諍いは、残念ながら、無くなりません。動物ってのは、自らや子孫を永らえるために、何かを犠牲にして生きるような存在なのかもしれません。
でも、仮に僕ら人間が知的動物であるのだとすれば、だからこそ、考え(哲学)しつつ、行動しなくてはならないのでしょう。手前だけよければそれで良し、という考えは、畜生以下の存在、外道の生き方なのだと、僕は思っています。
腕力に自信のある者は、その力をより一層鍛えるのかもしれませんし、能力に自信のある者は、その頭脳をより一層鍛えるのかもしれません。
方法論や正論は、人それぞれですけれども、願わくば、大きな視野で、出来るだけ平和に、諍いを解決して欲しいものです。誰しもが、死ぬ時は、その財産を、天国に持参は出来ないわけですし。
by 髙橋洋一
でも、仮に僕ら人間が知的動物であるのだとすれば、だからこそ、考え(哲学)しつつ、行動しなくてはならないのでしょう。手前だけよければそれで良し、という考えは、畜生以下の存在、外道の生き方なのだと、僕は思っています。
腕力に自信のある者は、その力をより一層鍛えるのかもしれませんし、能力に自信のある者は、その頭脳をより一層鍛えるのかもしれません。
方法論や正論は、人それぞれですけれども、願わくば、大きな視野で、出来るだけ平和に、諍いを解決して欲しいものです。誰しもが、死ぬ時は、その財産を、天国に持参は出来ないわけですし。
by 髙橋洋一