道路にいくつもの花びらが落ちているのを見て探してみると,風車のような5枚の花弁の小さな白い花でした。
家に帰って調べてみると、テイカカズラでした。
テイカカズラという名は、謡曲の「定家」に由来するそうです。
平安時代の終わり頃、後白河法皇の第三皇女式子内親王は幼くして賀茂斎院となり十年にわたって神社に奉仕していたが、病のために退きました。
この頃、歌人として有名な藤原定家が皇女を慕っていたが、皇女は独身を守って49歳で病気のため亡くなってしまいましたが、それでもなお皇女を慕った定家は蔦葛(つたかずら)となって、皇女の墓石にまつわりつきました。
ここまでなら定家はなんて一途で情熱的と思いますが、好みでない人から好かれて・・・
つづきは、皇女の霊が、自分の墓に蔦葛がまつわりつく苦しみを旅の僧に訴えるというものだそうです。定家は亡くなった人にまでストーカーをして、魂魄まで苦しめたと言う話です。ストーカーはやめましょう。
杉の木に絡みつくテイカカズラの蔦(つた)。
日光を求めて上っていく。
手前の葉はテイカカズラの葉。上の方から蔦が降りてきている。
不思議なことに杉の木の真ん中あたりでこんがらがるように絡みつき、この杉の木の上の方までいかない。
上の2枚の花の写真は蔦が上の方から降りてきて咲かせた花で、見上げると満開でした。
(Canon IXY DIGITAL 510IS)
家に帰って調べてみると、テイカカズラでした。
テイカカズラという名は、謡曲の「定家」に由来するそうです。
平安時代の終わり頃、後白河法皇の第三皇女式子内親王は幼くして賀茂斎院となり十年にわたって神社に奉仕していたが、病のために退きました。
この頃、歌人として有名な藤原定家が皇女を慕っていたが、皇女は独身を守って49歳で病気のため亡くなってしまいましたが、それでもなお皇女を慕った定家は蔦葛(つたかずら)となって、皇女の墓石にまつわりつきました。
ここまでなら定家はなんて一途で情熱的と思いますが、好みでない人から好かれて・・・
つづきは、皇女の霊が、自分の墓に蔦葛がまつわりつく苦しみを旅の僧に訴えるというものだそうです。定家は亡くなった人にまでストーカーをして、魂魄まで苦しめたと言う話です。ストーカーはやめましょう。
杉の木に絡みつくテイカカズラの蔦(つた)。
日光を求めて上っていく。
手前の葉はテイカカズラの葉。上の方から蔦が降りてきている。
不思議なことに杉の木の真ん中あたりでこんがらがるように絡みつき、この杉の木の上の方までいかない。
上の2枚の花の写真は蔦が上の方から降りてきて咲かせた花で、見上げると満開でした。
(Canon IXY DIGITAL 510IS)