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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の出来事 12月16日 カーネル・サンダース

2018-12-16 09:45:03 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月16日 カーネル・サンダース





 今日は、カーネル・サンダースが亡くなった日です。(1980年12月16日)
カーネル・サンダースは、ケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角を借りて食堂を始めました。
その後、フライドチキンをワゴン車に積んで売り始め、この調理法を教えてフランチャイズ店を増やしケンタッキーフライドチキン王国を築きました。
 そして、カーネル・サンダースのケンタッキーフライドチキンは、宇宙人にも売っています。
アメリカのネバダ州にタイル6万5000枚で面積7,990㎡もある巨大なカーネル・サンダースの顔が、宇宙から見えるように設置されております。
そして、ここを通りかかった行楽帰りの宇宙人は、ちょっと寄ってフライドチキンを買って帰ると言う噂があります。
 カーネル・サンダース人形は日本発祥で、いろいろなものを持たされています。
雨の日には傘を、晴れた日には弓道の弓や釣竿、また、地域によってはスキーまで持っています。
 また、この人形は非常に目立つので、いろいろな迫害に会っています。
特に有名なのが、阪神タイガースのリーグ優勝が決まった1985年、道頓堀店のカーネル人形がランディ・バースに見立てられ、胴上げされた後、道頓堀川に投げ込まれました。
怒ったカーネル人形は阪神タイガースに呪いをかけ、これ以降優勝して日本一になることは無いと言われています。
これが、都市伝説“カーネル・サンダースの呪い”と言われているものです。
 この投げ込まれたカーネル人形は、その後、ある大学のサークルの学生によって引き上げられ部室に祭られていたと言う噂話が流れておりましたが、近年、無事に道頓堀川から引き上げられました。
 他にカーネル人形は電話ボックスから、“帰り道が分からないから、迎えに来てくれ”とケンタッキーによく電話を掛けているようです。
もちろん、迎えに行くとカーネル人形は電話ボックスにおり、係りの人が回収しております。
最近は、カーネル人形は勝手に歩いて行かないようにボルトで固定されていますので、歩き回ることは減っているようです。






  カーネル・サンダース人形
















☆今日の壺々話










ケンタッキーの家庭での作り方




1 鶏(骨付き腿肉1枚)3つに切る。
2 塩を振らないで、塩水で肉をなじませる(水45cc)塩(5グラム)。
3 牛乳(135?)に玉子(1個)を加えてまぜる。
  さらにコーンスターチ(大さじ2)を加え生地を作る。
4 別のボールに薄力粉(大さじ9)
  パプリカ,ガーリック,ジンジャー,オールスパイス,
  チリ,黒ペッパー,オレガノ,パセリ,(各小さじ1弱)
  薄力粉とスパイスを混ぜる。(この粉がケンタッキーの香り!)
5 (揚げ油)固形のショートニングを溶かして使う。【重要】
6 軽く塩水を落として、肉を生地に付ける。
  それからスパイスと薄力粉の混ぜたヤツに全体にギュっと付ける。
7 160℃で7分ぐらい揚げる(このレシピの場合(肉が3つの時))。
  最後に190℃にして30秒~40秒揚げたら完成。















     25歳でハッと気付いたこと




 俺、ケンタッキーのロゴのカーネルサンダースの顔の下の部分が、蝶ネクタイだというのを25歳ぐらいでハッと気付いた。
ずっと手と足だと思ってた。
短い手と足やな~とず~っとオモテタ。















ケンタッキー


 夕方くらいに歩いてて、気配を感じて振り返ったらアヒルがいた。
真っ白いアヒル。
グワグワ言いながらついてきて、どうしよう……と思ってたら、飼い主らしいお爺さんが走ってきて、

「 こらケンタッキー!またお前は柵壊して!」

 ケンタッキーというネーミング・・・・・・。
グワグワ言いながら、お爺さんに寄って行くアヒル・・・・・。
もしかしたら、ケンタッキーは食われると思って逃げたのかも知れない、と今思った。




コメント


ケンタとタッキーだったのかもしれない。

KFC。

服を洗濯してくれる家電か?

それはセンタッキ。

昔朝の6時45分からやってたガチャピンとか出てたやつか?

それはポンキッキ。

ワロタ。














KFC



朝、食事をしていると
だいたい通じをもようして来る
昔からそうだ

だから食事が済んだらすぐトイレへ
そこで歯を磨く
朝は時間がないからw

便秘の人もいるみたいだから
毎日通じがあるのは幸せな事かも


ところで
昔の話だけど
フィリピーナと待ち合わせして食事した
KFCで



歯の丈夫な僕はチキンに少し骨があったのに
気にしないで平気でバリバリ食べた

翌朝
その時は茨城の女が僕の部屋にいた
もう忘れたが前の晩から泊まっていたのだろう

2人で朝食をしたら
いつものように通じが襲ってきた
「食べたら出す」なんて冗談ぽく彼女に言って
即トイレへ

ところがどうも様子がおかしい
出るものがつかえて出て来ない

『もしかして、これが世に言う~痔ってやつか?』
そう思ってトイレから出て苦しくて横になった

心配してくれる彼女
僕は会社に電話して今日は休むと伝えた

しばらく横になっていたが
どうにも苦しくてしょうがない

再びトイレへ

やっぱり出ない

あそこに違和感を感じた僕は
思いきってあそこを触ってみた

すると固い物がある?
『なんだこりゃ!』

なんと昨日食べたチキンの骨が
あそこの出口で横に刺さって
出るのを通せんぼしていたのだ

思いきって指でそれを引き抜いた

その後は出るものが出てすっきり
ただのフン詰まりだったのだ

さすがに昨日KFCでフィリピーナと食事したのは
彼女には言えなかったが

そんな僕を一生懸命看病してくれた
彼女に感謝した

KFCのチキンは美味しいけど
気を付けようね。















都市伝説




 ケンタッキーフライドチキンでバイトしていた人の話。
ある日その店に

「 ワシじゃぁ、ケンタッキーじゃぁ、迎えに来てくれぇ・・。」

という電話があった。
不信に思った店員が外に出てみると、店の表に置いてあるはずのカーネルおじさんの人形が無くなっていた。
店員が店の近所を探し回った所、近くの電話ボックスの中にカーネル人形が入っていた・・・。


それって阪神優勝した時に川に捨てられたカーネル人形が戻ってきたって話しでしょ?


それは福岡県であった実話。
17,8年ぐらい前に福岡で人気だったラジオ番組の投稿テープコーナーの常連が、酔っ払ってカーネルを持ちかえってしまってそういう処置をしてしまったという。
ちなみに、この男は私の大学時代の後輩の高校時代の先輩です。
私は後輩から話を聞く前からこの伝説は知っていましたが・・・・。
福岡では有名な話です。















人形




 うちの近所に、ゴミを分別しないで出す馬鹿女がいた。
何回か注意したのだが、一向に聞き入れてくれなかった。
ある日、その馬鹿女が人形をゴミ捨て場に捨てたんだ。
その日は燃えるゴミの日、なのに不燃ゴミであるべき人形をゴミ出ししやがったのだ。
 むかついたので翌朝早く、その人形を馬鹿女の家の玄関にお返ししておいた。
だが流石、馬鹿女でありました。
それだけでは済まなかったのです。
 二、三日経って俺が野良仕事に出かけると、畑の一角に掘り返された跡が有る。
そこは土を休ませていて作物を作っていない場所だった。
不信に思って掘り返したら、馬鹿女の人形が出てくるではありませんか!
その日の夜に、馬鹿女が帰宅したら文句を言いに言ってやろうと思って、とりあえず泥だらけの人形は持ち帰った。
その日は忙しかったので、人形の事を思い出したのは夜も遅く12時を回った後だった。
 その夜は雨が降っていた、それも土砂降りの雨だ。
とりあえず雨合羽を着て、手に人形を持って馬鹿女の家に向かった。
車が止めてあったので、馬鹿女が在宅してるのは判ったんだが、家の明かりはすでに消えていた。
 雨もひどいし、こんな真夜中に寝てる馬鹿女を起こすは、自分も非常識の仲間入りをしそうな気がした。
馬鹿女に文句を言うのは翌朝にしようと思い、とりあえず人形を玄関先に置いて帰った。
 翌朝、馬鹿女に文句を言うのを忘れた。
まぁ、いいかと思って水に流してやる事にした。

 数日後、母からこんな話を聞いた。
馬鹿女が何日か前の朝、玄関先で悲鳴を上げて気絶して救急車で運ばれていったそうだ。
母が集めた世間話の情報を総合すると、以下という事だったらしい。

1、馬鹿女には妹がいた。
2、馬鹿女は妹の男を寝取って以来、妹とは疎遠だったらしい。
3、妹が事故かなんかで死んだときに、形見分けで馬鹿女母から人形を押し付けられていた。
4、気まずいので人形を捨てたらしい。
5、捨てても捨てても人形が帰ってくるのでパニックを起こして気絶した。
6、人形はその後、供養に出されたそうだ。

俺が悪かったのか?これは?















お話“人形”



 大学時代に友人がいきなり、部屋にある人形が呪われてるって騒ぎだしたんだよね。
んで詳しく聞くと、ヨーロッパに旅行に行った時に買った、ロッキングチェアに座った老人の人形が、とにかく呪われてるって言うわけ。
 呪いの人形の話とかよく聞くけど、実際目にしたことなんてもちろんないから、オレちょっとワクワクしちゃってさ。
それに、もともとそういう心霊の類はいまいち信じてなかったから、人形をもらって本当に呪われてるのか確かめてみようと思ったんだ。
んで、友達からその人形を借りてきてさ、箱から出して見やすいようにテレビの上に置いたんだ。
んで、検証開始ってやつ。

 確かに言われてみれば、人形の顔は妙にリアルでさ、そういう風に見れば呪いの人形ぽい けど、でも探せばどこにでもありそうな代物。
 結局、何事もなく一週間過ぎてしまった。
やっぱり呪いの人形なんてあるわけないって半分安心、半分ガックりしたけど、念のためにもう一週間様子を見ることにしたんだ。
 で、最終的に初日から二週間経ったんだけど、結局何にもなかった。
友達はきっとなんか勘違いしてたんだろうってことで、オレはソイツに報告の電話をしたわけ。
あと、ついでに茶化してやろって(笑)。
今頃、震えてるんだろとか思ってたら友達が電話に出た。

友『 おお○○か、どうだった・・・?』

俺『 お前さ~、ビビり過ぎだよ~(笑)。
二週間も経ったけど何もなかったぜ。』

友『 マヂか・・・。
んで、今人形は?捨てた?』

俺『 いや、さすがに勝手には捨てないよ~。
テレビの上に飾ったんだけどさ、今も初日と同じで、馬鹿みたいに突っ立ったまんまだぜ?(笑)』

そしたら、友達がそこで突然黙りこんじゃったんだよね。
呪いが信じてもらえなくて、そんなにショックだったのかな?














人形



 京都で文楽人形作ってる人から聞いたのですが、人形は魂入れてから殺さなあかんそうです。
魂だけ入れてしまうと、人形は自分が作り物だという事が分からなくなるそうです。
そこで、魂入れてから、お前は人形やぞ、生きてるんと違うぞと殺してしまうそうです。
 確かに人形にまつわる話は洒落にならないものが多いですね。
こういう話は手作りの人形だけのものと思っている人もいるでしょうが、必ずしもそう限った訳ではありません。
大量生産のビニール人形だって怖い話はあります。


 結婚した友人夫妻から、新居に夕食のご招待を受けました。
2DKのこじんまりとしたアパートです。
 馬鹿話していたのですが、その友人夫婦が突然、「この部屋、何か感じない?」と言います。
心持ち顔が青ざめていました。
幽霊でもいないかと怖がっている様子です。
別段、何かがいる感じはしません。
そう伝えると、

「 夜中にな、話し声がするんや。」

と言います。

「 ボソボソと低い声で聞こえるねん。
台所から聞こえるんや。
安普請やからお隣かと思ったけど。
子供の声やねん。
隣はお年寄りで早くに寝はるし、真夜中に子供がボソボソ喋るはずないやろ?」

友人夫婦はそう言って脅えます。
 私は台所に入りました。
別段、何もいません。
只、天井に妙に暗い部分がありました。
 天井裏の配線なんかをいじるための、小窓を空けると、小さな段ボールの箱を見つけました。
埃をかぶり古ぼけています。
 取り出して開けると、中にビニール製の女の子の人形が二つありました。
どこでも売っているシリーズ物です。
ただ、人形は二体とも顔が火で炙られて、黒く爛れていました。
 友人夫婦は箱を空けたとたん、小さな悲鳴を上げました。
人形は私が持ち帰り、お寺で供養してもらいました。
その人形が何に使われたのかは、あまり考えたくないのです。














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日々の出来事 12月15日 力道山

2018-12-15 10:34:47 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 12月15日 力道山






 今日は、力道山が亡くなった日です。(1963年12月15日)
力道山は大相撲出身のプロレスラーで、1953年に日本プロレス協会を設立しました。
当時、テレビ放送が開始された中でプロレスも放映され、力道山の空手チョップを武器にシャープ兄弟をはじめとする外人レスラーをなぎ倒す姿は、戦争に負けた日本人の眼に輝けるヒーローの出現と映りました。
 その後もプロレス人気は衰えず、1963年5月24日の東京体育館で行われたWWA世界選手権での力道山対ザ・デストロイヤー戦は、平均視聴率で64%を記録し、これは今でも歴代視聴率4位にランクされています。
 力道山は、1963年12月8日午後10時30分東京赤坂のキャバレーで村田勝志と口論になり登山ナイフで腹部を刺され山王病院に入院、手術となります。
さらに、その傷がもとで腹膜炎を起こし再手術、この時麻酔を担当した外科医が気管内挿管に失敗したことが原因で窒息し、亡くなってしまいました。
そして、力道山の死後、弟子であるジャイアント馬場やアントニオ猪木が、プロレス界を支えて行くことになります。

 “オールウェイズ三丁目の夕日”で、テレビが始めて家に来た日、近所の人たちがお祝いを持ってやって来て、みんな集まって力道山のプロレスをわ~わ~騒ぎながら見るってのがありました。
駄菓子屋やミゼットや東京タワーが出て来るチョイ昔って何か郷愁を感じます。
日本人みんなが、明るい未来に向かって懸命に生きていた時代です。
今のように物が溢れる時代から見ると不便で不自由でしたが、“何かをやってやろう”と言うエネルギーはあったと思います。








  力道山
















☆今日の壺々話










外人プロレスラー



 来日外国人のプロレスラーって概ね親日派が多い。
しかも正統派レスラーのみならず悪役レスラーも同じ。



アブドーラ・ザ・ブッチャー

「初めて来日した1970年、あらゆるものが美しくてナイスだと思った。」
「俺は故ジャイアント馬場と日本のファンのおかげでここまで有名になった。」
「(自身が経営しているアメリカのレストランに)ジャパンのファンが来るのはいつでもウェルカムだ。」

→実際に日本人が店を訪れてブッチャーに会いたい旨を伝えると、店長からブッチャーに連絡がいき、都合がつけばすぐに来てくれ、写真撮影やサインなんかもきさくに応じてくれる。




ザ・シーク

「日本のプロレスファンは世界一のファンです。」(日本で開かれたザ・シークの引退セレモニーでの挨拶)
・引退後、日本のファン数名を自宅に招き、豪華にもてなしたことがある。
・試合中に混乱して解説の倉持アナウンサーを大流血させたことがある(一種のやらせ演出)。後年、倉持がシークの家を訪ねそのことを話すと、「大変申し訳なかった」と豪華にもてなした。
・甥っ子のサブゥーもプロレスラーとなり、日本人女性と結婚。




タイガー・ジェット・シン

「私が初めて日本に来た頃の日本人は、驚くほど礼儀正しく謙虚だった。
だが、いつの間にかそれが無くなり、気が付けばまるでアメリカ人の様になっていた。
しかし振る舞いはアメリカ人でも、その悪い部分しか真似しないヤング・ボーイがとても多い。
そして決して、アメリカ人の良い部分は真似ようとはしない。
日本人は、アメリカのイージー・ゴーイングな部分だけを真似してしまった。
私は、昔の日本人が懐かしい。」




スタン・ハンセン

・全盛期は一年の半分以上を日本で過ごしていた。現在の嫁さんは日本人。
・好物は納豆、豆腐で毎日のように食べる。
・後年は若い外国人レスラーに箸の使い方、居酒屋での飲食の仕方等のマナーを教える係りを率先する。


















インタビュー





ブッチャーにインタビューを申し込んだら、

「 ヘイユー!本当の話とウソの話どっちがいいんだ!」
「 本当のほうでお願いします。」
「 親は大事にしろ!以上だ!」
「 それでおしまいですか。それじゃ困るんですが。」
「 おいおい本当の話にしろって言ったのはユーのほうだろ!」
「 じゃあウソのほうで」
「 今度のシリーズでババを地獄送りにしてやる!」
「 ありがとうございました。」







スタン・ハンセン




 俺の先輩は上司の結婚式に出席してアトラクションを引き受け、なにやら念入りに準備してたので何をやるのかと思ってたら、会場に突如鳴り響く「サンライズ」!

 我々の世代には馴染み深いあのスタン・ハンセンのテーマで、コスチュームまで用意してノリノリで入場、デンガロンハットに皮前掛けに皮チョッキ着て、口ひげつけて金髪カツラも着け、本物そっくりにカウベルをくくりつけた太い荒縄を振り回し暴れまわって入場、最後は新郎新婦横のひな壇に上がって、「ウィーーーーー!!」っとロングホーン…の予定だったらしい。

 ところが、いささか酒も入ってた先輩は手元が狂い、振り回した縄が、後で点火される予定の「愛のキャンドル」を粉砕。引っ掛けた燭台がそのまま入刀前のウェディングケーキを撃破。
客席に飛び散るクリーム、泣き出す花嫁、激怒するうちの社長。
いいよ、しょうがないよと引きつった笑いでなだめる新郎の上司の前で、土下座して号泣するスタン・ハンセン…。

















タイガー・ジェット・シン



 ミルホンネットが独占してお届けしているタイガー・ジェット・シンの慈善事業や、カナダ・ミルトン市の名誉市民としてWall of Fameに名前が刻まれた”インドの狂虎”であるが、なんと究極の名誉が新たに加わった。自身の名を冠した公立校の開校である。
 ライバル、アントニオ猪木が営利目的の英語学校に名を冠したことはあったといえ、こちらはPublic schoolの話であり、話の次元がまるで違うことになろう。
もちろん、暴力的なプロレスに関わった人物の名を冠していいものかとの議論があったそうだが、これまでのシン一家の数々の人道活動やチャリティでの貢献を鑑み、ついにプロレスラーの名を冠した小学校が認められたという。



チョークされちゃう。



校長はブッチャーで。



インテリと聞いたが。



指し棒はサーベルで。



伊勢丹で猪木が集団で暴行されるわけか。



制服はサーベル着用だな。



プロレスのヒールは良い人多いな。



タイガージェットシンとかけて
黒板ととく
その心は
チョークが付きものです。



ゆーことを聞かないガキへは、コブラクロー。



死んだかと思ってた。



校歌はあの曲か。



何でサーベルの柄でしか攻撃しないんだよ!
先端のほうが効き目あるだろ!



新宿伊勢丹で猪木を襲った奴か。



 タイガージェットシンはカナダのインド系商人の子供として生まれ、体が大きかったので高校でレスリングの選手をやっていた当時、アメリカのプロレス業界者にスカウトされ、アメリカでプロレスの修行をし、やがて悪役として名前が知られる存在になった。
そして日本のプロレス関係者の目にとまり、タイガージェットシンというリングネームで日本で華々しく活躍する事になった。
 彼は父親の出身地であるインドではプロレスラーとして全くの無名ですよ。
何故ならこの人物は、インドでは誰もプロレスラーだと知らないからです。
アメリカで成功したインドの実業家という程度の知名度です。
 彼は日本ではもっぱら悪役レスラーとして名をはせた事を祖国のインド人にとっては屈辱だとして知らせなかったのです。
日本のプロレス関係者らも、彼は几帳面な真面目な人物だと言う評価ですよ!
米国に住んでいると分かるのですが、日本では知られていませんが、これまで数多くの日本人レスラーが悪役専門でリング上で暴れましたよ。
 どこの国のプロレスでも、外人選手は悪役と相場が決まっているのです。
ですからターガージョットシンは祖国のインドでは自分の行為を恥じて、自らプロレスラーとは名乗らなかったのです。



この人かザ・シークかブッチャーか忘れたが、プロレスの場外乱闘で客席に乱入するいつものパターンで逃げ遅れた婆ちゃんが本気で殺されると思ったらしく念仏を唱えてたら、急に方向転換して離れてあげたらしい。



小学校1年生のころ、ホテルのロビーでタイガージェットシンと上田馬之助にだっこしてもらった。
タイガージェットシンはスーツ姿でリング上の人物とは別人のようだった。
ホテルのカウンターから上田さんがマジックペンを借りてきて、ジャンバーにサインしようとしたら、マジックペンがインク切れで上田さんが怒ってた。



おれ、この人が入場してくるとき背中蹴られたことあるよ。
大暴れして入場してきたので逃げようとしたら、市来という女子レスラーに「座ってくださーいw」と、突き飛ばされ席に座ったところを蹴られた。
市来笑ってやがんの。



お気をつけ下さい!お気をつけ下さい!



タイガージェットシンってサーベルしか印象にないけど本当の得意技はなんだったっけ?



