなるまで何度でも使える。

 しかし、あくまでも応急処置である。言うに及ばず、早めのてあてと、根気良く続ける事に意味があるのです。或いは、合併症がある場合には、専門の医者の指示を受けてください。自分の体は、本人がよくわかっているでしょう。

 枇杷葉も、生葉と焼酎漬けがあります。患部に依っては、どちらを使うか判断します。また枇杷葉ローションも、葉を漬けたのか、種や花芽なのかは、患部の状態と症状にもよります。最期に、てあてをする人の、腕と感と技でしょうか。

 枇杷葉の生葉を30枚ほど用意し、水洗いをしておく。蒟蒻は、四角でも長四角でよい。入れてある袋から取り出した蒟蒻は、鍋に水を張って、弱火で温めるのがいい。蒟蒻を2丁を交互に温めてもいい。肩、腰、お腹、足の裏、膝等に、温めた蒟蒻と生葉を載せる。

 患部が熱さを感じれば、ちょっと離し、再び載せる。その繰り返しをしながら、離さなくてもよくなったら、熱さを感じなくなるまで、そのままの状態にしておく。全体で20~30分である。仰向けになるか、うつ伏せかは好みでしてください。

 晩夏の枇杷葉。澄み切った空に、大きく伸びていく枇杷葉です。長崎茂木、早9年目が来る。

 

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謎かけ・・・

2011年11月15日 | Weblog

 天花粉。この謎かけがいい。何度読んでも爆笑できる。おかがないのにおかゆ。という締めくくりも笑える。一人でも仙人とはこれ如何に。一つでも饅頭というが如し。うまい!最期の落ちが『うまい!』でなく他の言葉ではまずい。しかし誰にでも通じるかと言うと、あに測らんや。

 天花粉を読んでいるだけでなく、ファンとして全作品を記憶し、その極意を瞬時に頭に浮かべなくては。定刻ホテルの怪もいい。ダンジョンズ・ドラゴン、地底龍が失くしたフライパンを、ぎゅうっと抱きしめる場面に、胸が詰まる。サンド・ウィッチが砂の魔女とは。

 フィガロ。と叫ぶ男の子。何となく、腹が立つものの憎めない。階段宮殿。悪い冗談は止めてくれ。笑い転げる。塔に降る雪。カヤンとクシ。何故か泣ける。奥が深い。独りで居たい時、哀しみが癒えてき始めると読みたくなる。

 心が砕けてしまったり、萎えてするべきことが見つからなかったりした時に読みたい。理由などなく、時間も景色も、何もなくてもよかったりする。子どもの時には、泣けたことも、大人になると泣けなくなる。或いは、我を忘れることが怖くなるから。

 がんばれ。頑張って、頑張ってきて、頑張ることに疲れた。いつまで頑張ればいいのか?眼には何も映らず、耳には何も聴こえずなのだ。しっかりしなくちゃ。そういう意識はある。でもわからない。誰も居ないから。どうしたらいいのだろう・・・

 暗闇の出口は必ずある。って言う。それがわかれば、信じても往ける。自らの命を絶つ瞬間は、きっと宇宙の中に浮かんでいて動けないから。何もないからだ。そこから始まり終わりに繋がる。果てのない世界ではある。

 今夏の我が家の庭。サンタさんの枇杷葉は、とても元気よく育っている。夏の陽射しを遮ってくれ、涼しい陰を作ってくれる。その周りには鉢が並ぶ。

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明日、天気になぁーれ

2011年11月13日 | Weblog

 夕焼けの空に、靴を飛ばして言う。「あしたてんきになぁーれ」靴がひっくり返ると雨、横倒しは曇り、上を向いて着地すれば晴れである。靴は飛ばそうとする方向より、かなり外れて飛ぶ。かと思えば、予期せぬ場所に落ちる。小川であったり、溝などに落下するのだ。

 母に大目玉を食らう。靴の替えはないからだ。極めつけ、溝を流されている場合には、草履に履き替えて探しに行くことになる。当時は、牛を飼っていたから、きれいに草は刈られている。濡れた靴のままでは履けないので、火鉢に靴を挿して乾かした。少し湿っていた。

