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映画『オケ老人』で音楽を堪能

2016-11-19 08:47:52 | 音楽の魅力

封切りになったばかりの映画『オケ老人』を

観に行ってきました。

棺桶のオケでもなく、ぼけ老人でもなく、

ここでいう『オケ』はオーケストラのオケです。

有能な若手楽団員が全員、ライバル楽団に移り、

おじいちゃんとおばあちゃんだけになったオケの物語。

笹野高史さん演じる指揮者が、下手だろうと何だろうと

オケを引っ張っていました。しかし、寄る年波には勝てず、

何かの勘違いで入団した(させられた)若い美人教師

と選手交代。

その千鶴先生(杏さん)が指揮者を務めることになり、

団員のやる気が数段アップしていきます。

ここからコメディタッチの痛快ドラマが始まったのですが、

おばあちゃん団員が漬物を差し入れしたり、

おじいちゃん団員が実現しそうもない夢を語ったり・・・・

はたまた、前の日に杏さんに説教を垂れていたおじいさんが

急死したりと、こんなこと現実にもあるあると、

あまりのリアルさとコメディタッチの演出に

腹がよじれるくらい笑い転げてしまいました。

腸ねん転になりそうなくらい(笑)でした。

何とも人情味溢れるストーリーだったのです。

下手なんだけど一層懸命に取り組んでいる姿って

傍から見ていて感動しますよね。

まるで『フーテンの寅さん』風でした。

若い指揮者が入り、音楽への情熱、もっと上手くなって

コンサートを開きたい・・・・そんな音楽への愛情が

団員一丸となって深まっていく様も爽快でした。

登場する音楽も

エルガーの『威風堂々』

ヴィバルディの『四季より”春”』

ドボルザークの『新世界より』などなど。

音響の良い映画館で聴くとどの曲も感動ものでした。

最後は、若手団員の加入やサポートも加わり、

晴れ舞台のコンサートで、途中のホール内での

停電にもめげず、この老人オケが

『威風堂々』を堂々と真剣に演奏しきり、

いじわるなライバル楽団の幹部連中をぎゃふんと言わせる結末に。

これは、完全に勧善懲悪で終わる『水戸黄門』にそっくり!

2度爽快な気分に浸れました。

クラシック音楽好きな方は

この映画、おすすめです。

追記

それにしても、『威風堂々』は『ラデッキ―行進曲』と

同じくマーチなので、元気になれますね。

 

 

 


シューマンが愛用したドイツ詩

2016-11-13 12:43:16 | 音楽の魅力

ロベルト・シューマン

クラシックファンなら19世紀の偉大な作曲家だと

知っていますが、彼の創った曲には、ドイツの

後期ロマン派の詩が愛用されています。

歌曲として誕生しているのです。

シューマンは、ご存じのように音楽家でありながら、

ジャーナリストでもありました。

いわば、感性と知性を融合させた音楽家とでも

いえるのでしょうか?

それくらい、言葉の持つ力を信じ、それを

大事に活用してきた作曲家といえるのではないでしょうか?

その中でも、ドイツ詩には心を配りました。

代表的な詩人は、アイフェンベルク

シューマンはリーダークライス(一環をなす歌曲集)に

彼の詩を活用しています。

アイフェンベルクは、貴族の出ですが、没落し、放浪の

身となります。この不遇な生活の中で、故郷を懐かしんだり、

自然を愛でたりしていました。初期ロマン派の詩人たちは、

社会に対峙した社会派が多かったのですが、アイフェンベルクは、

ぐっと自分の内面に入り込んで自然や故郷を消化してきた

詩人のようです(日本ではあまり知られていませんが)。

敬虔なカトリック信者で、”自然は神聖なるもの、神の世界”

