「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

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三郎さんの昔話・・・怖い落雷

2010-11-25 | 三郎さんの昔話

怖い落雷

 天のいたずらというか、自然の偉大さか、人の力ではどうすることも出来ないことの一つに、とっても怖いもので落雷がある。<br>
 昔の人は、こわいのは『地震、雷、火事、親父』と言って子供らに話し、いつも聞かしていた。
 梅雨明け時から秋の台風の済む時分までの夏期の間に、雷は大体に多く発生する。
 長雨の上がる時とか、照りつめていて急に天候が変わり、激しい夕立の雷雨は、人間や植物にとっては恵みの自然現象でもあるが、
激しすぎて落雷の強さに思いがけない人に不幸をもたらすことがある。
 それだけ雷は怖いという観念があったので、雷が鳴り出すと怖くて腹下げする人があり、麻の蚊やを吊って中で線香を焚き震えていた人など、雷をほんとに嫌いな人がいた。
それもそのはず、夕立になったので田んぼを引き上げ鍬を担いで帰ろうとした時、雷があまって死んだとか、コウモリ傘をさして電信柱そばを通っていて落雷で死んだ。
 麓の大杉に雷があまったのを見たら大杉は裂けて、その際は何か大きな獣が荒い爪で掻き上がった様相ですさまじくほんとに怖いこと。
 雷を怖くない人は、えらい雷に逢うたことがないとか、自分はそんな目には逢わんとたかをくくっているだけである。
 さて、時は昭和三十年八月、勝は次男坊で終戦後無事に復員して帰ると、嫁(良子)もらい母屋から少し上がった大田の西側に、木造の平屋の分家を建て、暮らしていた。
 家の屋根の外れの上を、大きなワイヤの送電線が三本、大田の下の変電所に通じていた。
 時に子供も長男(八良)八才、次女(泰子)四才、次男(多聞)二才と五人家族で、豊かではないがまあまあ人並みに楽しく暮らしていた。
仕事は土木建設の監督で人夫を大勢使って稼いでいた。 土木仕事は日和がなによりだが、時に照り日が続き一雨欲しいなあと思っていたら、二十一日の夕方、
仕事を終えて帰り支度をしていたら西の空が曇ってきて、こりゃ久しぶりに夕立が来るわと急ぎ家に帰り、風呂に入り泰子と多聞の幼子二人を入れて、
湯上がりに妻の良子の手料理に、家族五人美味しく楽しい晩ご飯すまし、やっとひとくつろぎした。
 長男の八良は下の母屋へ遊びに走り下りた。 勝はパンツひとつで六畳の間の西のほうに座り、涼みながら、「良子、日焼けの手のあせもが、掻いたら傷になった。
薬を付けて巻いてくれ。」言うと、良子は来て勝の左手に薬を付け手当をしていた。
 良子の位置は、部屋の東の敷居の上に亀形のスイッチ(昔の家全部の元スイッチ)、部屋の西北の隅に足踏みのミシンを置いた。スイッチとミシンの直線に座って勝の手当中、
泰子が多聞をおこつってそばえるので、多聞を勝がうだいた時、夕立がパラパラと少しした。
 途端に、ピカピカッと光ると同時にガラガラ、ズドーンと来た。
 電気は切れた真っ暗がり、家の中をイナヅマが走る。勝は多聞を抱いたまま二メートルほど跳ね飛ばされた。家のつぼで大きな火の玉が暴れた。
闇の中で良子がヅンと立つと、ううーんと叫んで、どたーんとはねかやった。
 勝は子供をほうり、良子はおくれて気絶したと暗がりを這い寄って、「良子、良子」と呼びながらさすったりゆすったり叩いてみたが、返答がない。
 着いていたシミーズを開いて胸に耳を当てて聞いたが、心臓の鼓動ない。
 こりゃしもうたと、茶の間の北の小窓をあけて、「おらんくへ雷があまった。早よう来てくれー」と二声三声、夢中でおがった。
 二人の子供もおくれて泣きもようせず、泰子は這い寄って幼い弟を押さえていた。<br>
 そのうちに勝の叫びを聞いた、少し下に住んでいたギター好きの若い夫婦が、懐中電灯をつけて来てくれた。
 勝は血気で力も強いが、十六貫もある良子の体がぐにゃぐにゃでで背負うことが出来ずにあずっていた。