キャメルクラッチかな。



コブラクロー。



首四の字。



最近使い手いなくなった。



ここまで平均年齢40歳。
















    ジャイアントスイング




 高3のときに新任の女性の先生にいたずらしようってことになって、先生が体育館に一人でいたときに5人くらいで襲いかかった。
プロレスの、足を持ち上げて宙でグルグル回すあれをしようとしてたんだけど、羽交い締めにしたときに「キャァァァァァー」って先生が悲鳴を上げて、バンッ!バンッ!バンッ!って感じで周囲の準備室の扉が開いて昼休み中の男の先生たちが飛び出してきた。
「お、お前らぁ!」ってもう生徒じゃなくて、不審者を恫喝するときの表情だった。
「こ、この子たちがぁぁぁ!」って羽交い締めにされていた先生も顔をグシャグシャにして叫んだ。
「僕達だけでは処理できない、校長を呼ばなければ!」みたいなことを言って、男の先生達が集まってくる。
 なにか勘違いされてるのでは、と激しく感じていた。
ここは、毅然とした言い訳をしなければならないと思った。
そして、僕はグイッと一歩前に出てよく通る声で言った。

「僕たちはただ、先生を回そうとしていただけです!」

10年前の思い出だ。
この後の怒号は今でも夢に見る。















信じていたこと



 サンタは小3くらいで気付いた。
サンタからのカードの文字が、母親の字だって気付いたのがきっかけ。

 小さい時信じてたのは、ダンプ松本が本物の悪党だってこと。
私が幼稚園の時は、ダンプ松本が全盛の頃で試合を見ては、
((((((;゚Д゚)))))) ガクブルしてた。
 決定的だったのは、鶴太郎かなんかのバラエティーにダンプが乱入して、鶴太郎が本気でビビってたのを見た時。
プロレス以外の場所でもあんなに暴れるなんて、本当に本当に悪い人なんだと確信した。
 それ以来、父親が通勤時に新宿あたりでダンプやブル中野に遭遇して殺されないか、家族で行く遊園地に彼女たちが現れたら・・・、と不安な日々を送ってました。
七夕の短冊にも「パパとママがダンプまつもとにころされませんように」と書いてた。

 それ、ワロタwww。
しかし、自分もデーモン小暮閣下が本物の悪魔だと信じて、テレビに映るたびに泣いてたもんな…。
















ガッツ石松君




 東洋ライト級王者時代、池袋の路上で弟にからんだヤクザ8人を相手に喧嘩をし、たった一人で全員KOしたという事件を起こし現行犯逮捕された。
後に正当防衛を認められ釈放された。
この事件の新聞の見出しは“石松、場外で8人KO”だった。
 その時の事情聴取で、ガッツは“チャンピオンは“いついかなる時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある“と供述したため、これ以降チャンピオンに渡される賞状からその文言が削除されている。(本来は「組まれたマッチメイクを受ける義務」の規定である。)
 ちなみに、さすがのガッツでも8人と同時に喧嘩をしても勝ち目はないと判断したのか、細い路地に誘い込み8人に対して常に“1対1”で勝負して、勝ちを収めている。


以前どっかの番組で

『ボクサーは3分を身体で覚えるというが、
 カップラーメンの3分も時計なしで身体で判断できるか?』

みたいな実験で、
カップラーメンの前で10分待ってのびのびにさせてしまったのが
ガッツだったような気がするんだけど、違いますか?



 その実験は知らないけど、同じように『ボクサーは3分を身体で~』って証明実験でシャドウボクシングしながら1分経ったらボタンを押すやつなら見た記憶がある。
薬師寺と渡嘉敷と輪島が50秒とか70秒とかの中途半端な数字でボタンを押す中、ガッツが100秒ピッタリでボタンを押して

「 え?1分って100秒だろ?」

と言い切った。

















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日々の出来事 12月14日 南極

2018-12-14 09:20:08 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月14日 南極





 今日は、ロアルド・アムンゼンが人類で始めて南極点に到達した日です。(1911年12月14日)
ノルウェーのロアルド・アムンゼンは、イギリスのロバート・スコットと人類初の南極点到達を競っていました。
 アムンゼン隊は、1911年10月19日に、南極のクジラ湾から犬ぞリで南極点を目指し出発しました。
また、1911年11月1日にスコット隊は馬そりの雪上車を使って、より遠いマクマード湾から出発しました。
 そして、結果は、アムンゼンがスコットより一ヶ月早く南極点に到達し、スコットが来たときには、既に南極点にはノルウェーの旗が立てられていました。
この旗の所には、スコットに宛てた手紙と食料が置かれていました。
この手紙には、北極点到達にビアリーに先を越されたアムンゼンの心境が書かれていました。(内容は、スコットへの思いやりの手紙です。)
失意のスコット隊は帰還途中に遭難し、全滅してしまいました。
 この到達時間の差は何処にあるかと言うと、寒さに強い犬ぞりと寒さに弱い馬と重い雪上車、装備としては軽くて防寒性に優れた毛皮服の採用によるものと言われています。









  ロアルド・アムンゼン















☆今日の壺々話









絵本“こねこのタケシ”について




 タケシは南極第一次越冬隊と一緒に南極へ行きました。
そもそもは野良猫が産んだ仔で、動物愛護協会に保護されたようです。
タケシという名前は観測隊長の名前をとったとか。
 タケシは3か月の船旅を経て南極に着きました。
犬ぞりの訓練を受ける犬たちとは違い、タケシの仕事は疲れた隊員たちの心をなごませること。
すっかり人気者になったようです。
 越冬の間には大けがもしたらしい。
それでも無事に回復し、一年が過ぎて第二次越冬隊との交代の時が来ます。
 この交代の時があの「タロー、ジロー」の物語となる発端で、犬たちは結果的に置き去りにされてしまったけれど、作間越冬隊員のそばを離れなかったタケシは、隊員たちと一緒に日本に帰ることができました。
そうそう、カナリヤも無事に帰ったようです。
 その後のタケシですが、タケシを抱えて連れ帰ってくれた作間隊員の家で飼われることに。
しかし、南極しか知らなかったタケシは、そこが自分の家とは思えなかったのか、1週間一緒に暮らした後、ふと見えなくなり、それきり帰ってこなかったそうです。
タケシは昭和基地を探して旅に出たのかもしれません。

 絵本のあとがきに作間隊員のことばが載っています。

” タケシの魂は、昭和基地にいっているはずですから、ぼくも命が終えるときにはタケシに会えますよ。
そうしたら、ずっと探して待っていたんだよって言ってやりますよ。”

この絵本には本物のタケシや貴重な昭和基地の様子の写真も載っていて、とても興味深いです。
















流しソーメン






 小堺一機っているよね、ごきげんようの小堺くん。
その父ちゃんがスシ職人で、南極観測隊に同行して観測隊専属のコックしていたんだけど、真っ白世界の南極、娯楽は大してない、食材が少ないから食事だって単調になってくる。
職人・小堺父だって、いい加減レパートリーは尽きてくる。
 小堺父は、思いついた「今は夏だから、流しそうめんしてみないか?」っていうけど、ココは南極、氷の世界。水を流した途端にコッチコチ。
でも、ここは娯楽の少ない南極、観測員たちは喜んで雪や氷の上に溝を掘って流しソーメンのコースを作って、たちまち凍るスリルあふれる流しソーメンを楽しんだ。
 その楽しそうな様子を物陰からじっと見つめる人たちがいた。
その名は、イタリアの観測チーム。
翌日、彼らは流しスパゲティをやっていたそうだ。
娯楽は感染するもので、他の国の観測隊たちにも一時流行したとのこと。
















     世界一周




「 さあ、ノルウェーの旗を南極点に立てたぞ!」
「 一番乗りですね。」
「 じゃ、記念行事をするぞ。」
「 何をするんですか、アムンゼンさん?」
「 ほら、旗の周りを一回転!」
「 それって・・・・?」
「 アハハハハハ、世界を一周した!」

これは、世界一周として認められています。
















南極越冬隊




 南極越冬隊の話なんですが。
南極では燃料や食料の節約のため、アザラシをちょくちょく捕獲するそうなんです。
 で、捕まえたアザラシは内臓を抜いて厚い皮下脂肪と食用になる肉とに分けるそうなんですが、ある日、捕まえたアザラシをいつものように解体したところ、胃の中に妙にゴツゴツとしたものが入っているのに気付いたと。
 アザラシはペンギンを丸ごと食べる事もあるので、未消化のペンギンでも入っているかと思ったけれどそれにしては形がおかしい。
気になるので胃を開けてみたところ、なんと人間と思われる骸骨と背骨やあばらの一部が入っていたそうです。
 金髪の長めの髪が付いていたのでサルの類ではなく間違いなく人間だろうと。
しかし、他国の観測所に問い合わせてみても、該当する遭難者の類は存在しない、と。
しかもその骸骨、冷静になって見てみると額のところに眼窩と同じ様な穴があいている。
それは、銃で撃たれたか槍で突かれたの類か。
 いずれにしても怖いので、報告はせずにそのまま海に流して葬ったそうです。
その人物はそれが不思議でたまらず、今でもちょくちょく夢に見るそうです。


















     ペンギン




 ジョニーが街でペンギンを拾った。
困った男は友人のケインに電話して相談した。

「 なあケイン、ペンギンを拾ったんだけど、どうしたらいいだろう?」
「 そんなの動物園にでも連れて行けばいいだろ。」

翌日、ケインはジョニーがペンギンを連れて歩いているのを見かけた。

「 おいジョニー、昨日は動物園に連れて行かなかったのかい?」

するとジョニーが答えた。

「 ああ行ったよ。
 だから今日は遊園地にでも連れて行ってやろうかと思ってさ。」

















魔法のランプ




 男がバーに入り、ポケットから小さなラケットを2本と小さなボールを1つ、そしてこびとを2人取り出してカウンターに置いた。
こびと達はそれぞれラケットを持つと、テニスを始めた。
他の客がそれに気づいた。

「 おい、なんだいそりゃ!」
「 30センチのテニスさ。
ほら、ここに魔法のランプがある。
これをこすって願いを言えば叶うんだ。
で、俺はこれを手に入れたのさ。」
「 俺もやってみていいか?」
「 どうぞお好きに。」

しばらくすると、バーは100万羽ものペンギンでいっぱいになってしまった。

「 なぜペンギンなんだ?
俺が頼んだのは100万円の現金だぜ!」
「 あんた、俺が本当に30センチのテニスなんて欲しがると思うか?」



















   嫁に関する相談





動物好きの家内と一緒に「皇帝ペンギン」のDVDを見たのですが、
それ以来、家内が皇帝ペンギンの真似をするので困っています。
私は一体どうすれば良いのでしょうか。

旭山動物園につれてってあげなさい。

貴重な情報有難うございます。
計画してみます。

いま私の横で、足の上に手当たり次第いろんなものを置いて暖めています。
もう、どうしてよいか分かりません。

寒い中の行進かとオモタ。
子供ほしいじゃね?

廊下を歩くときはペンギン歩きです。
リビングの広いスペースで、おなかで滑ったりもしています。
足の上で何かを温めつつ、それを俺にパスしようとしてきます。
うまく足で受け取らないと怒ります。
DVDのせいで、変なスイッチが入ったようです。
ペンギンの前は、動物園で見たカピバラの真似ばかりしていました。
ちなみに結婚8年目です。
確かに子供が欲しいのかも知れません。


















寒い






「 へー、こっちはもう落葉してんのか・・・。
ヘーックショイ!
それにしても、寒いったらありゃしねえ。」

震えながら校内を見学して回る俺に一人の女子大生が声をかけた。

「 あら、アナタ見学の方?」
「 えぇ、まぁ…、やっぱ東京はでっかいですね。」

と、お愛想で感想を述べると、女子大生は突然大声で笑い出した。

「 あはは!
あ〜おかしい。
キミ、ちょっと田舎ものすぎだヨ〜。」

国の言葉が無意識に出てたのかもしれない。
 赤面してうつむくおれを気遣うように、おれが片手にしていた文庫を取り上げて言葉を続けた。

「 あら?
その文庫本、ちょっと見せて。
萩原朔太郎…。
『群集の中の孤独』…か。
この町にぴったりの言葉ね。」

彼女はそう言いながらもう一度笑ってみせた。
その笑顔はどこか儚げで、まるで「今の自分がそうだから」と呟いているように見えた。

「 ・・・・。」

 足元を走り抜ける木枯らしに、再度身を振るわせる。
すっかり葉も枯れ落ちてしまった桜の木が、彼女の横顔と被って見えた。

「 寒っ……。」

無意識に漏れた呟きに我に返ったのか、彼女は俺の手に文庫本を戻すと親指で構内を指ししめす。

「 あーっとゴメン。
こんな所で立ち話もなんだね、中に入らない?」
「 えっ?」
「 まだ構内見てないんでしょ?
ヒマなお姉さんが案内してあげるよ。」
「 えっ、良いんですか?」
「 良いの良いの。
ヒマしてんだからさー。」
「 げほっ!」

バンバンと背中を叩かれると、寒さでやられていた肺が悲鳴を上げる。

「 あ、ゴメンゴメン。
でも少し大げさだなー、キミ。」

演技のつもりは微塵も無い。
むせ返りながらも、俺は半ば強引に構内へと導かれていった。
 一通り各教室を見終えた俺たちは、ロビーに置かれた椅子にもたれかかり一息ついていた。
彼女はとても流暢に、そして笑い話を織り交ぜながら、一つ一つの部屋を丁寧に紹介して回ってくれた。
喋り方のおかしな名物教授とか、この部屋の何番目の席に座ると必ず問題を解かされるとか。
寮で起こった事件の話。
仲の良い友達の話。
大げさな身振り手振りを交えた、大方受験とは無関係な話ばかりの独演会が、楽しくて楽しくて仕方が無い。

 お陰でかなりの長時間を費やしてしまったことに気が付いたのは、最後の一部屋を回り終えた後だった。

「 なんかごめんねー、無理に付き合せちゃったみたいで。
はい、コーヒーで良かった?」
「 あ、有難うございます。」

差し出された紙コップを受け取ると、一口啜る。

「 ほうっ……。」

と白い息が口から昇る。
 大きめに作られた通路を外からの冷たい風が吹き抜けていて、屋外ほど寒くはないにせよ若干このロビーは寒かった。

「 はー、暖けー。
……あちっ!」

続けてもう一口。
慌てて飲んだため舌を軽く火傷してしまう。

「 あははっ、慌てないの。」

彼女はそんな俺の田舎者っぷりを、隣でココアを啜りながら楽しそうに眺めていた。
 視線が重なり、気恥ずかしさで少し頬が赤くなっているのが自分でも解る。
赤面してうつむく俺を気遣うように俺が片手にしていたコーヒーを手に取ると、彼女は言葉を続けた。

「 ところで、良い壺があるんだけど・・・。」

















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日々の出来事 12月13日 ビタミンとノーベル賞

2018-12-13 10:08:10 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月13日 ビタミンとノーベル賞





 今日は、鈴木梅太郎が、米糠から抽出した脚気を予防する成分“オリザニン(ビタミンB1)”を東京化学会で発表した日です。(1910年12月13日)
このオリザニンは、一年後、ポーランド人のカジミール・フンクが同じものを抽出して、生命活動に必須のアミン(Vital Amine)として“ビタミン(Vitamine)”と名付けました。
 ビタミン発見でノーベル賞を得たのはオランダのエイクマンとイギリスのホプキンズです。
エイクマンは、1896年にインドネシアで米糠の中に脚気に効く有効成分があると考えたので、まあ、いいとして、ホプキンズはビタミン研究はしていましたが、受賞としては疑問の声がヨーロッパではありました。
 鈴木梅太郎は、ビタミンの第一発見者ですがノーベル賞には結びついておりません。
でも、鈴木梅太郎は1914年にノーベル賞候補として外国の研究者から推薦を受けてはいたのです。
 当時、東大農学部の出身である鈴木梅太郎は、脚気感染症説をとる東大医学部の出身者などで作っている医学界からは“農学者が何を言うか、糠が効くのなら小便でも効くだろう”と相手にされていませんでした。
 実際に脚気がビタミンB1で治癒しても、自説と偏見に凝り固まった頭の固い人たちには、なかなか理解できませんでした。
そして、1927年には東大の農学部長が鈴木梅太郎をノーベル化学賞に推薦していますが、東大の医学部長はノーベル生理学・医学賞の候補にホプキンズを推薦しています。
つまり、鈴木梅太郎は、同じ大学の学部閥にノーベル賞を潰された悲劇の人なのです。

みなさァ~ん!
頭は、柔らかくしましょう!
また、人は業績で評価されるべきで、出身校や学部で評価するのは間違っていまァ~す!

( でも、世の中、変わらないだろうなァ・・・・。)









  鈴木梅太郎
















☆今日の壺々話







       ビタミンドロップ





「 教えてください
 先日Windowsを再インストールしたあと、IMEツールバーをタスクトレイに
 格納するつもりが削除してしまいました。
 再表示させる方法がわかりません。
 よろしくお願いします。」
「 釣りですね?わかります。」
「 釣りじゃないです。
 なんとも不便で困ってます。
 ちっこい『A/あ』のアイコンがこんなに大切だったとはorz。
 IMEのプロパティってどこから表示できます?」
「 IMEツールバーの復元。」
「 その語句でぐぐったらあった、直りました。
 お~うれしー、ありがとう。
 お礼にビタミンドロップあげる、目にいいですよ。
 ハイ!、 (´・ω・)っ◎ 」

「 (´◎ω◎) 」

「 わろたw。」

















ウソの連鎖





 小6の時、突然「死にたい」と言ってきた友だちに私は睡眠薬を常用していると偽り、いつも3粒くらいで爆睡だから10粒飲んだら死ぬはずだと嘘をついて、友だちは信じた。
睡眠薬が欲しいからくれといって、友人が家に来ることになり断れず焦った。
風邪薬はなんか恐いので、親が飲んでいるビタミン剤(糖衣)を渡すことにしたが、甘いとバレそうなので表面を湯で溶かしてラップに包み、時計の裏に隠した。
 学校が終わって友人が来たが、なぜか2人女の子を連れて来てきた。
その子たちに睡眠薬を渡さないでと説得されたが、時計の裏からビタミン剤を出して友人に渡した。
 次の日、友人は“飲んだんだけど、生きてんだけど・・・”と言ってきたので、双子の生き別れの姉がいて、叔母に育てられており、数日私の代わりに学校に来ていた事にした。
その姉に会わせろと言われ、断れずに了承した。
 学校が終わって家に友人が来たので、頭にバンダナを巻いてココアを作り、姉のふりをして挨拶に行った
友だちは信じてくれた。
中学校を卒業するまで嘘を通したので、とても疲れた。

















風邪





 母がカゼをひいて寝込んでたとき。
夜の0時過ぎにリビングをのぞいたら、父が必死にシャツのボタンをつけてた。
「かーさん、カゼで寝込んでるのに、かーさんにつけさせるのは可哀想だから」と。

 その翌日。
父は「会社で旅行のお土産にもらった」と、大量のイチゴを持って帰ってきた。
1パック1000円以上しそうな、きれいな「あまおう」を2パック。
「イチゴにはビタミンCがいっぱいらしいぞ」と言いながら。
弟が一粒つまもうとしたら「お前に買ってきたんじゃない!かーさんのだ!」
・・・やっぱり買ってきたんじゃないか。

















運転手





 平日の昼間、暇な路線バス、ぼけ〜っと客待ち。
小走りで乗ってきたのはたぶんラテン人。
森久美子を20%減量して、コーヒーに漬けたみたいなヤツ。
目と口がでかい、アメコミのキャラかお前は森久美子。
扉側の一番前の席に座るが良く咳をしてる。
風邪うつすな、つうか鳥インフルエンザとか怖いぞ俺。

 さて出発、いくつかの乗り場を回るが他に客はなし。
咳止まんねーのか森久美子。
さて終点まで直行だ、発車する前にバックからのど飴を2個取り出す。
1個「きゃんでぃ〜ぷりーず」と渡す。
俺、学生の頃の英語26点。
なんか喜んでる森久美子、つうか咳止まれ。
俺もついでに1個なめる、営業時の飲食は本来禁止だが一人では、気が引けるでしょ、たぶん。

 のど飴は青りんご味、青りんご味って外国にあんのか、と考えてると信号待ち。
待ち時間長いんだよここ、と思ったら森久美子がなんか言ってる。
振り向くと飴を手に「いんそーと、ある」とか言ってる、何語だよ。
飴の開け方わからんのか、と思うと既にあけてある。
あー、もっとくれ、ってことか。
ずうずうしいな森久美子。

 バックを探るともう2個出てきた、手渡すと大喜びして投げキッス。
つうか怖ええよ森久美子、それなめて静かにしてろ。
終点まで淡々と走る。
気づくと咳が少なくなってる、グッジョブのど飴。
終点着いたらまた大喜びで降りてった。
気ぃつけてな、森久美子。
















ビタミン剤



 お恥ずかしながら妊娠してしまって結婚することになったんですが、父子家庭で父親の反応が怖い事もあり、先に私が実家に帰ったあと夫となる人を紹介しようということになったんです。
 先に帰っていると、たまたま夫の祖母が骨粗しょう症で腰を折ってしまい、お見舞いや入院手続きがあり、夫を待っている期間が伸びてしまいました。

 親に話していないので友人に話すのもどうかと思って幼馴染(女性)数人にも隠して、ごはん食べにいって昔話などをしてたりしました。
その中の1人がドラッグストアで働いていて、実家に帰省してから3回目くらいに会う時に、アメリカのビタミン剤といって小さめの薬の箱をくれました。
 前にもビタミン剤とかコラーゲン?とかのサプリメントをもらったので素直にありがとうと言って受け取りました。
でも妊娠中だし、英語で書いてあってなんとなく怖かったのでそのまま飲まずもっていました。