というカソリック教徒独自の信念がありました。

つまり、内面に入るということは、現実を超えたものを

指向していることなのでしょう。無信論者、無宗教の

私には、完全に理解はできませんが・・・。

こんな彼の詩に、シューマンはピアノ演奏を付加し、

歌曲を生み出しています。

しかも、詩の言葉を大事にしたいのか、

ピアノの前奏と後奏(歌の前後)をかなり長めにし、

詩をクローズアップする(聞かせる)とともに、

ピアノ演奏も無駄にしない構成になっています。

言葉も曲も大事にしたシューマンらしい

心配りなのでしょう。

それにしても、詩には、自分の感じたことに

最適な言葉を苦しみながら探し抜く工夫が

されているように感じました。

リーダークライス~「異郷にて」

私もまたいこいに入る、その静かな時が

ああ、なんとまじかに迫っていることだろう、

美しい、人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ

ここでも私が忘れられる時が。♪

偉大な自然の中にいるちっぽけで孤独な自分という

情景なのでしょうか。寂寥感が漂いますが、

カソリック信者独特の感性だと感じ入りました。

アイフェンベルクは、自身の詩で

自然界で巻き起こる音を言葉で表現する

ことの多い詩人だと思います。

風に吹かれた葉ずれの音、

小川のせせらぎ、

穂波、梢が鳴る

小鳥のさえずり、などなど

音を多く表現していることも、

シューマンが音楽にしたくなった理由の

ひとつだとも感じられました。

秋のひととき、シューマンの歌曲で

自然を思い浮かべるのもいいかもしれません。

 

 


辻井伸行さんの生演奏を聴いて・・・

2016-10-30 19:04:05 | 音楽の魅力

やっと念願が叶い、

盲目のピアニスト辻井伸行さんの演奏を

聴くことができました。

今回は、欧州の名オーケストラでもあります

ヨーロッパ管弦楽団”(以下、ヨ管団)との協演で、

全てモーツァルト楽曲の演目(全4曲)と、

私にとっては嬉しいコンサートでした。

最初の曲は、ヨ管団によるオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の

序曲でした。

感動したのは、音を抑えめにしてスピーディに演奏する

ユニゾンの部分で透き通った滑らかな音が聞こえてきたことでした

こんな透明な音質は未体験でしたから、驚き。

こういうのが、世界一流の技術なのでしょうね。

もちろん、緩急の切り替えもスピ―ド感があり、素晴らしかったです。

2曲目が、辻井さんとのコラボで、モーツァルトの

コンチェルト、26番「戴冠式」でした。

彼が、コンサートミストレスに手を引かれて登壇するや、

割れんばかりの拍手が起こり、感動の幕開け。

ダンサーが小刻みにステップを踏みかえるような

高度な技術もさることながら、

音を見えない聴衆に提供していく

情熱に圧倒されてしまいます。

ヨ管団の演奏の透き通った音との相乗効果で、

魂の音を聴かせてもらい、久々にうるっときてしまいました。

もう、この2曲で満腹感を味わいました。

音が喜んでいるように聞こえてくるんです。

演奏してくれて、ありがとう!って。

そんな感覚でした。

だから、感動が巻き起こるでしょうね。

「戴冠式」という元気をもらえる明るい曲だったのも

影響していると感じましたが、

辻井さんは、アンコールに応えて

ショパンの「革命のエチュード」も演奏してくれました。

情熱が噴き出すような激しい曲で、

1音1音スピーディでダイナミックな演奏に、

またもや圧倒されました。

彼の体のどこに演奏へのはちきれんばかりの

情熱が隠れているのでしょうか?

