百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

81才になった

2006-02-23 19:40:16 | Weblog

2月23日 (木)  
           平成17年1月1日より419日目
                歩いた歩数     其の距離  
           本日     14,408歩     10,086m
           総計   5,809,149 歩   4,066,404 m
           只今南支那海上、香港まで残り186,596m

  今日は私の誕生日。今日から私は81歳だ。若い頃は21世紀には文明は進んで豊かで文化の花咲く世界がひらかれるであろう。それまで生きて居られるだろうか?生きて居たいもんだと思っていた。生きていれば75歳になる。そんなに生きることは無理だ、夢だと思っていた。それが今日で81歳の誕生日を迎えることが出来たのだ。有難いことと思う。でも夢に描いていた世界とは程遠い地球の現状には若干失望もしていることも事実である。

  どうしてこんなに長く生きてこられたのだろうか。それは健康だったからだろうか?いや、どちらかといえば、標準以下の虚弱体質だったと思う。兵隊検査の時は第三乙種合格で、一人前の兵隊には無理で、入隊前に長野の訓練所で栄養をとってやっと衛生兵となったし、入隊してからも鍛錬班で肝油やさなぎの特配を受けて居たほどだ。

  それが今になって回りを見ると、小学校の同級生は飯山には3人しか生き残っていない有様である。私も病気をしなかった訳ではない。盲腸炎もやった。69歳のときは胃癌の手術もした。そのあと胆嚢の摘出もした。でも今は健康そのものである。それは続けてきたウォーキングのお陰だと思っている。

  私は人生は「アイディア」の勝負だと思っている。如何に大きな大きな夢を描く事が出来るかで勝負の70%は決まる。後はその夢の実現に向かって突き進むだけである。私は誰でも出来るウォーキングを選んだ。そして長続きするためにと考えて「歩いて世界一周」を選んだ。10年間で達成しようと考えて計画を練った。途中で挫折しないためにはと考えて「例外は認めない」ことを鉄則とした。三日坊主なんて男じゃないとやり抜いた。それが今日の私の健康体を作ってくれたものと思う。

  「百歳に向かってもう一度歩いて世界一周」をと決めて去年の元日から始めたが、達成できれば百歳だ。病気になっては歩けない。健康であることは私に出来る「家族への務め」だと考えている。しかし天命と言うものがある。

      「斃れて後止む」の精神あるのみ。

     飯山雪風景
             雪消えて  折れた桜の木