 それで懲りればいいのだが、今度こそそうした失敗はしないとやる。結果は火を見るより明らかである。母の怒りは頂点に達する。祖母が、財布の紐を解いて母に渡し、渋々ながら新しい靴を買ってくれた。尤も、古いのが乾くまでであった。

 以来、靴での天気予報はしてはならない。と言われ、祖母は月を見上げたり、虫の居所で、明日の天気がわかる方法を教えてくれた。つまらなかったが仕方がない。年齢を重ねて来て、自然現象の確立の方が、当たるのだとも思う。

 リエさんに、山女酒が届いたらしい。軽い物は郵便の方がよく、急ぎの時には宅急便だ。山女は痰が絡んだり、切れなかったりする時に、嗽を続けるといい。高齢になると、咽喉のイガイガが気になる。山女を焼酎に漬け置いたのを使う。

 旧暦。端午の節句で、菖蒲湯にする。独特のにおいがある。花菖蒲とは違う。

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冬の桜

2011年11月12日 | Weblog

 江戸時代にも、桜が開花することもあった。至極希なことだったが、品種に依っては咲く。現代のように情報量が豊かでないので、そういった情報は全国各地には届かない。知らないのも道理である。暖冬のせいだけではなかったのだ。

 但し、旧暦でのことで、今なら11月から12月になるらしい。この時期は、小春日和が続くときもあって、開花を促す要因があればいい。桜にも気紛れな精霊もいるし、天邪鬼もいたであろうから。偶々人間が見つけて愉しんだもののように思う。

 昨今では、異常気象で桜が開花するようにも云われるが、そういった種類の桜があった。一般に知られていなかっただけである。尤も、全国的に情報も行き渡っていなかった。ここにきて賑やかに云うのは、桜にとっては不本意であろう。

 桜の精霊は美少年か、或いは美少女というか、どことなく儚げな美形が多いように思う。美しいものには、魂がこもっていると言えばなくもないが、魅せられての人間の方は、呆けてしまう。反対に魂を抜き取られてしまうのだ。桜は、それほどに美しい。

 花には、何れも魅力があり、美しさを褒め称える言葉として使われる。雑草や、名もない花というのはない。植物博士の牧野富太郎博士は、どんな小さな花にも名をつけ、その姿を描きとめた。蜂に刺されても、大切なドウランを離さなかった。という伝記が残っている。

 花に来るのは蝶だが、揚羽蝶は色に依って飛ぶらしい。羽があるから飛んでいる。と思っていたが、時間や花の色を選んで飛んでいるらしい。人間のように、あちらこちらと何処でも行く訳ではないらしい。分別があるんですね。

 今夏の枇杷の実。収穫して、枇杷葉の灰で焼いた器に盛って。

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物質電送機は造れるか?

2011年11月11日 | Weblog

 科学の力が歪むと、恐ろしい。便利なことが、役に立てばいいが、方法にも依るだろう。或いはなくても事欠かないのに、造ってしまってから慌てふためく。我々は、自分の頭で考える以上に、地に足をつけて歩かなければならない。

 ザ・フライ。古典のタイトルは『蝿男』だったか?試運転をしているところに、1匹の蝿が紛れ込み、科学者は頭が蝿の人間に。蝿は、頭が人間の昆虫になる。実験は失敗で、科学者は徐々に蝿の遺伝子に転じていく。最期は、圧縮機に体を横たえ、妻にスイッチを押させる。

 SF映画だから、おぞましいとか、気味が悪いと思えるが、実際になったとすれば哀しみの方が大きいに違いない。物質の質量を原子にして送り、着いた時点で質量を伴う元の物資に返す。これだとどんな重い物も、自由自在に転送できてしまう。

 だがそれは神の領域なのだ。人間が踏み込んではならない。不便さがあったとしても、自然に生かされていることこそ、命を永らえること。努力を惜しまぬことで、心が豊かになる証でもある。云うに及ばず、感謝することこそ人類の繁栄に繋がっていく。

 リエさんに、山女酒を送る。風邪を引いて、咳が止まらないとか。私は、梅のジュースで治したが、山女は痰や咳にいい。ジャム瓶にたっぷりエキスの出た山女酒を入れ替え、花芽茶も3袋を詰め込んだ。明日には着くよ。早くよくなってね。

