大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

☆奇妙な恐怖小説群
☆ghanayama童話
☆写真絵画鑑賞
☆日々の出来事
☆不条理日記

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

☆分野を選択して、カテゴリーに入って下さい。

A,日々の出来事

☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

B,日々の恐怖

☆( 日々の恐怖 )

C,奇妙小説

☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の出来事 9月27日 ベン・ジョンソン

2018-09-27 11:08:20 | A,日々の出来事_





  日々の出来事 9月27日 ベン・ジョンソン






 今日は、ベン・ジョンソンのドーピングが発覚し、オリンピックの金メダルを剥奪されると同時に、その記録も抹消された日です。(1988年9月27日)
 1988年9月24日、ベン・ジョンソンは、ソウルオリンピックの100メートル決勝で9秒79の驚異的な世界新記録でカール・ルイスを抑えて優勝しましたが、2日後、筋肉増強剤のスタノゾロールを使用していたことが発覚し優勝取り消し、2位であったカール・ルイスが、9秒92の世界新記録で100mの覇者となりました。
 このベン・ジョンソンの記録は、2002年にティム・モンゴメリが9秒78を出すまで、ギネスブックに“薬物の助けを得たにせよ、人類が到達した最速記録”と言う但し書き付きで記録されていました。
当時の表現で言うと、“世界最速の男”が“世界最悪の男”になってしまいました。







  ベン・ジョンソン














☆今日の壺々話









    イタリア旅行




ローマの繁華街ベメスト通り(2000年7月12日)

「 いい天気だなァ~。
 あれっ、あそこに10歳ぐらいの少女がいるぞ。
 こちらを見ているが、どうしたのかな・・・・・?
 言葉が分からないかも知れないが、声をかけてみるか・・。
 あの~、お嬢ちゃん、どうしたの?
  ん、お腹に手を当てて・・・・。
 あっ、分かった、お腹ペコペコなのか・・。
 じゃ、これで何かを買いなさい。」

「 いただきぃ~、ぴゅ~!!」

「 うわっ、財布ごと引っ手繰られた!
 こら~っ、ワシを誰だと思ってるんだ!
 バカな奴だ、逃げられる訳が無いだろ!
 それっ、全速力だ!」

“ タタタタタタタタタタタ・・・。”

「 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。
 必死に追い駆けたのに・・。
 に、逃げられちゃった・・・・。」 Σ(゚Д゚;)ノ・・・!

