■ 「この秋は」
「この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日のつとめの 田草とるなり」
以前、福田首相は、この二宮尊徳の歌をメールマガジンで引用しました。先は見えないものの、当面の課題に着実に取り組んでいくという気構えを示した歌です。
しかしそれから1か月あまり、本格的な秋を待たずに福田首相は「今日のつとめ」どころか、何もかも全てを放り出してしまいました。
■ 「野党の責任」なのか
辞任の理由について福田首相は、「民主党が国会の駆け引きで、審議引き延ばしや審議拒否を行った」「何を決めるにも、とにかく時間がかかった」と、野党の責任を強調しました。
しかし、「時間がかかった」のは野党の責任だったでしょうか。
審議が進まない原因は、野党側ではなく与党側にあることについて、私は昨年秋に、「『ねじれ国会=政治停滞』という嘘」と題して、書きました。
つい数か月前にも、私は、駿河台大学学長で元首相秘書官の成田憲彦氏の講演を聞きに行きましたが、成田氏も「法案審議が進まないのは『ねじれ』のためではなく、与党が衆議院で再可決できる議席を持っていることが最大の原因だ」と解説しました。
すなわち与党が漫然と「60日規定」が使えるようになるのを待ち、その間、ただ野党を批判し、野党が提出し、参議院から衆議院に送られてくる法案に対して、与党こそが審議拒否や引き延ばしを行い、そのために停滞が起きているということです。
確かに「どんな法案でも原案通り、時間がくれば審議を打ち切って強行採決」という強権的な手法は通用しなくなりましたが、そのような手法を当然のことと考えること自体が、そもそも誤りです。
■ 「国民の生活」を考えたのか
さて、福田首相はさらに、「国民の生活を考えるなら、政治的駆け引きで空白を作るべきではない」と語りました。
では、福田首相は、「国民の生活を考え」ていたでしょうか。
この内閣のもとで三度「再議決」が行われましたが、それはどのような法案だったかを思い出してみましょう。
一つ目は、アフガニスタンへの攻撃を行う米軍の艦船などへの給油活動のための法案でした。二つ目は、ガソリンなどにかかる暫定税率を復活させ、一度下がったガソリンの価格を再び引き上げる法案でした。三つ目は「10年59兆円」の道路中期計画を見直しもせず、そのまま温存する法案でした。
さて、この3法案の、どれが「国民の生活を考えた」法案なのでしょうか。税金を使って他国の軍隊に無償で燃料を差し出し、ガソリン高騰に喘ぐ人々に再び加重の負担を強い、道路族や国交省官僚の利権を守った、ただそれだけです。
無責任に政権を放り出し、辞任する段になっても、まだこのような虚言を吐き続ける福田首相にはあきれるばかりです。
■ 与党の「任命責任」
しかし無責任なのは、福田首相一人ではありません。
福田首相や、前任の安倍首相など無責任な人物を2代続けて、首相に指名した与党の「任命責任」も問われなければなりません。
「選挙の顔は誰が良いか」ばかりで、本人の力量も、責任感があるのかどうかも調べずに選んだのは与党、とりわけ自民党です。与党以外の一般国民は誰も、安倍氏が良い、福田氏が良いなどと投票を行ったことはないのです。
その与党の中に今、自分たちの「任命責任」を自覚し、国民に対して謝罪している人がいるでしょうか。
福田首相の無責任さは、とりもなおさず自民党や公明党という政党の無責任さです。
誰が「ポスト福田」を担うとしても、その人物もまた無責任な任命者の一人であることを、私は忘れはしないでしょう。
「この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日のつとめの 田草とるなり」
以前、福田首相は、この二宮尊徳の歌をメールマガジンで引用しました。先は見えないものの、当面の課題に着実に取り組んでいくという気構えを示した歌です。
しかしそれから1か月あまり、本格的な秋を待たずに福田首相は「今日のつとめ」どころか、何もかも全てを放り出してしまいました。
■ 「野党の責任」なのか
辞任の理由について福田首相は、「民主党が国会の駆け引きで、審議引き延ばしや審議拒否を行った」「何を決めるにも、とにかく時間がかかった」と、野党の責任を強調しました。
しかし、「時間がかかった」のは野党の責任だったでしょうか。
審議が進まない原因は、野党側ではなく与党側にあることについて、私は昨年秋に、「『ねじれ国会=政治停滞』という嘘」と題して、書きました。
つい数か月前にも、私は、駿河台大学学長で元首相秘書官の成田憲彦氏の講演を聞きに行きましたが、成田氏も「法案審議が進まないのは『ねじれ』のためではなく、与党が衆議院で再可決できる議席を持っていることが最大の原因だ」と解説しました。
すなわち与党が漫然と「60日規定」が使えるようになるのを待ち、その間、ただ野党を批判し、野党が提出し、参議院から衆議院に送られてくる法案に対して、与党こそが審議拒否や引き延ばしを行い、そのために停滞が起きているということです。
確かに「どんな法案でも原案通り、時間がくれば審議を打ち切って強行採決」という強権的な手法は通用しなくなりましたが、そのような手法を当然のことと考えること自体が、そもそも誤りです。
■ 「国民の生活」を考えたのか
さて、福田首相はさらに、「国民の生活を考えるなら、政治的駆け引きで空白を作るべきではない」と語りました。
では、福田首相は、「国民の生活を考え」ていたでしょうか。
この内閣のもとで三度「再議決」が行われましたが、それはどのような法案だったかを思い出してみましょう。
一つ目は、アフガニスタンへの攻撃を行う米軍の艦船などへの給油活動のための法案でした。二つ目は、ガソリンなどにかかる暫定税率を復活させ、一度下がったガソリンの価格を再び引き上げる法案でした。三つ目は「10年59兆円」の道路中期計画を見直しもせず、そのまま温存する法案でした。
さて、この3法案の、どれが「国民の生活を考えた」法案なのでしょうか。税金を使って他国の軍隊に無償で燃料を差し出し、ガソリン高騰に喘ぐ人々に再び加重の負担を強い、道路族や国交省官僚の利権を守った、ただそれだけです。
無責任に政権を放り出し、辞任する段になっても、まだこのような虚言を吐き続ける福田首相にはあきれるばかりです。
■ 与党の「任命責任」
しかし無責任なのは、福田首相一人ではありません。
福田首相や、前任の安倍首相など無責任な人物を2代続けて、首相に指名した与党の「任命責任」も問われなければなりません。
「選挙の顔は誰が良いか」ばかりで、本人の力量も、責任感があるのかどうかも調べずに選んだのは与党、とりわけ自民党です。与党以外の一般国民は誰も、安倍氏が良い、福田氏が良いなどと投票を行ったことはないのです。
その与党の中に今、自分たちの「任命責任」を自覚し、国民に対して謝罪している人がいるでしょうか。
福田首相の無責任さは、とりもなおさず自民党や公明党という政党の無責任さです。
誰が「ポスト福田」を担うとしても、その人物もまた無責任な任命者の一人であることを、私は忘れはしないでしょう。