 それから夫が私の実家にやってきて挨拶、結婚し子供も無事に産まれました。
唐突ですが私の趣味は海外ドラマを見ることで、子供が寝てからゆっくり見るのが好きなんですが、最近「ザ・ウォーキング デッド」というドラマを見ていてその中で登場人物が妊娠し堕胎薬を飲むシーンがありました。
 ふと昔友人に薬をもらったことを思い出し薬の名前を検索したら、アフターピルや堕胎薬を輸入代行するページが出てきてゾッとしました。
妊娠していることもその時は話していないし、その後地元からは離れたところに住んでいるので会っていません。
たしかにお酒も飲まなかったので勘が良ければ気づいたとは思うんですが、ビタミン剤といってくれたので悪意があるようにしか思えず怖くてしょうがなくなりました。
















薬剤師のお話




 これは、私がつい先日体験した話です。
私はS県郊外にある、200床の総合病院に勤務しています。

 その日は休み前の土曜日なのに、朝から妙に落ち着いた一日でした。
普段はとめどなく処方箋を吐き出すプリンタも静かなものでしたし、外来からの問い合わせもほとんどなく、自分のペースで仕事を進めることが出来ました。
 しかし、午後になるとその様相は一変し、一気に仕事の量が増えました。私は夕方からやらなければいけない仕事があったので、できれば三時過ぎには病棟業務を終えたいと、一心に記録を書きました。
 入力を終え、時計を見ると午後二時過ぎ。まだ少し時間に余裕があります。
 そこで私は、新規入院患者さんの服薬指導に行くことにしました。新規入院は昨日の夜間から土曜日までで計三人。六十代の外科入院、同じく六十代の腎不全入院、そして八十六歳の心不全入院です。

 八十代ともなると、本人への服薬指導といっても限界があります。普段だったら、八十六歳という年齢は、服薬指導の対象外としているはずでした。
その患者さん、Fさんの元へ向かったのは、だから偶然としか言いようがありません。

 Fさんは活気なくベッドに仰向けになり、持続のハンプとヘパリンを繋がれたまま、声掛けに半覚醒の状態でした。ああ、やっぱり超高齢の服薬指導は無謀だったかな、私はそんな風に思いました。
何かを喋ろうとはするのですが、呼吸困難があるのか言葉にならず、私はカサカサに乾燥した唇の動きで意思を何とか汲み取るのが精いっぱいでした。
 あまり実のある服薬指導は出来ず、心不全の治療効果のモニターと、リウマチの痛みが落ち着いているので、鎮痛剤の中止をプランに考え、病室をあとにしました。

 ナースステーションに戻ると、テーブルの上にFさんの持参薬が置いてあります。
来週の金曜日まで配薬カートにセット済みと、丁寧な字でメモが残されていました。
(当院では、持参薬が継続の場合、次回定期日までは看護師が配薬カートに薬剤をセットするのです。)
 私は持参薬の内容を軽く確認し、看護師に声を掛けました。

「 Fさんの持参薬、全部継続でいいんですね。」
「 うんそうだよ、金曜日まではこっちでセットしてあるから。」

 持参薬には薬情が添付してありましたし、看護師はダブルチェックによりセットを行ないますので、特にセットに関しては問題ないだろうと思い、薬剤部へ戻ろうとしました。

 後ろ髪を引かれるというのは、多分ああいうことだと思います。 
階段まで来た私は、そこで足を止め、またナースステーションに引き返しました。
頭の中でなぜかはわからないけれど警報が鳴っている、そんな感じでした。
おそらく、ちらりと見た持参薬の中身に、引っ掛かるところがあったのでしょう。

 Fさんの配薬カートを確認します。
信じられない光景が、そこにはありました。
リウマトレックスが、金曜の夕までみっちりとセットされているのです!
 私は声にならない悲鳴を上げました。
頭の中はしびれたようになり、うまく思考をまとめることが出来ません。
リウマトレックスが、朝夕、一週間連日でセットされているのを私は見てしまったのです!
 幸い、発見が早かったおかげで主治医とも連絡が取れ、報告することが出来ましたし、本来月曜日に服薬するはずのものを土曜日に飲んでしまった、というだけで、過量投与にはならずに済みました。

 私は薬剤部に戻ると、念入りに中身を確認しました。
リウマトレックスの薬情にはしっかりと、週1回、月曜日に内服と明記されていました。
 
もし私が、Fさんの服薬指導へ行かなかったら、もし私が、配薬カートの中身をセットしなかったら、Fさんは、一週間も続けてリウマトレックスを服薬する羽目になったでしょう。
仮に月曜日に気付いたとしても、3日間連続の服用になっていました。
 看護師がやったことだから、では済まされません。
薬剤師には、確認する責任があるのです。


 ただ、今でも一つわからないことがあります。
おそらく高齢のため、薬の管理が難しいのでしょう、薬はほぼすべてが一包化され投薬されていました。
もらったばかりの薬の残はおおよそ9週間分。
朝昼夕の残薬もほぼ同じ数あります。
しかし、リウマトレックスだけは、6週間分しかないのです。
 きっと家にあるんだろう。
そう思って患者に訊いても、「ああ」とも「うう」とも付かぬ唸り声を洩らすばかりです。
 息子の嫁が薬剤師免許を持っており(今は働いていないようですが)、薬の管理もしているキーパーソンのようですが、まさか薬剤師免許を持つ息子の嫁が、リウマトレックスの用法を知らなかったとも思えず……。
こっそり看護師に訊いたところ、息子の嫁は一度も見舞いに来ていないそうです。 
 
Fさんは二週間前、無事退院しました。
今頃、どうしているでしょうか。

















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日々の出来事 12月12日 一休さんって屁理屈を捏ねる扱い難い爺さんですね

2018-12-12 09:32:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月12日 一休さんって屁理屈を捏ねる扱い難い爺さんですね





 今日は、一休さんが亡くなった日です。(1481年12月12日)
一休宗純は、室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧で、後小松天皇の落胤と言う話もありますが定かではありません。
 一休は、幼い頃から僧として生活し、京都の大徳寺の華叟宗曇の弟子となりましたが、夜にカラスの鳴き声を聞いて突然悟りを啓きます。
華叟が印可状を与えようとしましたが辞退し、それ以降は詩·狂歌·書画と気ままな生活を送りました。
そして、その戒律や形式にとらわれない人間臭い生き方は民衆の共感を呼び、後の“一休頓智咄”に繋がって行きます。
 1481年12月12日、京都の酬恩庵で“死にとうない”と言いながら、88才で一休宗純は亡くなりました。
一休宗純の墓はこの酬恩庵にありますが、宮内庁が御廟所として管理しているので、一般の参拝は不可能です。
 なお、“一休頓智咄”は、200年後の江戸時代元禄年間に、いろいろな人の話や民間説話を一休さんの置き換えて創作された読み物で、史実とは言えません。


    一休宗純

門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよしの

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む






ハイ、この人が一休です。
 ↓













☆今日の壺々話








    本願寺にて





「 お~い、蓮如~~!
 マブダチの一休ちゃんが遊びに来てやったぞォ~!
 また、街に出て遊ぼうぜェ~~、イエィ~~!!
 イエィ~~!!
 イエィ~~!!
 イ・・・・・。
 ん・・・、返事が無いぞ。
 留守かな?
 まあ、いいか。
 ちょっと、上がって帰って来るのを待つか・・。
 えっと、腹減ったなァ。
 冷蔵庫に、何か食い物はないかなァ~。
 あ、あった、あった!
 パクパクパクパク。
 チーズも食っちゃう。
 パクパクパクパク。
 あ~、腹が膨れたら眠くなって来たぞ。
 ちょっと、寝るか・・。
 えっと、枕、枕。
 お、これがちょうどだ。
 グ~、グ~、グ~、ムニャ、ムニャ、ムニャ。」

30分後、蓮如が帰って来ます。

「 武士の家に行くと疲れるなァ。
 あ~、もう、疲れた・・・。
 ありゃ、ぞうりがあるぞ・・・。
 あ、ヤバイ。
 このぞうりは、一休だ。
 もう、マブダチとか言って押し掛けて来るんだから・・・。
 また、ろくでもないことを仕出かしているかも・・・。
 わっ、寝てる。
 ひょえ~~~!
 俺の持念仏の阿弥陀如来像を枕にしてるぅ~~!!
 こら~~っ!」
「 あ、蓮如、帰って来たか!
 さあ、遊びに行こうぜェ~、イエィ~~!!」
「 イエィ~~!!、じゃ無いよ。
 俺の仏様を枕にして・・・。」
「 アハハハハハ、ちょうどいい膝枕だった・・・。」
「 ホント、もう・・・・。」















アニメ一休さん




 アニメの一休さんの設定は、北朝の天皇と南朝方の公家の娘の間に出来た子供。
南朝系統の子がのちの天皇になるのと困るので将軍が仏門に入れさせる。
殺されるのを避けるため母親が仏門に入れたのだったかも。
お目付け監視に新右衛門をつける。
だったと思う。


 一休さんの父親ではないか?と言われているのが「後小松天皇」。
後小松天皇は北朝の天皇だが、実質は足利義満(「一休さん」の将軍様)の傀儡だった(天皇に即位したのは6歳の時)。
さらに、その後小松天皇自体、足利義満の子ではないか?という仮説あり(By海音寺潮五郎)。
もし!もし、そうなると、将軍様にとって一休さんは「孫」にあたることになる。
 だとすると、しょっちゅう金閣寺に呼び出してるのが「爺さんが孫を呼び出してる」って図式に…。
そういう目で見ると、そうにも見える!将軍様の甘々な態度にも納得がいく!
 ちなみに、後小松天皇の父親の後円融天皇と足利義満の関係は同い年の従兄弟でもあり、なおかつ相当険悪で対立していたとか。
後小松天皇は、後円融天皇、足利義満が18歳の時に産まれてる。

















一休さん




■第一話 毒

 一休さんが台所を覗いてみると、和尚さんが一人でこっそり何かをなめていました。
一休「和尚さんそれは何ですか?」
和尚「うっ、一休!? こ、これは毒じゃ。子どもがなめると死んでしまう毒なんじゃ。」
一休(あれは水飴に違いない。和尚さんは僕たちに内緒で独り占めするつもりだったんだ・・・よーし。)
一休さんは一計を案じ、夜中にこっそり水飴をなめてしまいました。
一休「ウゲー! ウガッ!!」
和尚「いっきゅ―――ゥ!! いっきゅ―――ゥ!!」



■第二話 橋

 ある日、一休さんと和尚さんは庄屋さんに呼ばれ、町に出かけました。
すると、橋の前に立て札がありました。
和尚「なになに、『このはし危険。渡るべからず』おお、一休。これはいけない。遠回りしていこう。」
一休「ははは。和尚さん。端がだめなら、真ん中を渡ればいいんですよ。」
ズボッ グシャァ アァァ―――――
和尚「いっきゅ―――ゥ!! いっきゅ―――ゥ!!」



■第三話 虎

 一休さんと和尚さんは、今度は将軍様に呼ばれました。
何でも、屏風に描かれた虎が夜な夜な屏風から逃げ出し、悪さをするので捕まえて欲しいというのです。
一休「さあ、将軍様。わたしが虎を捕まえてごらんにいれます。早く虎を屏風から出して下さい。」
将軍「よし。わかった。」
グオー ガァー
ウギャ―――!!
ドボッ メキメキ ギチャッ
和尚「いっきゅ―――ゥ!! いっきゅ―――ゥ!!」






■第四話 ラオウ VS 一休

一休「私のとんちは生きるための武器なのです。」
ラオウ「武器だと?ならばうぬのとんちでこの拳王を止めてみせよ!!」
一休「わかりました。私が拳王様の考えてることを当てたら、この村を素通りしてくれますか?」
ラオウ「よかろう。」

ポク・ポク・ポク・ポク・・・チ―――ン。

一休「分かりました!」
ラオウ「ほう、言ってみよ。」
一休「拳王様はこの村を襲う気ですね。」
ラオウ「ん?」
一休「もしそうならば、当たりですので素通りしてください。違うならば、村を襲う気はないのでやっぱり素通りしてください。」
ラオウ「小賢しい小坊主め!この拳王に屁理屈は通用せんわ~!!ぬぅぅぅぅん!!!」
一休「もぺぇ~。」


















日本昔話“根子岳の猫”




 子供のころ見た日本昔話で、印象に残っている怖い話と言われた話です。
概略は、次のものです。


 昔、猫をとってもかわいがってたおじいさんがいた。
長年一緒だったけど、ある日猫が行方不明になってしまう。
おじいさんはとても悲しんでいたけど、人から根子岳に行くと会えると聞いて行ってみた。

 やっと着いたら夜になってしまった。
泊まる場所もなくて歩いてたら、一軒の家を見つける。
どうやら小さな宿で、出て来た人に訳を話して1泊させてもらうことになった。
 食事を持ってきた若い娘はおじいさんを見て驚いて、昔お世話になった猫だと再会を喜んだ。
でもここにいてはいけない・・・と言う。
一緒に行こうというおじいさんに、娘は寿命だから・・・と言うが諦めきれないおじいさんは、せめて今夜だけでも一緒に過ごしたいと願い出る。
 しかし、その宿は、死んだ猫が此の世とあの世とを分けるための場所で、生きた人が入ってきたら猫に変えられると説明するが、おじいさんは猫に変えられても一緒にいたいと聞かない。
娘は、食事には手を付けない事・お酒を飲まない事・風呂に入らない事、これが今夜出きれば朝人のままで帰れると言い、片付けに戻ってしまう。

 他の猫達は何とかおじいさんを猫にしてやろうといろいろ言うが、おじいさんが聞かないと怒り出してしまった。
 真っ暗な夜道をおじいさんは逃げ出した。
でもどっちに行っていいかわからず、迷ってしまう。
そこに娘の猫がきて、案内をしてくれた。
 麓まで来た時、娘は本当に寿命が来たと倒れてしまった。
おじいさんは娘をじっと抱き、朝がくるまでそこで過ごした。
朝になって、娘はいなくなっていたが、昔つけてあげた鈴がおじいさんの手に残った。
おじいさんは、やっとあの猫が死んだことを理解し、鈴を持って帰って行った。
















今日は残業の予定だったのが早く帰れることになった





 今日は残業の予定だったのが早く帰れることになった。
帰宅し、おどかしてやろうかとほんの悪戯心で、音を立てないように細心の注意を払い、こっそり家の中へ。
したら嫁、何かふんふん歌いながら洗濯物たたんでたw。
 しめしめと思い、そっと距離を詰めると、嫁が歌ってたのは“一休さんテーマソング”だった。
吹く寸前でこらえ、面白いので離れてしばらく聞いてたら、歌詞もめちゃくちゃだし、おかしくてもう俺、笑いの発作を止めるのに必死だった。
(ちなみに嫁は不思議ちゃんではなく、ごくごく普通人。だから余計面白かった。)

 そして歌はラストの部分へ。
どうしめるのかと思っていたら、

「 好き好き好き好き好きっ好き♪あ・い・し・て・る♪
好き好き好き好き好きっ好き♪○、○、○(俺の名)♪
〇、○、○(俺の名)♪
たらったったったたー!♪」

 なんか、

“ そうくんのか!”

って意表つかれるやら、ノリ良く後奏部分まで歌ってんのがおかしいやら、もう嫁が何かすげえ愛しいやら、でもおかしいやらで、こらえてたのが崩れ、もう一気に、

「 ふがっ!」

と吹き出してしまった。
 そしたら、気が付いた嫁がまたものすごく驚いて、

「 フギャアァァァ!!!」(←本当にこう叫んだ。毛を逆立てる猫の如しだった。)

もう、なんか可愛くて愛しくて、

「 いつから~、いつから~!」

とジタバタ暴れる嫁を抱きしめて、しばらく爆笑した後、

「 俺も本当に愛してるよ!」

と言いました。
 嫁、涙目顔真っ赤で、

「 も~!」

だって。

おしまい。

















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日々の出来事 12月11日 たくあん和尚

2018-12-11 08:34:42 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月11日 たくあん和尚





 今日は、澤庵宗彭が亡くなった日です。(正保2年12月11日)
沢庵和尚は、兵庫県の出石出身の臨済宗の僧です。
京都の大徳寺の住職をしていましたが出石に帰り、宗鏡寺の裏に庵を結び、投淵軒と名付けて住んでいました。
その後、禁中並公家諸法度による大徳寺への圧力に対して紫衣事件を起こして出羽国の上山に流罪となります。
 この流罪は徳川秀忠の死による大赦令で許され、再度大徳寺に戻ります。
そして、ここで徳川家光が上洛したおり沢庵和尚は謁見し、これ以降、徳川家光は深く沢庵和尚に帰依するようになりました。
 翌年、沢庵和尚は徳川家光に懇願され江戸に行き、徳川家光が沢庵和尚に品川の東海寺を建て住職となります。
その後は、東海寺で徳川家光の相談相手として暮らし、一生を終えました。
 沢庵和尚は、死ぬ前に弟子に請われて筆をとり、“夢”の一字を書きました。
また、遺言として、

“ 自分の葬式はするな。
  香典は一切もらうな。
  死骸は夜密かに担ぎ出し後山に埋めて二度と参るな。
  墓をつくるな。
  朝廷から禅師号を受けるな。
  位牌をつくるな。
  法事をするな。
  年譜を誌すな。”

と残しています。(でも、墓は東海寺にあります。)

 沢庵和尚は、吉川英治の“宮本武蔵”で武蔵の師匠として描かれていますが、宮本武蔵と交渉があったかは、明確な資料がありません。
ただ、沢庵和尚は宮本武蔵より10才ほど年が上で、両者の出身が山ひとつ隔てた背中合わせで近く、また、柳生但馬守に剣禅一如の奥義を伝えたほどの禅僧であることから、何らかの繋がりがあったとも考えられます。
 漬物の“たくあん”は、徳川家光が東海寺を訪れた時、沢庵和尚が名前の付いていない漬物を供したところ「名前がないのであれば、沢庵漬けと呼ぶべし」と言われ“たくあん”となったと東海寺に伝えられています。
 また、江戸時代の俳諧師である吾山は“物類称呼”の中で、“たくあん漬けの名は、武州品川、東海寺開山の澤庵禅師、初めて製し給う、に依ってたくあん漬けと称する”と謂れを書いています。








  沢庵和尚















☆今日の壺々話










定職屋のたくあんはなぜ二切れなのか




一切れ=人斬れ ×
三切れ=身切れ ×
四切れ 多いよバカ!
五切れ だから多いよバカ!
十切れ こんなに食えねぇつってんだろ!
十五切れ ここはたくあん屋かよマジいい加減にしろ!
三十切れ もういいお土産に持ってかえるわ!

というわけで2切れ。



 “沢庵を二切れ出す”という習慣は、江戸時代からの名残です。
侍にたくあんを一切れ出すと、

「一切れ・・・人切れ・・・人斬れ!?人を斬れという意味か!?」

と怒り出しので、一切れはタブーになりました。

“だったら三切れだ!”と思い、出してみたら、

「三切れ・・・身切れ・・・身斬れ!?切腹をして身を斬れというのか!?」

と、また怒り出しました。
 二切れにすると、お侍さんは怒り出すことはなかったので、食堂屋さんも安心^0^
この習慣が現在に至っているそうです。
ただし、関西の方では3と言う数字が縁起がいいので、三切れだしているお店も存在しているのです。

















       千代田城にて





「 沢庵和尚、雨の降る日は天気が悪うござるが、どうしたものでござるな?」
「 左樣、雨の降る日は天気が悪うござるな、伊達政宗殿。」
「 ・・・・・・・?」
「 ・・・・・・・。」

 後日、突然、伊達政宗と家来の一行に大雨が降り掛かります。
伊達政宗と家来は、ビチョビチョに濡れます。
伊達政宗は、ビチョビチョに濡れた家来を見て何とかしてやりたいと思います。
そのとき、そこを通り掛った百姓が歌います。

「 雨の降る日にゃ天気が悪い~~♪」
「 !」

伊達政宗は、この歌でハッと気が付きました。

「 自分は、自分が濡れていることを忘れて家来を何とかしてやりたいと思った。
 この前の沢庵和尚との会話の意味は、これを言っていたのか。
 我を捨てることが、禅の会得に繋がっているのか・・・。」


( これって、とても超越しています。
 禅の心は、全宇宙を駆け巡って、何処にどう繋がっているのでしょうか。)

そして、物影に隠れていた百姓は変装を取りながら言いました。

「 分かったかの、伊達政宗殿・・・・。
 それにしても、大雨の中、走って来たので疲れたわい!
 ゼェ~、ゼェ~、ゼェ~、ヘックション!!」

なんて、オチは実は無いのです。

















宗教“風邪を引く”という世界観の考察




道教:風邪を引く。

儒教:子曰く「風邪を引く。」

仏教:それは実は風邪ではない。

禅:そもそも風邪を引くとは何ぞや。

ヒンズー教:以前にも同じ風邪を引いているのを見た。

イスラム教:風邪を引くのはアラーの思し召し。

プロテスタント:隣人に風邪を引かせたまえ。

カトリック:風邪を引けば、それは罪の報いである。

ユダヤ教:どうして我々ばかり風邪を引くのだ!?

改革派(ユダヤ教):風邪薬はあるか?

セブンスデー・アドベンチスト教会(第7安息日再臨派):風邪を引くのは日曜日である。

ルーテル教会(ルター派):風邪を引いても悔い改めて祈れば善い。

聖公会:風邪を引くのは真実である…、しかしルター派だけが引く。

ウィッカ(魔女宗):一度風邪を引けば二度引く…、女神が風邪を作るのだ。

エホバの証人:風邪はアルマゲドンまで引かない…、良い風邪の量は限定されている。

不可知論:見た目も匂いも風邪だが証明はできない。

ラスタファリズム:この風邪を吸おうぜ、ヘイ!カモン!この風邪はイケるぜ。

バプテスト教会:今まで間違った風邪を引いたことを悔い改めなさい、我々が洗い流そう。

シク教:風邪をそっとしておきなさい。

神道:その風邪は先祖から受け継いだのだ。

統一教会:風邪を引いたときだけが幸せである。

創価学会:風邪を治すには一票を投票しましょう。


















落ち着け




 大学生に入ったばかりの頃、大学の近くのコンビニでバイトしてた。
雨が降ってきそうだったのでビニール傘を出してるときに客が来た。
作業中だったら、しゃがんだままいらっしゃいませって言っても良いのに、何故か慌てて立ち上がろうとしたら、入ってきた初老の男性の股間に私の頭が……。

「 ごっ、すみ、申し訳なりまふ…申し、もうしがけもうしらけ・・・・。」

ごめんなさいと言おうする。

→あれ、すみませんだっけ?
→いや申し訳ありませんだろ?