すごく熱い演奏でした。

この前半部だけで、この演奏会に満足を覚えたのですが、

後半は、さらにヨ管団の凄さに驚かされました。

「ディベルティメント137番」「交響曲41番ジュピター」

ディベルは、明るい楽しい曲。41番は、壮大でスケールの

バカでかいシンフォニーです。

当団は、音の強弱の付け方にも、かなりのメリハリが

あるのが分かりました。

特に弱めの音から、いきなり音を強く切り替える瞬間、

スタカートのように歯切れよくメリハリをつけるんです。

その切り替えが、極端で分かりやすい。

それから、41番最終楽章の最終盤。

作曲したモーツァルトが、小憎らしいばかりの演出を

しているところがあります。

余韻を持たせる弱い音のパートの直後に、がなりたてるような

主旋律がくるのですが、ここを3回繰り返します。

一筋縄では終わらせないよ、とモーツァルト自身の

声が聞こえてきそうなのですが、ここの弱い音のパートにも

実はスピードの差が加えられているのです。

1回目が普通のスピードだとしたら、2回目は、スロー。

そして、最後の3回目は、少し速めにして最終を

一気に締めくくるという演出なのですが、この変化にヨ管団は

見事に対応していました。

この41番は、モーツァルト最後のシンフォニーと

言われ、スケール感が違います。

さぞや、オケもへとへとになったのでは?と思いましたが、

真実はいかに?

2度も満腹感を味わえたコンサートでした。

やはり、良質で情熱のこもった音楽は、

いいですね。

また同じ生体験をしたくなります。


ショパン ピアノ協奏曲1番から

2016-10-22 17:03:51 | 音楽の魅力

あのショパンコンクールの決勝に

勝ち残ったピアニストのほとんどの方が

演奏曲目に選ぶという「ピアノ協奏曲1番」。

出場者は、ショパンという偉大な作曲家に

人格もピアノの演奏技術も乗り移って

演奏する必要性を強く感じてきたのでしょうか?

このコンチェルトの1番は、2番と共に、

ショパンが祖国ポーランドにいた時代に作曲

されました。当時のポーランドは、プロシア、

ロシア、オーストリアに分割統治され、

1番は、亡国同様となった故国を離れる哀しみと、

片思いの人への恋慕の情を深くにじませた

協奏曲になったと言われています。

そんな過酷な状況から天才が生み出した

協奏曲には、興味深い面が随所に現われて

くるのは単なる偶然でしょうか。

先ず、第1楽章の序でオケが奏でる部分。

これは、お決まりのように長めですが、

どこかモーツァルトが作ったオペラ

『ドン・ジョバンニ』の序曲に曲想が

似ている気がします。

心の中に罪悪感と寂寥の思いがない交ぜになった

何とも言えない鬱屈した音を感じました。

深刻なんです。希望が見えてこない。

ショパンが故国を離れる気持ちにオーバーラップ

します。

そこへ、主役のピアノの強い音。

両手を真上から鍵盤に向かって

雷のように強く打ちつける力強さがくる

場面です。最初の音は、特に強い!

ショパンの作った曲の中で、こんな力強い

始まりは他にあるのか分かりませんが、

とても珍しい激しさを表現しています。

ここは、ベートーベンの『運命』を

想起させてくれます。

このように、感情の深いうねりの中から

ショパンらしい美しいメロディが

まもなく登場します。

ここは、演歌♪北の宿から♪からの

出足のメロディと音階(9音)が

全く一緒です。驚きでした。

ここからは、ピアノが持つ可能性を

極限まで繊細に表現していきますが、

オケはあくまで脇役で、その表現を

きわだたせるための仕事をするのに

とどまってくれているようです。

国の運命をそのまま背負ったショパンが、

国民のために悲しいけど、いつか独立して

幸せになれるような願いを込めて作った

コンチェルトのようにも思います。

それだけスケールが大きく、主役となる

ピアニストは、大役を任された

舞台俳優さんのように思えてしまいます。

ロマンチストのメロディメーカー、ショパンは

こんな故国の悲しい境遇を経験したからこそ、

ウィーン、そしてパリ、マヨルカ島などで

数々の名曲を生み出せたように思います。

故郷への思慕は、彼の音楽の原点なんでしょうね。

 

 

 


