ある日ふと気付いたのだが、熊本弁(及び、それに類する九州弁)には「嫌い」という言葉がない。
これは、「嫌い」と言わない、嫌いという感情表明がなされない、ということではない。
標準語の「嫌い」に直接対応する言葉、「嫌い」にイコールで結び付けられる言葉がない、ということである。
どういうことか。
まず「好き」だが、これは熊本弁では「好き」もしくは「好いとる」である。好きの否定形「好きじゃない」は「好かん」である。で、「嫌い」もまた「好かん」であり、「嫌い」の否定形「嫌いじゃない」は「好かんこたなか」である。
「嫌い」は「好き」の否定形によって表されているのである。
遠まわしの、ややひねった言葉で「嫌い」は伝えられるのだ。
では、何故こうなっているのか。
これは、争いごとを好まない熊本の穏やかな県民性が、否定的な言葉を直接表明することを避け、もって回った言い方をさせている…といった説明づけも可能だが、こんなのはこじつけに過ぎない。そもそも、遠まわしな言い方、という視点自体が、標準語との比較において成立するのであって、熊本弁内部の世界では「好かん」は直接的表現である(それしか言葉がないのだから)。
まあ、そうなっているのはただの偶然、でしょうな。
オススメ関連本・水村美苗『増補 日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』ちくま文庫
これは、「嫌い」と言わない、嫌いという感情表明がなされない、ということではない。
標準語の「嫌い」に直接対応する言葉、「嫌い」にイコールで結び付けられる言葉がない、ということである。
どういうことか。
まず「好き」だが、これは熊本弁では「好き」もしくは「好いとる」である。好きの否定形「好きじゃない」は「好かん」である。で、「嫌い」もまた「好かん」であり、「嫌い」の否定形「嫌いじゃない」は「好かんこたなか」である。
「嫌い」は「好き」の否定形によって表されているのである。
遠まわしの、ややひねった言葉で「嫌い」は伝えられるのだ。
では、何故こうなっているのか。
これは、争いごとを好まない熊本の穏やかな県民性が、否定的な言葉を直接表明することを避け、もって回った言い方をさせている…といった説明づけも可能だが、こんなのはこじつけに過ぎない。そもそも、遠まわしな言い方、という視点自体が、標準語との比較において成立するのであって、熊本弁内部の世界では「好かん」は直接的表現である(それしか言葉がないのだから)。
まあ、そうなっているのはただの偶然、でしょうな。
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