徳丸無明のブログ

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狂乱の時代

2019-01-18 21:34:44 | 雑考
毛利嘉孝の『ストリートの思想――転換期としての1990年代』(日本放送出版協会)を読んでの気付き。
この本は毛利が、「新しく生まれてきた若者たちの運動を、「ストリートの思想」という観点から捉えなおす」ために、政治と思想と文化の流れを80年代から説き起こしたものである。毛利が転換点とする90年代に話がさしかかった時、次のような記述が出てきた。


バブル期は経済的には株価が下落する一九九〇年に終わったが、時代の雰囲気としては九二~九三年くらいまでは楽観的な雰囲気が残っていた。たとえばけばけばしいファッションやテクノ、ユーロビートとともに刹那的な盛り上がりを見せたディスコ「ジュリアナ東京」がオープンしたのは、バブル崩壊後の九一年(閉店は九四年)であるにもかかわらず、どことなくバブル景気と重なって見えるのは、その浮ついた雰囲気がどこかで残存していたからだろう。こうした空気が一気に変わるのは、急激な円高、阪神淡路大震災やオウム真理教事件などで、突然パニックにも似た社会不安が訪れる九五年になってからだ。


・・・・・・え、そうなの?
テレビでバブルの話題になるときは必ずといっていいほどジュリアナの映像が流れる。露出度の高いボディコンファッションで、下着が見えるのも厭わずに踊り狂うさまが、カネに浮かれ溺れた「狂乱の時代」を象徴しているようで、イメージの上で結びついちゃったんでしょうね。
毛利も「浮ついた雰囲気がどこかで残存していた」と指摘しているように、ジュリアナを「バブルの余韻が残る中での最後のひと暴れ」だとすれば、ぎりぎりバブルの文化に含めてもいいかもしれない。あるいは、今になって振り返れば、バブルの終焉に懸命に抵抗する無駄な悪あがきがジュリアナであった、と総括することもできるだろうか。
なんにせよ、「時代の徒花」という形容がぴったりとくるカルチャーではあった気がする。


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