平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

硬骨漢のイメージが強いむのたけじさんが亡くなられました

2016年08月22日 | 日々雑感 #茨木市議会議員
写真は19日の総がかり、「再稼動反対、全ての原発をゼロに」茨木金曜日行動のものです

市民相談があり、夕方訪問。一人暮らしの男性高齢者で体調もすぐれないとのこと。

「個人的な金婚式を市役所が祝う必要があるのか」との疑問を話されました。

「連れ合いと死別したり、離婚したり、あるいは未婚の人もいる。一つのタイプを望ましいと行政が決めるのは、それ以外の状況の人たちに対する否定的な意味合いを持つのではないか」とまで話されたわけではありませんがうなづける話でもあります。

茨木市が自衛隊のいうがままに24063名の個人情報を渡していたのはおかしいと文教委員会で取り上げた件。自分なりにパンフレットを作成し議員にも紹介しています。勉強会に使うからと送ってほしいなど嬉しい反響がでています。

今日も自宅の片づけと役所での雑事でした。

【情報紹介】

硬骨漢のイメージが強く、私も尊敬していたむのたけじさんが亡くなられました。各紙とも尊敬の念を持って報道しています。

101歳、反骨のジャーナリスト むのたけじさん死去

 アジア・太平洋戦争で大本営発表をそのまま報道した責任に向き合って敗戦を機に朝日新聞社を辞め、戦後は反戦平和を訴え続けた反骨のジャーナリストむのたけじ(本名武野武治)さんが二十一日午前零時二十分、老衰のため死去した。百一歳。秋田県出身。葬儀・告別式は近親者のみで営む予定。しのぶ会の開催が検討されている。

 一九三六年に東京外国語学校(現・東京外大)卒業後、報知新聞、朝日新聞の社会部記者として活躍。四二年にインドネシア上陸作戦に従軍。終戦日の四五年八月十五日に退社した。

 四八年二月、故郷でタブロイド判二ページの週刊新聞「たいまつ」を創刊。同紙は米国占領下の検閲に屈せず、教育や農業問題を中心に社会の矛盾を掘り下げた。七八年一月の七百八十号で休刊した。

 近年は安全保障関連法や特定秘密保護法の廃止を訴えていた。

◆戦時報道省み反戦平和訴え

 反戦平和を願うジャーナリストはどんな時も渾身(こんしん)の力を込めて語り続けた。「今が人生のてっぺん」。戦後還暦を迎えた二〇〇五年、社会部の企画取材のために秋田県横手市のご自宅を訪ねた時、むのさんは九十歳を超えて講演に執筆に多忙だった。

 米国が始めたイラク戦争に日本が自衛隊を派遣し、改憲の動きも活発になっていた。一九四五年の敗戦の日、「戦争の本当の姿を伝えられなかった新聞人としての戦争責任を取る」と、朝日新聞を退社したむのさんは「再び戦争に向かおうとしている」ことに黙っていられなかったのだ。

 むのさんを戦争体験の語り手として二〇〇六年夏、企画の一環としての対談が実現した。お相手はむのさんには孫世代に当たる、作家雨宮処凛(かりん)さん。昼食を挟んで六時間以上語りあった。むのさんは人々が惰性に流されて体制に従い、戦争に巻き込まれていった怖さを語った。

 「戦争を始めたのは陸軍でも、それを止められなかった、許した国民にも責任はある」と。社会の公器である新聞は統制対象になり自由な言論が許されなくなっていくが、「統制よりも怖いのは自主規制。家族や周りが怖い」と強調した。

 「風化していく戦争体験をどうしたら受け継げるのか」という問いには「戦争は経験したから分かるというものではない。戦争が重大な問題だと思ったら、若い人は自分で勉強してほしい」と励ました。

 一九四八年に郷里で「たいまつ」を創刊。一度は捨てたペンを再び握らせた原動力は、その前年の連合国軍総司令部(GHQ)が出した2・1ゼネスト中止命令への怒りだ。「民主主義を掲げた米国の占領政策はうそ」と、創刊号に書き付けたのは中国の作家魯迅の言葉。「沈黙よ! 沈黙よ! 沈黙の中に爆発しなければ、沈黙の中に滅亡するだけである」。憲法の精神が崩されようとしている今、死ぬまで敬愛する文学者の言葉を叫んでいたのではないか。

 「どんな悪い平和でもいい戦争に勝る。平和は意識的な戦いの中でしかつかめない」と説いたむのさん。原点は、戦争中に三歳のまな娘を病気で亡くした経験にある。二度と子どもが犠牲になる世の中にしない。一人一人が変われば大きな力になる。

 数々の名文句を残したむのさんが語った言葉がある。平和を願うなら、そのための記事を毎日書き続けることで、願いは「主義(イズム)」となり、「ジャーナル(日記)」は「ジャーナリズムになる」。書き続けなくてはならない。私たちはむのさんの思いを受け継ぐ。 (編集委員・佐藤直子)