ベン・ジョンソンの財布の中には、現金1千万リラ(約53万円)と免許証が入っていました。















    運動音痴にありがちなこと





・障害物もないのにこける。

・パスが貰えない。

・とりあえずやる気がないことをアピール。

・ボールはライバル。

・ボールがきてもドリブルを一切しない。
 その場でパス。

・スキップすると途端に動きが中国産ロボットのようになる。

・よく迷子になる。

・ドッジボールではだいたい避け専門か外野。

・ポジションはライト、
 しかもフライがきてもとれない。

・後ろ向きで走ってきた奴の背中にあたる。

・バスケで邪魔にならないように走り回る。

・持久走で一番大きな拍手を受ける。

・跳び箱は跳べない。

・二人組作れない。

・ボールを認識するのが一般人より2秒遅い。

・跳び箱直前にキョンシーのステップになる。

・歩くと疲れる

・水泳の息継ぎがいまだにできない。

・クロールをすると溺れてる人みたいになる。

・個人種目は気が楽。

・まぐれで活躍すると歓声が上がる。
















体育祭



 高校最後の体育祭の時、もう運動会なんてどーでもいいや・・・・、と冷めた感じの生徒が多い中で、数少ない青春のメモリーとして有終の美を飾らなければ!、と自分の中だけで妙にテンションが高くなってた。
 そして、私が出場する最後の競技として学年別・団対抗の“動く玉入れ”があり、どういうものかというと、グラウンド上で逃げ回る各団の応援団長の背中にくくりつけられた籠の中に、学年全員参加で追いかけまわして玉を入れるという非常にエキサイティングな競技であった。
 いざ委員の発砲の音で一斉にスタート、目の色を変えて大量に玉を抱え込んで相手方団長を追いかける私。
笑いながら走りまどっていた団長が、ちらりと私のほうを見て、妙におびえたような表情を浮かべた気がしたけど、ハッスル状態の私はそれどころではない。
 スタート地点で、同級生や部の後輩が手を必死で横に振ってくるので、私も負けずに手を振り返す。
その時点で、何で学年全員参加なのに同級生が参加していないのか疑問に思わないほど私は自分を失っていた。
 ホイッスルが鳴り響き各々戻っていく中、ふと参加者に見知った顔がいないことに気づく。
何てことだ、テンション高すぎて三年生の私は間違って一年生といっしょに参加していたらしい。(後日聞いたところによると青色ジャージの中の赤色の私は非常に目立ったとのこと)
 もう周りの目とか一切合財どうでもよくなり、素知らぬふりをして興奮しながら、次の二年生とも一緒に参加する私。
もはやヒンシュクを買うのを通り越し、観衆のみんなはポカンとした顔をしてました。



















ポケット



 ガキの頃、学年に一人や二人変な同級生がいたよな?
鼻くそ食うやつとか、授業中に鼻血出すやつとか、泣くと椅子ぶん回すやつとか。
 俺の同級生には、いつもヘラヘラ笑って何でもポケットに入れる女がいたんだ。
摘んだ花から消しカスまで、手にしたものは何でもポケットに入れやがる。
そいつのズボンは端から見ても膨れ上がっていて湿ってることすらあったから当然のようにハブられてた。
当時は社交的だった俺も何となく気持ち悪くて関わり合いは避けてた。

 そんでまあ、このまま関わらずにクラス替えになればよかったんだがそうもいかなかった。
運動会でダンスを踊ることになったんだ。所謂フォークダンスってやつだ。
出席番号の近い男女がペア組まされることになって、俺とポケット女が組むことになった。
内心ウエッと思ったけど外っつらの良い子だった俺は大人しく従ったよ。

 事件つうか、俺がそれを体験しちまったのは練習時間だ。
ダンスが始まる前、隣あって立ってるだけでも何か悪寒がした。
相変わらずポケットは膨れ上がってるし、何が楽しいのかずっとニヤけてやがる。
 俺の憂鬱な気分とは裏腹に呑気な音楽が流れてきて、仕方なくそいつの手を握った。
俺はこの女の特徴を、今ひとつ飲み込めてなかったんだ。
そう、あいつは「手にしたものは何でもポケットに入れる」んだ。
 ポケットの中の感触は今でもたまに思い出す。
俺の拙い語彙でお前らに伝わるかは分からないが、言うなればあれは蛆の蒸し風呂だった。















部活対抗リレー





 体育祭で部活対抗リレーっていうのがあった。
そしたら、野球部はバトンを普通ならバットにするべきところをグローブとボールにしやがった。
スタートと同時に第一走者が第二走者に遠投。
2から3、3からアンカーへ。
アンカーだけが走ってゴール。
それを見た陸上部のアホエースが、“まけるかー!”って叫んでバトンの代わりに持っていた槍投げの槍を振りかぶったから、周りのランナー全員が必死でタックル、投げるのを阻止。
 次の年、陸上部はハードルを持って普通に走ってたけど、剣道部が木刀で前のランナーを突いて乱闘になった。
科学部は人体模型持って走ってたけど、肝臓や胃が散らばってカオスだった。
俺の学校馬鹿ばっかりだ。



