と巡る思考と回らない舌。
 頭をぶつけたところに触れようとするも、男の人の股間に触るのはアウトだろと思い、あわあわと客の股間に触れるか触れないか辺りで手を彷徨わせてた。

「 落ち着きなさい、私は大丈夫だから。」

その方はぽんぽんと私の肩を叩いて、何事もなかったかのように買い物して帰っていった。


 そのふた月ほど後、学食でうどんセットを購入して、あいてる席を探していたら席を立とうとした人の椅子に足を引っ掛けてこけた。
私の手から離れるトレー。

飛ぶうどん。
飛ぶ沢庵。
飛ぶ白飯。
飛ぶお茶。

綺麗な放物線を描いて誰かの肩にうどんがかかった。
 うどんまみれになった男性が振り返った。
見覚えのある顔。
真っ白になる頭の中。
そうコンビニのときの方と再会。
 股間は大丈夫でしたかとか、うどんは大丈夫ですかとか、教授だったんですかとか、目茶苦茶噛みながら色々言った気がするけど、よく覚えてない。

「 君は冷静になるということを覚えなさい。」

と溜め息混じりに言われたのは覚えてる。
 とりあえず、私のサークル活動用のジャージに着替えてもらった。
でもその時さ、洗剤詰め替えるとき間違えてシャンプーで洗濯してたんだよね。
フローラルな薫りのジャージで一日過ごさせてしまったことを後日謝りに言ったら、

「 言わなきゃ分からないのに、君は変わってるねえ。」

としみじみと言われた。
 その時に色々雑談もしたんだけど、私の推薦入試のときの面接官もその教授だったらしく、私が椅子に座ろうとしたときに、目測を誤って尻餅をついたことや退室する時にドアにぶつかったときの話もされた。
尻餅をついたときにパンツ丸見えになって、

「 ちゃんとしたのじゃなくてすみません!
3枚1200円のですみません!
お目汚しすみません!」

と連呼してたことや、ぶつかったドアにペコペコ謝ってたらしい。
緊張と羞恥のあまり、忘れてた色んなことを思い出して死ぬかと思った。
















母ちゃんへ




母ちゃんへ
弁当にカレーを入れるのは百歩譲ってよしとする。
そのカレーの具材にちくわが入っていてもよしとする。
さらに福神漬がないからって替わりにたくあんと入れたこともよしとする。
ただ箸はゆるさん。

















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日々の出来事 12月10日 三億円事件で高田純次疑われる

2018-12-10 08:42:40 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月10日 三億円事件で高田純次疑われる





 今日は、三億円事件があった日です。(1968年12月10日)
1968年12月10日午前9時25分頃、東京府中刑務所横の道路で、東芝府中工場の従業員のボーナス3億円を乗せた日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が白バイの警官に停止を命じられました。
 白バイの警官は、“現金輸送車に爆弾が仕掛けられた疑いがあるので調べます”と言って、乗っていた銀行の係員4人を現金輸送車から降りるように指示を出します。
この4日前にも支店長宛ての脅迫状が送り付けられていたこともあり、慌てた4人は現金輸送車から降り、白バイの警官は現金輸送車の下に潜り込み、爆弾を探すふりをして発炎筒を発火、“爆発する、危険だから下がって”の白バイの警官の声に、4人が刑務所の壁の辺りまで下がると、そのまま現金輸送車は警官の運転で発車します。
4人は爆発物を危険を承知で安全な所に移動をさせると思い、この警官の行為に“勇気のある人だなァ”と妙に感心します。
そして、現金輸送車は3億円とともに走り去り、消えてしまいました。
 その後、警察は容疑者として十数万人を調べましたが分からず、この中には高田純次や布施明も入っていました。
そして、犯人不明のまま20年が過ぎ、1988年12月10日、時効が成立しました。
 当時の3億円は、現在の価値としては30億円ほどです。
そして、この3億円には外国の再保険が掛けられていたため日本の企業には損失は無く、東芝府中工場の従業員のボーナスは、無事次の日に支給されました。
また、この事件を切っ掛けに、現金輸送が危険であるとして給料の現金支給は口座振込みに切り替えられて行きました。
 事件としては、怪我人も無く計略だけで強奪に成功していることもあって“憎しみのない強盗”として、ドラマや小説の題材に多く利用されています。
 この盗まれた3億円は新札で、紙幣の番号は控えられていました。
だから、警察は紙幣が使われることを待って、逮捕に結び付けようとしていましたが、結局この紙幣は使われませんでした。
 西岸良平の“三丁目の夕日(夕焼けの歌)”に、主人公が自分の夢を叶えるため3億円を盗み、海岸近くの松林に隠しますが、翌日、事件の大きさに驚き使用に踏み切れないまま、時効後も平凡な生活を送ると言うお話があります。

「 お~い!
 時効も過ぎたし、そろそろ、お金を使ってもいいよォ~~!!」











  高田純次
















☆今日の壺々話









3億円事件






 3億円事件では、実は3億円も盗まれていない。
正しくは、2億9430万7500円。
また、盗まれた3億円は、日本の保険会社が支払った保険金により補填された。
 その保険会社もまた再保険(日本以外の保険会社による)によって損害の補填をうけていたために、日本企業の損失はなかった。
そのため、事件の翌日には社員にボーナスが支給された。
 このように史上例を見ない金額の事件だったにもかかわらず、実質的に国内で損をした者は1人もいないとされている。
このことと、犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、“憎しみのない強盗”のあだ名もある。
 この事件以来、多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について(銀行など)口座振込としたり、専門の訓練を積んだ警備員による現金輸送が増加する要因となった。









      高田純次容疑者





「 こんにちは。いつもステキな高田純次です。」
「 ごめんなさいね、いい男で。」
「 キミ、目鼻立ちがしっかりしていて、
 どこが目でどこが鼻かすぐ分かるね。」
「 駅ですべって転がってる女はたいてい 
 すっとこどっこいの顔をしてるよね。」
「 オレはいたってフツウだよ。
 豆腐を食べる時は一度 頭の上に乗せてから食べるよ。」
「 キミ、何か恥ずかしかったこととかないの?
 自転車に乗ろうとしたらハンドルが逆についてたとか。」
「 オレは物忘れがヒドくて トイレに入って
 “何をしにトイレに来たのか”忘れちゃうんだ。」
「 手のシワとシワを合わせて こんにちは・・・。」
「 あれ?この話、昨日はウケたんだけどな・・・・・。」







    宝くじで三億円





宝くじで三億円を手にした男が、テレビ局のインタビューに答えていました。

「 当選おめでとうございます!
 このお金は何に使いますか?」
「 はい、5ヵ所の消費者金融に借金を返そうかと。」
「 なるほど。
 で、残りはどうします?」
「 はい。
 残りのところには、もうちょっと待ってもらおうかと・・・。」








現金輸送




現金輸送やってるけど何かある?
経験3年です、何でも来い~!


これまで盗まれそうになったことある?
会社じゃ暴漢に対してどんなマニュアルがあるの?
車とかに武器とか常備してるの?
今まで最高でいくらぐらい運んだことある?


車自体を盗られる事はほとんどない。盗難防止装置付き。
暴漢に対するマニュアルは、襲われたら逃げろ!襲われる前に見つけろ!以上。
武器は短い警棒のみ。法規制がないとこれ以上のものは持てません。
自己最高額は60~70億くらい?


次回の輸送ルートと時間、人数構成、いくら位積むのか。
できれば、この先一ヶ月の予定も聞きたい。


それ書き込んで実行されたら私逮捕されちゃうんで、自分で調べてみてください。


普通の軽自動車とかで輸送したほうが安全なんじゃない?


もっと目立たない格好や車でやらせて欲しいってのはある。
硬貨もめっちゃ運ぶので軽では積載オーバーで無理。


どうして今の仕事についたの?


ニートだったから。


輸送やってておもしろかった&良かったことは?


銀行の女の子と知り合えること。
あとは必ず2人乗りなので話上手になった。入る前は無口。


金運ぶ以外の時間は何をしてるの?
事務作業?


原則運ぶだけ。
あとは伝票チェックしたり積み下ろしの準備とか。


空き時間に札束でビンタとかして遊ぶの?


札束は触らせて貰えません、硬貨の束ならしょっちゅうだけど。


同年代の女子社員とかいる?


女子は事務員しかいない、完全な男社会。
他社でみたことはあるけど、物凄くゴツイ。


そういえば昔、現金輸送車から三億ぐらい盗まれたって事件あったな。
まだ犯人みつかってないらしいが。


あの頃は大らかな世の中だったから警戒も薄い。
今だったら絶対にありえないw。


次回の輸送ルートを教えてください。


ボストン美術館からモナリザをルパンに警戒しながらスイス銀行へ・・・。
つか言えない。


百万の札束から一枚ずつ抜いたら六十億だと六千万…。
ウホッ!


札は基本的に銀行の人が触って、わしらの手に触れる頃には、南京錠でしっかりとブロックされております。


ここだけの話、銀行員は金盗み放題です、これマジ。


その話は厳禁。








白バイ





 ローマ法王がアメリカを訪れたある日。
高速道路を車で走っている途中、後部座席のローマ法王は運転手に言った。

「 私は本当は車の運転が大好きなんだ。
運転を少しだけ代わってくれないか?」

 運転手はローマ法王に運転を代わったまではよかったのだが、実はローマ法王かなりのスピード狂、10分もたたないうちに白バイに止められてしまった。
しかし白バイ警官は運転席から降りてきたローマ法王を見て吃驚、慌てて無線で上司に指示を仰いだ。

警官:「課長大変です!とんでもない大物の車を取り締まってしまいました!」
課長:「大物!?いったいどれぐらいの大物なんだ?」
警官:「神です!!どうしたらいいんでしょうか?」
課長:「落ち着け。一体どういうことなんだ?」
警官:「とにかく神なんです!ローマ法王が彼の運転手をしてるくらいんなんですから!」






宝くじで3億円




宝くじで3億円当たったらどうする?
俺は車と家を買う。


貯金。


あったかい場所に住む。


家をリフォームする。残り半分貯金。
その半分は隣近所の付き合い費に。
田舎だからそういうの重要。


まず、ホントに誰にも言わない。
そして、住宅ローンを3分の2だけ返済する。でも敢えて返済額残す。
人の妬みややっかみってメンドクサイからローンがある自分を演じる。

あとは、子どもの教育費と、自分の趣味。
親の老人ホーム費用など考えればあっという間になくなる。


10年の長期定期に積む。
今現在、一番高いので年1.8%だから、何もしなくても年間で540万の所得になる
……まあ、税金も掛かるけど。20%くらい持っていかれるか??
それでも何もしなくても、年間430万くらいの収入があるならば、後はあくせく働かずに
自由に生きていける。
都心部だと430万ではキツイかもしれないけど、地方在住ならばかなり余裕だし。
それから、歯医者にいく。


俺も行く。


親の借金返済。
あとは貯金。
あと、歯医者も行きたい。



オマエら歯医者ぐらいすぐ行け。
大変な事になるぞ。


すげー頑張って1日で使い切りたいな。
歯医者はもちろん行くけど。


いやー、右奥の下がすっげえしみるんだ。
三億あったら極楽だ、歯石も全廃だ。



3億か…仕事辞めようか。
いや、でも歯医者行くなら最低限保険はないとな…自宅警備も実際…。
まぁ何にせよ一番最初は歯医者に行くよ。


三億か…いつもより奮発して食べ物とか買うかな。
でもまずは歯医者行くかな。


秘密にしてたいけど、どうせ銀行から漏洩したりするんだろうなあ。
もう十年以上虫歯放置してます。


虫歯ほったらかしてたらばい菌入って、
顔半分がパンパンに腫れてる俺がいますよ。
全身麻酔して虫歯治療してほしい。


15万ぐらいのPC買う。
一人暮らしをする。
貯金をしつつその利息で適当に生活。
歯医者に行っておっぱいを期待する。


いいから、早く歯医者に行け!




















アンケート


 『押すと3億円もらえるけど夫が即死するボタン』


      “あなたなら押しますか?”







(´・ω・`)押すの?押さないの?
ただし押す権利があるのは健康な夫がいる人だけだよ。



連打。



5回ぐらい再婚しちゃってw。



これ押さないほうがおかしいって。



押さないっ…!
私は押さないっ…!



好きだけど、押す。
そして、得たお金できちんと弔います。



もし自分が死ぬボタンだったらすぐに押す。
旦那が死ぬボタンだったらごめんなさいって言ってから押す。



お前ら容赦ないな



躊躇なく押す。
どうせATMだし



押す 絶対押す



今なら押せる。
家のローンも消えるし実家のある四国にもどって小さい平屋建てるわ。



押す。当たり前じゃん



もちろん押す
想像するだけで口角が上がる



三億使い切ってからボタン押したの後悔したり虚しくなったりしそうだな。
でも目の前にボタンがあったら押しちゃうかも。



高額な死亡保険金かけて一年後に押すのはダメかしら?



すぐは押さないけど、常にボタンは手元に置いておきたい。



押さない。
差し当たって欲しいものや入り用も無いし、並の生活できてるし、
何といっても旦那ラブだから。
皆、三億円もゲトして何に使うのよ。



瞬ポチ
でも押さない人がいるなんてほっこりした!



押しちゃうよね、それでもってその日の晩もうなされることなく熟睡。
葬式では勿論泣き崩れますw。



押す。何のためらいもない。



30億なら押す。
うちの夫は30億の価値がある男 (*ノ∀ノ)イヤン



押せないよ。
自分を愛して可愛がってくれる世界で唯一の他人なのに。



上のように思っていた時期が私にもありました・・・。
さあ連打!連打!



押さない。
旦那が長期出張に出ると、必ず具合の悪くなる私。
自覚は無いけど、きっと精神的にものすごく頼りにしてるんだと思う。
この世から居なくなったら、私も死んでしまうかもしれん。



押さない。
だって今後宝くじで3億円当たることだってあるかもしれないし。
しょぼい旦那だけど、いれば夢は広がる。



3億出してもこんな女を大切にしてくれる男はいないのが分かり切っているのでムリです。
自分がモッテモテの美女だったら違ったのかな…。
でも連打ってのはちょっと笑えるwww



押さない人が多くで驚いた。 幸せな人たくさんなんだね。
うちは、3000万でも余裕に押す。
それぐらい不良債権です。



「夫が即死するから押しちゃだめだよ」と書いてあっても、迷わず押す。



押さないって言ってる奥様も
「このボタンを持って帰って良い権利」が一回だけ与えられるのなら
一応、持って帰るだけはしておくと思う。



3億かあ~・・・微妙。
あと50年生きるとして、年600万→月50万。
月50万だったら、ダンナ生きてたほうがマシ。
6億でも年1200万。子ども二人私学には行かせられない。
案外少ないもんだ。



まだ結婚三年目だし、私と結婚してくれただけで有難いので押さない。
ただ何十年後かに同じ思いでいられるかどうかはわからん。



押す。
そして夫の連れ猫(たいへんに可愛い)と共に静かに暮らす。  



今は押さないけど、もしそのボタンをいつでも押せる状態で携帯してたら、
絶対にそのうち押してしまうと思う。



愛してるけど。
ポチっとな☆☆



自宅に居るときに押すと、私が殺したと思われるので、
会社に行ってる間にそっと押すと思う。昼飯食べたあとがいいかな。
生前供養として、前夜には大好きなマーボを、たらふく食べさせてあげるです。
さようなら。旦那。残った私のことは全然×3心配しなくていいよ。
来世は別々の道を歩こうね。


3億なら押さない。
相手が姑なら長押しするわ。



額がいくらだとしても押さない。
安月給で中年太りのうちの旦那だけど、大事な人だから。



チーズを置いておく。



旦那大好きだから絶対押さない。
旦那がいない人生なんていくら大金持っててもなんの意味もない。
親と妹なら連打する。



旦那の障害賃金が15くらいなので20億なら押す。
3億じゃ生かしといた方が便利。



給料滅茶苦茶下がって、家のローンもあって家計は火の車で喉から手が出るほど3億欲しいけど、押さない。
こんな私と結婚してくれて、子供達を本当に可愛がってくれてる。
多分一生貧乏だけど、旦那と生きていく貧乏人生を選ぶ。



いつもムスッとしてて生活費は偉そうに5万しか渡してくれない。
40歳夫に情もないから連打そして連打。この世から消えてくれ。



全く同じボタンを100個ぐらい作って1日1個押してドキドキを楽しむ



旦那に聞いてみたら頑張って3億以上稼ぐから押さないでくれって言われた。
私が押す事が前提かいwwと思ったけど確実に押す。
そして旦那が押すかどうか聞いたのにそれには笑って答えなかった。



うちも旦那に聞いてみた。
何くだらないこと言ってんだ?という顔で「押しませーん」と言われた。
そういえば、前に「来世でも同じ配偶者がいいか?」という質問のときには、
「来世でもあなたがいいよ」と言われたな。
それならば、もっと可愛がってくれてもいいと思うんです(´・ω・`)
結婚して12年、子供3人。
このまま暮らしていったら、いつかは私がボタンを押す日が来るな。



旦那にボタンの事言ったら、大笑いしながら、「押さねぇーよ」って言われた。
ごめんよ。あたしは押すか押さなないか、3日悩んでしまった。
でもね、世の中金で解決出来ない事って無いんだ。
押しても化けてでないでね。



結婚して1年が経ち、旦那に保険に加入してもらう時にこういうことを考えた。
旦那の保険加入時って微妙な空気になりませんでしたか?
「俺が死んだらいくら欲しい?」と言われても微妙・・・。
大きい金額を口にすると表情が「欲しい」って顔に変わってしまいそうで困った。
正直結婚前は離婚時の財産分与とか死亡時の保険金額とか考えたりしたけど、
結婚3年目の今は、3億もらって1人で余生を送ったり、別の人と再婚するより、
今の旦那と添い遂げたい気持ちが大きい。
先のことは分からないけどね。
でも今でも額によってはやっぱり顔がゆるんでしまうかもしれない。



旦那が会社にいる時に電話をかけ
恨みつらみを端的に伝え
ボタンの存在を伝え
自分が悪いという事を思い知らせてからぽちっとな



前にお金なんてもらなくても押すと書き込んだ。
今日改めて考えてみたが、もう付き合い長いし、
あんな人でも子供の父親だし、やっぱりお金を払っても押す。



押すのかよ。
ワロタ。



私を大事にしてくれて、甘やかしてくれて、
何でも言うことを聞いてくれる旦那を、
いくら3億円もらえるからって、簡単にボタンを押せるわけがない。
そこまで薄情な女じゃない。
だからじっくり考えて「ゴメンネ」と言いながら押す。



人生とは、はかなく、あっという間に終わってしまう。
人生には限りがある。
下らない男を捨て、新しい恋をスタートさせよう!



