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per l/a psicoanalisi

Il sintomo analitico

2016-07-29 21:00:33 | 試訳
「分析的症状」

症状は、精神分析への接近の扉である。その精神分析は目標と限界として言葉を通して(話す存在の肉と精神の中で噛みつく苦しみに関する)症状を扱う事実を持っている。勿論、パロールが大きな影響を持つことを知るため精神分析の必要があったのではない。宗教、魔術、そして最後に到来した現代科学は、言葉 parole、儀式 pratiche、祭式 riti や公式 formula でもって現実性〔リアリティ〕の上に大きな影響を与えることが出来ることを示している。医学は、特に、最初からずっとパロールが治療することを知っている。

私たちは、もやは医者にではなく、まず最初にそれに苦しむ人に「話す」症状を、分析的と呼ぶ。まだ一人の精神分析家に尋ねる以前に、人間存在は、症状が彼が耐える苦しみの向こう側に何かの印 segno を彼になしていることを捉え、このように人は概して、(真か偽かである)一つの前-解釈 una pre-interpretazione を与える。彼は、未知のシニフィエからのあるメッセージの尺度でそれを読もうとする。

しかし、それを正確に読み、解釈するために、分析的症状は無意識のシニフィアン連載の発動を要求する。その場所で、それは主体のメタファーとして、つまりその特権的シニフィアンとして現れる。分析的経験において症状は、転移の下で行われる解釈によって、屈折し、移動し、相互作用を及ぼす傾向がある。

症状と解釈はこのように、同じシニフィアンの布地 stoffa significante でできていることを示す。しかしこの包み involucro でできた、(この布地の向こう側にある)症状は、パロール続いて象徴的なもの〔象徴界〕の秩序によって捕獲されるがままになることに根本的に抵抗力のある一つの核 un nucleo により構成されている。

ラカンは、この象徴化が不可能なことを享楽と呼ぶ。実際、主体がなしで済ますことのできない、(ある種の快楽とともにわき出る)不快な思いが問題である。ただ一つの分析の経過においてのみ、主体は通常はそれに付随するより不快な思い無しで、この享楽の亡骸の周りに置かれることができるだろう。その機能の更新された使用法によって、(イタリアでも1600年代に流行った)古代の書記法に遡りつつ、ラカンはサントーム sinthomo という用語でもって症状を名付ける。

Antonio Di Ciaccia

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