彼女と列車に乗り込む時は、予定を何も決めていない、そんな行動、旅を繰り返し重ねてきた。滅多にないことだけれども、時には怒られることもあって、例えば温泉に行く時はその旨を伝えてくれ、せめて着替えだけは用意させてくれ、と。その怒りに少しは反省しつつ、嬉しくも感じている。なぜなら、こんな私にも本気で怒ってくれる人がいるんだな、有り難いことだな、と。
変わらない関係、変えられない関係、変える気のない関係、はたしてどれに相当するのだろう、近いのだろう。少しは変化しているのかどうか。例えるならば、彼女は犬で、私は猫だ。何の因果か、再会すると必ず、尻尾を振っている。生活を供にしていないからなのか、どうか。一緒に居たいと思うことと、一緒に居られるということは、違う、ということなのか。少なくとも彼女は自分の方から出て行こうとはしない。
背中の傷は何なのだろう。掻いた、と言うが、そんな痕ではないことは明らかなのではないか。電話がかかってくる。「男といるんけ?」「そんなことあるわけねぇっぺし!」。馴染みの客であろう。横にいる私の存在に気を使う様子はまるでなく、また私も、咎めるような気はさらさらない。むしろ、彼女のその無神経さを、好ましくさえ感じている。
「女もわからんす!」と、友からのコメントが届いた。
確かに、と思うと同時に、わかることもあるのだ、と、言いたくなる時もある。
変わらない関係、変えられない関係、変える気のない関係、はたしてどれに相当するのだろう、近いのだろう。少しは変化しているのかどうか。例えるならば、彼女は犬で、私は猫だ。何の因果か、再会すると必ず、尻尾を振っている。生活を供にしていないからなのか、どうか。一緒に居たいと思うことと、一緒に居られるということは、違う、ということなのか。少なくとも彼女は自分の方から出て行こうとはしない。
背中の傷は何なのだろう。掻いた、と言うが、そんな痕ではないことは明らかなのではないか。電話がかかってくる。「男といるんけ?」「そんなことあるわけねぇっぺし!」。馴染みの客であろう。横にいる私の存在に気を使う様子はまるでなく、また私も、咎めるような気はさらさらない。むしろ、彼女のその無神経さを、好ましくさえ感じている。
「女もわからんす!」と、友からのコメントが届いた。
確かに、と思うと同時に、わかることもあるのだ、と、言いたくなる時もある。