今日は刈る穂です。
なかなか固い。前は箱入りでしたよね?フツーのチョコレートに見えて、外側チョコで中は焼き菓子。焼き菓子にチョコがしみてます。
線引きの大切さについて話します。線引き、線を引くということ。
たとえば、スタンプカードありますよね。1000円買い物するごとにスタンプ1個押されるカードがあるとしましょう。
このようなカードの場合、999円の買い物をした人が不満をもらしがちです。「たった1円足りないだけなんだから、スタンプ押してくれてもいいじゃないか」と。
もっともな言い分です。1000円なら押してもらえるのに、999円だと押してもらえない。その差はわずか1円でしかないのです。999円の買い物がムダになったような、損した気分になってしまいますよね。
999円にスタンプ押してくれない店員さんは、冷たく感じてしまいます。杓子定規で不人情なんじゃないかと。
では、仮に店員さんが人情を発揮して、999円でスタンプを押してくれたらどうでしょうか。押してもらった人は嬉しいでしょう。でも、それを見たほかの人はどうなるか。
「999円で押してくれるんだ。じゃあ998円のオレにも押してよ」と要求する人が出てきますよ、当然。
だって、そうですよね?ホントは1000円で押すのに、1円まけて999円で押したのです。今や、999円もOKになったのです。999円でスタンプ1個になっている。
じゃあ、998円もOKにしないといけない。999円の人が1円まけてもらえたのだから、998円の人だって1円まけてもらえないとおかしいじゃないですか。特定の人だけ1円おまけするのは不平等ですからね。
だから店員さんは、998円の人にもスタンプを押さねばならなくなります。あとはどうなるか、おわかりですね。
次は997円の人がスタンプ押してくれと言い、その次は996円の人がスタンプを求め、そのまた次は995円の人がやって来ます。無限後退です。
そして、1000円1ポイントのスタンプカードは破綻するのです。
こういうことが起こりえるから線引きは大事なのです。999円が認められないのは、たしかに冷たく感じます。しかしそこで温情を出してしまうと、ルールがメチャクチャになってしまう。ルールを維持するために、たとえ冷たく思われようとも、線を引かねばならないのです。
このことは、客商売をやったことのある人なら感覚的に理解できるでしょうけど、そうじゃない人はわからないことが多いのです。それで店員さんに、「1円しか違わないんだからスタンプ押せよ」って詰めよったりする。困ったものです。
ことはスタンプカードだけにとどまりません。それ以外にもいろんな、「どうしても線を引かねばならない」場面があります。
このスタンプカードの例を教訓として覚えておいてください。そして、「その線引き、冷たくない?」と感じるようなことがあれば、思い出してください。
そこで温情をかけてもらったら、ルールが破綻しませんか?ルールが破綻することによって、相手側に迷惑をかけることになりませんか?自分ひとりが得をするために、ほかの人々に損をさせたり混乱をもたらしたりしてはいませんか?
線引きは大事です。わきまえるところはわきまえましょう。
あなたはいい大人です。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
卒業シーズン。テレビニュースで、卒業式の様子をいくつか観ました。「マスクの着用は現場の判断で」とされていましたが、学校によって、全員着用だったり、個人の自由だったり様々。僕が観た範囲だと、外していた学校がわりと多めでした。
で、式の最中はマスクしてたけど、集合写真撮影のときは外してたところもあったんですね。これ、脱マスクのためのヒントになるんじゃないかって思ったんです。
マスク生活が長く続いたせいで、今さらマスク外せない、マスクを外すことに抵抗がある、という人が少なからずいます。特に若い人の間に多い。新しく生まれた「顔パンツ」という言葉が表しているように、今や素顔をさらすことは、羞恥を催してしまう行為なのです。
しかし、そういったマスクを外すことに抵抗がある人も、「儀式」というきっかけがあれば外せるのではないでしょうか。「決まりごと」として「みんな」で「同時」に外す。そのようなきっかけがあれば、「みんなで外すからそれほど恥ずかしくない」という心理、いわば一種のノリみたいなかんじで思いきって外せてしまうんじゃないか・・・。そう思ったのです。日本人は「みんな一緒」が好きですしね。
もちろん、どうしても外したくないという人もいるでしょうから、無理強いするのはよくないし、個人の意思は最大限尊重されるべきです。ですが、このコーナーで何度か書いてきた通り、マスクには他人との距離を拡げる働きがあります。
マスクは、自分と周囲との間の遮断幕として機能しますし、顔を隠すことは心を隠すことにもつながります。マスクを外しているより、着けているほうが、人間関係が希薄になりやすい。マスクを着けているほうが、より友達が少なく、恋人もできにくくなってしまう。人付き合いを充実させたいなら、断然マスクを外していたほうがいいのです。
僕は、今の若い人たちに、コロナのせいで人間関係が貧しくなるような事態に陥ってほしくないのです。なので、「儀式」はひとつのいいきっかけになるのではないか、これをうまく利用すれば、さほど恥ずかしさを感じることなくマスクを外せるのではないか、と思ったのです。
卒業式以外にも、集団で行う「儀式」、もしくは儀式に準じるイベントがあります。それらをきっかけとして利用すれば、若い人たちの脱マスクは進むのではないでしょうか。
この問題、責任者の人に真剣に検討してもらいたいですね。
なかなか固い。前は箱入りでしたよね?フツーのチョコレートに見えて、外側チョコで中は焼き菓子。焼き菓子にチョコがしみてます。