ミルクティー飲みながら愛犬なでなでしながら優雅にボタン押させていただきます



出逢った頃、私と彼方は強く惹かれあって、
いつまでも一緒にいようと固く誓い合った。
あれからずっと、彼方は私を大切にしてくれたね。
いつも優しい彼方・・・本当にありがとう。

そんなあなたのことを、
たかがお金の為に犠牲にすることなんてできない。
ずっと愛してる。










ぽち。


















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日々の出来事 12月9日 夏目漱石の脳

2018-12-09 10:22:02 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月9日 夏目漱石の脳






 今日は、夏目漱石が亡くなった日です。(1916年12月9日)
夏目漱石は、“吾輩は猫である”、“坊っちゃん”、“三四郎”、“こゝろ”、“明暗”等で知られる明治・大正時代の大文豪です。
 夏目漱石は病気と縁が深く、疱瘡、肺結核、トラホーム、神経衰弱、痔、糖尿病、胃潰瘍等の数多くの病気を経験していました。
特に“修善寺の大患”で吐血した胃潰瘍は、“明暗”を執筆中に再度大出血、結局これが原因で夏目漱石は亡くなってしまいます。
この時の夏目漱石の最後の言葉は、“死ぬと困るから”であったと言われています。
 夏目漱石の遺体は、翌日、東京大学医学部解剖室において長與又郎によって解剖されました。
そして、摘出された脳と胃は東京大学に寄贈され、重さ1425gの脳はアルコールに漬けられ、現在も東京大学医学部に保存されています。







  夏目漱石

















☆今日の壺々話






       ゴーストライター





「 漱石先生、そろそろ原稿が欲しいのですが・・・。」

“ ブク、ブク、ブク、ブク・・・・。”

「 あの~、漱石先生!
 寝てないで、起きて下さいよォ~。」
「 ん・・・。
 あ、寝てたか・・・。
 あ、悪い、悪い。
 で、何だったかな?」
「 ほら、この前言っていた原稿ですよォ~。」
「 あ、そうだ、そうだ!
 まだ、出来てない、アハハハハハ!」
「 アハハハハハじゃないですよ。
 早く、お願いしますよ。」
「 ああ、分かった、分かった。
 じゃ、口述筆記で行くからな。」
「 ハイハイ、準備OK!」
「 そうだな、まず、作者の名前と作品名を決めなくちゃ・・。
 今度は、何にしようかなァ・・・。」
「 この前のはイマイチでしたよ、先生。」
「 そうか、イマイチだったか・・・。
 “綿谷リサの蹴りたいサカナ”は、ダメだったか・・。
 女性心理をくすぐって、いい線行ってると思ったけどなァ~。」
「 似たような作品に、賞を持って行かれましたよォ!」
「 そうだな、今度はちょっと慎重に考えよう!
 う~ん、う~ん、う~ん、思いつかないな・・・・・・。
 よし、そこの赤いチューブの栄養剤を入れてくれ。」
「 ハイ、入れましたよ。」
「 お、効いて来たかな。
 アハ、アハ、アハハハ!
 ウヒョ~、調子出て来たぞ~!
 ウヒョ~、ウヒョ~、ウヒョ~!」
「 あ、先生、どうしたんですか?」
「 あや、眠くなって来たぞ。
 じゃ、オヤスミ・・・・。
 グゥ~、グゥ~、グゥ~、ムニャ、ムニャ・・・。」
「 ありゃ、寝ちゃった・・・。
 変なもの入れちゃったかな?
 えっと、これは、ウオッカ。
 ヒョェ~、お酒だったんだ。
 先生、先生、起きてくださいよォ~。
 もう・・・・。」

“ ブク、ブク、ブク、ブク・・・・。”




  漱石先生のプロフィール

氏名、夏目漱石
現住所、東京大学医学部の水槽
職業、ゴーストライター
趣味、水泳
嗜好、ウオッカ
好きな言葉、死ぬと困る
脳の重さ、現在、2681g
















   月がきれいですね




 近所の夫婦のなれそめ話です。
奥さんは日本人、旦那さんはアメリカ人です。
 奥さんは夏目漱石の大ファンです。
アメリカに留学に行って旦那さんと出会ったそうな。
日本に何度か行ったことがある旦那さんと意気投合し、
奥さんはよく夏目漱石について熱く語ったらしい。

 ある日、なんかのパーティーの後、夜遅くなり旦那さんに
送ってもらっていると、旦那さんが急に立ち止まった。
どうしたの、と見ると旦那さんはじっと夜空を見上げている。
満月。
旦那さんは奥さんをじっと見つめ、カタコトの日本語で

「 月がキレイですね。」

と一言。
奥さんはすぐ意味を理解し、「私もそう思う」と泣きながら応えたそうな。



解説
 夏目漱石が生徒に英語を教えていました。
生徒が「I love you」という英語を「あなたを愛しています」と訳したところ、
漱石は、「日本人が“愛しています”だなんて言うものか。
『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ。
それで日本人は分かるものだ。」 と言いました。

つまり、「月がきれいですね」=「I LOVE YOU」です。
















メリークリスマス




 「メリークリスマス!」と、その手紙には書かれていた。
例年より寒さの厳しい十二月二十四日のことだ。
 僕はその日、珍しく妻より早くに起きた。
枕元にある無骨な安物の目覚まし時計は六時少し前を指していた。
時計が甲高い下品な音をたてるには、まだ三十分あった。
 妻はまだ隣で静かに寝息を立てている。
髪先が顔にかかり、ときどきくすぐったそうに鼻をひくひくと動かす。
呼吸するたびに、肩は僅かに上下した。

 毛布に包まれた彼女の体は、袋に押し込まれた豚の肉塊を想像させた。
豚は死んでいて、それ自体はぴくりともしない。
ときどき豚の体内にいる悪魔が暴れるのだ。
ここから俺を出せ、と。

 僕は急に、横で眠りを貪る女の無神経さに腹が立った。
息苦しくなるほど強烈な憎しみが胸に広がった。
妻にそんな感情を抱いたのは初めてだった。
 友人の紹介でこの女と結婚してもう六年になるが、結婚生活はまず順調と言えた。
もちろんそこには、いくつかの問題と衝突があった。
僕たちは時に話し合いでそれらを解決し、時に我慢することで時間が解決してくれるのを待った。
 他の夫婦のことは分からないが、そう変わらないはずだ。
どの夫婦もそうやって距離を縮めていくはずだ。
僕は当然のように妻を愛していた。

 ただその瞬間だけは隣にある脂肪をどうしようもなく醜いと感じた。
外見的な醜さではない。
醜悪なのはその心だ。精神だ。魂だ。
酩酊してしまうような腐りきった臓腑の臭いが漂ってくる気がした。

 それから僕はふと、それが本当の豚の肉塊ならどんなに良いだろうと思った。
豚なら食ってしまえばいい。
焼いて、煮て、茹でて、蒸して、食ってしまえばいい。
後には何も残らない。
残らない。


 僕は彼女を起こさぬよう、ぬるりとベッドを出た。
冬の早朝のフローリングはひどく冷たかった。
 ハンガーに掛けてあったジャケットを羽織り、履き古したサンダルを履き庭に出た。
庭といっても猫の額ほどの土地に、車一台分の車庫とポストがあるだけの閑散としたものだ。
そこには鑑賞すべき築山も泉地もない。
ただ必要最低限の実用性と機能性を備えただけの庭だった。
それは僕と妻の結婚生活に似ているのかもしれない。

 低くたれ込めた暗い雲が空に覆い被さっている。
乾燥した空気にも確かに雨の匂いが混じっていた。
しばらくしたら雨になるということは、天気に対する知識のない僕にも容易に想像がついた。

 とにかく僕はポストを開けたのだ。
四つ折りにされた新聞を取った。
新聞の間から葉書サイズの紙が落ちた。
それを拾い上げ、表裏を確かめるように二度三度返した。

 それは葉書サイズではあったが葉書ではなかった。
画用紙のような手触りだったが画用紙ではなかった。
和紙のように薄かったが和紙ではなかった。
要するにどんな種類の紙であると同時に、僕の知るいかなる紙とも違っていた。
 紙の表面には(あるいはそれは裏面だったのかもしれない。どちらにしろ確固たる証拠はないし、ここでは些末な問題にすぎない)文字が書かれていた。
端正な字だ。
 僕はその場で流し読みしてみたが、上手く内容を把握することが出来なかった。
一文字一文字が別の言語であるかのような不思議な独立性を保っていた。
仕事柄、文章を速く読むのは慣れているはずなのに、その文字列はほとんど頭に入ってこなかった。
 まるで卵の殼のような文章だった。
ひどく無機質で、中身はどっか別のところに放られてしまっていた。
諦めて家に戻り、コーヒーを入れ、リビングのソファに座って今度はゆっくり手紙を読み返した。

 『メリークリスマス!今日はとても大切な日です。私にとっても、もちろんあなたにとっても。なにも宗教的見地から言っているわけではありません
とにかく大切な日なのです。お気をつけください。これを忘れないでいただきたい。今はこれしか言えませんし、これ以上言うことはありません』

 その他には住所も番地も差出人も何も書いてなかった。
僕はコーヒーを一口飲み、もう一度最初から読み直した。
大切な日?気をつけろ?いったい何のことを言っているのだ。

 三十分ほどして妻が起きてきた。
僕はとっさに手紙をズボンのポケットにしまった。
 なぜそんなことをしたのか自分でも分からなかった。
だってそんな必要はどこにもないのだ。
こんな手紙が来たと、苦笑しながら、あるいは訝りながら彼女に教えるだけでいい。
きっと彼女は「いたずらかしら」と言う。
それで終わりだ。
僕の中から手紙は消え去る。
 しかし僕はそれを隠した。
妻の足音が聞こえた瞬間、不可解な呪縛が僕の腕を縛り、意識を縛った。

「おはよう」と僕は伏せていた顔を上げた。
「おはよう、今朝は早いのね」と妻は言った。

 妻はそのままキッチンに行ってコーヒーを淹れている。
僕はその間、手紙のことをどう話そうか考える。
手紙を見せるタイミングからセリフ、口調、間、視線、表情。
 出来る限り自然に振る舞えるよう、まるで嘘をつく子供のように何度も何度も脳内でシミュレーションする。
そうだ、何も難しいことはない。

 結局妻がリビングに戻ってきた後も、手紙のことは言い出せなかった。
僕の手は錆び付いて完全に制止する直前のロボットのように、膝の上をぎこちなく這い回るだけだった。

 その夜、夢を見た。
暗く深い海の底のような重たい夢だった。
 僕は洗面所にいた。
目前では黒のミディアムドレス姿の妻が鏡を覗いて化粧をしている。
彼女は僕の存在に気付いていない。
 おそらくここには僕の実体はなく、意識だけが波間に漂うゴミのようにぽっかりと浮いている状態なのだ。
現に鏡に映るのは妻の姿だけだ。
「大丈夫よ、絶対に気付かれてないわ」と妻はファンデーションを塗りながら言った。
 僕に言っているわけではない。
鏡の中の自分、あるいはその先にいる何者かに語りかけている。
「彼は石ころのように愚鈍な男だもの、私のことなんか何にも知らないんだから。」
 妻は口紅を馴染ませる。
それから赤い小瓶に入ったオーデコロンを軽く振りかける。
見たことのない小瓶だった。
もっともドレスも口紅もオーデコロンの小瓶も僕は見たことはないし、彼女がそれを持っていることすら知らなかった。

 僕は本当に彼女のことを何も知らないのだ。
六年間で僕たちが積み上げたのは、いや積み上げたと思い込もうとしていたのはただ結婚していたという空虚な事実だった。

「大丈夫、絶対に気付かれていないわ。」
鏡の中の彼女は深く深く笑っていた。

 目を覚ましたとき、外は相変わらず灰色に光っていた。
銀色の矢のような細かい雨が静かに降っている。
今夜はホワイトクリスマスになる可能性が高いと、テレビの気象予報士がまるで自分の手柄のように言っていた。
 僕はなぜか夏目漱石の『夢十夜』を思い出していた。
確かあの作品の中に男が豚の大群に襲われる話があった。
男はステッキで豚の鼻面を叩いて谷底に落としていくが、最後には力尽きる。
僕はその男のことを思い、急に不気味な笑いが込み上げてくるのを感じた。
くつくつと笑っていると、隣の妻が目を覚ました。
 突然重力が増し這いつくばることしか出来なくなった人間のように、気だるげに体を起こしている。
もう憎しみは微塵もなかった。
そうだ、僕はこの女を愛しているのだ。
「メリークリスマス」と僕は喉の奥で小さく呟くように言った。
大丈夫、何も気付かれてはいない。
何も気付かれてはいない。
















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日々の出来事 12月8日 三波伸介

2018-12-08 18:42:18 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月8日 三波伸介





 今日は、三波伸介が亡くなった日です。(1982年12月8日)
三波伸介は、昭和期を代表するコメディアンです。
初期の頃は、玉川良一・東けんじと“おとぼけガイズ”の名前でコントを演じていましたが解散、次に伊東四朗・戸塚睦夫と結成した“てんぷくトリオ”で舞台やテレビのバラエティ番組で人気を得、そのギャグである“びっくりしたなぁ、もう!”は流行語となりました。
 その後は、“笑点”や“夜のヒットスタジオ”等の司会者としても活躍していましたが、人気絶頂期の12月に急死しました。
このため、録画が完了していた翌年の正月番組では“この番組は○月○日に収録したものです”と言うテロップが数多く流れました。
 三波伸介は、普段から睡眠時間が3~5時間、タバコは一日最低でも3箱、コーヒーが好きで毎日浴びるほど飲むと言う生活を続けたのも影響してか、解離性大動脈瘤破裂で倒れ意識が戻らないまま52才で逝去しました。










  三波伸介
















☆今日の壺々話









     悪戯



三波伸介の奥さんが自宅に帰って来て、玄関を見ると三波伸介が倒れています。

「 アハハハハハ!
 まぁた、お父さん、もう~!
 ハイハイ、そんな所で死んだふりして、ダメダメ、騙されませんよォ~!
 エッ!
 エッ!
 エッ!
 あらァ~、こりゃ、ホントだ。
 救急車、救急車!
 びっくりしたなァ、もう!」

生前から“死んだふり”の悪戯が得意だったコメディアン三波伸介は、最後も家族をビックリさせました。
















     死んだふり




 “死んだふり”で有名なのは、熊に出会ったときです。
これは、もう、日本では定番と言ったところです。
でも、この定番に従ったおかげで、熊に襲われてお陀仏になった人も多いのです。
この“熊に出会ったときは死んだふり”は、イソップのお話から来ています。



 ふたりの男が一緒に旅をしていました。
ある大きな森をふたりが歩いていたとき、バッタリ熊と出くわします。
ひとりは慌てて近くの大木に登りました。
でも、もうひとりは逃げ遅れてしまいます。
そこで、逃げ遅れた男は、仕方なく地面に倒れて死んだふりをしました。
 木に登った男が熊の様子を見ていると、熊は地面に倒れている男に近付いてきました。
そして、地面に倒れた男の耳に何かをささやいてから森の奥に去って行きます。
木に登った男は安全を確認した後、木から降りてきて逃げ遅れた男に尋ねます。

「 熊は君に何をささやいたんだ?」
「 ああ、“危ないときに友達を捨てて自分だけ逃げようとするヤツとは別れろ”ってさ。」



 それでは熊に出会ったとき、どうすればいいのでしょうか。
玉手英夫の“クマに会ったらどうするか”(岩波新書)によると、“立ち止まったまま話をする”のが良いようです。
この本では、これは“熊の警戒心を解く効果”があると言っています。


















ビックリ箱おむすび




 幼稚園の時弁当の時間に仲良かったTちゃんがとなりに座ってて、
「おかずとっかえっこしよ」といってきた。
「うん、いいよ」と私。
そしたら、Tちゃんの反対側に座ってたAってコが聞こえよがしに耳打ちしたんだ。
「Nちゃんのお弁当、ごはんばっかだから損だよ。やめなよ。」

 たしかに私の弁当箱は、ご飯を入れるスペースが広かったんだけどね。
母の実家は米どころ宮城でさ。
いつもササニシキのとれたてを送ってもらってて、しかも釜炊きだったから、私にとってはうちの白飯はご馳走だったわけ。
おむすび弁当だって大好きだった。
 別に、Tちゃんには普通にその日のおかずのコロッケとかそういうのあげるつもりだったんだけど、Aのこの一言でカーっと頭に血が上ってね。
次の瞬間、号泣しながらAに掴みかかってった。

 楽しいはずの弁当タイムに、突然女の子同士のつかみ合い勃発に大慌てで引き剥がす担任。
押さえつけられながら、
「おかあちゃんのおべんとう美味しいもん!Aちゃんなんか大嫌いだ!」とか延々さけんでた。
…弁当ひっくりかえしちゃったんだけどさ…、その後私とAは別々に呼ばれて事の発端を説明させられた。

 その日のお迎えのときに、担任が母と少しの間話してた。
(Aの親も同様になんかいわれてた)
帰り道、いつ怒られるのかとびくびくしてる私に母はなにも言わなかった。
いつもと全く変わらんの。
ただ、その日の晩御飯はいつもより時間が早く、メニューは私の大好きなハンバーグだった。
もちろん炊きたてご飯たっぷり。

 続きで、次の日持たされた弁当がいつもと様子が違うわけ。
なんか包みがごつい。
「お弁当の時間まであけちゃだめだからね」と念を押された。

 午前のお時間がすぎて弁当タイム。
中から子供の自分の顔なんぞすっぽり隠すくらいでっかいおむすびが1個出てきた。
おかずは卵焼き、唐揚げ、いぶりがっこ…だったかな。
もう周り中から羨ましがられたよ。
「いいなあー!さるかに合戦みたい!」
「僕もママに同じのつくってもらう!!」
照れ笑いしながら一生懸命食った。

 たらこだの梅だのねりおかかだの色々入ってて、さながらビックリ箱おむすび。
途中で腹くちくなったけど、最後まで休み休み平らげた。
帰宅してからっぽになった包み手渡したら、顔中くしゃくしゃにして喜んでくれました。
おかあさん有難う、改めてうちのご飯は世界一だと思ったよ。
ガキのクセに生意気な感想だけど。

 家を出た今も、米は釜で炊いてるよ。
でーっかい具たくさんおむすびは、私が落ち込んだときに作る必殺入魂メニューです。

















最近知ってびっくりしたこと



最近知ってびっくりしたこと。
電子レンジを使って漬物が作れるということ。

作り方

1.樽にお好みの野菜を入れて塩をふる。
2.落し蓋をして、その上に電子レンジを乗せる。

それだけでOK。


















お話 “うそ”





 今日はエイプリルフールだ。
特にすることもなかった僕らは、いつものように僕の部屋に集まると適当にビールを飲み始めた。

 エイプリルフールだったので、退屈な僕らはひとつのゲームを思い付いた。
嘘をつきながら喋る。
そしてそれを皆で聞いて酒の肴にする。
くだらないゲームだ。
だけど、そのくだらなさが良かった。

 トップバッターは僕で、この夏ナンパした女が妊娠して実は今、一児の父なんだ、という話をした。
初めて知ったのだが、嘘をついてみろ、と言われた場合、人は100%の嘘をつくことはできない。
 僕の場合、夏にナンパはしてないけど当時の彼女は妊娠したし、一児の父ではないけれど、 背中に水子は背負っている。
どいつがどんな嘘をついているかは、なかなか見抜けない。
見抜けないからこそ、楽しい。
 そうやって順繰りに嘘は進み、最後の奴にバトンが回った。
そいつは、ちびり、とビールを舐めると申し訳なさそうにこう言った。

「 俺はみんなみたいに器用に嘘はつけないから、ひとつ、作り話をするよ。」
「 なんだよそれ、趣旨と違うじゃねえか。」
「 まあいいから聞けよ、退屈はさせないからさ。」

そう言って姿勢を正した彼は、では、と呟いて話を始めた。


「 僕は朝起きて気付くと、何もない白い部屋にいた。
どうしてそこにいるのか、どうやってそこまで来たのかは全く覚えていない。
ただ、目を覚ましてみたら僕はそこにいた。
 しばらく呆然としながら状況を把握できないままでいたんだけど、急に天井のあたりから声が響いた。
古いスピーカーだったんだろうね、ノイズがかった変な声だった。
声はこう言った。


『 これから進む道は人生の道であり人間の業を歩む道。
選択と苦悶と決断のみを与える。
歩く道は多くしてひとつ、決して矛盾を歩むことなく。』

で、そこで初めて気付いたんだけど僕の背中の側にはドアがあったんだ。
横に赤いべったりした文字で、

『 進め。』

って書いてあった。

『 3つ与えます。
ひとつ。右手のテレビを壊すこと。
ふたつ。左手の人を殺すこと。
みっつ。あなたが死ぬこと。

ひとつめを選べば、出口に近付きます。
あなたと左手の人は開放され、その代わり彼らは死にます。
ふたつめを選べば、出口に近付きます。
その代わり左手の人の道は終わりです。
みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、
あなたの道は終わりです。』


 めちゃくちゃだよ。
どれを選んでもあまりに救いがないじゃないか。
馬鹿らしい話だよ。
 でも、その状況を馬鹿らしいなんて思うことはできなかった。
それどころか僕は恐怖でガタガタと震えた。
それくらいあそこの雰囲気は異様で、有無を言わせないものがあった。
 そして僕は考えた。
どこかの見知らぬ多数の命か、すぐそばの見知らぬ一つの命か、一番近くのよく知る命か。
進まなければ確実に死ぬ。
それは『みっつめ』の選択になるんだろうか。
嫌だ。
何も分からないまま死にたくはない。
一つの命か多くの命か?
そんなものは、比べるまでもない。
 寝袋の脇には、大振りの鉈があった。
僕は静かに鉈を手に取ると、ゆっくり振り上げ、動かない芋虫のような寝袋に向かって鉈を振り下ろした。
ぐちゃ。
鈍い音が、感覚が、伝わる。
次のドアが開いた気配はない。
 もう一度鉈を振るう。
ぐちゃ。
顔の見えない匿名性が罪悪感を麻痺させる。
もう一度鉈を振り上げたところで、かちゃり、と音がしてドアが開いた。
右手のテレビの画面からは、色のない瞳をした餓鬼がぎょろりとした眼でこちらを覗き返していた。
次の部屋に入ると、右手には客船の模型、左手には同じように寝袋があった。
床にはやはり紙がおちてて、そこにはこうあった。

『 3つ与えます。
ひとつ。右手の客船を壊すこと。
ふたつ。左手の寝袋を燃やすこと。
みっつ。あなたが死ぬこと。

ひとつめを選べば、出口に近付きます。
あなたと左手の人は開放され、その代わり客船の乗客は死にます。
ふたつめを選べば、出口に近付きます。
その代わり左手の人の道は終わりです。
みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、
あなたの道は終わりです。』


 客船はただの模型だった。
普通に考えれば、これを壊したら人が死ぬなんてあり得ない。
けどその時、その紙に書いてあることは絶対に本当なんだと思った。
理由なんてないよ。
ただそう思ったんだ。
僕は、寝袋の脇にあった灯油を空になるまでふりかけて、用意されてあったマッチを擦って灯油へ放った。
ぼっ、という音がして寝袋はたちまち炎に包まれたよ。
僕は客船の前に立ち、模型をぼうっと眺めながら、鍵が開くのをまった。

2分くらい経った時かな、もう時間感覚なんかはなかったけど、人の死ぬ時間だからね。
たぶん2分くらいだろう。

かちゃ、という音がして次のドアが開いた。
左手の方がどうなっているのか、確認はしなかったし、したくなかった。

 次の部屋に入ると、今度は右手に地球儀があり、左手にはまた寝袋があった。
僕は足早に紙切れを拾うと、そこにはこうあった。

『 3つ与えます。
ひとつ。右手の地球儀を壊すこと。
ふたつ。左手の寝袋を撃ち抜くこと。
みっつ。あなたが死ぬこと。

ひとつめを選べば、出口に近付きます。
あなたと左手の人は開放され、その代わり世界のどこかに核が落ちます。
ふたつめを選べば、出口に近付きます。
その代わり左手の人の道は終わりです。
みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、
あなたの道は終わりです。』

