北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km<25>

2008-03-11 07:12:23 | Weblog

1972・9・13(水) 晴れ ソルトレーク・シティ (ユタ州)

午前7:30起床。9:00にウェストミンスター大学の学生2人が迎えに来る。教育学部専攻の4年生(女性)とフレッシュマン。卒業後は、教師になるという。彼らの案内で銅山へ。街から15マイルほどのところにあり、120年間も銅を掘っている。まことに雄大な景観だ。ローマのコロッセオを思わせるような掘り方だ。ここもロッキー山脈の一部。紅葉もなかなか見事だった。

次の目的地は、「グレート・ソルトレーク」。塩分が多いので、泳げない人でも浮くという。私とT君は海水パンツを持っていかなかった。そのほかのメンバー4人は泳いだのだが、寒かった!と言っていた。お土産屋を覗いてみたが、「made in japan」が多かった。

海の側に銅山があるので、煙がもうもうと上がり、美しい湖の景観も損なわれて惜しい。街へ帰ってきて、軽い食事。「タコ・ハンバーガー」とミルク。

その後、スノーバードという山へ行く。やはりロッキーの一部だ。ケーブルカーで(1ドル25セント)3,300mの頂上まで行く。10年前、大学の探検部時代に登った南アルプス連峰(3,000m級の山を縦走)を思い起こした。ソルトレーク・シティやロッキー山脈が一望でき、久しぶりに山の空気を吸うことができた。

紅葉も今が最高潮。イエロー、グリーン、レッドを基調とした色彩は実に鮮やか。山頂には20分ほどいて下山。アメリカに来て、ロッキー山脈を越え、しかも登山まで出来たことは素晴らしい思い出だ。

スノーバードから帰ってきて、ゆっくりする。レコードや、中学3年生になる女の子(アン)がピアノを弾いてくれるのを聴いていた。「ロミオとジュリエット」など、なかなか上手い。ビールを注いだり、もてなしも堂に入っている。奥さんが、北海道のことについて色々聞いてくる。今日は早めに寝る。10:00。       

      ☆          ☆              

       ロミオとジュリエット

ソルトレーク・シティの名前を久々に思い出したのは、2002年の冬季オリンピックだった。この時の日本選手の成績は、あまり振るわなかった。メダル獲得は、スピードスケート男子500mで清水裕保選手の銀メダル、フリースタイルスキー女子モーグルの里谷多英選手の銅メダルだけだった。

その後、2004年秋、イタリア旅行した折に、あの「ロミオとジュリエット」の舞台となったヴェローナの町に立ち寄り、モデルとなったジュリエットの家にも行ってきた。さすがに観光客が多かったが、私にとっては、ボルチモアのホストファミリーの「ローリー嬢」や、ソルトレーク・シティのホストファミリーの「アン嬢」が弾いてくれた「ロミオとジュリエット」が、楽しい思い出として胸に深く刻まれている。        

      ☆           ☆
                          
1972・9・14(木) 晴れ ソルトレーク・シティ (ユタ州)

午前7:30起床。9:00 子どもたちが通っている小学校へ行く。Peterが、われわれのこと、北海道のことをクラスメートに話してくれる。実に記憶力がいいのにはビックリした。彼は、級長を務め、フットボールのAチームに所属している。

5円硬貨を全員にプレゼント。箸や紙幣を見せてあげる。ここでの授業は、勉強しているのか遊んでいるのか区別がつかないような雰囲気だ。先生も来校者と冗談を言い合っているような感じだ。

10:00 Miss.Paulが迎えに来る。ユタ大学3年生で、ブリジッドバルドー似のmischieviousな女の子だ。彼女と、Miss.Cristeeneがガイドをしてくれるという。これまた、good!だ。

まず、ユタ大学へ。学生数は約23,000人。広大なキャンパスで緑が多い大変環境に恵まれた大学だ。Miss.Paulはナースの仕事を目指している。続いて、博物館で絵を観たり構内を散策。

正午、教会。ソルトレーク・シティにはモルモン教の総本山「テンプル・スクエア」がある。立派な教会が多い。教会では素晴らしいオルガン演奏を聴いた。正面の立派な席にグループのK君たちが座っていた。

昼食はマクドナルドのハンバーガー。これは、すでに日本に上陸している。美味い! 2:00 ごろ、ナショナル・ピースガーデンへ。各国の平和を願う心を表現した庭園だ。日本の仏像は残念ながら破壊されていた。お花畑は各国の花が植えられている。

その後、市役所を見て帰宅。シャワーを浴びる。 4:30にNさんという「PROVE.YOUG UNIVERCITY」の経済学専攻の学生のフィアンセが来る。Sさんのアパートまで約40分。大学やマジソンスクエアガーデンよりも大きいというスタジアムを見る。ユタ湖も見える。

