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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

座敷わらし・・・

2011年11月07日 | Weblog

 東北地方には居るというが、姿を変えて、信じる者のところには、住むのではないのか。と思えたりする。尤も、子ども姿をしているだけで、精霊なのだから年齢不詳らしいが。座敷童子を見た人もいるらしい。感受性の強い、或いは心が無防備の子どもには見えるのかも。

 亡くなった人の姿が視えたり、存在を感じたりすることがある。念じることもあるが、ふと眼をやると、其処に居る。別段悪さをするのでもなく、単に、自分の想いがわかってもらえることで、満足している。特別に遭いたいとか、見えるといい。などとは思ってもないが。

 祖母が夢枕に立った時には、お墓に行った。参って仰天する。お墓が傾いていたり、墓が野生のものらに荒らされていたりする。行かないと毎晩枕元に起った。それは何とも気になってしまう。他の者には見えないことがわかっていて、現われるのが癪だった。

 科学的に解明すれば、その箇所に集中して電磁波が集まっていたり、空気の波が不規則に流れていたりするらしい。だが、不可思議な出来事には潮の大小や月の満ち欠け、地球と月との引力や重力、満干潮が大きく作用しているように思う。

 人間の、叡智を超えた自然現象は、科学では解明できないことが起きるように思える。その可能性は、人類の力及ばぬ神の領域に達することだ。決して汚してはならないのではないか。そういった観念が欠落してしまっている。

 宇宙を観上げると、十三夜である。その斜め右下に木星が輝く。大気が澱んでいるのかぼやけている。寒さも一昔ほどではない。時代のズレを感じてしまう昨今である。それでも、月の輝きは変わらないものだ。

 ポットの中のオクラです。結構生りました。鰹節をまぶしていただきました。

コメント
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