 思考や感情は、もはや完全に麻痺していた。
僕は半ば機械的に寝袋脇の拳銃を拾い撃鉄を起こすと、すぐさま人差し指に力を込めた。
ぱん、と乾いた音がした。
ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。
リボルバー式の拳銃は6発で空になった。
初めて扱った拳銃は、コンビニで買い物をするよりも手軽だったよ。
 ドアに向かうと、鍵は既に開いていた。
何発目で寝袋が死んだのかは知りたくもなかった。

 最後の部屋は何もない部屋だった。
思わず僕はえっ、と声を洩らしたけど、ここは出口なのかもしれないと思うと少し安堵した。
やっと出られる。
そう思ってね。

すると再び頭の上から声が聞こえた。

『 最後の問い。
3人の人間と、それを除いた全世界の人間。
そして、君。
殺すとしたら、何を選ぶ。』

 僕は何も考えることなく、黙って今来た道を指差した。
するとまた、頭の上から声がした。

『 おめでとう。
君は矛盾なく道を選ぶことができた。
人生とは選択の連続であり、匿名の幸福の裏には匿名の不幸があり、匿名の生のために匿名の死がある。
ひとつの命は地球よりも重くない。
君はそれを証明した。
 しかし、それは決して命の重さを否定することではない。
最後に、ひとつひとつの命がどれだけ重いのかを感じてもらう。
出口は開いた。
おめでとう。』

 僕はぼうっとその声を聞いて、安心したような、虚脱したような感じを受けた。
とにかく全身から一気に力が抜けて、フラフラになりながら最後のドアを開けた。

光の降り注ぐ眩しい部屋、目がくらみながら進むと、足にコツンと何かが当たった。
三つの遺影があった。
父と、母と、弟の遺影が。

これで、おしまい。」


 彼の話が終わった時、僕らは唾も飲み込めないくらい緊張していた。
こいつのこの話は何なんだろう。
得も言われぬ迫力は何なんだろう。
そこにいる誰もが、ぬらりとした気味の悪い感覚に囚われた。
僕は、ビールをグっと飲み干すと、勢いをつけてこう言った。

「 ……んな気味の悪い話はやめろよ!
楽しく嘘の話をしよーぜ!
ほら、お前もやっぱり何か嘘ついてみろよ!」

 そういうと彼は、口角を釣り上げただけの不気味な笑みを見せた。
その表情に、体の底から身震いするような恐怖を覚えた。
そして、口を開いた。

「 もう、ついたよ。」
「 え?」















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日々の出来事 12月7日 春の波涛 川上貞奴

2018-12-07 20:25:54 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月7日 春の波涛 川上貞奴






 今日は、川上貞奴が亡くなった日です。(1946年12月7日)
川上貞奴は、明治から昭和にかけて活躍した日本の近代女優第一号で、その波乱万丈の生涯は1985年にNHK大河ドラマ“春の波涛”(松坂慶子主演)でドラマ化され、他にも舞台演劇や書籍に数多く登場しました。
 川上貞奴は、日本橋にあった質屋“越後屋”の12番目の子供として生まれます。
この質屋が潰れて、7才のとき芸妓置屋“浜田屋”の浜田屋亀吉の養女として引き取られ、その後、芸妓“貞奴”として伊藤博文や西園寺公望に贔屓にされます。
 1894年、自由民権運動の活動家である川上音二郎と結婚し川上貞奴となります。
川上音二郎は衆院選挙に二度出馬しますが落選、資金難から音二郎と貞奴は無謀にも下田よりいかだで国外脱出を図りましたが、漂流した後下田へ戻ります。 
 その後、川上貞奴は川上音二郎一座としてアメリカ興行に同行します。
このアメリカ興業で公演資金を興行師に全額持ち逃げされ、餓死寸前で演じたシカゴ公演の演技が評判を呼び川上貞奴は空前の人気を得ます。
続いての欧州公演も評判が良く、パリ万国博覧会でも公演を行っています。
この公演を見た“考える人”のロダンは、川上貞奴の彫刻を作りたいと望みましたが断られ失望します。
 そして、当時の大統領エミール・ルーベが官邸で開いた園遊会に招かれ、“道成寺”を踊った川上貞奴はパリの社交界にデビュー、ドビュッシーやジッドやピカソは貞奴の演技を絶賛し、フランス政府はオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与しました。
帰国後は、川上音二郎が病死し、1911年女優を引退します。

 川上貞奴の女優引退から、26年遡る1885年に戻ります。
川上貞奴が馬術の練習をしていたとき、野犬に襲われます。
このとき助けたのが学生の岩崎桃介で、互いに惹かれあったのですが、岩崎桃介は政略結婚で福澤諭吉の二女と結婚します。
 しかし、この悲恋は川上貞奴の女優引退後、復活しました。
すでに“電力王”とまで言われるほどの実業家になった福澤桃介と結ばれるのです。
そして、1920年頃から同居を始めた名古屋の“二葉御殿”は政財界など各方面の著名人が集うサロンとなりました。
 この頃の様子は、作家の長谷川時雨が初老に差し掛かった二人を見て、“まだ夢のような恋を楽しんでいる恋人同士のようだ”と記しています。
そして、二人は終生仲睦まじく暮らしたと言うことです。

川上貞奴は、“人生を二度生きた”と言って良いのではないでしょうか。








  川上貞奴














☆今日の壺々話










    男の行き着いたところ




 私が14才のときのある日、彼女が欲しいと思った。

 16才のとき彼女ができた。
でも、まったく情熱のない娘だった。
だから、別れてもっと情熱的な彼女を探すことにした。

 大学のとき、情熱的な彼女とデートした。
でも、彼女は感傷的過ぎた。
彼女には振り回された。
まるでドラマの悲劇のヒロインのようだった。
すぐに泣くし、ちょっとしたことで自殺するとか言って脅す。
だから、別れてもっと落ち着いた女性を探すことにした。

 25才のとき、落ち着いた女性を見つけた。
でも、彼女は完璧に落ち着いていて、どんなことにも動じないし、なにかに夢中になることもなかった。
たいくつ過ぎた。
だから、別れてもっと楽しくてエキサイティングな女性を探すことにした。

 28才のとき、エキサイティングな女性を見つけた。
でも、彼女にはついていけなかった。
とにかくじっとしていることがない。
次から次へと行動するのはいいが、計画的な目標を持つことができない。
いつも急いでいて、楽しいけれど、こっちはへとへとになる。
最初は確かにとても楽しい女性なのだが、気移りが激しすぎる。
だから、別れてもっと計画的で目標を持った女性を探すことにした。

 31才のとき、賢くて計画的な女性を見つけた。
自分の足元をしっかりと固めた女性だった。
彼女と結婚した。
でも、彼女は計画的過ぎた。
計画的に離婚されて、私の財産を全部持っていかれた。

 今、私は40才。
胸のでかい女性を探している。
(最初から、そうすればよかった。。。)
















青いパジャマ




 ある男性が、家にいる妻に電話しました。

「 やあハニー、上司とその友人が週末にカナダまで釣りに行くのに僕も誘われたんだが、これは出世できるチャンスなんだ。
悪いけど、週末の3日分の着替えを用意して詰めておいてくれないかい。」

夫は続けます。

「 それから、屋根裏にある釣竿と、道具箱も用意しておいて欲しい。
あと会社を4時半に出るので、荷物を取りに家にさっと立ち寄るので頼むよ。
あっ、そうだ。
僕の新しいシルクの青いパジャマも入れておいてくれ。」

妻は、このパジャマ・・・変だなと、いぶかしんだものの、良妻である彼女は夫が頼んだ通りの準備をしておきました。


 長い週末が終わり、疲れつつも充実した顔をして夫が帰ってきました。
妻は夫を優しく迎え入れて、魚はたくさん釣れたかどうかをたずねました。

「 ああ、たくさん釣れたよ。
スズキに、バスに、カワカマスまで釣れたんだ。 
だけど、どうして青いシルクのパジャマを言った通り、荷物に詰めてくれなかったんだい?」

すると彼女は言いました。

「 ちゃんと入れたわ。
釣り道具箱の中にね。」

















人生消滅




 こういうヤツいた。
キモいアニメ系RPGの話とか、ハードスペックの話がめちゃくちゃ長いヤツ。
 なぜかそいつの家に行く機会があって、話聞いてると全部親の金で買ったもんなのに、

「 人生には必ず人それぞれ賭けるものがあって、それが自分の場合たまたまゲーム云々・・。」
「 親に文句言われる筋合いはない、大人として自分で選んだ道だし云々・・。」

 なんで、こんなヤツに人生説かれなきゃならんと思って、やんわり反論してたんだけど、
なんかキレだして、 

「 新しいエンターティメントを理解できないヤツは、馬鹿でオールドタイプ。」

とか言い出したので、

「 ごめんね!」

と言ったら気が緩んだようで、半年かけてVHSからエンコードしたっていうアニメがぱんぱんに詰まった2TBのHDDの自慢を延々。
感心したフリして聞いてた。
で、そいつがトイレ行ってる間に、フォーマットした。















人生オワタ度チェック





人生オワタ度チェックを作ってみたぞ。
お前らやってみてくれない?
点数を集計するようにしてみた。

月給が自分の年齢×1万より低い・・・3点
ハゲである・・・5点
大学を出ていない・・・1点
彼女がいない・・・2点
彼女がいたことがない・・・5点
デブまたは極端なガリだ・・・3点
貯金が500万以下である・・・2点
内向的なほうだ・・・4点

合計点数が10点を超えてたら、人生オワッタということ。
当たらずとも遠からずと思うんだが、どうよ?



学生はできねぇじゃん!
おっさん限定か?



学生は、まだ始まってもないから。

















雑草係






 僕は小学校4年生の時、雑草係だった。
雑草係とは月水金の週3日、昼休みに校庭に生えている雑草を抜いてまわる係だ。
係を決める日に欠席した僕に大親友の大内くんが、僕が雑草係だということと、仕事の内容を教えてくれた。
僕は内心つらそうな係だなと思った。
 でも、クラスには大好きな高野さんがいたし、先生にも褒められたかったので、僕は雑草係をやり遂げることを決心した。
それからの僕は熱心に雑草係をつとめた。
台風が近づいて大雨の日も、炎天下でも、みんなが校庭で遊んでいるその間を這いつくばりながら、雑草を抜き続けたんだ。

 2学期の中頃、僕は朝会で突然校長先生から表彰された。
校長先生は「この子はお昼休みに校庭の雑草を熱心に抜いてくれている、私はこれはとてもすごいことだと思う。」という。
僕は言ってやりたかった。
これは雑草係という係なんですよ、馬鹿じゃねーの、と。
 でも、クラスのみんなは笑顔で僕を迎え入れてくれたし、先生もすごいねと言ってくれた。
僕は嬉しかった。
大好きな高野さんがうつむいてるのが気になったけど。

 その日の放課後、先生が僕を職員室に呼んだ。
きっと褒めてくれるんだ。
僕はウキウキして行った。
 先生は僕の正面に座ると言った。

「 積極的に校庭の雑草を抜いてるとは思わなかった。
とてもえらいね。
でも、保険係のお仕事をサボっちゃ駄目じゃない。
保険係の集会がある水曜日のお昼休みは係の仕事しよ?
保険係が高野さん1人じゃ可哀そうじゃない。」

大内・・・・・・・・・。
















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日々の出来事 12月6日 公然猥褻 一条さゆり

2018-12-06 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月6日 公然猥褻 一条さゆり





 今日は、公然猥褻で逮捕された一条さゆりに実刑判決が出た日です。(1972年12月6日)
一条さゆりは、1960~1970年代にかけて新左翼やウーマンリブ等の活動家から”反権力の象徴”とされた日本のストリッパー・ポルノ女優です。
テレビでは、よみうりテレビの“11PM”のレギュラーとして出演し人気を集めました。
また、その半生は小説や映画にされています。
 大阪府警による逮捕は引退興行の公然猥褻で、裁判は“ストリップは大衆娯楽、猥褻にはあたらない”として最高裁まで争いました。
この最高裁の結果で、一条さゆりは懲役1ヶ月が確定し、和歌山刑務所へ収監されました。
晩年は大阪の西成で暮らし、生活は近所の飲食店で数時間働き生計をたてる寂しいものでした。




     名前の似た人

 この日々の出来事に、検索でやって来た人の中に、きっと“一条ゆかり”と間違って来た人がいると思います。
一条ゆかりは、テレビドラマの“有閑倶楽部”や“砂の城”を描いた少女漫画家です。
有閑倶楽部は、1986年に講談社漫画賞少女部門賞を受賞した作品で、過去に国生さゆり主演で単発ドラマ化されたことがあります。
 昔、一条ゆかりが別荘を買ったとき、町役場で男性職員が一条さゆりと勘違いして、女性職員の失笑を買っていたと一条ゆかりは笑いながら話しています。



  実験

 実験します。

“一条ゆかり、国生さゆり、一条さゆり”
“一条ゆかり、国生さゆり、一条さゆり”
“一条ゆかり、国生さゆり、一条さゆり”
“一条ゆかり、国生さゆり、一条さゆり”
“一条ゆかり、国生さゆり、一条さゆり”
“一条ゆかり、国生さゆり、一条さゆり”

このように、いっぱい並べておくと、検索で間違って来る人が増えるだろうなァ~。
さて、あなたはどうですか?








  一条さゆり















☆今日の壺々話







         エロ爺




 台中のJinlaiさんは投票のために3マイルの道のりを出かけたあと、過労がたたって103歳で他界しました。
Jinlaiさんは、村一番の長老で子孫は100人以上います。
 Jinlaiさんは、息子のRuigongさんとある約束をしていました。
それは、Jinlaiさんが100歳以上長生きできたら、Jinlaiさんが亡くなったとき、ストリッパーを呼んで葬式を盛大に行なうと言うものでした。
 Ruigongさんの話によるとJinlaiさんは地元のストリップクラブが大好きで有名でした。
さらに、ストリップのショーを観るために友人と台湾中を旅行していました。
と言うわけで、Ruigongさんは日本円で1万7千円の費用をストリッパーに払い、ストリッパーは子孫100人以上村人いっぱいの観客の中、Jinlaiさんの棺の前で10分以上の盛大なショーを行いました。
めでたし、めでたし。
















    エロ爺ちゃんの大好きなもの





 昨日、家の爺ちゃんが亡くなりました。
病室で最後を見取るために家族全員がそろいました。
僕が「なにか最後に言いたいことない?」って聞いたら、
じいちゃんが虫の息のように小さい声でこういいました。
「そそが見たい。」←“そそ”というのは女性のアソコの別名(方言)です。
僕は「じいちゃんスケベだったからな~。」っと思いましたが、
さすがに「えらいもん聞いてもうた。」と思いました。

 早速家族会議がその場ではじまり、皆口々に、
「どないしよ、どないしよ、看護婦さん?そら無理やわ。」
ってかんじで会議をしていたら、兄嫁が、「私でよければ…。」
と言ってくれたので、皆悩んだ末「お願いします。」と頼んだ。
 後で聞いたところ、昔兄の借金をじいちゃんが立て替えて
くれたその恩返しだったらしい。
兄嫁は「失礼します。」とベットの爺の顔の上にオシッコ座りを
しました。

もちろん、“そそ”は爺さんの目の数センチ先に。

2~3秒過ぎて、俺が「じいちゃん満足か?」って聞いたら、
「そそやない、外や。」って・・・。
















エロい笑顔




 以前、コンビニで深夜勤してたとき、ガタイのいい黒人さんが、いかにもビッチなおねぇちゃんを連れてご来店。
“なんかもーしょがねーなー”とか思いつつも品出しをしてたんだが、バイトの後輩がなんかオロオロしながら俺のところに来て、

「 あの黒人さんが、なんか欲しいものがあるみたいなんですけど。
僕、英語わからないのでおねがいします。」

待て待て、俺もわからんよ。
でも、ほっとく訳にもいかないので、とりあえず話を聞いてみることに。
バイトの後輩は黒人さんにビビって、品出しに従事。

 黒人さんのところに行ってみると、なんだかソワソワしながらも全身から溢れるwktkなオーラ。
これからのことが楽しみで仕方ないらしい。
“え~、どう見てもビッチじゃんアレ”と思いつつも話を聞いてみると、微妙に恥ずかしがりながら小声で、

(´д`*) 「condom please.」

正確な発音なんて聞いたことなかったけど、まぁアレだなと様子で見当は付いたので、とにかく売り場に連れて行ってみると,

(*´д`*)「Oh ok ok thank you.」

とか言って、真剣に吟味を始めたワケですが・・・。
 まぁ、なんつーか、その、心配じゃん?
言ってみたわけですよ。

「 じゃぱにーずさいずおんりぃ、あーゆーおーらい?」

黒人さん一瞬考えた後、盛大に噴きだして,

「 small size?
なんちゃらかんちゃら・・・。」
(多分伸びるから大丈夫だよみたいな事だと思う。)

 でも、俺は思ったんですよ。
このままだと、日本人がナメられてしまう。
みんなちっちゃいと思われるわけにはいかない。
言ってやりましたよ。

「 びこーず、あいきゃんのっとゆーずいっと。 
みーとぅ。」

 深夜のコンビニで黒人さん爆笑。
なんかよく分からんけど握手。
なんか意気投合。
 その後は俺と黒人さんと二人、仲良く品定めしましたよ。
これはウェイビィだとか、こっちはテイスティだとか。
グフフフ、ゲヒヒヒヒと笑いながら。

なんつーか、エロい話をしてる時って万国共通でエロい笑顔になるよな。














失踪事件




 ここ最近の不審者や変質者は昔のように怖くなくなってきたなーと思う。
露出魔が日常茶飯事過ぎて、問題にならないくらいの子ども時代だった。
小学校卒業までに、男女関係無く全員が露出魔と遭遇していたくらいだった。

 たとえば、
運動会に露出魔が出現して、徒競走の列に混じって走っていた時はさすがに怖かった。
露出魔に抜かれた自分は走るのをやめて避難してたけれど、
先頭きって争って走っていた女子三人は露出魔に追いかけられる形になって泣きながら逃走。
ゴールした露出魔は集まった保護者にボコボコにされてた、



 昔の不審者は本当に命の危険を感じるくらい怖かった。
壊れ方が半端なかった。
親にしてみたら、今も昔もずーっと何も変わってないらしいが。

 そこで、ある失踪事件の話を投下したい。
いつ頃の話とか、地域等々具体的には伏せさせてもらう。
 自分宅も、通っていた高校の近くも、地域一帯の治安がよろしくなかった。
入学当初、親戚には「あそこは女の子殺されてるんだよー。」と半ば脅かされていた。
親も心配になって自転車通学を許してくれなくて、高校三年間バス通学だった。



 そんなある日、その近くで子どもAの失踪事件が起きた。
身代金目的の誘拐ではなかったらしく、Aがいなくなってすぐに公開捜査になっていた。

「 アンタが小学校の時もあったわね~。」と親も興味津々。
「 小学校にBちゃんって子、いたでしょ?」
「 Bちゃんもいなくなったけれど、その日の夜の十時頃に巡回中の警察に保護されたのよ。」
「 緊急連絡網が回ってきた時はさすがに緊張したわよ。」
「 ふーん。でも、こんな騒ぎにはならなかったよね?」
「 そうねー。このAのいなくなった場所から少し離れたところでね、Bちゃんは保護されたのよ。」
「 普通なら、小学生の歩く距離じゃないじゃん!」
「 Bちゃん、まだ低学年だったのよ。ちょっと普通じゃないでしょう?」

(Bちゃん宅)―《五十分》―(Bちゃん保護)―《五分》―(A失踪現場)
※《》は徒歩の場合

「 それで、PTAが学校やBちゃんの親に聞いたらしいんだけれど。道に迷ったってことで終わったわ。」
「 っていうか、話がそれたよー。Aって子が問題だよ。早く見つかると良いね。」

 新聞やテレビでも、速報的な扱いでAの失踪事件を報道して協力や情報提供を呼びかけていた。
印象的だったのはAの親の名前・職業等が詳細に報道されていたこと。
 テレビの映像でも警官や警察犬の数がやたらと多かった気がした。
うっそうと木が茂っているけれど、山の中でもないのに初動捜査にかなり力を入れていた。
自分も「あんな所でも子どもがいなくなるんだー。車通り激しいのに」とビックリしていた。



 後日、Aは失踪現場で無事に発見された。
失踪直前にAに接触していた人物も任意の事情聴取(?)されたらしいが、否認。
Aは失踪現場にずっといたと証言して事件性は無いとされて、報道も沈静化。

「 おかしいよねー。警察犬が探しても、Aが見つからなかったんだよ。」

警察はあの初動捜査の段階でかなりの人数を投入していたのに、Aを即保護できなかった云々、新聞にも責められていなかった。

「 何で、失踪現場にずっといたってAは言ったんだろうね?」

自分がそう聞くと、親はちょっと間を空けてこう言った。

「 あんなの嘘に決まってるでしょうが。子どもが無事なら、それで良いの。」
















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日々の出来事 12月5日 三銃士 アレクサンドル・デュマ

2018-12-05 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月5日 三銃士 アレクサンドル・デュマ






 今日は、フランスの小説家アレクサンドル・デュマが亡くなった日です。(1870年12月5日)
アレクサンドル・デュマは、新聞に“モンテ・クリスト伯(巌窟王)”、“三銃士”、“ダルタニアン物語”等の小説を連載しベストセラーとなりました。
そして、ベストセラーを連発するデュマは、1850年当時、一年間に80万フランの収入を得ていました。
この頃は、一日に3フランあれば妻子を養うことが出来た時代です。
 金貨一枚を持ってパリに出てきた貧乏なデュマは、この膨大な資産を湯水のように使い派手な生活を繰り広げました。
そして、晩年は長年の浪費生活でこれまで稼いだ金も使い果たし、結局、もとの金貨一枚になってしまいました。
このとき、デュマは言いました。

「 この金は、50年前、俺がパリに出てきたときに持っていた金と同じ金
 額なんだ。
 50年間、散々贅沢をしたが一文も減らなかった。
 俺が浪費家と非難するのは誰だ!」

そして、デュマは死ぬまでこの金を使うことはありませんでした。








  アレクサンドル・デュマ














☆今日の壺々話









      決闘




「 よし、そこまで言うなら決闘だ!」
「 分かった、やってやろうじゃないか!」
「 でも、デュマも僕も射撃の名手だから、両方死ぬこともあるんじゃな
 いか?」
「 う~ん、こまったな・・・。
 じゃ、クジを引いて負けたほうが、自分で自分を撃っちゃえばいいんだ。」
「 いいだろう。」
「 ほら、アミダくじだ!」
「 名前を書くぞ!」
「 ああ。」
「 よし、名前を書いたら・・・。」
「 どっちかな?」
「 うわっ、負けてしまった!」
「 残念だったな、デュマ」
「 仕方が無い。
 書斎でこのピストルで撃つよ。」
「 冗談だよ、デュマ。
 もう、無かったことにしよう。」
「 いやダメだ、約束だからな!」

“ スタスタスタ・・・。”

「 じゃ~な。
 書斎のドアは閉めるよ。」

“ バタン!”