Sさんは、アメリカ生活3年。なかなか面白い人だ。彼女は日本にもいたことがあり、ジンギスカンが好きで、北海道にも行きたいと言っていた。12月に結婚予定。将来は日本に住みたいそう。Sさんのアパートは月約30ドル、3部屋に風呂つきで3人で住んでいる。

Sさんは、アメリカに住んでみての感想を語ってくれた。それによれば、アメリカは、これからの国だという。日本人や外国人は過大評価している面がある。ケネディは、若い人の間には結構人気が根強く残っている。日本に対しては、貿易面で、①製品の質の向上が必要②政府が買い上げて高く売っている-という問題点を指摘していた。車は、最近、「MAZDA」が人気。 7:15帰宅。

夕食の後、2人の訪問客あり。20~30分話す。8:00「ステイト・フェア」見物。国際見本市のようなものだ。キャンピングカーを多く見かけた。人気が高いらしい。夜景が抜群にきれいだ。メリーゴーランドに乗ったが、お尻が痛くて参った!大学生の男の子、女の子、それにホストファミリーの女の子と一緒。夜店も出ていて子ども心に帰った。11:00帰宅。

それから、「ジャパニーズ・フェア」と洒落込み、英語で「オールドブラックジョー」や、「帰れソレントへ」などを歌う。アンが、ピアノの伴奏をしてくれ、「ラブストーリー」などの曲を聴かせてくれる。0:30、遅く帰ってきたご主人にお礼の挨拶。明日はお別れだが、会えないかもしれないということなので。「われわれは、英語のスピーキングもヒヤリングも十分ではないけれど、皆さんの親切や思いは十分に感じている。ありがとうございます」と言うと、奥さんは涙を浮かべていた。1:30就寝。      

     ☆           ☆              

  ソルトレーク・シティとモルモン教

ソルトレーク・シティは人口約18万人の街だが、その7割がモルモン教信者だ。モルモン教は、19世紀初め、アメリカで誕生した宗教で、キリスト教の一宗派と言われ、世界には1,000万人以上の信者を有するという。

モルモンとは、モルモン教団の聖典モルモン書に登場する古代アメリカの預言者モルモンに由来する。アメリカで最も会員数を伸ばしている教団の一つともいう。白人中心主義でコーヒー、紅茶、酒は飲まない。また、男の子は11歳になると、全員ボーイスカウトに加入し、その加入率は全国一で並外れていると言う。日本には、12万人の信者がいるという。

日本人で最初にモルモン教に出会ったのは、おそらく岩倉使節団の一行だったと言われている。サンフランシスコからワシントンDCに向う途中、ロッキー山脈が未曾有の大雪で、ユタのオデングから南下して、急遽ソルトレーク・シティで開通を待つことになった。ここで、ダニエル・H・ウエルズ市長(モルモン教徒)らの歓迎を受けた。
このことは、地元の「ソルト・レークヘラルド」紙の地方ニュースでも報じられている。また、「欧米回覧実記」にも次のように記録されている。  

ロッキー山脈の西手前の「コリンネ」駅で車中夜明けを迎えた一行はオグデン駅に7時30分着、鉄路の乗り換えのため下車、「朝食ヲ弁ス」(朝食を摂る)とあります。ここで「『カントリー』太平会社ノ鉄道ハ、此駅ニテ尽キ、是ヨリ『ユニヲン』太平会社ノ鉄道ニ接ス、落機山ノ大雪ニテ、鉄軌ヲ埋没シ、会社ヨリ数千人ヲ発シ雪ヲ撥スレトモ、路未夕開カサルトノ報アリ」と大雪で先に進めないことを知ります。

そこで、「『ユタセンタラール』会社ノ蒸気車ニ移リテ、南方ノ『ソールトレイキ、シチー』ニ赴ケリ」とあります。オグデンからソルトレーク(湖)の東岸を南に下り塩湖府(ソルトレークシティ)到着しますが、町の様子は詳しく描写しています。

「市中ノ街路ハ、其寛キハ百尺ニモ及フ、縦横井々トシテ、両側ニハ轢樹(くぬぎ)ヲ植テ、馬車人行ノ道ヲ分ツ、固リ甃石モナサ丶レハ、雨雪ノ後ハ塗泥履ヲ没ス、人道ニハ沙ヲ撒シ、較潔ニシテ歩スヘシ」道路は広く升目に整然としていてクヌギの木を植えて馬車道と歩道とを分けているが、敷石がないため、雪雨の後の道は泥んこであり、砂を撒いて対応しているというのです。

結局、岩倉使節団は、1872年2月4日~22日(明治4年12月26日~明治5年1月14日)まで滞在することになった。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)