「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・破獄

2010-11-17 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」
破獄 情報プラットフォーム、No.202、7(2004)




正月の2日には子供達を連れて我孫子の実家に行くことが恒例になっていた。

同じこの日に必ず来る人が居た。小説の中の呼び名で言えば脱獄囚の佐久間である。一年に一度、世話になった父に近況報告に来るのである。

戦前・戦後の混乱期に4回の脱獄を繰り返した後、当時、父が所長をしていた府中刑務所に移送されて来た。ここで更生し、仮釈放で出所したのである。酒も煙草もやらず、とつとつと話をする人である。しかし、精悍な面構えである。


 脱獄した山の中、北海道の冬をどのように過ごしたかは、登山をする私にとって興味の尽きない話である。

あまりに面白いので、録音をさせて貰った。まだテープがオープンリールの時代である。私が質問して、彼が答える形であるが、父も質問に加わっている。

録音は3年ほど続いた。ドキュメンタリー作家の吉村昭氏がこのテープの存在を知った。佐久間やその係累が生きている間は、世に出せないと父は断り続けていた。その後、このテープを基に小説「破獄」が書かれたのである。


 法務大臣からの移送の命令を受けた夜の記述は史実と異なっている。小説には「彼はその夜、まんじりともしなかった。」とある。母に言わせれば、酒を飲んで大いびきで寝ていたそうである。これは小説に馴染まない。


 娘の葉子が中学生になった頃、「少し難しいかも知れないが、我孫子のおじいちゃんはこんな人だから。」と読むことを薦めた。


 床板を切って床下から、鉄格子を押し広げて窓から、天窓を打ち破って屋根から、入り口の扉を破って廊下へ。脱出方向は4回がそれぞれ異なっている。

日常的に体力トレーニングを欠かさず、看守の心理操作を巧みに行い、裏をかく達人であった。府中刑務所へ送られて来たときは、後ろ手に手錠、足枷を掛けられ、これらの鍵穴は鋳潰されていた。

人間性を無視した屈辱的な状態である。手が使えないので、犬食いしかできない状態だった。父は手錠・足枷を切断させた。

北風のピューピューから、太陽のポカポカに変えたのである。詳しいことは新潮文庫の「破獄」を読んで欲しい。


娘の感想は予想外のものであった。「おじいちゃんほど残酷な人は居ない。佐久間の生き甲斐を奪ってしまっている。」であった。今も、葉子の生き方はユニークである。



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鈴木朝夫 s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154



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