 来てくれた男が手伝ってやっと背負うと家を出る。来てくれた男が懐中電灯で狭い道を照らし、病院へ急ぐ途中で、母屋の親父さんに、「良子に雷が余ったけ、
病院へ行く」と言いとばして病院へ急ぐ。
 その道は寺坂の小うねをあがって、明神へ坂を下って、その向こうが日光寮の病院である。
 勝の兄の私は、その当時映画ブームの全盛で、変電所のすぐ隣の元酒屋の倉庫が、仮設の映画館で、見に行くのも近くで家内と二人で行っていた。
 時に大きな雷で停電したので映写は止まり、暗闇の中で、「変電所に余ったけ、もうだめじゃ」とか「まあちゃくに雷が余った」と誰かの声が聞こえたので、
あわてて家に帰ってみたら、親父さんが「良子が雷にやられて勝が担いで今病院へ行った。早よう行っちゃれ」と言うので走ったら、寺坂で追い付いた。
 背負うた良子を後ろから支えたら、体はまだ暖かい。病院に着くや、「さっきの雷で気絶して息がとまっちゅう。早よう先生を」とさけんだ。
 看護婦も手伝って診察台にのせる。院長先生がまだ帰ってなくて、直ぐ来て手を握ったり目を開いてみたり、聴診器で熱心に見てくれていたが、体には傷ひとつない。
 吐息をして、「こりゃ心臓を直撃しちょる。残念じゃ、もうどうしようもない」と静かに言った。
 それを聞いた勝は、自分で耳を当てて聞いたとき、これはだめかな、とは思っていたが、院長先生の宣告を今耳にして、力ががっくり抜けて、
良子にすがりつき涙がボロボロととまらなかった。
 そばの者もむごいことで共に泣いた。そのうちに駆け付けて来てくれた近所の人らと静かに家に連れ帰り、寝さして皆で夜とぎをした。
 時に良子は三十才の女盛りで体格も器量も良く、病気ひとつせずの健康体であったので、死顔を見ても死んだとは思えず、ただ息をしてないだけであった。
 夜とぎをしながら、雷がどんなに来て良子にあまったか話し合ってみたが、家の中は何の変化もなく、ただ敷居の上にある亀の甲の電源スイッチの蓋が開いている
(このスイッチの蓋はあけるには重い)だけであり、落雷の雷電が強くて送電線と下の電柱から家への配線一体にあまったのが、スイッチを突き破り、
足踏みのミシンの金物に電気が飛んだ。
 その直線にいたのが良子で、人体の水分が雷電をまほこに受けたがじゃと。
 そのうちに夜も明け、親戚や近所の人が次々に悔やみに来てくれて、いろいろと手伝いごとをしてくれていた。
 傷ひとつないきれいな良子の身体が、昼過ぎから次第に黒ずんできて、夕方には身体全体が茶黒に染まってしまい、左のひたいびんに指で押したほど小黒く、
左足にも同じあとがあり、雷が左の鬢から入って心臓を通り、足に抜けたことがはっきりとわかったが、この茶黒に焼けた身体を見て、
これはひどい、ピカピカとしか目には見えないあの雷の電気の強さ、人間で測り知ることができない雷とはほんとに恐ろしいことである。
 不運にも雷に撃たれた若き良子、おさな子三人も残し、夫を残して、不意にやられてこんなことになるとは、ほんとにむごいこと。
 残された家族も哀れである。なんの因果か天の成す自然現象とはいえ、まことに惨いことをするもんじゃ。
 遠方での雷はなんということもないが、雷震が立ち込めてきて、今にもえらいのが鳴りそうな時は注意して、避難するように心がけなければいけない。
 落雷とはほんとに強力で、どうにも出来ない恐ろしいものである。
 この度の良子の落雷の不幸に接した身内や親戚、近隣の人達みんな、雷を怖がるようになった。
 私の家内は義姉と従姉妹の間柄であるが、雷がまっこと怖くなって、鳴り出すと外へはよう出ず、テレビはすぐ切る。電灯の下には居らず、金物は握らず、
少し強くなると階段の下の倉庫に入り耳をふさいで震えています。
夕立に 姿隠した 雷は
 罪無き人を 撃ちころす
  天のすること むごすぎる
            三郎
夕立と 姿を変えて 村里を
 恵むなさけぞ 激しかりける
           尊徳
あまって=雷の落ちること。
おこつって=からかう。
おがった=叫んだ。
あずって=てこずって
まほこ=真面目。

三郎さんの昔話 目次

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