その後私は仁淀川河口大橋から左岸に行って十文字の大岩を見てきました。ここは変化はありませんでしたが、岩の上の小さい山は海側がけずられて新しい堤防が出来ているようでした。シーバス釣りの若者が一人サオを振っていましたがダンプやユンボのうなりがあるうちはなかなか釣果はむずかしいと思いました。写真中央の茂みのでっぱり下あたりが十文字の大岩です。地元古老の話ですとこの下は洞窟になっており昔は海や川の大物が棲んでいたと言っていました。今は砂やジャリでうまっているようですが。
「釣りひとり」 著者 山村 聰 を読んで。
私がこの本を知ったのは、20年ほど前岐阜に住んでいた頃、イビ川上流の横山ダムへ釣行した時でした。近くでサオ出ししていたヘラ釣りの人から本の話を聞いて、ずっと気になっていたのですが、最近釣り専門の古本屋の目録を見て入手しました。映画俳優の山村さんはヘラ釣りを通じて名竿「孤舟」を製作されていた羽田旭匠氏との交流を書いた本です。羽田さんは今私達が使っているグラスロッドとは違い、竹を使ったサオ作りを通じてひとつの釣りの理論を持っておられたようです。
「振込みの時はハリ先までがサオであり、取り込みの時は手元までが糸である」
と言われたようです。まさに名言とおもわれました。