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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷葉の枝も撓り・・・

2021年05月28日 | Weblog
 今年は生り年となっているのに、初生りも加わって相当数がぶら下がっている枇杷葉。来週には捥いでも良くなるかもと、枝の撓り具合を見ている。1本の枝に何しろ鈴生り状態であるから、実が大きくなっての熟れ具合では重さも増して来ようというもの。有難い成り行きに感謝はあるものの内心では戦々恐々で、迷惑を返り見ずに送ろう。

 最近は枇杷の熟れた写真に惹かれての訪問が増えているが、東京の以外な穴場に多くあることに気づく。リエさんと散策していて神田川沿いにたわわに色付いていたし、古河庭園近くには匂いが漂ってきて存在を知ったもの。誰も、川淵に見えるのが枇杷葉とは気づかぬらしくて驚いていた。加えて薬効となると皆無に等しいものでがっかり。

 小石川植物園を知っていても、あそこに多彩な種類の薬草が植えてあるのまでには興味がないだろう。牧野富太郎博士の旧邸も関心がなければ、訪れることもない。ブログでの紹介に釘付けになるのは、自分の好みの記事であり写真なのは無論だが文章にも惹かれる。何もプロの作家が書いているのではないから、そこは引いて読んでいるが。

 わたくしの枇杷葉拘りの記載に、飽きもせず訪問下さってのことに感謝するばかり。書いている自分が詰らないかな?と思うのだから訪問して読まされる者には苦痛かも知れない。それなのにおいで下さってもお茶も出さず、愛想の一つも無いのだから難儀ではないのかな。でも個性豊かな方ばかりで、その内容に触れることで思考変換にも。

 今朝、吉藤オリイさんの記事があって、とても沢山の想いに触れさせてもらった。Facebookでも応援させてもらっているが、ここまでの過程が分って親しみが湧いた。諦めないこと・視点を換えてみること・前向きに捉えることへの心に動かされた。今からでもわたくしに可能なこともある、と老体に鞭打つが無理はしないでやりたいもの。

 誰かと同じでなくとも、違うことであってもいいんだ。最終的には地球への恩返しになれば、再生されて命を終えたい。偉大な作家であろうが、人間国宝の名誉があっても皆何等かのことで死んで逝くには違いない。今日であっても明日にしろ、何れはその時が訪れるのだから。死への恐怖がないとは言えずでも逃れられない生身の生き物。

 晴れればドクダミをせっせと抜いて切り、新聞紙の上に広げている。花の時期が良いのは知っているが、寒中の頃にも根魂を掘り起こしておくと好いもの。多少は薬効も異なるのであるので、調べてからの採取と飲用にして下さい。今の時期に白い花が咲いている山法師は、滋養強壮効果らしいが焼酎に漬けているだけで飲んではいなく不明。

 薔薇の木を移植したり、挿し木で増やしているが上手くいくかは…。川原に行って砂を持ち帰って焼くのが良いが、足元に危険を感じるのため決行出来ない。長いものには巻かれろとの諺も、あればっかりは避けたい。無料には相当の覚悟が必要となるので、鹿沼土に挿して置こう。薔薇の苗木は挿し芽で増やして咲いており、親株は枯れた。
コメント (8)
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