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Go! Go! 後藤光雄

鈴鹿市議会議員 後藤光雄。鈴鹿に生まれて鈴鹿に住んで鈴鹿にやってきて「本当に良かった」といえる、まちづくりをともに!

失敗は楽しさの仲間

2009-09-27 22:55:30 | 語呂・語録
なかいま強「黄金のラフ」から、元気の出る言葉をいただきました。

「おじいちゃんは、演奏を失敗しないの?」
「うまくできるか心配しないの?」

『失敗はしょっちゅうするさ。』
『でも心配はしないな。』

『今日うまく吹けるかどうか…
いつだって楽しみに思うだけさ。』

「失敗も楽しみなの?」

『失敗を知らない人間に、成功の喜びは理解できないだろ?』
『失敗ってのは、楽しさや喜びの大切な仲間なんだからな』

「失敗は、楽しさの仲間?」

『あとは、その喜びを分かち合える人がそばにいれば、言うことなしだ。』

「おじいちゃんには分かち合える人がいるの?」

『ああ、いるとも』
『店の客や、お前や、家族や…いっぱいいる。』
『だからわしは、周りにいる人間が一緒に楽しくなれることをいつだって…』
『願いながらラッパを吹いとるよ。』


失敗を怖れる気持ちが理解できないわけではないけれど、
発言も、トライ(挑戦)もしない子供が増えている気がして残念です。

なんでも自分に跳ね返ってくるとしたら、
子どもが安心してチャレンジできる、見守り方をしてあげた方が・・・

「子供たちに体験させるのは、大人の義務」なのだから。




鈴鹿市議会議員 後藤光雄

鳥に思う

2009-07-08 04:18:42 | 語呂・語録
 発想の豊かさを、個性を磨くヒントにと、切り抜いていたものです。

鳥に思う
                        森 政弘(自在研究所社長)

 鳥は、いろんなことを感じさせ、また教えてくれる動物である。
創造性開発は、今や時代の最重要課題の一つになってきたが、かって私が奉職していた東京工業大学の制御工学科では、この事態を見越して、十数年前から学生の創造性を養ういくつかの授業を行ってきている。その中に二年次の前学期に行う創造工学演習というものがあった。

 その授業では、とらわれない考え方や、ものごとの実体を見抜く眼を育成することが、目標となっている。そのための宿題として私はこんなテーマを出した。

「鳥は、揺れる電線にとまっていて、なぜ落ちないのか。」

 一週間後にレポートが出てきた。しかし、それを繰ってみると、平凡な答えが多過ぎていささか閉口した。いやしくも、物理の授業ではなく、創造性を開発する授業である。
それなのに、まさに工業大学の学生というべきか、八割以上が物理で答えてきている。

「電線が風その他で揺れて、自分の体の重心が電線よりも後ろに行きかかると、鳥は頭を動かして重心が前へ来るように操り、重心が前に行こうとすると、しっぽを動かして重心が後ろへ移動するように調整し、つねに重心が電線の真上にあるように制御しているからです。」というのが大部分をしめていた。

もちろん、これは間違いではない。間違いではないからといって、良いわけではない。
とにかく固定観念を打破することが目的の授業である。物理学や力学の世界だけからしかものが見られないようでは、創造性が身に付いたとはいえない。
だが、少数ではあるが、けっこういける答案もあった。その一つはこういうのだった。

「ぼくは、この宿題が出てからは毎日電線に止まっている鳥を探し続けました。授業の時は窓際に座り、学校の行き帰りには電車の窓から外を眺めるなどして、懸命に探しました。
しかしこの一週間、ついぞ電線に止まっている鳥は見かけませんでした。先生、鳥は果たして電線にとまるものでしょうか?でも、レポートを書かなくてはなりませんから、やむなくわが家のカナリヤを観察しましたところ、こんなことを発見しました。
うちのカナリヤは、昼間は止まり木で遊んでいますが、夜眠るときにはブランコに移るのです。」と。