◆「憲法9条こそが人類に希望をもたらす」

<むのたけじさん最後の演説要旨>

 むのたけじさんは今年五月三日、東京臨海広域防災公園(東京都江東区)で開かれた憲法集会に参加し、車いすに乗って拳を振り上げながら憲法九条の大切さを訴えた。これが公の場での最後の姿となった。当日の演説要旨は以下の通り。

 私はジャーナリストとして、戦争を国内でも海外でも経験した。相手を殺さなければ、こちらが死んでしまう。本能に導かれるように道徳観が崩れる。だから戦争があると、女性に乱暴したり物を盗んだり、証拠を消すために火を付けたりする。これが戦場で戦う兵士の姿だ。こういう戦争によって社会の正義が実現できるか。人間の幸福は実現できるか。戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまった。新聞の仕事に携わって真実を国民に伝えて、道を正すべき人間が何百人いても何もできなかった。戦争を始めてしまったら止めようがない。

 ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法九条。九条こそが人類に希望をもたらすと受け止めた。そして七十年間、国民の誰も戦死させず、他国民の誰も戦死させなかった。これが古い世代にできた精いっぱいのことだ。道は間違っていない。

 国連に加盟しているどこの国の憲法にも憲法九条と同じ条文はない。日本だけが故事のようにあの文章を掲げている。必ず実現する。この会場の光景をご覧なさい。若いエネルギーが燃え上がっている。至る所に女性たちが立ち上がっている。新しい歴史が大地から動き始めた。戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格がない。この覚悟を持ってとことん頑張りましょう。

(東京新聞)

山形新聞・談話室

▼▽昨年、100歳になったむのたけじさんのこんな嘆きの言葉が本紙にあった。「人類の三大敵は、病気と貧困と戦争。戦争をやめ、その分のエネルギーと金を回せば病気と貧困を解決できる、それがなぜできないのか」

▼▽反戦ジャーナリスト。東北への思いも強かった。会社を辞め、1948(昭和23)年、秋田県横手市に帰郷した。夜行列車に乗って、大雪の中。同年2月に週刊新聞「たいまつ」を創刊する。自分の身を焼いて暗闇を照らすたいまつになる新聞をつくろうとの意味を込めた。

▼▽その創刊号にはこう書いた。「東北に光(ひか)りの射(さ)す道は、冬というものが重い負担にならない生活をつくることだ。産業ならば雪国でなければできない産業へと生産分野を切りひらいてゆくことである」と。自著「日本で100年、生きてきて」の中で当時を振り返っている。

▼▽むのさんが101歳で他界した。大正、昭和、平成と生き抜く中で得た嗅覚だろうか「今の日本は戦争のにおいがぷんぷんする。生きている限り戦争をなくすことに役立ちたい」。舌鋒(ぜつぽう)鋭く意欲的な100歳時の言葉。心に“たいまつ”を燃やし続けた人生ではなかったか。

秋田魁新報・北斗星(8月22日付

 むのたけじさんの著書「たいまつ十六年」を久しぶりに本棚から出した。見返しに本人の字で「石ふたつ火を産む」とある。25年前に書いてくれた言葉だ

▼当時、この言葉から「イスクラ」を連想した。ロシア革命の指導者レーニンが出していた地下新聞の題号で、ロシア語で「火花」を意味する。レーニンは自分より一つ前の世代が書いた「火花から炎は燃え上がる」という詩の一節から題号を取った

▼「たいまつ十六年」に1952年10月の総選挙直後に書いた文章が載っている。過激な政治活動を取り締まる破壊活動防止法が成立し、警察予備隊が保安隊(後の自衛隊)に改められるなど民主化や非軍事化が一転、戦前への「逆コース」の中で行われた総選挙だった

▼むのさんは与党が「再軍備しない」と言って戦い、結果的に再軍備に前向きな勢力が議席の3分の2以上を獲得したことを捉え、「彼らが、公然と(再軍備に向けて)改憲論をもち出してくることは、火をみるより明らかである」と書いている

▼きのう、むのさんが101歳で亡くなった。六郷町(現美郷町)で生まれ、全国紙の記者で敗戦を迎えて帰郷、横手市で週刊新聞「たいまつ」を1948年から30年にわたって発行した。その後も反権力の立場で評論活動を展開し、火を産み続けた

▼最後まで発言することをやめなかったのは、戦時下の権力を間近に見たジャーナリストとして、現政権の危うさを誰よりも察知していたからだろう。
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HK & Les Saltimbanks "On l�・che rien" (Japanese subtitles)あきらめないぞ! (いつの世もあきらめたらおしまい。自民党安倍政権が政治の私物化をもくろみ、国民だれでも逮捕自由自在の「なんでも秘密」法(特定秘密保護法は自由民主党が自由と民主の真逆であるのと一緒で、特定ではなく官僚が秘密と言ったら秘密になる)に反対し続けます。この歌に勇気をもらって頑張ります。)
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