四国霊場 7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ) に関するページ
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)
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出典:四国ネット・・・十楽寺(じゅうらくじ)
この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、
人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。
そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。
このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。
寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。
四国八十八箇所(徳島・愛媛・香川)
四国八十八箇所(高知県内)
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この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、
人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。
そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。
このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。
寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
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