今回美形の野生鯉を釣り上げてメール、ケータイメール、コメントなど頂きまして、ありがとうございました。私の感想をもう一度書いておきます。
即ち、「メーターオーバーよりも感動の一匹を」でしょうか。あの鯉以来感動する鯉を釣ろうと思うようになりました。「百万円の錦鯉よりも野生鯉のすばらしさ」でしょうか。ひょっとしたら、故山田勲さんはこんな鯉を求めておられたのでは・・と想像します。この鯉の兄弟姉妹も美しいでしょうし、両親は大型で美しく、祖父母にいたってはメーターをはるかにこえて美形をもっていると思います。ある人からのメールに、いつごろから棲んでいるのですか、と書いてありました。私見ですが、ここは昭和33年完成のダムです。その頃上流20㌔㍍程の大渡ダムはまだありませんでした。(大渡ダムは昭和61年完成)つまり森下雨村の釣りエッセイにある「わしの巣」の深場はまだあって、大雨の時に稚魚は流されここ筏津ダムへ着いたと思います。ここは総貯水量183万7千tの小型ダムですが、左岸右岸共急なガケで、釣り人もあまり来ず、魚も大型になっているようです。写真に見えるトンネルは33号線です。
(*) 森下 雨村(もりしたうそん)このダムのとなり佐川町出身の推理小説家。江戸川乱歩の先輩。明治23年生まれ。 「釣りは不確実性の魅力である」 が有名な言葉。
即ち、「メーターオーバーよりも感動の一匹を」でしょうか。あの鯉以来感動する鯉を釣ろうと思うようになりました。「百万円の錦鯉よりも野生鯉のすばらしさ」でしょうか。ひょっとしたら、故山田勲さんはこんな鯉を求めておられたのでは・・と想像します。この鯉の兄弟姉妹も美しいでしょうし、両親は大型で美しく、祖父母にいたってはメーターをはるかにこえて美形をもっていると思います。ある人からのメールに、いつごろから棲んでいるのですか、と書いてありました。私見ですが、ここは昭和33年完成のダムです。その頃上流20㌔㍍程の大渡ダムはまだありませんでした。(大渡ダムは昭和61年完成)つまり森下雨村の釣りエッセイにある「わしの巣」の深場はまだあって、大雨の時に稚魚は流されここ筏津ダムへ着いたと思います。ここは総貯水量183万7千tの小型ダムですが、左岸右岸共急なガケで、釣り人もあまり来ず、魚も大型になっているようです。写真に見えるトンネルは33号線です。
(*) 森下 雨村(もりしたうそん)このダムのとなり佐川町出身の推理小説家。江戸川乱歩の先輩。明治23年生まれ。 「釣りは不確実性の魅力である」 が有名な言葉。