モーツァルトのピアノ協奏曲27番

2016-10-16 11:15:28 | 音楽の魅力

先週NHKのEテレを観ていたところ、

クラシック特集でモーツァルトが作曲した

人生最終章のコンチェルト、27番の特集を組んでいました。

ピアノソロはドイツのラルク・フォークト

指揮は、あのパーヴォ・ヤルヴィ(エストニア)のコンビでした。

曲を視聴する前に、ふたりがこの曲に関して

興味深いコメントを出し合っていたのが印象的でした。

このピアノ協奏曲は、モーツァルト自身の最終章となり、

彼がそれを予感していたか否かは定かではありませんが、

「実に平和な音楽。全体の曲想として静かさをいかに

表現するかを重視しているようだ」という意味合いの評を

ふたりで共感しあっていました。

さまざまな苦難と思いを掛け巡らせてきたモーツァルト。

欧州大陸を父レオポルドと一緒に馬車で音楽巡業していた

彼にとっては、その度は、さぞ難行苦行だったことでしょう。

その彼が自身の波乱な人生を振り返りながら、ある意味、

達観して静かさを好んだのでしょうか?

フォークトは彼独自の感想として最終第3楽章の展開を

次のようにコメントしていました。

「音に揺さぶりや波乱がないといけないんだ。

この汚れがあるから、次に来る静けさがとっても生きる!」と。

なるほど、そういう分析もありでは、と感じてしまいました。

人生の光と影。人間社会の表と裏。そんな機微を知り尽くした

モーツァルトだから、オペラもシンフォニーもコンチェルトも

創れた。ただ、見せかけの明るさだけじゃない。

人間の奥の深さをモーツァルトの最終章から

読み取れる気がしました。

もちろん、ショパンやベートーベンとは曲想も作りも違い、

独特の個性的な味を、彼はこの27番でも出してきています。

とっても穏やかな主旋律がソフトタッチのピアノで

流れてくると、気持ちが落ち着いてきます。

この平穏を迎えるために、私たちは生きている

のでしょうか?

彼の最終27番を聴くにつけ、そんなことを

感じ取れました。

 


ピアノソナタ12番 byモーツァルト

2016-08-07 17:53:00 | 音楽の魅力

連日の猛暑ですが、暦上は、

もう立秋となります。

昔だったら、赤トンボなんか飛んで

秋の風情が見え始める頃ですが、今はそんな

風情もタイミングが変わってきました。

でも、秋の気配は気づかないうちに少しづつ

忍び寄ってきているはずです。

こんな四季の微妙な変化にも似た

音感を醸し出してくれていると個人的に

感じいる音楽を紹介しましょう。

それは、モーツァルト作のピアノソナタ12番。

彼自身が今風に言えば、ドラマの脚本を書き、

演出も受け持っていると感じるくらい

変化に富んだソナタなのです。

無風の蒸し暑い夏の日が突然、秋風の吹く

日へと変貌を遂げるように。

それくらい変幻自在さを感じる面白い曲です。

小規模ですが、”風雲急を告げる”連弾の音を

楽しめると思います。

平穏が急にかき消され、何か問題が起こったような

変化。かと思えば、また暫く平静がよみがえり、

また変化の訪れ。第1から第2へ、そして最終楽章へと

ドキドキは止まりません。

まさに、モーツァルトらしい波乱の多い人生

に似た曲なんです。

おそらくこの曲を弾くピアニストの方は、表現し尽くす

のに、とても苦労されると思いますが、聴いている側は

実に飽きずに聞け、魂を揺さぶられると思います。

モーツァルトらしさが出ている、名曲であり

難曲だと思います。

ショパンやラフマニノフの難曲とは、また違う

趣きや曲想がふんだんにあるのが興味深いところです。

 


