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「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ) 



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



(四国13番霊場 大日寺(だいにちじ)  09/05/08)



出典:四国ネット・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ) 

焼山寺をあとに、鮎喰川沿いに下る。
 変化に富んだ美しい渓谷がつづき疲れをいゃしてくれる。徳島の街の近くまでくると人家も多くなり、右手にうっそうとした森があり、道を隔てて阿波一ノ宮神社がある。

 弘仁六年(八一五)弘法大師がこの地に巡錫され「大師の森」という所で護摩修法されているとき、現在、寺のある附近から大日如来が示現し「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられた。

そこで大師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、この尊像を本尊として安置し、大日寺とした。その後、兵火で焼失するがまもなく再建され、諸国に国の総鎮守である一ノ宮が建てられたとき、その別当寺として門前の一ノ宮を管理した。

一ノ宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観世音だが、明治の神地分離にあたり、十一面観世音を大日寺へ移遷し、本尊として安置した。このため、現在は大日如来が脇仏となっている。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)

 

(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)

(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)

(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)

(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)

(四国12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)  09/05/08)

 

出典:四国ネット・・・ 12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)

昔から「遍路ころがし」といわれるほどけわしい山の寺が、四国には六カ所あり、焼山寺もこの難所に数えられていたが、現在自動車通が山上まで開通し、苦行せずして参拝できるようになった。

歩く遍路にとつて、とくに垢取川にかかる一つ瀬橋を渡ってから急な坂道になる。山門までおよそ二・五㌔(海抜八百㍍)杉本立の中をあえぎながら登る。

寺伝によると、この山中の魔の毒蛇が火を吐いて危害を加え、大師が登山しようとしたときも全山火の海であった。大師が垢取川で身を浄め、真言を誦して登ると火は消え、九合目の岩窟から毒蛇が飛びかかった。

この時虚空蔵菩薩があらわれ、毒蛇を岩窟に封じこめた。大師は虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし、寺号を火の山にちなみ「焼ケ山ノ寺」山号を火の恐れがあるので「摩盧(水輪の意)山」とした。

参道途中に四国遍路の元祖といわれる衛門三郎最期の遺跡上、杖杉庵がある。遍路二十一回目に逆打ちして大師と出会った所である。 

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら) 

(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)

(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)

(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)

(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)

(四国11番霊場 藤井寺(ふじいでら)  09/04/08)

 

出典:四国ネット・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら) 

四国第一の川・吉野川を渡る。四国三郎とよばれ、二百三十六㌔の長さを持つ。この川を壊れば鴨島の町。そして、山麓の藤井寺までは三㌔あまり。

門前に遍路宿があり、境内にも古い遍路宿がある。右手の一段高い所にある本堂には、弘法大師が刻まれたと伝えるご本尊の薬師如来が奉安されている。


 大師は三方を山に囲まれた幽すいな霊地に心ひかれ、堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、十七日間護摩修法され、堂塔の前に五色の藤を植えられ、藤井寺と名づけられた。

その後、天正の兵火で焼失し、寛永年間に再建されるが、天保二年に再び焼失し、現在の本堂はその後の建立という。この間、真言宗から臨済宗に改宗している。


 歩く遍路は近くの宿で泊り、翌朝出発して焼山寺へ向う。長戸庵、柳ノ水奥ノ院、柳水庵、一本杉庵など大師の遺跡があり、男八時間、女九時間の難行。十六㌔の貴重な遍路みち。車なら石井、寄井を経る迂回路をゆく。

 

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)

(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)

(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)

(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)

(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)

 

出典:四国ネット・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。

仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。


 弘仁のころ、山麓の貧しい小にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。

七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。

すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。

 

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)

 (四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)

(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)

(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)

 

出典:四国ネット・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。

歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。

天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。

法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。

その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。

頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) 

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ)

 

(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

出典:四国ネット・・・熊谷寺(くまだにじ)

のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。

やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。


 寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。

そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)

(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)

(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)

(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)

 

(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)

(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)

出典:四国ネット・・・十楽寺(じゅうらくじ)

この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、

人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。

そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。

このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。

寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
 参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)

(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)

(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)

(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)

(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)

(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)

(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)

 

出典:四国ネット・・・ 安楽寺(あんらくじ)

田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。

 昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。

 創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。

駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。

現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。

寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)   

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

 

 (四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)

(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)

四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)

(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)

(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)

(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)

 

出典:四国ネット・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

この地は「羅漢」とよばれているが、昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。
 境内へ入ると弘法大師お手植えのイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。
 ご本尊は地蔵菩薩。胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められている。
 かつては三百の末寺をもつ中本寺で、高野山の管長、大覚寺、仁和寺門跡を出した名刹。
 本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師を奉安し、廻廊に等身大の五百羅漢が安置されている。
 実名、実聞の二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で羅漢像をおさめて堂宇を建立した。大正四年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。
 喜怒哀楽の表情をして、薄暗い堂内で身動き一つせずに立ち並ぶ五百の羅漢さんは、どこか親しみ探く、身近に感じられる。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)

 

(四国4番霊場 大日寺  08/03/17)