私は、「それでこそ鳥だ。眠る時に揺れるブランコに乗り移る。だから落ちないのだ。
人間ならば、休む時は揺れない方へ移るにちがいない。」と書き添えて返した。

簡明で素晴らしい答案が一つあった。

「先生、鳥は落ちても飛べばいいと思っているからです!」

私はこれに、百点満点で百三十点を付けた。

赤い夕日にシルエットをえがいて飛ぶ雁、初夏の大空を群れをなして踊るつばめなど、渡り鳥を眺める時、表明しがたい大自然の神秘に引き込まれる。
何に引かれてかは知らないが、彼らは親子うち揃い、困難をものともせずに、自ら何千キロメートルもの大旅行に出発する。

 その時、すずめは知らん顔で、後ろからついていくようなことはしない。どちらも立派なものである。人間はこの姿勢を見習うべきではないか。

 彼らは何のために渡るのか?・・・・欲得に汚れたわれわれ人間の目には、餌のため、と映るかもしれない。そして客観的にはそれも事実であろう。しかし、主観的な鳥の心情としては、食うためとういうような欲得はないのであろう。鳥に聴いたわけではないが、おそらく、
「こっちへ、いらっしゃーい」
という母なる大地の声が聞こえ、ちょうど、ママの膝へ向かってまっしぐらに走り寄る子供のように、その声の方向に無心に飛んでゆくのであろう。

 だが、無心に行ったその先には、ちゃんと餌が用意されている・・・・ように大自然というものは仕組まれているのである。


鈴鹿市議会議員 後藤光雄

己こそ 己の寄る辺

2009-03-10 16:16:51 | 語呂・語録
 己こそ 己の寄る辺

 己をおきて 何に寄る辺ぞ

 よく整えられし 己にこそ

 まこと得難き 寄る辺をぞ得ん


どこで目にしたか忘れましたが、仏教の教えのひとつのようです。
「自分」をしっかり持つこと。
「他人のせい」にはしないこと。
「起こることは、自分の成長の糧」
「一喜一憂に動かず、心を整えて」

などと自分に言い聞かせています。

社会人とは、自立した人の集まりであってほしいですね。
自立するという事は、他人と違うことを認められるということ。
だから、社会に出る前の子どもを育てる学校の役割は
「自立」できるようにすること。

立場上、いろんなことに出会います。
本質を見極める、目と心を持ちたいと思っています。


そんな自分を、世の中でどう生かすか。
これが人生のテーマです。 

スポーツの考え方(岡野俊一郎)

2009-01-19 17:07:26 | 語呂・語録
中日新聞の夕刊「この道」に96回連載された日本サッカーの重鎮である岡野俊一郎さんが寄稿を終えるにあたって「スポーツについて」書かれていたものです。

 「スポーツは人間だけが持つ同質文化(ユニバーサル・カルチャー)で、文明が進めば進むほど、健やかな心と身体を育てあげる上で欠くことのできない身体活動」である。そしてスポーツと体育とは違うことを理解してほしい。
 スポーツは中世ヨーロッパで、生活にゆとりが出てきたときに「遊び心」から生まれた。しかし、スポーツは単なる遊びにとどまらなかった。スポーツは自然と向上心、闘争心、集中力など精神面を鍛えると同時に、持久力、敏捷性など身体能力を高める。このような教育的要素を抽出して教科にしたのが体育である。したがって、スポーツは自らの意思でやるもの、体育は与えられるものだ。
 文明が進むと、これまで人間がやってきたことを機会がやるようになる。そこでの問題は生活の中にあった身体的刺激の減少である。人体を構成する細胞の生命活動は適正な刺激が必要だ。それによって正常な発育・発達が可能になる。簡単に言うと「汗をかかない生活は快適だが、危険」であり、「字を読み書きし、顔を合わせて会話をしないと脳細胞は活性化しないし、本当の意味のコミュニケーションはできなくなる」のだ。
 中央教育審議会委員の時、私はコンピューターの義務教育導入に反対した。これは適時性からの反対で、当然だが、コンピューターに反対したわけではない。今日、パソコンや携帯電話は生活の必需品だが、子どもにとっては危険な道具でもある。座ったまま、一人でやれるので、汗をかくことがないし、仲間と共同で仕事をすることがない。単なる文字のやりとりをコミュニケーションと錯覚する。
 また、スポーツは老化現象を少しでも先延ばしするうえでも必要な身体活動であり、第一線から離れた人の交流の場にもなろう。
 21世紀、文明はますます進歩する。だからこそスポーツの重要性はより高くなることを認識してほしいと思う。
 
