モーツァルトのピアノ協奏曲27番

2016-10-16 11:15:28 | 音楽の魅力

先週NHKのEテレを観ていたところ、

クラシック特集でモーツァルトが作曲した

人生最終章のコンチェルト、27番の特集を組んでいました。

ピアノソロはドイツのラルク・フォークト

指揮は、あのパーヴォ・ヤルヴィ(エストニア)のコンビでした。

曲を視聴する前に、ふたりがこの曲に関して

興味深いコメントを出し合っていたのが印象的でした。

このピアノ協奏曲は、モーツァルト自身の最終章となり、

彼がそれを予感していたか否かは定かではありませんが、

「実に平和な音楽。全体の曲想として静かさをいかに

表現するかを重視しているようだ」という意味合いの評を

ふたりで共感しあっていました。

さまざまな苦難と思いを掛け巡らせてきたモーツァルト。

欧州大陸を父レオポルドと一緒に馬車で音楽巡業していた

彼にとっては、その度は、さぞ難行苦行だったことでしょう。

その彼が自身の波乱な人生を振り返りながら、ある意味、

達観して静かさを好んだのでしょうか?

フォークトは彼独自の感想として最終第3楽章の展開を

次のようにコメントしていました。

「音に揺さぶりや波乱がないといけないんだ。

この汚れがあるから、次に来る静けさがとっても生きる!」と。

なるほど、そういう分析もありでは、と感じてしまいました。

人生の光と影。人間社会の表と裏。そんな機微を知り尽くした

モーツァルトだから、オペラもシンフォニーもコンチェルトも

創れた。ただ、見せかけの明るさだけじゃない。

人間の奥の深さをモーツァルトの最終章から

読み取れる気がしました。

もちろん、ショパンやベートーベンとは曲想も作りも違い、

独特の個性的な味を、彼はこの27番でも出してきています。

とっても穏やかな主旋律がソフトタッチのピアノで

流れてくると、気持ちが落ち着いてきます。

この平穏を迎えるために、私たちは生きている

のでしょうか?

彼の最終27番を聴くにつけ、そんなことを

感じ取れました。