まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

いつでも元気

2017-06-28 13:31:27 | 日記
ブログを更新しているさなか、あっというまに、あっけなく、巣立っていました(笑)

猫対策用のネットを外していたら、挨拶に来てくれました。飛べたよ、という自慢。保護してくれたね、糞の始末も大変だったでしょ、という感謝。むろんこれは、たんなる感傷にすぎないのでしょうし、むしろ、こちらこそ、ありがとう、と、言いたいのですが。

このタイミングで、あえて、この記事を紹介させて下さい。
いつでも元気「介護の未来がかかった裁判 署名にご協力を」

誰にでも落ち度、ミスはあります。それは罪には違いないのでしょうけれども、いちいち罰する必要があるのか、否か。傷つき、後悔し、反省する中で、人は成長するわけですが、この事例における裁判については、人命に関わっていることですし、「前例」の問題もありますから、関心を持たざるを得ません。むろん、介護の問題だけでなく、医療の範ちゅうでもあるわけです。外科医が減っている、介護職が足りない、そこが論点の中心ではないはずです。本質は「寛容」にある、私はそう思っています。
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空の庭へ

2017-06-28 12:40:49 | 日記
2羽の雛が巣立ち、2羽が残っています。落ちた雛が巣立ったのか、あるいは、残っているのか。

飛翔の時期ではあるのでしょうけれども、今年は特に、個体によって成長度が異なるような気もしますので、もう少し、時間が必要なのかもしれません。

片親状態が長すぎることと、巣が狭すぎることによって、餌の摂取量に差が出ている可能性がありますし、さらに、落下した2羽の痛みやトラウマもあったことでしょうから。

いずれにせよ、親はまだ餌を与えに来ていますし、空へ誘っている様子も見られません。
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すずきすずよ展

2017-06-28 07:42:50 | 日記
「縁」ってのは、わからんもんですな。

あの日以前の私は、約36時間、左脇腹の激痛で苦しんでいました。そして、この原因不明の痛みは、仕事における、「罪」→「罰」であると考えていました。睡眠もままならなかったのですが、どうにかこうにかくたばって、約12時間、トイレにも行かず、ただひたすらに眠り続けていたのです。すると、なんとまぁ、回復していました(笑)

「あれ、仕事は?」と、私。
「休んだ」と、ケーコ。
あら、珍しい。私はマンドリン・ウインドの気分でした。これはロッドの名曲です。ロッドが自作を誉めることは滅多にないのですが、この作品は、ほぼ唯一の例外なのではないでしょうか。

私はそうですし、おそらくはケーコもそうですが、与えられた休日以外に「休む」という発想がありません。仕事が好きだから、とか、真面目だから、とか、そうというわけではないんです。私らなんぞが休みたい、休みを頂くだなんて、そんなことは、おこがましい。わかる方にはわかるでしょう。

ケーコは、喜多方に行こう、知り合いの個展があるから、と。私は詳しくは何も尋ねませんでした。こんな時、私ほどの適任者はいないだろう、という自負もあるのです。つまり、私は人生を楽しむ術を知っていて、あらゆる表現に接する欲があり、かつ、人の意見に惑わされない価値があることもわかっている(つもり)。

カオも一緒に、と。え?アイツ、仕事でしょ。外回りの営業ってことにすればいいの?それってつまり、サボタージュ、サボり?まぁ、来月の退職は決まっているわけだし、仕事柄、ある程度のユルさは許されるんでしょうなぁ。ま、いいか。

ケーコを動物で例えるならば、犬でしょう。そのケーコが愛でるのは、猫。私は犬派ですが、おそらく自分自身の気質は、猫に近いはず。不思議なもので、そんな「バランス」ってのがあるんでしょうねぇ。

な~んて、どうして「猫」というキーワードがいきなり出てきたのかと言いますと、ここからようやく本題に入るわけでして、すずきすずよ展のことを。すずよさんの作品のモチーフは主に2種類あるように感じました。ひとつは、人形であり、もうひとつが、猫と月。そうして、そのどちらもに、私は圧倒されていました。さらに言えば、その作文にも。

造形について言えば、例えば私は「石仏(=主に観音さま)」を愛でています。無限の空間を、撮影という方法論によって、切り取る。これはつまり、箱庭(療法)と同じ作業です。仏教でいえば、おそらくは石庭も同じことでしょう。

どうして人形なのか?制約がない、というか、少ない。有限でありつつ、無限であり、極楽のようであり、地獄のようでもある。自由は大切ですが、自由を満喫できるだけの「勁さ」を持ち合わせている人は少ないんです。制約があるから、楽なんです。無人島に流されるような意思・覚悟を、私はすずよさんの人形たちから感じていました。

制作には、熱中・没頭しますけれども、日常生活においては、魂はなかなか安まりません。そんな時の象徴こそが、例えば猫であり、だからこそ、きっと、月なのでしょう。猫は、(物理的には)あたたかく、冷徹でもあり、気ままでありつつ、時には馴染む。一方で、月は、概ね数学的です。地球に沿いつつ、太陽の光を浴びている、そんな存在。

美術館を出た後に、ラーメンを頂いてから、カオを会社に戻しました。その後、再合流した我々は、芦ノ牧温泉に行ってきました。そこで再度、「すずきすずよ展」のチラシを目にしました。7月17日(月・祝)までの開催です。是非。

ケーコは、すずよさんと、入院中に、出会ったのだそうです。入院生活って、悪いことばかりじゃないんだね。

「縁」ってのは、わからんもんですな。
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True Blue

2017-06-28 06:14:23 | 日記
亀山湖に行こうと思っていたのですが、結局、酔っています。雨が降っているし、準備不足。

なんとなくテレビをつけたら、「新冠町レ・コード館」の話題でした。そいで、記憶がよみがえりました。

あの時、確か、飛行機のフライト時間の都合で、時間が足りなくって、焦っていたんだ。けれども、せっかくだから記念に何か一枚聴きたいな、そう思って、棚で目にして、適当にチョイスした曲が、これ。


「True」Spandau Ballet

レ・コードホールで聴きました。客席がそれなりにある空間でしたけれども、ひとりで。
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