まみちゃん






 息子が幼稚園の年少組だった時のことです。

「 今日はまみちゃんとどろだんご作って遊んだよ!」
「 今日はまみちゃんと虫を探して遊んだよ!」

息子は毎日のように、まみちゃんという女の子の話ばかりしていました。

 私はよほど仲がいいのだろうと思っていました。
ある時 幼稚園に行く機会があり、園の先生に、

「 いつもまみちゃんと遊んでもらっているみたいなんですけど、何組の子なんでしょうか?」

と、何気なく聞いたところ、

「 まみちゃんですか・・・えぇと、(しばし考えて)そういう名前の子は年少さんにはいませんね~。まなちゃんならいますけど。」

との答えが返ってきた。
 所詮三歳児、きっとまなちゃんとまみちゃんを間違えて言ってるんだろうな~とその時は思いました。
その後も毎日のように、

「 今日はね、まみちゃんは髪の毛をね、こっちは緑色のゴム、こっちはオレンジ色のゴムで縛ってたんだよ~。」
「 まみちゃんイチゴのスカートはいてるんだよ~。」

と、あいかわらずまみちゃんのことばかり話していました。

 そして幼稚園の運動会の日。
息子の行っている幼稚園は園庭が狭いので、運動会は近くの広い運動公園を借りて行われていました。
その日、私は初めて息子に、

「 いつも遊んでいるまみちゃんってどの子なの?ママに教えて。」

と聞いてみました。
 すると、

「 今日はね、まみちゃんいないんだよ。
幼稚園にはいつもいるのに、なんでいないんだろ。」

と寂しそうに言ったんです。
ここで初めて私は何かおかしいと感じ、先生に聞いてまなちゃんという子を見つけ、、

「 いつも遊んでいるのはあの子なんでしょう?」

と息子に聞いてみました。
すると息子は言いました。

「 あの子はまなちゃんだよ。
僕遊んでいるのはまみちゃんだよ。
でも今日いないんだよ。」

どういうことだろう。
たまたま今日の運動会は休んだんだろうか。
 でも先生もまみちゃんという子はいないと言っていた。
まさか・・・と言う思いはあったんですが、その時はあまり深くは追求せずに終わりました。

 それから何日かが過ぎ、いつのころからか息子は「まみちゃん」のことを口にしなくなりました。
あれほど毎日遊んでいたのに、どうしたんだろうと疑問に思い、ある時息子に聞いてみました。

「 ねぇ、最近まみちゃんのお話しないね。
もう幼稚園でまみちゃんと遊んでないの?」

すると息子は言いました。

「 まみちゃんてだあれ?」
「 あんなに毎日遊んでたじゃない、イチゴのスカートはいてる女の子、どろだんご作ったりしてたでしょ?」
「 知らない、だあれ?」

私は深く追求も出来ませんでした。
 ずっと遊んでいたはずのまみちゃんは 一体誰だったのか、なんだったのか、今だにわかりません。
三歳の息子の作り話? 
それにしては服装や髪型や、ゴムの色まで細かく話してたし。
幼稚園には毎日いて、運動会にはこられなかったまみちゃん。
息子の記憶から まったく消えてしまったまみちゃん。
今、その息子も小学校二年生になります。

















運動会



 単に偶然が積み重なっただけかもしれないけど、俺の爺ちゃんの話。
俺の爺ちゃんは俺が五歳の時に死んだ。
そしてその爺ちゃんの葬式の時に不思議なことがおこったらしい。
 当時幼かった俺は爺ちゃんの葬式のことなんてほとんど覚えてないんだけど、婆ちゃんが言うには爺ちゃんの葬式が始まるとどこからともなく黒アゲハが飛んできて、爺ちゃんの写真の上に止まった。
そしてその黒アゲハは葬式が終わるとまたどこかへ飛んでいったらしい。
きっと爺ちゃんはあの黒アゲハに生まれ変わったんだと婆ちゃんは言っていて、子供の俺もずっとそれを信じていた。

 その後、俺は当然小学生になったんだけど、不思議なことに運動会などの行事がある度に俺は校内で黒アゲハを見かけた。
俺は爺ちゃんが見に来てくれてるんだと思い、本当に嬉しかった。
でも中学になった頃から俺は黒アゲハを見かけなくなった。
運動会の日など、それとなく辺りを探してみても蝶なんてどこにもいなかった。

 黒アゲハを見かけないまま数年たち俺は大学生になった。
そんなある日、中学になった妹の運動会があるというので俺も家族と一緒に見学に行った。
ちなみに妹は爺ちゃんが死んだ一年後に生まれたので爺ちゃんとの思い出はまったく無い。
 運動会を見学しつつ、ふと上を見るとそこには一匹の黒アゲハが飛んでいた。
ただの偶然かもしれないけど、俺には爺ちゃんが妹を見に来てくれたんだと思えて恥ずかしながら数年ぶりに泣いてしまった。


















童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
 大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月26日(水)のつぶやき

2018-09-27 07:59:10 | _HOMEページ_



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。

-------大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ-------