「 ホントに行ってしまったけど・・。」

“ ズド~ン!”

「 うわっ、ぶっ放したぞ!
 書斎に行かなくっちゃ!」

“ スタスタスタ・・・。”

「 扉を開けて・・・。」

“ バタン!”

「 あれ~っ、デュマ、ピストルを持って立っているけど、さっきの銃声は
 何だったんだ?」
「 驚くべきことが、起こったのだ。
 私としたことが、撃ち損じた!」  ←・・・(これはホントの話です。)
















決闘



 国境をはさんで、仲の悪いアメリカ人とカナダ人が住んでいました。
ある日カナダ人が外に出てみると、自分のニワトリが、アメリカ人の家の庭で卵を産んでいます。
そこへちょうど出てきたアメリカ人は、卵を持ち去ろうとしました。

「 待て!その卵はうちのニワトリが産んだんだからうちのものだ!」
「 フン!うちの庭で産んだんだから卵はうちのものだ!」

らちがあかないので、カナダ人は提案しました。

「 俺の国ではこういうとき、決闘をする。股間をけり上げて、早く立ち直った方が勝ちという決闘だ。」
「 いいだろう、それなら決着がつく、望むところだ!」
「 じゃあ、まず俺から行くぞ。」

カナダ人は一番重いブーツをはき、助走をつけてアメリカ人の股間を思いっきりけり上げます!

「 うっ…、うう…。」

くずれ落ちたアメリカ人はもだえ苦しみ、30分たってようやく起き上がりました。

「 う…、じゃあ今度は俺の番だ、行くぞ!!」

するとカナダ人は、

「 俺の負けだ、卵は持って行け。」














グーグルの入社試験“竜と騎士”



 竜と騎士が無人島に取り残されています。
この島には7つの井戸があり、どの井戸にも毒が入っています。
ただし、数分以内にその井戸よりも大きな番号の井戸の水を飲めば助かりますが、そうでなければ死んでしまいます。
7番目の井戸は山頂にあるので、竜には飲めますが、騎士には飲めません。
 ある日対決することになりました。
決闘の武器は、井戸の水。
それぞれがコップに入れて持参し、相手が指定したコップの水を飲むのです。
この決闘の後、騎士は生き延び、竜は死にました。
騎士はどんな戦術を用いて竜を負かしたのでしょう?



 問題文の中に、条件的に突っ込みどころはいっぱいありますが・・・・。
これって、7番目の井戸の条件から竜は勝つんですけど・・・・。
騎士は偽って、コップに海水を持って行ってもいいのかなァ~?
でも、竜が飲んで塩辛くって海水とバレたら、竜は井戸の水を飲みに行かないから元気元気。
無人島に井戸水以外の真水が、有るとか無いとか書いていないので、問題としては欠陥があります。
やはり、問題文を作り直した方が良いかと・・・・。















フルティン三銃士




 これは中学生時代に、俺が盲腸で入院していた時の話。
俺が入院していた大部屋には偶然にも俺と同じ年代の中学生が二人もいたんだ。
中学生にとっては暇な入院生活、もう、退屈、退屈。
手術日違えど退院する日は一緒とばかり時間を掛けずに仲良くなった。

 そんなある日、仮にAとしておこうか。
そのAが「あのさ、この病院って幽霊でるらしいぞ」と言ってきたんだ。
ありがちな幽霊話だ。
俺もそうだが、もうひとりのBもマル勝PCエンジンを読みながら適当に聞き流していた。

「 でな、その幽霊ってのが巨乳の美人な女子高生らしいんだ・・・・。」

って瞬間、俺がぶりより。
Bも読んでる雑誌を放り投げてがぶりより。
若いっていいよな、簡単なフレーズですぐに臨戦体制に入れる。
 で、改めて聞くとこうだ。
午前4時44分に男子トイレの洋式便所の前に立って下半身の服を脱ぎドアノックして、

「 お願いします。」

と言いながら開けると、便器の中から巨乳の美人女子高生が現れていいことをしてくれるらしい。
 今聞けば、凄いバカらしい話だ。
どんなに信じたって、便器の中からアバンチュールが訪れる訳がない。
しかし、若き青臭い中学生だった俺たちは下半身に熱い血流が迸るの感じつつ、本気で信じてしまった。

 AとBと俺は、満場一致でトイレでアバンチュール作戦と称し、午前4時44分にトイレへ集結。いざ作戦決行と相成った。

「 いいか?」

Aが俺とBに聞いてくる。
俺たちが頷くと、Aが下のパジャマを脱いだ。
俺もBも下のパジャマを脱ぐ。
フルティン三銃士、深夜のトイレに降り立つ。
 準備万端、Aが三人ともフルチンなのを確認すると

「お願いします!」

と、ドアノックしてからトイレの扉を開けた。

そしたら、トイレの中に・・・・・・、いたんだよ!

“ 寝ぼけた婆さんが!!”

男子トイレで用を足していやがった。

「 う、うわァ~~~~~~!!」

三人揃って大絶叫!
 事もあろうに、Bが先頭のAをトイレの方へ蹴り飛ばしてドアを閉め、真っ先に逃げやがった。
俺は俺で半分、腰が抜けて這いつくばりながら逃げる。
 Aはトイレから、

「 ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああーっ!!!
ごめんなさい、ごめんなさい!
おかぁさぁーん・・・・!」

断末魔の叫びと、ションベン大噴射する音。
 そして、一番可愛そう&今でも申し訳ないのは寝ぼけた婆さんで、念仏唱えてガクブルしていた。(と言うか、瞳孔が開き掛けて、もう全自動マッサージ機並のガクブルだったらしい。)
その後は当直の看護婦さんと警備員と医者の先生にまで、めたくそ怒られる青春だった。












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日々の出来事 12月4日 山月記 中島 敦

2018-12-04 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月4日 山月記 中島 敦





 今日は、中島 敦が亡くなった日です。(1909年12月4日)
中島 敦は、“李陵”、“山月記”、“文字禍”、“光と風と夢”で知られる日本文学の作家です。
 中島 敦の作品は、漢文調の格調高い文体が特徴です。
これは、祖父である中島撫山が漢学塾“幸魂教舎”を開講していた漢学者で、この祖父母のもとで育てられたことが大きく影響しています。
デビュー作の“山月記”は、深田久弥の推薦により発表され、高校の教科書によく掲載されています。
 また、東京帝国大学の国文学科を卒業後、私立横浜高等女学校の教師をしていましたが、持病の喘息が悪化して教職を辞し、療養を兼ねてパラオ南洋庁へ書記として赴任します。
このとき、画家・彫刻家である土方久功と親交を深めました。
しかし、この年の僅か一年後の1909年12月4日、残念ながら気管支喘息のため33才の若さで亡くなりました。





          山月記




 李微(りちょう)は、天才としてその名が知られていました。若くして位の高い役人に任命されましたが、官職で終わってしまうのをよしとはせずに、辞して辺境の地に引っ込み人との交わりを絶ちました。李微は、詩家として死後100年に名を残そうと、ひたすらに詩作にはげみました。しかし、詩家としての名はいっこうにあがりません。詩作に絶望した李微は、生活の困窮もあって、再び官職につきました。かつての仲間たちは出世をしています。下の職にしかつけなかった李微は、自尊心を傷つけられて、ますます尊大になっていきました。李微は、公用で旅に出たときについに発狂してしまいました。わけのわからないことを叫びつつ、どこかへ行ってしまいました。

 李微の友人であった男が旅に出ます。虎になった李微に出会います。李微は一日のうちに数時間だけ人間の心が戻ると告白しました。李微は、詩を口述するのでそれを世に伝えてくれないかと友人に頼みました。友人は30編あまりの詩を筆記しました。なるほど、格調があって、一読して作者の非凡を思わせる作品でした。しかし、友人は、李微の素質が一流であることには疑いがないが、李微の作品が一流の作品になるには何かが足りないと感じました。

 口述を終えた李微は、突然に自分をあざ笑うかのような声をあげました。自分はいまだに自分の詩集が長安の風流人たちの机の上に置かれているさまを夢に見ることがあると告げました。李微は、自分の運命は当然の報いだと告白します。人間だったころに尊大だったのは、実は、臆病と羞恥心の表れであったことを告げます。才能の無さに気づくことが恐くてあえて苦学しなかったし、反面では、自分の才能を過信するあまりに人と交わることもしなかったと白状します。
 李微は、人間は誰でも猛獣使いだと言います。猛獣にあたるものはそれぞれの性格であり、自分の場合は臆病で尊大な羞恥心が猛獣であり、虎であったと告げました。李微は、この姿に成り果ててようやくにわかったと友人に告げます。自分は、その性格のために、持ち合わせていたわずかばかりの才能を空費したと語ります。世には、才能の面では自分よりも劣るが、それを絶え間なく磨いたために、堂々たる詩家となった者がたくさんいると告げます。虎に成った今になってようやくにそのことに気がついたことが、どうしようもなくやりきれないともだえました。








  中島 敦














☆今日の壺々話








 <ニュース速報> 
  「元詩人・李徴氏、虎として発見」
                ~友人が山道で発見、すぐ警察に通報


【中国・西安25日=古森義久】
 一年前、旅行中で汝水の旅館で目撃されるのを最後に行方不明になっていた、元詩人・李徴氏(当時46歳)が商於で昨日虎の姿で発見された。発見した友人の話では、昨日午前七時頃、嶺南に向かう山道を歩いていた途中、虎に襲われそうになったが、虎はすぐ隠れ、隠れた叢から人間の声が聞こえたため、まさかと思い虎に話し掛けることから、李徴氏であることを確認したと言う。

 その後、友人は数分話した後、李徴の詩を聞き移し分かれた。友人は李徴氏に自分のことを世間に明かさないよう頼まれていたが、彼と彼の家族のために警察に通報したということも話している。李徴氏の外見はすでに虎で、脳も人間より虎に近いという。
 警察庁は李徴氏が発見された山道を今日から通行止めとすると共に、近くの動物園の協力を求め李徴氏の行方を捜査する。また李徴氏が虎に変身した理由としては、友人が聞き移した詩から、詩人で成功できなかったいら立ちという心理的な理由しか今の所分かっておらず、東大生物研究所では科学的な可能性と理由を研究している。














      李陵と李徴




「 参っちゃったなァ・・・。
 俺、匈奴に捕まっちゃって、裏切り者って言われてんだよ。」
「 僕なんて、詩業への執着で虎になっちゃったんだ。」
「 ホント、参ったなァ~。」
「 う~ん・・・・、人生いろいろ~♪」
「 歌なんて歌って、これからどうすんだよ!」
「 ん・・・・。」
「 あら、何だか揺れてるね?」

グラグラグラ!

「 うわ~っ、地震だァ~!」
「 本棚から本がァ~!」

“ ドサ、ドサ、ドサ!”

「 イテテテテ!」
「 文字禍だ、文字禍だ!」
「 あ~、もう、ろくなことが無い!」
「 気晴らしに、どっか行くか?」
「 パラオなんてどう?」
「 いいねェ~、行こう、行こう!」
「 もう、やってられないやァ!
 一緒に行こうぜ!」

“ スタ、スタ、スタ・・・・・。”















       不幸な男




 ある男がバーの椅子に腰掛けて、自分のグラスを見つめていた。
そうやって30分も身動きしなかった。
 突然、でかくて強そうな男が近寄ってきて、座っている男のグラスを取り上げると、一気に飲み干した。
かわいそうな男は、それを見て泣き出した。
 強そうな男が言った。

「 なんだ、どうしたってんだよ! 
ちょっとからかっただけで泣きやがって!
おまえみたいな弱っちいヤツは死んじまえ!
俺はおまえの分まで長生きして人生を楽しむぜ!
バ~~カ!」

そう言い終わるやいなや、強そうな男はかわいそうな男を二回蹴り上げた。
 かわいそうな男は、蹴り上げられた脛を痛そうに擦りながら困惑しきった表情で言った。

「 今日は人生最悪の日だ! 
寝坊して遅刻したら会社をクビになった。
それで家に帰ろうと外に出たら車を盗まれていた。
 しかたないので、タクシーに乗ったら、クレジットカードとサイフを車内に忘れてしまった。
それから家に入ったら、妻が庭師とベッドにいるのを見てしまった。
それで、このバーに入ってきて、もう人生を終わりにしようと考えていたら、あんたが現れて、私が死のうと思って毒を入れた酒を飲んじまったんだ。」














不幸な結婚式




 自分が実際に見たわけじゃなくて、ウェディングカメラマンの友人に聞いた話なのですが、今までに見たもっと不幸な結婚式は、着々と結婚の準備を進めていたのに、当日になったら、新郎以外のお客さんが誰も来ない、新婦も来ない、というものだそうです。
 新婦さんに逃げられたとか、新郎の性格が問題で親戚にボイコットされたとかじゃなくて、結婚式の話そのものが、新郎(?)の脳内で作り上げた妄想だったそうです。
新婦は実在の女性だったけれど、問い合わせたら結婚の約束はなく、付き合っている事実もなく、怖がっていたとか。
 あとでスタッフの人達が“打ち合わせに一度も新婦が来ないから変だとは思ったが、出来ちゃった結婚だと体調の悪い新婦さんもいるから聞けなかった”と言ってたそうです。
結婚式の費用は普通に支払ったらしいです。
披露宴では新郎がカラオケを自分で歌って、写真撮影をしてもらって帰ったそうです。















ニートの外出



 ある日、中学の時の同級生から電話があった。

「 一昨日、Tが交通事故で死んだけど、一緒に葬式に行かないか?」

中学を卒業して五年。
俺と友人は地元の大学に通っていたので時々会っていたが、Tのことは一度も話題にならなかった。

「 確かに同じクラスだったけど、あいつとは口きいたことほとんどない。
ていうか、誰って感じだよ。」

俺はTが死んだと聞いても何も感じなかったし、友人もそうだろうと思った。

「 あいつ影が薄いっていうか、地味なヤツだったからなあ。
高校中退してニートやってたみたいだから、全然友達がいないらしいんだ。
そんで、Tの母親が俺の親に、親戚の手前みっともないから、友人として葬式に来てくれとか頼んできてさ。
香典は向こうで出すそうだし、ちょっとバイトだと思って行こうぜ。」
「 Tが死んで家族もせいせいしているのか、ちょっと行ってみようか。」

そんなノリで葬式に参加すると、祭儀場で晩飯を振舞われた。
 俺と友人が寿司をつまんでいると、Tの親の知人が話しかけてきた。

「 君らはT君の友人か?」
「 友人というか、同級生でした。」

俺がそう答えると、

「 じゃあ、最近のTのことはしらないんだ・・・・。」

とオッサンが言った。

「 何年も一人で部屋に籠もってたらしいが、親が注意するとバットを振り回して大変だったんだ。」

俺はTがヘタレで、いつもビクビクしていたことを思い出し、意外な気がした。

「 信じられないっすね。
中学の頃は大人しくて、ケンカとか一度もしたことなかったっすよ。」

友人がオッサンに言うと、

「 家族が寝てる最中にバットで襲ったらしい。
親父さんは意識不明で病院に運ばれて、大変だったんだ。」

俺らはそれっきり黙りこんだが、親を殴り殺そうとしたTにびびった。

「 どうして、引きこもりのTが事故にあったんですか?」

友人が興味深そうにオッサンに尋ねると、

「 それを知りたくて、君らに話しかけたんだけどね。」

と言われた。
結局、引きこもりのTがなぜ外出したのか謎だったが、“まっ、どうでもいいか”という感じだった。
 その時、世の中には生きていてもしょうがないと思われているヤツがいるんだなと思った。
他にも、そういうヤツがいっぱいいる感じがするが、多分原因不明で謎の死を遂げるような気がする。













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日々の出来事 12月3日 天草四郎

2018-12-03 07:00:00 | A,日々の出来事_





 日々の出来事 12月3日 天草四郎





 今日は、島原の乱で島原・天草の一揆勢が天草四郎を中心に原城に蘢城した日です。(寛永14年12月3日)
この乱の原因は寺沢広高が天草の石高を過大に算定したことで、領民は過重な年貢負担に窮し、一揆に至りました。
 天草四郎(洗礼名ジェロニモ)はこの一揆で救世主として擁立され、盲目の少女に触れると目が見えるようになった、もしくは海を歩く等のさまざまな奇跡を起こしたと言われています。
 出生は、小西行長の遺臣である益田甚兵衛の子として熊本県上天草市で生まれたとされていますが、他説もあり実際は不明です。
そして、天草四郎は十字架を掲げて島原の乱で戦闘を指揮しましたが、幕府軍の原城総攻撃により寛永15年2月28日に討死しました。








  天草四郎















☆今日の壺々話











天草四郎



 島原の乱で有名な天草四郎時貞についてのお話です
天草四郎は本名 益田四郎です。
天草ってのは、熊本の豪族天草氏から取った異名です。
 島原の乱では、キリシタンのカリスマとして35000人の信徒を従えて、徳川軍13万と戦い、わずか16歳で生涯を閉じたキリスト教の英雄です。
 それで、天草四郎については、様々な憶測があります。
その乱でのお金の出所は何処でしょうか?
戦をするにはお金が必要です。
それで、1番有力な説が豊臣秀綱伝説です。
 秀吉と淀君の間に秀頼がいます。
豊臣秀頼は、秀吉が58歳の頃に作った嫡男で正当な豊臣家後継者です。
大阪夏の陣の後日、23歳の若さで自害しました。
これが史実です。
 さて、秀綱ですが、史実記述ともに定かではありません。
んで、資金力です。
大阪夏の陣で、大阪城とともに無くなったものがあります。
時価80兆円とも言われる秀吉の財宝です。
いまだに不明で、どこにあるのかわかってません。
これが島原にあったとしたら、天草軍が贅沢な装備をしていたことが納得できるでしょう。
 島原のわらべ歌にも、

『 真田のお侍さんが、豊臣の若様連れて来た~♪』

というものがあり、四郎が秀綱であるという説も信憑性がかなり高いでしょう。
 四郎の死についても、信徒を皆殺しにしたため首実検できる人間がいなくて、それらしき派手な羽織を着た死体の首を適当に取って「天草四郎時貞、討ち取ったり!!」となったそうです。
まぁ何が真実かは、わかりませんが、わからないからこそ面白いです。
















       シロウちゃん(美輪明宏の前世)





「 いや~、久し振りに生まれ変わったなァ~。
 今度は誰かな?」
「 ありゃ、髪がロングの黄色だァ~。
 シャンソンの“メケメケ”を歌ってるぞォ~。
 フランス女性かなァ?」
「 あらっ、日本語を喋ってる。
 どうも、違うようだぞ・・・。」
「 えっ、天草四郎の生まれ変わりだって・・・。
 バレてるのかな、ヤバイな・・・。」
「 えっ、前世はピカチュウってかァ?
 ピカッ、ピカッ、ビビビビッ!
 アハハハハ!!」
「 えっ、その上、さらに前世はトウモロコシ??
 俺って、トウモロコシのピカチュウかァ?
 もう、何が何だか分からなくなって来たぞォ~。
 ありゃ、歌を歌い出した・・・。」


♪(´∀`)ノ゙ 父ちゃんのためなら エンヤコラ~♪
       母ちゃんのためなら エンヤコラ~♪
       もうひとつおまけに エンヤコラ~♪ ヽ(´∀`)ノ


「 困ったなァ・・・・。」















昔の話




 明治16年、和田喜学という人物が医師の河合氏から不思議な話を聞いたという。
田村荘兵衛という人物は幼名を勇吉といい、再生児(生まれ変わってきた子だという。
話の内容はこうだった。
 荘兵衛には「おふゆ」という姉がいたが、姉が10歳の時死去した。
すると一人の僧侶がやってきてこう言った。

「 おふゆさんは、今年の11月24日に、男の子となってお宅で再生されるでしょう。
赤ちゃんの手のひらに証拠があるはずです。
よく調べてください。」

いい終えると僧侶は何処へか去っていった。
 家族が不思議に思っていると、僧侶の言ったとおり妊娠、男の子を出産した。
そして、右手の中に以下の品々が入っていたという。

・母の見覚えのある絹の布
・毛
・紙ほか一品

今日でも地方によっては、愛児が亡くなったとき、手足に姓名や生国を記して埋葬する習慣があるという。
近辺で生まれた子どもに、その字がはっきりと記載されているという言い伝えだ。














転生



 私には3人の息子がいます。
長男が19歳、次男が17歳、そして三男が7歳です。
 ところで、この7歳の三男が、私たちにとても不思議な話をしてくれるのです。
人が死に直面したときの話や、死後の世界の話などは、よく耳にします。
でも、自分がこの世に生まれ出てくるまでのことなんて、あまり聞いたことがありません。
 私の三男は、彼がようやく言葉を話せるようになったかどうかという、3歳のころのある日、突然、そんな話をしだしたのです。

