北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

いいですよ、さっぽろ羊が丘展望台

2007-09-25 11:46:22 | Weblog

クラーク博士の銅像で知られる「さっぽろ羊が丘展望台」に行ってきた。知人に誘われ「ダッタン新そば祭り」をのぞいてきた。「北海道ダッタンそばの会」が主催し、今年で5回目。新そばの試食、販売、手打ち体験コーナーなどがあり大変賑わっていた。

チベット自治区、内モンゴル地区、ネパールなど2000㍍以上の山岳地帯で栽培され、少数民族の「いぞく」が主食としている。ここでは、生活習慣病の発生率が低く、健康長寿な民族だと言われている。 中国では、昔から漢方薬として胃腸を丈夫にし、気力を増すとして用いられていた。今も北京の薬局などで糖尿病の漢方薬として売っている。

日本でも、TVで血液がサラサラになると紹介されたりしている。そばばかりではなく、クレープ、パン、ビール、焼酎、お菓子類もあるから、食べてみる価値がありそうだ。今は、北海道や東北で栽培されるようになってきたが、これからはもっともっと栽培されていくのではないか。


クラーク博士の像

ところで、クラーク博士像は生誕150年を記念して1976年に建立されたものだ。ウイリアム・スミス・クラーク博士は、明治9年に札幌農学校(現北海道大学)に教頭として迎えられ、わずか8か月だったが、開拓精神の礎を築いた功積は大きい。北海道開拓使が残した大きな遺産は札幌農学校だったと言われる。

クラーク博士は英語、植物学を教えたほか、学校運営全般にも関わった。札幌農学校には、多くの校則があったが、「校則は一つでよい」と言い、「Be gentleman!」(紳士たれ!)と、教えたという。技術や知識を習得する前に、「一人の人間として育つ」ということを強調し、「自由、独立、人間尊重」を教育方針とした。

 最初の卒業生は佐藤昌介(後の初代北大総長)ら16人。二期生には、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、町村金弥などがおり、クラーク博士が蒔いた種は、130年以上経った今、日本全国いたるところで花を咲かせている。のみならず、北大は教育・研究の分野において、アジアの拠点、世界の拠点を目指してウイングを大きく広げている。

現代の社会風潮を見るにつけ、われわれは、クラーク博士の「開拓者精神」「大志」「紳士」といった教えを、今一度思い起こしてみる必要がある。青年だけに限らず、特に、政治家、経済人などリーダーたる人間には、強くその言葉をかみしめてもらいたい。


「恋の町札幌」の歌碑

なお、羊が丘展望台には、このほかに、「北海道日本ハムファイターズ誕生記念碑」(選手・監督・コーチのサインと手形)があ.るし、石原裕次郎が歌った「恋の街札幌」の歌謡碑もある。緑あふれる丘からは、札幌ドームをはじめ道都・札幌の町が一望できる。