北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

アメリカ大陸横断「青春日記」-1972・35日間・5000km<26>

2008-03-12 08:04:35 | Weblog
1972・9・15(金) 晴れ ソルトレーク・シティ→車中

午前9:00起床。11:00 Miss.Paulが迎えに来る。今日は、「Storn Mountain」へ、ピクニックだ。サラダやハンバーグなどを持参してくれた。豆炭、コンロなども用意してくれた。実にキメ細かなアレンジメントだ。20分ほど車で走り、キャンプ場に到着。よく整備が行き届いている。

途中、彼女たちのボーイフレンドの自慢話で盛り上がった。彼女たちは、ほんとうにフランクで、髪の色、スタイル、目、笑顔、趣味、スポーツなど色々と教えてくれた。明るく、伸び伸びと育った感じだ。ピアノやドライブが趣味。わが息子も、伸び伸びと明るく育ててやりたいと思った。ホストファミリーの男の子は、ピアノのレッスンをやっているが、スポーツも万能らしい。

お昼は、早速、彼女らの手料理でランチ。リスやブルーバードが小川のほとりや木々の枝に遊んでおり、ゆったりと時間が流れていることを実感。1:00ごろから2時間ほど、ハイキング。山道の両側の紅葉が、ひときわ美しい。新鮮な空気を胸いっぱいに吸いながらの森林浴は、実に気持ちがいい。自分の足でロッキーを歩くことが出来て、感激だ。われわれを、このようなスタディ・ツアーに案内してくれたことは、この上なくありがたいことだ。

4:00ホストファミリー着。軽い食事。シャワー。私と息子にと、プレゼントを貰う。息子へは、ABCの絵本と童話、私にはソルトレーク・シティの案内書。7:30家を出る。3日間の楽しく充実した思い出を胸に、アン、ピーター、スーザンと別れる。スーザンはバスターミナルで泣いていた。ほんとうに、別れは、いつも悲しい。「Goodbuy is always sad.」

7:00ソルトレーク・シティを出発。一路サンフランシスコを目指す。ネバダ州を通って走る。月がきれいだ。ネバダ州はギャンブルが盛ん。ラスベガス周辺は不夜城で、煌びやかなネオンが目に付く。バス車内で、全く眠られない。ビールやウィスキーを飲みながら、隣のメンバーと話しながら過ごす。      

     ☆       ☆             

        ロッキー山脈

ロッキー山脈は、北はカナダ・ブリティッシュコロンビア州最北部から、南はアメリカのニューメキシコ州のサンタフェの近くまで、4,800kmを超えるスケールの大きさだ。最高峰は、コロラド州のエルバート山(4,399m)。この地域には、国立公園、世界遺産に登録されている自然遺産も多く観光地としても名高い。

アメリカ側のエリアだけでも、ロッキーマウンテン国立公園、イエローストーン国立公園、グランドキャニオン国立公園、グレイシャー国立公園があり、カナダ側のエリアにはバンフー国立公園など5つがある。日本人観光客も多く訪れるところだ。今、心が動いているのは、カナディアンロッキーと、世界最大級の紅葉高原といわれる「ローレンシャン高原」だ。いつかまた、ロッキーに会いたいものだ。

   ☆          ☆             

1972・9・16(土) サンフランシスコ
(カリフォルニア州)

ソルトレーク・シティから、夜通しバスで走りっぱなし。午前7:00頃、途中で軽食をとる。バスが故障し、2時間待たされる。少しだけ寝た。12:30サンフランシスコ着。18時間かかった。途中、太平洋が見えたときは、さすがに感激した。とにかく、5,000㎞をバスで走破してきたわけで、素晴らしい経験をしてきたものだ。大げさな言い方だが、青春の一ページに新しい歴史を刻むことができた。実に幸せなことだ。

コモドール・ホテルに到着後、すぐに昼食。ビールの美味かったこと! 疲れたので、K君と部屋で一眠り。5:30頃起きて、街を散歩。さすが、サンフランシスコは都会だ。チャイナタウンなどを歩いて9:00に帰ってきた。ホテルで飲みながら話し込む。明日からは全団行動だ。      

    ☆            ☆

 人気の高い都市「サンフランシスコ」

「霧のサンフランシスコ」「アジアと西欧との接点」と言われるサンフランシスコ。アメリカの旅行雑誌「コンド・トラベラー」誌の調査によれば、1988年以来7回も、アメリカで最も人気の高い都市に選ばれている。世界各国の文化に出会うことができる開放的で、魅力的な街だ。世界で最も美しい吊り橋と言われるゴールデンゲートブリッジを中心にした景観は見事だ。

日本からの移民は1880年代から本格的になり、苦労の末、今日の生活基盤を築いた。サンフランシスコ・ベイエリアには、10,000人以上の日系人、日本人が暮らしており、ピースプラザには五重塔もある。「チャイナタウン」もあり、アジアの雰囲気がそこここに感じるためか、われわれもすぐに溶け込める街だ。

135年前の1871年1月15日、岩倉使節団の鉄道によるアメリカ横断は、サンフランシスコから始まった。31日まで滞在し、われわれがバスでやって来たのと似たようなコースをワシントンに向けて進んだ。以後、半年以上かけてアメリカ国内を視察した。そうしてみると、われわれも、「昭和の岩倉使節団」の気分を多少なりとも味わうことが出来たような気がする。

(参考資料は最後に一括して掲載させていただきます)