簡潔に述べられた文章ですが、子どもたちの健やかな心と身体を育て上げようとしている教育者の一人として忘れてはならない教えです。

僕が踊れば必ず雨が降る

2008-11-15 07:08:42 | 語呂・語録
代議士を目指す友人 
鈴木英敬さんのお話の一節にありました。
あとで聞きなおすと、原文を教えてくださいました。

パパイヤ鈴木さんのブログから・・・

できる人とできない人の区分けって、僕はないと思う。
あるのは、やる人とやらない人だけです。
重要なのは、やる気であって才能ではないんです。
あるとき、
「僕が雨乞いの踊りをやると百パーセント雨が降ります」
という若者がいましてね。
よくよく聞いてみると、雨が降るまで踊るからって(笑)。
深いなぁ、
いいなぁと思いましたね。


すごいですね。
気持ですね。
なんか、また元気が出てきました。

ゲルマン魂と大和魂

2008-10-16 07:03:48 | 語呂・語録
日本サッカーを東京オリンピックでベスト8
メキシコオリンピックで銅メダルに導いた
ドイツのデットマール・クラマーさん

中日新聞夕刊の「この道」岡野俊一郎さんの自叙伝にクラマーさんとの出会いが語られています。

彼の部屋に飾られた額に書かれていたのは・・・

「目、それ自体は見ることができない。
耳、それ自体は聞くことができない。
ものを見るのは精神であり、
音を聞くのは精神である」(ギリシャの哲学者の言葉)


サッカーのワールドカップで幾度と奇跡の大逆転をしてきた
ドイツチームの強さはこの精神だ。

メキシコオリンピックで戦った日本選手に「私は大和魂を見た」
と言ったといわれるクラマーさん。


肉体がくたくたでも走らせてしまう、戦わせる
この「精神力」はどうやって身につけるのだろう・・・


日々のトレーニングとは、肉体の限界に精神的限界を近づけることだ
と聞いたことがあります。

「もうやめとこう」という時に「もう一度」「あの電信柱まで・・」
と、もう一歩足を出すことが、肉体の限界も引き上げてくれるのだろう。


もちろん技術の習得は必要です。
今の日本の教育に必要なのは、
この心を持たせることことなのではないだろうか。

風が吹く

2008-10-16 06:10:52 | 語呂・語録
10月5日付 朝日新聞32面TVダイアリーから・・・

「ネットカフェ難民」などのドキュメンタリー番組の制作をする水島宏明さんがドラマの雑用でクサっていた時に頂いた言葉だそうです。

「人にはいつかその身の丈に合った風が吹く。消してあきらめるな」と。

クサってはいたものの、ギラギラした目をしていたのでしょう。
まずは自分の目標を目指す気持ちが大切ですが、
今の作業にも目的達成のためのヒントがあることを見つけられたら
クサっている暇はなくなります。

高校時代、目標に向かって真っすぐ昇っていくのが大切だ。と
思い込んでいた私に、美術の蒲谷先生が
「山を登るにはルートがいくつもあるじゃないか」って言ってくださった。

目標を見失わなければ、真っすぐ昇ることにこだわらず、
回り道したり、アップダウンしながら登ったほうが
自分の幅は広がるような気がしました。

「吹く風」を感じられる様な心をもって
過ごしたいものです。

生きることは旅することだ

2008-09-09 18:44:48 | 語呂・語録
太陽と海の教室から・・・

生きることは 旅をすることだって言う人がいる

旅ってなんだろうな
例えば 目隠しをして
ヘッドフォンしてする旅行って 旅行って言えるか?

旅してるとさ 時々立ち止まりたくなるんだ

立ち止まって
自分は今 どこへ向かおうとしているのか
ここにはどんな景色が広がっているのだろうか とか
周りの人はどんな人と一緒に居るんだろうか とか
見てみたくなるんだ

山道なのか 海沿いの道なのか
隣の人は笑っているのか 泣いているのか
時々立ち止まって周りを見てみないと
思い出のない旅行になってしまうんだ

思い出のない人生じゃ 何のために生きているのか
わからなくなるんじゃないかな


(生きること・・・)

