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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生・八せん始まり、下弦・小潮

2021年05月04日 | Weblog
 昨夜のネット切断に就寝して目覚めたのはAM5時。二度寝をしたらと思うとおちおちできない、7時過ぎまで布団に居て起きる。珈琲は豆を手挽きにしたので、思考的な余裕もできてゆっくりと淹れる。ご飯を炊いて暫く経ってから筍と蕨を酢飯に混ぜてみた。食欲が減退しているのか、手当が堪えているかは不明だが気力回復を試みる。

 Aさんちに出向き、生葉をガスで炙ってタオルに包み患部に熱いのを当てる。2時間で10枚前後の生葉を使用していくが、未だ葉の黒くなっているのが失せない。症状は多少ではあるが改善されているのが伺えるが、一進一退という処でもある。それでも気を抜くことができないので、張りつめて施行するしかない。これがしんどいのも。

 こういうことを職業でされている方は、一体自分の身体をどう維持しているのだろう。わたくしには一日に一人しか行えないし、金儲けが目的でないから大勢は出来ない。ブロ友さんで三人程の方を気遣っているが、其処への波動を通じさせていくのも可なり困難。一人はそういった行動が判ってだが、理解し難いことが壁となって。

 以前に四柱推命で聴いた話。生命線の視方で判っていても、援けてはいけない命 援けられない命 援けてもいい命があるそうだ。それには前世やら現世と来世への約束ごとがあり、人智では決して行ってはならないそうでもある。神さまは人其々の役目・使命に依って地上に下ろしているので、無闇には代えられない決まりごとと云う。

 亡くなるのは病であったり、事故だったり思わぬ厄斎かもしれぬが変更できない。もし、身代わりとなるなら我が命との交換しかない。誰しもが口では云えても実際には無理なことで、超能力を以ってしても不可能である。医療行為にせよ無理なことは出来ないし、本人の免疫や抗体力の有無でも大きく差が出て来るのは明らかでもある。

 此処に来て下さる方の一人でもが枇杷葉に気づいて、お茶で飲用されたり他の方法で健康を維持されてくれればと祈る。わたくしの力にも限度があるので、傍に居て手当を行える方もいれば、遠く離れての心通いでの信頼もあるからだ。リエさんもしーちゃんにもその友人知人関係でも、個々に異なっており反応は更に違っているのも明快。

 病は気からとも云うが、思い悩めばする程複雑になるし治りも悪くなろう。人間には命の選択は出来ないもの、決まっていることでの神の決断には抗えない。何故わたくしにだけと思う前に、自分で良かったと想えることで回復への路を捜して逝きたい。産まれた時に死へと辿っている。思考的にこんなに沢山の幸せがとの感謝に尽きる。

 後の二人の内のお一方は、哀しみと絶望と嘆きが大きいのが伝わって来る。空元気ばかりでは生きられないが、心の中の湖には渦が巻くばかり。差し出した手にさえ捉まれない。わたくしにはこの世に想いを残す人はなく、大好きな愛する方は向こうの世界に居る。だから代わってあげれます。哭かないで、泣かないで今だからこそに。
コメント (2)
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