「 僕ね、交通事故で死んだんだよ。
自転車に乗ってたの。
遊びに行こうと思って、自転車に乗って、信号機のところまで来たら赤だったので、待っていて、青になったから渡ろうとしたら、大きな黒い自動車が来て、僕にぶつかったの。
 そしたら、何が何だかわからなくなって、その次に気がついたら真っ暗なところにいたの。
でも、歩いているんじゃなくて、空を飛んでるんだよ。
どこまでも真っ暗な中を。
 自分でも、どっちに向かっているのかわからなくて、こわい、こわいって思ってたら、そのうち遠くに小さな光が見えたの。
その光が、どんどん大きくなってオレンジ色みたいになったと思ったら、僕、とても広い、明るいところに出てた。
そのとき初めて僕、自分が畳のような、じゅうたんのような変なものに乗ってることに気がついたんだ。
 そうしたら、だれかが、うしろでいったの。

“ 下を見てごらん。
ほら、家が見えるだろう。
中を見てごらん。
おまえはこれから、あの家に生まれていくんだよ。
とてもやさしい人ばかりの家だから、だいじょうぶだよ。
 私は神様からいわれて、おまえをここまで連れてきたんだ。
私もいっしょに行くからね。”

見ると、それは白いヘビだったんだ。
 家の中には、お母さん、お父さん、お兄ちゃんたち2人、それにおばあちゃんも、みんな見えていたよ。
ああ、僕はあの家に行くんだなって思って、何だか急にうれしくなったら、その途端にものすごいスピードで体が下に落ちていったの。
周りが真っ暗になって、何が何だかわからなくなったんだ。
そのうち突然、トンネルを抜けたような...。
 と、自分の目の前に、空から見たとおりのお母さん、お父さん、お兄ちゃんたち、おばあちゃんがいたんだ。
あ、それから、約束どおり白いヘビさんも来てくれてたよ。
いつも僕といっしょにいるんだよ。」

これが、3歳になった三男がある日、突然、一気に話し出した話の内容です。
 もちろん最初は、何だかわけのわからないつくり話をして、と思いました。
この子は頭がどうかしてしまったのかと思ったくらいです。
ところが、彼は真剣に、何度となくまったく同じ話を私たちに繰り返すのです。
だれが聞いても、その内容にほとんど変化はありません。
さすがに私たちも、もしかしたらと思うようになりました。
 この三男は、上の2人とは年齢差が大きく、この子ができたと知ったときには正直いって、私もびっくりしました。
でも、なぜかこの子だけはどうしても生まなければならないという気がし、主人もそういってくれました。

「 あの家では、みんながおまえを待っていてくれるよ。」

と三男に白いヘビさんはいったそうですが、まさにその言葉どおりだったのです。
彼は生まれると同時に、わが家になくてはならないアイドルとなったのです。
 もちろんわが家ではもう、だれも彼の“生まれ変わりの話”を疑う者はいません。
7歳になった今でも、だれかが彼にそのことを聞けば、彼は必ずまったく同じ話を繰り返しています、それがごく当然の事実のように。
 また、残念ながら私たちの目には見えませんが、彼のそばにはいつも必ず“白いヘビさん”がいて、彼を見守りつづけてくれているようです。
おかげで彼は、今日も元気です。
















ホームレス




 ニューヨークの地下鉄を私はよく利用する。
毎朝通勤の度に地下鉄構内で何やらぶつぶつ言ってる一人のホームレスの男がいた。
男の近くの壁に寄り掛かり内容を盗み聞きした。
目の前をおばさんが通る。すると男は

「 豚。」

と呟いた。
私は思った。なんだただの悪口か、動物に例えているだけか…。
次に普通のビジネスマンが通る。すると男は

「 人。」

あぁ、まさに普遍的人間って感じの人だな…。
別の日、暇潰しにまた盗み聞きしてみる。
男の目の前をやつれた男が通る。すると男は

「 牛。」

と呟いた。
牛?どちらかと言うと痩せた鳥だが…?
次に典型的な肥満の男が通る、すると男は

「 野菜。」

と呟いた。
野菜?豚の間違いだろ?
 私は家に帰り考えた。
もしや、次に生まれ変わる生き物、すなわち転生を言い当てるのか!?
その後、何度もホームレスを観察しているうちに疑問も確信に変わった。
 ある日思い切ってホームレスに疑問をぶつけ、能力を身につける方法を教えてくれと懇願した。
ホームレスは淀んだ目で私を見つめた後、私の頭に手をかざした。
 次の日からホームレスはいなくなった。
仙人だったのだろうか?
はたまた神か?
私は能力を身につけた。
それは期待するものとは違っていた。
ただ単に、その人が直前に食べたものだった
私はあまりのくだらなさに笑ってしまった。
















奇跡




友人A(以下A)「おい!俺すげぇ発見しちゃった!!」
俺「は?なんよ?」
A「おまえって、何どし生まれ?」
俺「酉だけど?」
A「やっぱなぁ!!」
俺「はぁ?」
A「俺の周りの奴らもみんな酉年生まれでさ、もしやと思って調べてみたら、
 なんとウチの学年のほとんどの奴が酉年生まれなんだよ!!
 同じ学校の同じ学年に酉年生まれの奴らが集まってるんだぜ!
 こ れ っ て 奇 跡 じ ゃ ね ぇ ! ? 」

“奇跡なのはオマエの頭の中身だろ”の台詞が、
彼の満面の笑みの前では言えなかった中学の夏の出来事。















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日々の出来事 12月2日 人生いろいろ 浜口庫之助

2018-12-02 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 12月2日 人生いろいろ 浜口庫之助







 今日は、浜口庫之助が亡くなった日です。(1990年12月2日)
浜口庫之助は、神戸市出身の作詞・作曲家です。
40才から作詞・作曲家をこころざし、約5000曲を作った多作家です。
1973年、27才年下の女優、渚まゆみと結婚し浜口茂外也が生まれました。
1981年に胃癌となり、入退院を繰り返しながも“人生いろいろ”が大ヒットします。
しかし、癌による体調の悪化により、1990年12月2日癌研究所付属病院にて他界しました。

“ 流行歌は作るものでなく、生まれて来るものである。”

日本の歌詞に洋楽のリズムとメロディーを乗せ、数々のヒットを飛ばした浜口庫之助の言葉です。


   主なヒット曲

 黄色いさくらんぼ(スリーキャッツ)
 僕は泣いちっち(守屋浩)
 夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎)
 星のフランメンコ(西郷輝彦)
 恍惚のブルース(青江三奈)
 みんな夢の中(高田恭子)
 涙くんさよなら(ジャニーズ)
 バラが咲いた(マイク真木)
 夕陽が泣いている(ザ・スパイダース)
 空に太陽がある限り(にしきのあきら)
 人生いろいろ、愛のさざなみ(島倉千代子)






             愛のさざなみ
       (作詞 なかにし礼、作曲 浜口庫之助)



♪(´∀`)ノ゙ この世に神様が~ 本当にいるなら~
       あなたに抱かれて わたしは死にたい~♪
       ああ湖に 小舟がただひとつゥ~
       やさしくやさしく くちづけしてねェ~
       くり返すくり返す~ さざ波のように~♪ ヽ(´∀`)ノ


♪(´∀`)ノ゙ あなたが私を~ きらいになったら~
       静かに静かに いなくなってほしい~♪
       ああ湖に 小舟がただひとつゥ~ 
       やさしくやさしく くちづけしてねェ~
       くり返すくり返す~ さざ波のように~♪ ヽ(´∀`)ノ


♪(´∀`)ノ゙ どんなに遠くに~ 離れていたって~
       あなたのふるさとは 私ひとりなの~♪
       ああ湖に 小舟がただひとつゥ~
       いつでもいつでも 思い出してねェ~
       くり返すくり返す~ さざ波のように~♪ ヽ(´∀`)ノ


たまには、こんなしっとりとした曲もいいかと・・・・。
“人生いろいろ”も、いいんですけどね。







  浜口庫之助















☆今日の壺々話









人生いろいろ




『 両親が海外転勤。
僕は親戚のいる家の近くに家を借りて一人暮らしを始めた。
 朝、新しい学校への初登校。
緩い坂を降り、交差点にさしかかった。
すると・・・、ドンッ!
トーストをくわえた同年代の女の子が走ってきて、ぶつかってしまった。

「 いてて~、どこ見てあるいてんのよ!」
「 なっ!おまえこそ交差点に走ってくるなんて危ないじゃないか!」
「 とにかく私は急いでるの!遅刻遅刻~!」
「 あっ!おい!財布、落としたぞ!おーい!」

女の子は走り去ってしまった。

“ どうしよう・・・、財布を警察に届けたいが、どこに行けばいいかもわ
 からないし、僕も遅刻しそうだ。
 とりあえず学校へ行って、帰りに届ければいいや。”

僕も学校へ急いだ。
 遅刻ギリギリでセーフ。
職員室へ行き、新しい担任の先生に挨拶した。
若くて美人だ。
先生と一緒に教室へ行った。

「 みなさん、転校生を紹介します。
 今日からみなさんのクラスメートになる、○○君です。」

その時だった!

「 あっ!ノロマ男!」
「 あっ!トースト女!」

声をあげて立ち上がった女は、今朝交差点でぶつかったトースト女だった!

「 あら、あなたたち、もう知り合いなの~?
 じゃ、○○君はさやかさんの隣に座ってもらおうかしら。」
「 ええ~っ!」(二人とも)
「 なんであたしの隣があんたなのよっ!
 あんたのせいで財布なくしちゃったんだから!」

“ あっ。そうだった。”

僕は財布を取り出して彼女に渡した。

「 ハイ!!」
「 あ・・・、拾っててくれたんだ・・・。
 あ、ありがとう・・・。
 はい、これ。
 あとで食べようと思ってたんだけど・・・。
 あんたが食べなさいよ。」

彼女はカバンからポッキーを取り出して僕にくれた。
彼女は照れ屋なんだろう。
これがせいいっぱいの感謝の表現なのだと思った。

って、言うストーリーの夢を見てて、遅刻してしまいました、先生!』

『 ハイ、反省文、原稿用紙5枚!!』


















霊のある人生





 オイラが学生の頃、ヤンキーがモテたんだよね。
で、オイラも悪ガキで高校の頃はよくケンカとかしているバカでした。
 ある日、毎朝乗るバスで睨んで来る女がいた。
避ける女はいても睨んで来る女は初めて。
女相手にケンカふっかけるのもダサイし、無視してたワケ。
ちょっとかわいかったから、“もしかしてオイラの事…”何て期待してたわけで。
 ところがどっこい,ある日その女がオイラに向かって“消えろーきえろー!!”と叫びながら塩をまき出した!
もう尋常じゃない感じ、いろんな意味でめちゃくちゃ怖かった。
取りあえず逃げた。
 そして、次の日会ったとき、さすがにもう逃げ出す何て出来ん!、と思い自分から声をかけたら普通に挨拶をされ、話を聞くと霊感が強い彼女はオイラに取り憑いていた悪霊を払ってくれていたらしい。
大変痛い女だなぁ、と思ったんだけど、何故か今じゃ、うちの嫁さんなんだ。
いまだに霊と戦ったりしてるよ、コワイコワイ(((・д・)))

 なんかね、オイラいろいろ取り憑かれやすい体質らしくて、嫁さんは前からその事が気になってたみたいで、悪いヤツが取り憑いていたので気が強く正義感も強い嫁さんはほっとけず、思わず塩を投げつけたんだと。
その話聞いて、オイラへのアプローチと勘違いしたんだよ、オレ。
 息子もオイラと体質が同じで、取り憑かれやすいから、もう、嫁さん大変。
仕事から帰ったら、赤ん坊抱いた嫁さんが包丁振り回して「きぇー!!」って叫んでた。
 育児ノイローゼかな?と思い普通に茶の間に入ると、嫁が俺に向かって子供を投げた。
4メートルぐらいの距離を投げやがったんだよ、オイラびっくり。
「子供を連れて逃げてー!あんたも危ないから逃げてー!」って叫ばれさらにビックリ。
怖かったので、息子を連れて逃げるオレ。
こんな事が息子が3歳ぐらいまでよくあった。

 息子が2歳ぐらいの頃の話を一つ。
オイラと嫁と息子で、お盆に「潰れるんじゃねーの?」ってくらいボロイ温泉に行くことになった。オイラが、お盆にまとまった休みが急に取れたから、ソコしか開いてなかったんだ。
 久々の泊まりがけの旅行にウキウキだったけど、嫁が旅館に着いた途端気持ち悪いと言いだした。
どうやら、いっぱい悪い霊がいた様だったが、嘔吐する嫁を見て、「つわりかな?」と思い、オイラは二人目の名前なんて考えていた。
 気がつくと息子がいない!
目を離してた何て嫁にばれたら殺されると思い、嫁がぐったりしている間に探しに行った。
 旅館をウロウロしていると、以外と遠い場所にいて、なんか様子が変だった。
オイラを見るなり「あぁぁぁぁぁ憎いぞ、憎いぞ!」と言った。
息子が初めてしゃべったのだ!!
 オイラは内容よりも息子がしゃべった事が嬉しくて嬉しくて、ビデオカメラに納めたかったな~何て考えながら、息子を抱え部屋に戻った。
「息子がしゃべったぞ!」と大喜びで嫁に息子を手渡すと投げた。
また投げやがった!
慌ててキャッチするオレ。
叫ぶ嫁。
 息子に悪い霊が取り憑いていたそうだ、嫁は塩を取りだし息子にかけるが効果なくて、嫁がいろんな退魔法を試している横で、俺はホームビデオを回して「パパでちゅよ~」何て声かけてた。
あの時の嫁はキーキーうるさかったなぁ。
 結局、ビデオには何でか息子の声が入って無くてさ、残念だったよ。
俺は楽しい思い出の一つなんだけど、嫁は今でもこの時のことを恐ろしい事件だったと語ってる。
















「生まれ変わるなら女がいい?それとも男がいい?」




 女性の社会進出が進み、少しずつではあれど男女が平等に近づいていると言われる現在。
だが、男女には歴然と違いがあるようで、合コンや小学校の休み時間などで盛んに次のような質問が繰り返されている。
そんなことを聞いてどうなる、と思うのだが、答える人の考え方がわかったりして面白いかったりもします。

「生まれ変わるなら女がいい?それとも男がいい?」

 こんな誰もが一度は考えたことのある質問を1000人の男性にしたところ、回答はほぼ半々でしたが僅差で生まれ変わっても男性として生まれたいという男性の方が多い結果となりました。
 伝えているのは、ニュースサイト「ガジェット通信:男性1000人に聞きました! 生まれ変わるなら男がいい? それとも女?」(参考記事引用)。
それによると、生まれ変わっても男として生まれたい理由として下記のような回答がありました。
 ギスギスネチネチした「女の世界」で生きていける自信がない。
学校や職場での女同士の戦いの次は姑の戦い。
女性として生まれるということは一生戦い続けることを意味するのかもしれませんね。
とにかく生理が嫌だな、絶対に男がいい。
体調が崩れたり大変だって聞きますよね。
 しかし、生理だとイライラするのも本当なんでしょうか。
彼女にも良く言われるんですが、僕はイライラする気分を正当化しているだけのような気がしてしまいます。
言われたこっちが逆にイライラさせられます、マジで。
寿命が長い面なら女、楽しく生きるなら男、なので俺は男を取る。

 さて、私も上記の意見を参考にしつつ、生まれ変わったら男性と女性どちらに生まれたいかを考えながら外を歩いてみました。
そのとき、少し気が強そうで胸が大きく美しい女性をとすれ違いました。
当然テンションが上がり、徹夜作業の疲れも吹き飛びます。
「あんな女性と付き合ったらどうなるんだろう・・・。」
そんな妄想を繰り広げている時に確信しました。
 僕は生まれ変わっても男がいい。
こんなことで幸せを感じ疲れもとれるなんてことは女性では絶対に味わえない感覚でしょう。
そして生まれ変わったらあの時すれ違った女性とお付き合いがしたいですね。
いや、今すぐ付き合いたいです。

生まれ変わるなら「男」僅差で勝つ!



















人生の確率





●交通事故で死ぬ確率 0.003%
●過労で死ぬ確率 0.0003%
●合コンで出会った相手と結婚する確率 8.8%
●社内恋愛する確率 37.5%
●夫が浮気している確率 50%
●結婚できない確率 12.6%
●プロ野球選手と結婚できる確率 0.001%
●できちゃった結婚する確率 63.3%
●夫の収入が妻より低い確率 4.1%
●婿養子になる確率 1.4%
●ほぼ毎日セックスしている確率 3.3%
●Jリーグ選手になれる確率 0.18%
●ニートになる確率 2.2%
●正社員ではなくなる確率 28%
●転職で給料が上がる確率 55.6%
●年収1000万円以上稼ぐ確率 7.3%
●都心に新築マンションを購入できる確率 0.4%
●定年後もいまの生活水準を保てる確率 12.9%
●ホームレスになる確率 0.02%
●自己破産する確率 1.5%
●オレオレ詐欺でだまされる確率 0.008%
●保険金目当てに殺される確率 0.00002%
●盗聴されている確率 12.9%
●裁判員に選ばれる確率 0.02%
●震度6以上の地震に見舞われる確率 86.3%
●エレベーターに閉じ込められる確率 1.8%
●落雷被害にあう確率 0.00003%

















 大佐、聞こえるか?うんこがもれそうだ!






只今外環自動車道。渋滞中。
腹が死ぬほど痛い。



痛すぎて気持ち悪くなってきた。
肛門も崩壊すんぜん。てがふるえてきた



だれかたすけて
かみさま
こうもんさま



袋かなんかに出すしかなくね?
後部座席ですればなんとかなるでしょ



超じゅうたいしてんし、
営業車マーチだしスモークないし。



三郷西出口まであとごきろくらい
ほとんどくるまうごかない。
おなかめちゃうごく



朝の外環ってスゲーんだな
俺は京葉派だからそんなに混まないが・・



きょうにかぎって
じこつたやついる。
みさとりょうきんじょで
そいつころすまでしねない



ダメだもう漢字に変換する事すらままならないwwwwオワタwww



なみきたもうだめかもわら



渋滞中の腹痛の辛さはわかるぜ
たぶん同じくらいの所走ってるから
○○重工って社名の入ってるシルバーの車見付けたらクラクションなりパッシングなりしてくれ
段ボールとか大量に積んでるから指差して笑う事くらいしてあげられると思う



クソワロタwww助けてやれよwww



あ、もうむりだこれ
いくわ



すねーく!!スネーク!返事をするんだ



おい、応答しろーーーっ!



なにも我慢する必要などなかったのだ。



賢者タイムきたーーーーーーーーーーーーーー



えwwwwwwwwwwwwwwwww



こいつ…悟ってやがる…!!?



漏れたのだろうか。
心なしかおしりがへちゃべちゃするが、
それ以上に窓から入ってくる風がとても心地よい



完全に漏れてるわそれwww



こんなに清々しい気持ちは久々だ。
渋滞も苦ではない。
なんだろう、なにも怖くないというか、今なら車にひかれても死なない気がする。



車が動いている。
新たな誕生を祝うかのように。
肛門から全てが解き放たれるのを待っていたかのように。



みな、応援ありがとう。
とりあえずもらしました。
思ったより量はすくなかったけど、運転席シャバシャバです。
匂いはサバみたいな?
とりあえず股間の上に綾鷹ぶちまけました。
漏らした瞬間車が進み出したのがすごく信じられません。



糞ワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



匂いの報告とかいらないですwww



このあとのこと話すには漏らしたときのことはなさないとな。
とりあえず、
いくわって書いた瞬間もらした。
限界越えてたみたいで。
出た瞬間は泣いた。
けど
でおわった瞬間、全てがどうでもよくなった。
ほんとに、プツッと線がきれた。



ほんと、涙もとまった。
なんだろう、
「あ、うんこ漏れてるね。ふーん。で?どうかしたんすか?」
ってかんじ。
そして、仕事?しらねーよってなった。
客に電話した。
「渋滞だから何時につくかわからんからリスケしたい」と。
客はOKしてくれた。
けど俺もう会社やめる。
このまま家かえる。
ていうかとりあえず家帰る以外に選択肢ない。



早まっちゃダメだ。
うんこ漏らして会社辞めて人生棒に振るとか
だめだ。



営業車はできる限り綺麗にするけど、
完全修復はむりだね。
自分でもってびっくりだけど、
29歳でうんこもらすとこんな気持ちになるのな。
みんなまじで気をつけろ。
人生かわるぞ。



完全修復はむりだね。
じゃねーよwwwwwww
冷静に分析して開き直んなwwwww



ちょ、覆面つかまた。



さすがにこれはクソワロタwwww



ギャグ漫画のような人生だな



うんこない!うんこない!だけで乗り切れwww



覆面「こんにちはー
キミ今携帯つかっtくさっ!!」



異臭騒ぎwww



釣り宣言来るか…?もうむしろ釣りであってくれよ…



つりじゃねーよ!!
うんこのこと説明したらひいてたけど、みのがしてくれない。
車からうごけないから、
警察いまくるまのなかで切符きってる。
かわいそうだけとルールはルールだからだとさ
ルールってなにかね?



警察鬼すぎワロタwwwww
見逃すなり助けるなりするだろ人ならwwwwwww



もう車すすんでんだよ。
携帯でつかまったよ。
六千円だと。
ふざけんなくそやろう!



クソ野郎はおまえだよ(′;ω;`)



もういいや、かえる。
会社はやめる。
貯金でしばらく旅にでたい。
まじでうんこ漏らすと人生終わりかねない。
つきあってくれてありがとう。
せっかくだからもっと臨場感ある感じで
漏らしたこと伝えたかったけど、
警察に邪魔されたわ。
ありがとうございました。



臨場感たっぷりだったわ。














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