(四国4番霊場 大日寺  08/03/17)

出典:四国ネット・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)

五番の地蔵寺から逆打ちしてもよいが、道路が狭く、マイクロバスまで。
 ところで、真言宗のご本尊は大日如来。私たちが生きてゆくためのあらゆるものを養護され、目には見えないが、その力によって私たちは生かされており、いま遍路となって巡拝している。弘法大師は、この地にしばらく留まり、大日如来を感得し、その尊像を刻んでご本尊とし、寺号を大日寺と名づけられた。三方を山に囲まれ、山間を奥深く入った静寂な地。楼門を入ると正面に本堂があり、右手の大師堂とは、西国の三十三観音像を安置した廻廊でつながっている。古くは本堂左手に通夜堂があり、先々代の住職のころは、癩病の遍路乞食が多く、伝染の危険があったにもかかわらず、通夜堂に泊った遍路乞食に「信仰心さえあればお大師さんがお加護してくださる」といって、いろいろ接待世話をしていたという。恐れられた難病も信仰の力によって克服したのである。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)

 (四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)

(四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)

 (四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)

(四国3番霊場 金泉寺  08/03/17)

出典:四国ネット・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)

古くは聖武天皇の勅願で行基菩薩がご本尊を刻み、金光明寺と称していたが、弘法大師が巡錫された時、黄金井の霊水がわき出たので、寺名を金泉寺に改めたという。この由緒ある井戸は、大師堂近くの黄金井地蔵の前にあり、ここをのぞいて顔がうつれば長寿のおかげをうけると伝えられている。
 また、亀山法皇も深く信仰し、堂塔の再興や三十三間堂などを建立して山号を亀光山と号し、勅願道場とした。しかし、天正十年(一五八二)には長曽我部元親の兵火によって大師堂を除く大半の建物を焼失してしまった。 現在の建物はその後再建されたもの。
 源平の戦いの時、源義経がこの寺で休息し弁慶の力量をみせたといわれる「弁慶の力石」や、応永五年、南朝の長慶天皇がこの寺で、五十一歳にして崩御され、その御陵といわれる墓石などがある。また、黄金井地蔵の隣には朱塗で八角の観音堂がある。格天井には美しい花鳥図が描かれている。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・2番霊場 極楽寺(ごくらくじ)

2010-12-31 | 栄ちゃんの四国霊場巡り

2番霊場 極楽寺(ごくらくじ)

 

 (四国2番霊場 極楽寺  08/03/17)

 (四国2番霊場 極楽寺  08/03/17)

 (四国2番霊場 極楽寺  08/03/17)

(四国2番霊場 極楽寺  08/03/17)

(四国2番霊場 極楽寺  08/03/17)

 (四国2番霊場 極楽寺  08/03/17)

出典:四国ネット・・・2番霊場 極楽寺(ごくらくじ)

一番の霊山寺より一㌔、歩いても十五分。平坦な道だけにあっという間に到着する。
 昔から十里(四十㌔)十カ所といって、一番から十番までは歩きやすい道で、早朝出発すれば一日で十カ所めぐることができる。
 朱塗の仁王門を入れば、境内は整備され、落ち着いた雰囲気がただよう。
 弘法大師はこの地で二十一日間にわたり阿弥陀経を読誦して修法され、その結願の日に阿弥陀如来を感得し、ご本尊として刻まれた。
 後にご本尊の後光が鳴門の長原沖まで達し漁業に支障をあたえたので、漁民たちはこの光をさえぎろうと本堂の前に小山を築いた。それからは大漁があり、日照山の山号もそれによるという。本堂は天正年間の長曽我部元親の兵火で焼失し、万治二年(一六五九)の再建。大師堂は「安産大師」として知られる。大阪の病弱な婦人が四国遍路して大師のおかげで安産し、それ以来安産のご利益があるという。境内に大師お手植の長命杉がある。

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・1番霊場 霊山寺(りょうぜんじ)

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四国1番霊場 霊山寺

(四国1番霊場 霊山寺   08/03/17)

 

 (四国1番霊場 霊山寺   08/03/17)

(四国1番霊場 霊山寺   08/03/17)

 

出典:四国ネット・・・第1番 霊山寺(りょうぜんじ)

 鳴門から西へ10㌔ほどのところに、坂東という小さな町があり、その町外れに霊山寺がある。仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊がある。天正年間の兵火と明治二十四年の災火に遇っているが、その後、建物は再建され、一番にふさわしい伽藍。
 縁起によれば、聖武天皇の勅願により、天平のころ行基菩薩が開基し、弘仁六年(八一五)弘法大師が二十一日ほど留まって修法され、この間霊感を得て釈迦如来を刻み、印度(天竺)の霊山を日本(和国)にうつされる意味から竺和山霊山寺と号し、第一番の霊場としたと伝える。
 遍路は巡拝にあたっての心がまえをお大師さまに約束(十善戒)する、いわゆる授戒をうけるのが本来だが、時間に余裕がなければ、本堂内右手の納経所でご住職から巡拝についての指示をうけるとよい。また、必要な遍路用具もすべて整っている。

 

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