『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」 byショパン

2016-07-18 10:51:00 | 音楽の魅力

暑い日が続きますね。

お体にはお気を付け下さい。

これから何度も訪れるであろう猛暑の日には、

涼やかな音楽を聴きたいものです。

昨日、ピアノコンサートを聴きに行ってきました。

最終曲で、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと

華麗なる大ポロネーズ」が演奏され、とても豊かな

気持ちになりました。

ピアニストの方は、この曲を「」とイメージされ、

私たちに音を届けてくれたんです。

夏の雨上りにかかった「虹」。実にすがすがしい

風物ですよね。色もパステルで美しい。

ショパンのこの作品もイントロは、彼らしく優雅で

ロマンチックな旋律を創り出しています。

」が現れてきたような映像が思い浮かびます。

目を閉じると鮮明に映像が浮かびました。

この曲の後半は、ショパンらしくない(?)力強い

音楽です。21歳ころの作曲と聞きますから、若さゆえ

のエネルギーなのかもしれませんね。

本人が愛する祖国ポーランドを想起させる

民族音楽が取り入れられているのでしょう。

明るく強い仕上がりです。

前半と後半で曲想ががらっと変わるのも

面白いところです。ですが、後半の強さの中にも、

さすがショパンと思わせる優美さ、スタイリッシュさが

取り入れられている感じで、とても素晴らしい音楽だと

感じました。

やはり天才ですね、彼は。

ところで、今回のコンサートのピアニストは、

下條恵利子さんという方。

横浜のフェリス女学院や米国でピアノの研鑽をされた

新進気鋭のピアニスト。

今回は、デビューリサイタル

ということで記念の演奏となりました。

自分の曲へのイメージを演奏前に思い浮かべられて

いるのか、ピアノの鍵盤を打ち始める前に

ふっと天井を見つめる姿が印象的で、これも

集中心を高めるひとつの動作かな、と勝手に

感じたりもしていました。

そして、1音1音に込める熱が伝わってきました。

とても素晴らしい演奏で、立派な避暑に

なりました。ありがとうございました。

 


薫風吹く季節に聴きたくなる音楽

2016-05-01 18:25:50 | 音楽の魅力

ゴールデンウィークに入り、東京エリアは

晴天続きで、薫風香るいい季節に

なってきました。

少し暑い陽気ではありますが、こんな時は

アップテンポで小気味よい音楽を聴きたくなります。

クラシック音楽のジャンルで、こういう音の連続性が

素晴らしい曲というと、モーツァルトの

ピアノ協奏曲23番の第3楽章が思い浮かびます。

よどみなく続く音の連鎖・・・・・

これは、風が間断なく吹き、森の中の木々や葉を

揺らし続ける音に似ていると感じます。

このモーツァルトのコンチェルトは、まさに

自然のゆらぎを音で表現した代表格だと

思っています。

風は、目に見えないから耳と肌で感じる

しかありません。それだけに聴く・触れ合う

感覚が研ぎ澄まされます。

竹が密集し、風によって木の部分がしなり、

笹の葉がそよぎながら擦れ合う音がすると

実に心地いいものです。

これに、新緑の香りが加われば最高。

四季を感じることのできる日本では、

この時節は1年の中でもベストシーズンと

言ってもいいのではないでしょうか。

自然の営みは留まることなく動き続けています。

それだけにモーツァルトの23番は、

人間よりも自然の胎動を強く感じます。

この胎動が胸に迫ってくる勢いがあり、

感動を盛り上げてくれます。

 

 