 秋の白薔薇。この季節の方が色が冴えているように思える。

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餡パンは粒が・・・

2011年11月10日 | Weblog

 最近のパンは進化したのか、小麦ではなく米からもできるようだ。しかし、昔からある木村屋の餡パンだけは、餡こは粒餡であってもらいたい。あの素朴な味が、粒がたまらない。漉し餡の上品さは買うが、ちょっと物足りないのだ。

 今日日の若者が振り向いてくれなければ、売上は落ちるだろうし、採算も取れないだろう。でも、年齢を重ねると、昔に食べた味や、姿の物が無性に懐かしく食べたくなる。そういうのを見かけると、父や母に供えたくなる。

 あの頃に、2~30円であった物が、消費税込みで120円である。随分と高級化したものです。餡パンとも言えない価格になっている。世の中が様変わりしており、消費者の求める物へと移り変わっていると言うが、大量生産なだけにも思える。

 地球温暖化の原因が、原子力発電の稼動に起因すると言うが、やはりそうだったのか!と納得した。今回の福島第一原発の事故も、元は、稼動させたがために、起きてしまった人災だ。地球を絶えず落ち着かなくし、地震源を触発したものに相違ない。

 そういったことは、政府も東電も、最初から想定していたし、事態が悪化した場合には、その保障を、誰がどれだけ負うかまでも決めていた。知らなかったのは、地元民を始めとする国民の大多数。でも、知らなかったでは済まないのが現状である。

 汚染土を、歴代の首相の自宅に持って行ったらどうか?地下深く埋め立てれば安全、と言うなら運んでください。福島県民だけに押し付けるのは過酷です。但し、運搬上に、小さな命もあることは、絶対に許されるものではない。

 汚染された食べ物は、大人が引き受けて消費しなければ、いつまで経っても、放射能はなくならない。消費期限も、賞味期限もいいから、放射能の数値を表記してください。買うか、そうでないかは、自分で決めればいいことですから。

 広島や長崎の原爆より、遙かに多い80発分の威力に、汚染は地球全土に広がっている。武士の時代なら、切腹ものです。それでも稼動させようとしている。地球に、未来はなく、絶望しか残されない選択を、政府のお偉方はしてしまった。

 今夏の枇杷葉の発育。蛙も蝸牛も、蟻んこも。螳螂に至っては、卵を産み付けている。

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枇杷葉の花芽咲く

2011年11月09日 | Weblog

 帰宅して、車のドアを開けた途端、香しい匂いに包まれた。花が咲いたんだ。満月が近いし、大潮にもなる。枇杷の花の開花に、心がやさしくなる。山茶花も傍で咲いてはいるが、香りはさほどではない。そろそろ柊も匂う季節になった。

 今年は、西側の枇杷葉に苞がついている。木の太さはひょろひょろ、葉もあまりないのに3枝ついている。長崎の茂木は、今年も鈴生りである。その茂木と西側の間にある木に、ふと見ると1枝苞がついている。あらまっ!これもひょろりんである。

 サンタさん枇杷葉とりささんのには、木も葉も大きいしたくさんなのに、葉の中心に苞が見えない。日当たりも充分なのに何故だろう。尤も、茂木枇杷も最初はひょろひょろであった。花芽など考えたこともなかった。まさか枇杷の実が生るとは。

 況してやお茶にしたり、化粧水にできたりとは思いもよらず。日々貴重に使っておりまする。化粧水は、枇杷葉の種でエキスを摘出して使い、市販品は買いません。肌荒れもなく、艶やかでしっとり、さらっとした肌が出来上がります。貴重品です。

 花芽茶は、満開の花を摘果して採るか、剪定で落とした物を使います。枇杷葉は焼酎に漬け、花芽は生の状態でお茶パックに詰めて、冷凍庫入れましょう。ナイロン袋に小分けにして入れます。くれぐれもほったらかしは駄目です。直ぐに虫が忍び寄ります。

 今月は、しし座流星群を始めとして、明日の夕空の、金星・水星・アンタレスが集まって観えたり、今月末には金星と月と水星を眺められます。何れも自然の現象を、誰に気兼ねすることもなく堪能できる絶好のチャンスです。

 自然に芽が出た金魚草の苗。おそらく黄色だと思うのですが、花が咲くのが愉しみです。

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