線引きの大切さについて話します。線引き、線を引くということ。
たとえば、スタンプカードありますよね。1000円買い物するごとにスタンプ1個押されるカードがあるとしましょう。
このようなカードの場合、999円の買い物をした人が不満をもらしがちです。「たった1円足りないだけなんだから、スタンプ押してくれてもいいじゃないか」と。
もっともな言い分です。1000円なら押してもらえるのに、999円だと押してもらえない。その差はわずか1円でしかないのです。999円の買い物がムダになったような、損した気分になってしまいますよね。
999円にスタンプ押してくれない店員さんは、冷たく感じてしまいます。杓子定規で不人情なんじゃないかと。
では、仮に店員さんが人情を発揮して、999円でスタンプを押してくれたらどうでしょうか。押してもらった人は嬉しいでしょう。でも、それを見たほかの人はどうなるか。
「999円で押してくれるんだ。じゃあ998円のオレにも押してよ」と要求する人が出てきますよ、当然。
だって、そうですよね?ホントは1000円で押すのに、1円まけて999円で押したのです。今や、999円もOKになったのです。999円でスタンプ1個になっている。
じゃあ、998円もOKにしないといけない。999円の人が1円まけてもらえたのだから、998円の人だって1円まけてもらえないとおかしいじゃないですか。特定の人だけ1円おまけするのは不平等ですからね。
だから店員さんは、998円の人にもスタンプを押さねばならなくなります。あとはどうなるか、おわかりですね。
次は997円の人がスタンプ押してくれと言い、その次は996円の人がスタンプを求め、そのまた次は995円の人がやって来ます。無限後退です。
そして、1000円1ポイントのスタンプカードは破綻するのです。
こういうことが起こりえるから線引きは大事なのです。999円が認められないのは、たしかに冷たく感じます。しかしそこで温情を出してしまうと、ルールがメチャクチャになってしまう。ルールを維持するために、たとえ冷たく思われようとも、線を引かねばならないのです。
このことは、客商売をやったことのある人なら感覚的に理解できるでしょうけど、そうじゃない人はわからないことが多いのです。それで店員さんに、「1円しか違わないんだからスタンプ押せよ」って詰めよったりする。困ったものです。
ことはスタンプカードだけにとどまりません。それ以外にもいろんな、「どうしても線を引かねばならない」場面があります。
このスタンプカードの例を教訓として覚えておいてください。そして、「その線引き、冷たくない?」と感じるようなことがあれば、思い出してください。
そこで温情をかけてもらったら、ルールが破綻しませんか?ルールが破綻することによって、相手側に迷惑をかけることになりませんか?自分ひとりが得をするために、ほかの人々に損をさせたり混乱をもたらしたりしてはいませんか?
線引きは大事です。わきまえるところはわきまえましょう。
あなたはいい大人です。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
卒業シーズン。テレビニュースで、卒業式の様子をいくつか観ました。「マスクの着用は現場の判断で」とされていましたが、学校によって、全員着用だったり、個人の自由だったり様々。僕が観た範囲だと、外していた学校がわりと多めでした。
で、式の最中はマスクしてたけど、集合写真撮影のときは外してたところもあったんですね。これ、脱マスクのためのヒントになるんじゃないかって思ったんです。
マスク生活が長く続いたせいで、今さらマスク外せない、マスクを外すことに抵抗がある、という人が少なからずいます。特に若い人の間に多い。新しく生まれた「顔パンツ」という言葉が表しているように、今や素顔をさらすことは、羞恥を催してしまう行為なのです。
しかし、そういったマスクを外すことに抵抗がある人も、「儀式」というきっかけがあれば外せるのではないでしょうか。「決まりごと」として「みんな」で「同時」に外す。そのようなきっかけがあれば、「みんなで外すからそれほど恥ずかしくない」という心理、いわば一種のノリみたいなかんじで思いきって外せてしまうんじゃないか・・・。そう思ったのです。日本人は「みんな一緒」が好きですしね。
もちろん、どうしても外したくないという人もいるでしょうから、無理強いするのはよくないし、個人の意思は最大限尊重されるべきです。ですが、このコーナーで何度か書いてきた通り、マスクには他人との距離を拡げる働きがあります。
マスクは、自分と周囲との間の遮断幕として機能しますし、顔を隠すことは心を隠すことにもつながります。マスクを外しているより、着けているほうが、人間関係が希薄になりやすい。マスクを着けているほうが、より友達が少なく、恋人もできにくくなってしまう。人付き合いを充実させたいなら、断然マスクを外していたほうがいいのです。
僕は、今の若い人たちに、コロナのせいで人間関係が貧しくなるような事態に陥ってほしくないのです。なので、「儀式」はひとつのいいきっかけになるのではないか、これをうまく利用すれば、さほど恥ずかしさを感じることなくマスクを外せるのではないか、と思ったのです。
卒業式以外にも、集団で行う「儀式」、もしくは儀式に準じるイベントがあります。それらをきっかけとして利用すれば、若い人たちの脱マスクは進むのではないでしょうか。
この問題、責任者の人に真剣に検討してもらいたいですね。
そして、花粉がなきゃすぐにでもマスクを外したい
そんなんしなくていいよ
って思いながら、自分はしてます
気が向いたら
大問題にならないやつはすぐに言っちゃいますね
覚えてたら
あと、面白かったら
まあ、なったらなったで今度は黙ってやるだけです
多分
問題になったことがないのでわからんですが