ピアノと管弦楽のためのロンド byモーツァルト

2016-04-17 10:02:51 | 音楽の魅力

またも、当たり前の日常が当たり前じゃなくなる

震災が起きてしまいました。

「こんなはずでは・・・」と想定外の

地震の連鎖に困惑し不安にさいなまれている

被災者の方々の姿が思い浮かびます。

突然の変化。ここまでドラスティックな災難は

なかなか起こらないものですが、しかし現実に

起こってしまいました。

私は、モーツァルトの楽曲の中に、こういうどうにもならない

変転の人生観を感じるひとりですが、

そういう変化に富む代表的なロンド形式の曲を

紹介したいと思います。

それは「ピアノと管弦楽のためのロンド」。

ロンド形式は、通常の主旋律の構成部分の

合間に突然異質な旋律が紛れ込んでしまう手法で、

最初に聴くと誰しもあっけにとられたり、

曲想の急激な変転にとまどってしまいがちです。

この「ピアノと管弦楽のためのロンド」も、

まさにそういう曲です。

イントロからは、陽気な感弦楽器群の主旋律が

奏でられますが、途中からピアノソロが穏やかに

その主旋律をなぞり、強弱をつけます。

ここまでなら何の変哲もない明るい学芸会風の音楽。

しかし、中盤から突然、ピアノソロで物悲しい

調べが始まってくるのです。

主旋律のしつこいくらいの繰り返し(もちろん、

シンプルな主旋律がゆえに、強弱や若干の

変化が加えられて繰り返されています)が続いている

最中の急激なる変化ですから驚いてしまいました。

人生の陰と陽、日なたと日陰。このめりはりが

くっきりとついて曲想が聞きあきない作りに

してあります。

平穏で無事な生活や内面は、いつまでも同じように

続かないとモーツァルトは言いたげなのかと

感じてしまいます。

それくらい、天才と呼ばれていても

苦難を感じていたのでしょう。

この曲が創られたのは、モーツァルトの中期くらいで、

本人も変化のあおりをくらっていた時代だと思います。

一筋縄にはいかない人生に、半ば苦しさと諦めを感じながらも

希望は捨てないぞという前向きな意思も

感じられる曲想になっていると思います。

シンプルなメロディの流れの中で

この激しいギャップを生み出すのが、

彼の真骨頂なのでしょうが、いやはや

見事な変化には恐れ入りました。

こんな曲を聴きながら、今も続く

熊本・大分の地震の報道を見るにつけ、

改めて当たり前の生活が有難いと

感じています。

ただ、考えなければならないこともあります。

5年前の東北の震災で被災された方もそうですが、

家を失い、家族を失われた方、亡くなった方々へ

思い馳せるごとに、耳に残っている言葉が

響きます。

私たちが生きている今日は、

被災で亡くなられた方達が生きたかった今日です

東北・被災地出身の元AKBメンバーが心の底から

絞り出していた言葉でした。

何が起こるか分からない時代に、

当たり前の生活ができる幸せと有難さを

感じながら、被災者の方々を

応援していきたいなぁ、と思いました。


待ち遠しい春、ひばりの声が聞こえてくる

2016-02-08 20:59:59 | 音楽の魅力

立春を迎えましたが、まだまだ厳しい寒さが

続いております。

でも、春は1日1日、少しづつその姿を

見せてくれるはず。

春と言えば、桜、つくしんぼう、つつじなど、

明るい花や植物等が思い浮かびますが、

生き物だって冬眠から覚め、

活発に動き始めます。

そんな明るさを取り戻す春。

こんなクラシック音楽から

春を連想してみました。

それは、モーツァルト作曲の

ヴァイオリン協奏曲3番と4番です。

この2曲の第一楽章を聴きますと、

いずれも”ひばり”がさえずる声が

聞こえてくる気がします。

ヴァイオリンの高音が、音階の

乱高下に乗って、気持ちよく

響くんです。

その音楽が、まるで上下動しながら

春を喜んで飛びまくっている

ひばりの姿をくっきりと

イメージさせてくれるんです。

 

 

 

ちなみに、あのハイドンの創った

交響曲にも”ひばり”をテーマにした

楽曲がありますね。

それくらい”ひばり”と”ヴァイオリン”は

結び付けやすい?のでしょうか

ヴァイオリンがひばりの鳴き声のように

聞こえてくるから、春が連想でき、

明るい気分になれるんですね。

 

本格的な春まで、あと1か月!!

本物のひばりの声も早く

聞いてみたいものです。

 