今日まで僕が見てきたもの 
僕が行った場所 僕が出会った人
この世界にはありとあらゆることがある

だけど 僕たちはその一部しか見ることができない
だからぼくたちは
できるかぎり旅をし 人と出会うべきなんだと思う

生きてればいやなこともあるだろう
いやな人に出会うこともあるだろう

それでも君は 生き続けなければならない

君は17歳だ 

君が過ごしてきた時間は 
君がこれから生きる時間のほんの一部なんだから

君が生きてきた場所は
君がこれから行く世界のほんの一部なんだから

君はまだ人を嫌いになるほど 人と出会っていない

君はまだ世界が嫌いになるほど どこにも行っていない

君はまだ生きることに絶望するほど 生きてはいない

君が知ってるその小さな世界から出れば
ただ まだ希望がある
君が信じた数だけ希望はある

どうか信じてほしい この世界は君が思うより
ずっとずっと眩しく ずっと美しく

あの太陽と海のように君を迎え入れてくれる


クラスメイトを失ってしまう
名前を叫ぶ姿を見て
高校時代の恩師を思い出してしまいました。

先生はサッカーで活躍し、2浪したものの国立大学に入っていた。
そんな兄さんと比較された言葉をいつも浴びて育った弟さんが、
受験に失敗して自ら命を絶ってしまったという。
だから、先生は決して比較をしなかった。
一人ひとりを観てくれていた。
「馬鹿」とか「だめだ」とか言われた記憶もありません。
ただ僕らを観る顔が、悲しい顔の時は「じっくり考えてくれ」
と言っているんだと伝わったものでした。

だから僕らは夢を追いかけてボールを蹴れたんだと思う。
先生に心から感謝です。
「平林正光」先生。本当にいい先生です。

教師という仕事

2008-09-04 06:16:19 | 語呂・語録
9月1日の太陽と海の学校から・・・

対立意見をぶつけた理事長に、学級担任を外されてしまった桜井先生に
副担任が、
「丸一日拘束されるほど仕事が多い割に給料だっていいわけじゃないし、
何かあったら教師のせいにされる。
どれだけ生徒たちのために頑張っても、彼らは全然感謝してくれない。

こんなに割の合わない仕事ってないと思う。

どうして辞めないのですか?
担任から外されて、こんなことまでして、
どうしてそんなに頑張れるんですか?」

「桜井先生だったらもっと他にやりがいのある仕事がいっぱいあると思う。
もっと結果が出せる仕事があると思う。」

桜井先生(織田裕二)が言います。

「教師の仕事は、ゴールに着くことじゃない。
教師はいつもスタートラインに立っている。どこにゴールがあるのか見えない。

俺たちは唯、スタートラインに立って、生徒たちの背中を押す。
彼らが走り出すのを見送る。彼らの背中を見送り続ける。

俺たちにゴールはない。
だけど結果はいつか彼らがゴールにたどり着いたときに笑顔が知らせてくれる。

それだけで充分割に合うんじゃないかな。」

「何があっても放り出しちゃいけない仕事があるんだ。
這いつくばっても、しがみついても途中でやめちゃいけない仕事がある。
教師はそんな仕事なんだと思う。

少なくとも3年1組の生徒たち全員が、卒業証書をてにするまで
おれはこの学校に居たいんだ。
ここに居たいんだ。」


教員採用試験に絡む事件に対処する姿勢
教育委員会、マスコミ・・・

考えさせられます。

子どものことを一義的に考えると・・・
採用試験、採用基準にある問題点・・・

生徒と先生の間に通う「気」がつながることを期待していますが・・・


大切な友達を失ってしまう。
来週も楽しみです。



凧は向かい風で飛ぶ

2008-09-04 05:49:17 | 語呂・語録
A kites rises against the wind!

凧は向かい風で飛ぶ

凧は流されて飛ぶんじゃない

風に向かって飛ぶんだ

「困難に立ち向かうほど成長する」というたとえに使われる・・・

「太陽と海の教室」で使われました。


流されると、流れるの違いは大きいですね。

自分の体の上・下がわからないとき
つばを吐けば天地がわかる!

雪崩に巻き込まれたら
泳ぐようにして体を浮かすようにするといい・・・


「善し悪しに 触れて流れる 清水かな」
葦(よし)葦(あし)に触れて流れて きれいになる。

善し悪しに触れて流れて きれいな心を持ちたいものです。