北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km<29>

2008-03-15 08:58:24 | Weblog

1972・9・21(木) 晴れ 東京→札幌

午前6:00起床。6:30から、朝のつどい。国旗掲揚、君が代斉唱。食 
事のあと、荷物移動。8:30から自由時間。9:00新宿駅で妻と待ち合
わせ。妻のお袋さんも一緒に来る。息子は1か月以上見ないうちに、
ずいぶん成長していた。1歳の誕生日を過ぎたので当然だろうが。30分ほど会って別れる。

その後、かつて勤めていたS社に立ち寄る。常務などと会う。社長
はヨーロッパへ旅行中だった。その足で、当時の直属の上司であつ
たK氏が社長を務めるP社へ。簡単な挨拶だけして、代々木へ戻る。相変わらず東京は目まぐるしく動いていて、巨大なエネルギーを感じる。道路も大変な混みようだ。

正午、代々木を出発。高速道路から見る東京も久しぶり。東京独特の、どんよりとした空だ。2:10羽田発で札幌へ。息子も妻も同じ便に乗ることが出来て、一緒に帰ってきた。1時間10分、息子を抱っこしていた。3:30千歳空港着。5:30北海道庁着。解団式を終え、
6:30解散。タクシーで自宅へ。夕食は寿司を取り寄せて乾杯!35日
間の旅よ、さようなら。     

    ☆          ☆ 
                    
こうして「青春回帰への旅」を終えてみると、若さというのはやっ
ぱり素晴らしいものなのだと、つくづく思う。今では20時間もバス
に乗って移動することなど、想像することさえできない。若いとき
には「何でも見てやろう」という精神で、とにかく貪欲に吸収して
いくべき時代だ。
何よりも、ホストファミリーの人たちとの触れ合いが最も心に残っ
た。外国人というと、当然のごとく、われわれとは全く違う人種な
のだという先入観が強い。しかし、たとえ3日間でも寝食を共に
し、「おはよう」から「おやすみ」までを英語で通してみると、だ
んだんアメリカ人が日本人に見えてくるから不思議だ。心と心の触
れ合いがそうさせるのだろうか。人間と人間が分かり合えることの
素晴らしさ、大切さを改めて学んだ気がした。

サラリーマン時代を振り返ってみると、あの時のアメリカの35日間
というのは、私の人生に、どれほど役に立ってきたか分からない。同じ釜の飯を食べてきた仲間たちに、ずいぶん助けられもした。有難いことだ。あの経験は年月が経つほどに、キラキラと輝いて見え、その重みを増していく。

リタイアして4年、ここ1年余りは夫婦して入院・手術・リハビリな
どの闘病生活を強いられていた。とくに私は、神経鞘腫という病気
で、脊髄(頚椎)に2㎝強の腫瘍が出来ていたのだ。10万人に一人と
言われ、肩・首・左腕の激痛と痺れに襲われた。熟睡が出来ず、酷
い時は眠っていて無意識のうちに、「痛い!」と叫んで飛び起きる
こともあった。 診てもらった医者4人のうち3人は後遺症のリスク
を考えて、手術には消極的だった。最悪の場合、車いす生活になら
ないとも限らないという医者もいた。半年間、悩んだ末、幸い信頼
できると感じた医者に出会い、手術を決断。ほとんど後遺症も残ら
ずに何とか乗り越えられた。 

そんなこともあり、やりたいと思っていたことに、手をつけようと
いう気概が湧き上がってきた。今の私の気持ちを勇気づけてくれる
コピーがある。ときどき開いて見る好きな本の中にある。アメリカ
を代表する企業の一つ、ユナイテッド・テクノロジー社の企業広告
を集めたもので、アメリカの1980年代を代表する「時代の言葉」と
なったと言われるほど、感動を与えたというものだ。

    引退しても
    さびつかないで

  引退は            
  赤信号である必要はない。
  青信号にもなり得るのだ。
  オスマー・アーマンも
  きつと賛成するはずだ。
  60歳で
 「引退」したあと、
  いろんなことをやった中で
  彼は設計も手がけ、
  コネチカットと
  ニュージャージーの高速道路、
  ピッツバーグ市民競技場、
  ダラス空港、
  スロツグス・ネック橋、
  そして
  ベラザー橋をつくった。
  ポール・ゴーギャンは
  立派に成功した株屋として
 「引退」し
  そのあとで
  世界にとどろく画家となった。
  ハインリッヒ・シュリマンは
  実業界から「引退」し
  ホーマーの書いた
  伝説の都市
  トロイを探し、
  ついにそれを見つけ出した。  
  チャーチルは世界的な政治家として
  名を上げたあと、
  ペンをとり
  79歳でノーベル文学賞を受賞した。
  あなたも引退したら
  釣りにばかり行かないで
  狩りにも行きなさい。
  あなたがいつも 
  やりたいと思っていたことをする
  チャンスを探す狩猟です。    
  そして見つけたら、やってみるのです。
                                     <完>

<参考資料> 下記資料を参考にさせていただきました。深く感謝申しあげます。

○ 第三回北海道中堅青年海外派遣事業報告書(北海道青少年育成推進 協議会)
○ フリー百科事典「Wikipedia」
○ 同志社ナビ用語集
○ 続・北へ…異色人物伝(北海道新聞社)
○ 北海道歴史人物事典(北海道新聞社)
○ WEB HAKODATE WHAKO .COM
○ 読売新聞社「10大ニュースに見る戦後の40年」(読売新聞社)
○ 野茂英雄公式HP
○ 「博物館 明治村」HP
○ 「北海道開拓の村」HP
○ ワシントン桜物語-アメリカと日本の友情を深める花 (http://www2.osk.3web.ne.jp/%7Earanishi/index.htm)
○ 「広島平和記念資料館・原爆資料館」HP
○ 外務省HP
○ 国際キワニス日本地区HP
○ 豊田市HP
○ 「私には夢がある」 (http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/mlk.html)
○ 海外の地方自治体 (自治体国際化協会ニューヨーク事務所HP)
○ ディベートで決まる米大統領選挙(田中宇の国際ニュース解説HP) ○ ロータリーの友 1992年3月号
○ リンカーンの三分間-ゲティズバーグ演説の謎(共同通信社 ゲリー・ウィルズ著 北沢栄訳)
○ 日本人の系譜-先人の心と生き方に学ぶ(自由広報センター 上田三三生著)
○ 公文書に見る岩倉使節団(アジア歴史資料センターHP)
○ 岩倉使節団「米欧回覧実記」(アイオワ州政府日本事務所HP)
○ モルモン教は信ずるに足るか? 岩倉使節団の見たモルモン教(1)(2) 「るうの部屋」 (http://garyo.or.tv/index.htm)
○ 素顔のモルモン教 新教出版社 高橋弘著
○ ユタ州HP
○ アメリカの日本食 (http://blog.livedoor.jp/maxmasahiro/archives/50517963.html) ○ 月刊「装道」増刊号「装道の時代」
○ サンフランシスコ観光局・国際空港HP
○ アメリカの心-GRAY NATTER-全米を動かした75のメッセージ(学生社)