アンネ・ゾフィー・ムターのモーツァルト

2016-01-31 12:14:28 | 音楽の魅力

アンネ・ゾフィー・ムターという

有名なヴァイオリニストを知っておられる方も

多いと思います。

あの名指揮者カラヤンに才能を見出された

ドイツ人女性です。

私が彼女の弾くモーツァルト音楽に関心を

持ったのは、彼の音楽を彼女独自の感性で

消化し表現している点です。

そのポイントは「モーツァルトの音楽は

静寂で始まり、静寂で終わる」という感性。

私から見たら、かなり個性的な感性だと

感じました。

彼女が弾くモーツァルトといえば、

ヴァイオリン協奏曲が多いのですが、

其の5番を聴いてみて下さい。

本人が指揮もし、弦楽器チームとの

コラボ。

そのイントロが、他の指揮者に比べて、

かなりピアノ(弱い音)に抑え込まれて

います。驚くほど、静寂の中で

曲が始まります。

その理由は、私には分かりません。

明るくがなりたてるのではなく、

遠くからヴァイオリンの音が聞こえて

くるような演奏で始まるのです。

最初は、このイントロに違和感を

覚えましたが、聴き込んでいくうちに

深みを感じてきました。

ヴァイオリンのソロパートを引き立てる

ため? とも感じましたが、それだけでは

ないような気もします。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、

3,4,5番が有名ですが、いずれも

自律神経を整える効果があると

言われています。

ハイテンションではなく、静かに

ヴァイオリンの音色を脳へ染み渡らせる。

目を閉じて、自分なりに情景を

思い浮かべながら聴くと、リラックス

できます。個人的にはですが・・・。

ムターの感性に基づく解釈は、もしかして

モーツァルトの意図にマッチしているのかも

しれません。

もし精神を和らげたい時がありましたら、

ムターのソロによる、このヴァイオリン協奏曲を

聴いてみてもいいかもしれません。

私はおすすめします。

 

 


バッハ「シャコンヌ」

2016-01-23 22:07:49 | 音楽の魅力

風雲急を告げるように、

今週初め、東京都内は久々に

雪に見舞われ、通勤の足が

大幅に乱れました。

こんな予期せぬことが起こるのも

自然現象ですが、われわれ人の営みにも

予期せぬ出来事が起こります。

そんなストーリーを感じさせるクラシック音楽を

探してみました。ヴィバルディの四季もそのひとつですが、

人間そのものの人生に紆余曲折を感じさせる音楽は、

バッハの「シャコンヌ」ではないかと感じています。

あくまでも、私の個人的な感覚ですが・・・。

シャコンヌ」は、ヴァイオリンのソロ演奏曲です。

冒頭から激しく揺れ動く音の連続。

ヴァイオリンなど弦楽器でしか出せない音の波は、

自分の心も揺さぶられます。

特にバイオリンの音は、高音で脳天に突き刺さる

感じが弦楽器の中で一番強く、激動のドラマの

始まりを予感させてくれます。

明るさは微塵もないのですが、体全体に浸透してくる

音の揺れ。これに魅了されてしまいます。

演奏する側は、とても高度なテクニックが

要求されるようです。

バイオリン1体で、2つのヴァイオリンが和音を

形成しているかのように、ひとり二役を演じる

場面も多く、難易度の相当高い演奏曲だとか。

うきうき感はないけど、音に深みがありますね。

完全にバッハ独自の世界を披露してくれている

感じがして、まさに芸術だと感じる曲です。

こんな綿密に計算された音の繋がりと和音を

創られ聴かされたら、もう唸るしかありません。

敬服します。

これは、自然現象にひれ伏すしかない人間の

様に似ているかもしれません。

私には、このバッハワールド、神が降臨し

音を編み出してくれた音楽のように

聞こえるのですが、如何ですか?

人の営みの烈しさ、うねりを

神が俯瞰し音楽をプレゼントして

くれたのでしょうか?

そんな意味で、やはりバッハも

類まれな天才だと感じます。

 


ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート

2016-01-03 17:34:32 | 音楽の魅力

今年も元旦恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートが

現地ウィーンで行われました。

今回の指揮者は、マリス・ヤンソンス

この10年間で、何と3度目の登壇になります。

そういえば、2006年から今年まで10年、

ヤンソンス3度、ヴェルダーメスト3度、

ズービン・メータ2度と、この3人の指揮が

ほとんど。

よほど、人気と評価が高いのでしょうね。

ヤンソンスは、繊細でドラマチックな演出が

巧く、ヴェルダーメストはウィーンフィル団員の

信認が厚く、メータは人間の温かみを感じる

演奏に特長があるなぁ、と感じていました。

そのヤンソンスですが、今年も初登場の曲目を

ふんだんに取り入れ、耳の肥えたウィーンっ子に

飽きを感じさせない配慮をしていたのはさすがでした。

3人ともに共通するのは、演奏スピードが慌てるように

早くならず、かといって冗漫なほどのんびりとせず。

そのさじ加減がうまく、演奏者のテクを、

ある時は繊細さを、ある時は劇的さを、

またある時は力強さを、という具合にメリハリを

つけながら引き出しています。

その演出能力が

素晴らしいと感じてきました。

特に『美しき青きドナウ』と『ラデッキ―行進曲』は、

同コンサートの定番中の定番の2曲なのですが、

この演出の妙が実に巧くなされていて、

盛り上がりを作るのが上手な3人です。

来年は、ニューフェースのデュオメルが指揮を

するそうですが、どんな演奏会になるのか

楽しみです。

それにしても優美で高貴なウィーンフィルの

音色に乗って、快晴のウィーンや市街地、田園風景が

映し出されますと、豊かな気分になれますね。

また、新風を吹き込んでもらいたいものです。


カリンニコフというロシアの作曲家

2015-12-20 17:30:38 | 音楽の魅力

カリンニコフというロシアの作曲家を

ご存知ですか?

私は、今日生まれて初めて彼の曲の

生演奏を聞きました。

演目は「交響曲1番」。

弱冠34歳であの世へ旅立った彼は、

もっと生きていれば、チャイコフスキーや

ラフマニノフにも匹敵する作曲家に

なっていたかもしれないという

天才肌だったそうです。

どんな曲を書いたのだろうか?と

興味津々で聴いたところ、新鮮な

感動を覚えたんです。

ヴァイオリンを中心とした弦楽器群が

ユニゾンで奏でる主旋律。

これは、メロディラインが美しくて

荒々しさが全くないのです。

風雲急を告げるような変化はあまりなく、

血の通った温かいメロディラインに

感動し驚きました。

この驚きは、第一楽章の冒頭で

早くも感じたのです。

もちろん、ロシアクラシック音楽特有の

雄大さは失わずに、この温かさ、美しさを

表現。びっくりしたのと、どきどきしたのが

ほぼ同時でした。

第2楽章以降も、主旋律にマイナーな変化を

つけながら、オーボエやクラリネットといった木管楽器

のソロパートやホルン、トランペットといった金管楽器の

ソロパートででメリハリをつけていたので、

飽きもきませんでした。

初耳の音楽・・・なかなかいいもんです。

何がくるか? どういう構成か?

どんな演奏か?

わくわくさせられました。

私の中では、このカリンニコフ、

要マークの作曲家となりました。

同コンサートで演奏された同じ

ロシアのムソルグスキーの「禿山の

一夜」と比べても、その違いは歴然。

禿山は、目まぐるしく変化、変化の音の

波が押し寄せてきますが、カリンの方は、

メロディラインのきれいな主旋律で

必ず、落ち着かせてくれます。

好みはあると思いますが、個人的には

カリンニコフの創り方の方が好みです。

落ち着いて楽しく聴くことが

できました。

また、新たな感動をいただき、

感謝しております。


よく眠れる・・・「アヴェ・ヴェルム・コルプス」byモーツァルト

2015-10-31 11:24:08 | 音楽の魅力

モーツァルトが晩年に作曲した

宗教ミサ曲のアヴェ・ヴェルム・コルプス。

合唱曲なのですが、むり聖なる声が安らかに

こだまして、耳に心地よい余韻の残ります。

清澄な泉が湧き出るかのように、

美しく響く音楽を聴けば、

すやすやと眠れます。

この曲を聴き始めた途端に、

数秒で眠りに落ちたこともしばしば(笑)でした。

ノンレム睡眠に誘ってくれたのでしょうか?

心身の疲れをほぐすには、絶好の

音楽のような気がします。

生身の人間が大地へ帰る。

自然へ溶け込んでいく。

そんな宇宙観を感じさせてくれる

曲でもあります。

グレゴリー聖歌と並ぶ、

癒しの音楽ですね。

こんな素敵な曲を提供してくれた

モーツァルトに「ありがとう!」

と言いたくなりました。