昼は住んでいる平田住宅の花見。桜は満開で皆さん自慢の歌を披露されたり、田舎の話をされたりで楽しいひと時でした。お世話をされてた皆さんに感謝です。
住宅地内の桜です。
夜は玉島公民館の役員会で、新年度予算と事業計画について話し合いでした。
今日はのんびりとさせてもらいました。YouTubeでは亡くなられた加川良さんの歌や、中学時代に胸を躍らした「アジアの曙」が全編アップされており、その最終回部分、ダム反対闘争の記録「反骨の砦」蜂の巣城闘争 日本テレビ1964年など楽しみ(?)ました。
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大学時代を思い出させる加川良さんの「下宿屋」、とてもやさしい語りがすきです。
追悼 加川良「下宿屋」
吉田拓郎の「加川良の手紙」というのがあって、70年前後の時代が伝わってきます。歌詞は後ろにあります。吉田拓郎と加川良との関係も含めて解説したページもあって、これまたリンクし、紹介しています。
加川良の手紙ライブ72年
「加川良の手紙」の一部
拝啓 僕はとっても残念でした
あの日、君がホワイト・ジーンでなかった事が
スカートもいいけれど、ホワイト・ジーンなら
もっと、かっこよかったと思います
田中さんの奥さんがとってもいい人で
今朝もベーコン。エッグをごちそうになりました
おかげで、僕は元気です
この手紙、おお急ぎでポストに入れて来ます
そうそう、まだ思い出した事がありました
僕と映画に行って、コーヒーを飲んだ事を
もうお母さんは知っているのでしょうか
もう僕の事も話したのでしょうか
ごきげんよう、ごきげんよう
「加川良の手紙」の全歌詞
「加川良の手紙」について
あの日のキミは若かった
2009年の最後のコンサートツアー「Have a Niceday」のオープニングにウクレレの弾き語りで歌われたのも記憶に新しい。オリジナルは1972年名盤「元気です」の一曲。
アルバム「元気です」のこの演奏は逸品だ。個人的に歳をとったせいもあるかもしれないが、イントロを聴くだけで涙が出そうになる。「ホワイトジーン」「深夜劇場と目玉焼きの田中さん」「インスタントコーヒー」などのたまらん歌詞、郷愁のあるメロディー、のびやかな歌、若き日の有名ミュージシャンたちのハートフルな演奏といった、ひとつひとつに音魂がこめられている。聴くことでひとつの世界にトリップする。対象は違うが、強いて言えば映画「三丁目の夕日」に観入った時のような胸キュン状態になる。やっぱり歳か。
拓郎は「僕は『顔』が良かったから売れた」とよく語っていた。新人拓郎が世間から仕分けされた「フォーク界」の中では、拓郎は自分は無敵のルックスの良さだったと回想する。そこにルックスのライバルとして登場したのが「加川良」と「友部正人」だったとのことだ。 71年の中津川フォークジャンボリーのライブ盤で、ステージで歌う高田渡と加川良に対して客席からの拓郎の大声の野次の応酬が入っている。拓郎「加川ぁ、今おまえ何やってた?加川良、何のためにそこに座っているんだよぉ(笑)」加川「うるさい広島人!」高田「よしだたくろう、コロしてやろうかと思います(笑)」この空気がたまらなくイイ。拓郎は、俺はフォークではないと繰り返し言い続け、確かにフォークには収まらない「音楽家」だと思う。しかし、このフォークとの蜜月によって刺激され生まれた名曲・名演は確実にあると思うのだ。
加川良のインタビュー(「CDムック吉田拓郎読本2008」)によれば「元気です」のレコーディング中に、拓郎から電話で、「曲余ってないか?」という切羽詰まった依頼があって、当時書いていた「手紙」という詞を、加川良が直々に六本木のスタジオまで届けたそうだ。そこで拓郎が、即興で曲をつけて作品となった。後に拓郎は、「加川良が誰かのために書いた手紙を出す勇気がないのでオレが曲にした」と解説していたようだが、加川良は笑って否定している。ま、たとえ真実でも認めるワケないから真相はやぶの中だ。
「これは曲というよりトーキングだ」と加川良は言ったが、そうだろうか。字余りで饒舌に歌われるが、実に言葉を見事に運ぶメロディーの達人ぶりを感じる。この言葉が生き生きと動き出すようなメロディーこそが真骨頂で、心を揺さぶるのだと思う。
加川良がインタビューの最後に言う。この作品のおかけであまねく世の中に自分の名前が知れ渡ったと。「作詞・加川良」のクレジットだけでなく、あえてタイトルにも「加川良の手紙」という冠したところに、拓郎特有の「気遣い」を感じると結んでいた。1979年のコンサート「十年目のギター」では、拓郎は、加川良の「教訓Ⅰ」をカバーしてみせたことも思い出す。あんましウマくなかったけれど。
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HK & Les Saltimbanks "On l�・che rien" (Japanese subtitles)あきらめないぞ! (いつの世もあきらめたらおしまい。自民党安倍政権が政治の私物化をもくろみ、国民だれでも逮捕自由自在の「なんでも秘密」法(特定秘密保護法は自由民主党が自由と民主の真逆であるのと一緒で、特定ではなく官僚が秘密と言ったら秘密になる)に反対し続けます。この歌に勇気をもらって頑張ります。)
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住宅地内の桜です。
夜は玉島公民館の役員会で、新年度予算と事業計画について話し合いでした。
今日はのんびりとさせてもらいました。YouTubeでは亡くなられた加川良さんの歌や、中学時代に胸を躍らした「アジアの曙」が全編アップされており、その最終回部分、ダム反対闘争の記録「反骨の砦」蜂の巣城闘争 日本テレビ1964年など楽しみ(?)ました。
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大学時代を思い出させる加川良さんの「下宿屋」、とてもやさしい語りがすきです。
追悼 加川良「下宿屋」
吉田拓郎の「加川良の手紙」というのがあって、70年前後の時代が伝わってきます。歌詞は後ろにあります。吉田拓郎と加川良との関係も含めて解説したページもあって、これまたリンクし、紹介しています。
加川良の手紙ライブ72年
「加川良の手紙」の一部
拝啓 僕はとっても残念でした
あの日、君がホワイト・ジーンでなかった事が
スカートもいいけれど、ホワイト・ジーンなら
もっと、かっこよかったと思います
田中さんの奥さんがとってもいい人で
今朝もベーコン。エッグをごちそうになりました
おかげで、僕は元気です
この手紙、おお急ぎでポストに入れて来ます
そうそう、まだ思い出した事がありました
僕と映画に行って、コーヒーを飲んだ事を
もうお母さんは知っているのでしょうか
もう僕の事も話したのでしょうか
ごきげんよう、ごきげんよう
「加川良の手紙」の全歌詞
「加川良の手紙」について
あの日のキミは若かった
2009年の最後のコンサートツアー「Have a Niceday」のオープニングにウクレレの弾き語りで歌われたのも記憶に新しい。オリジナルは1972年名盤「元気です」の一曲。
アルバム「元気です」のこの演奏は逸品だ。個人的に歳をとったせいもあるかもしれないが、イントロを聴くだけで涙が出そうになる。「ホワイトジーン」「深夜劇場と目玉焼きの田中さん」「インスタントコーヒー」などのたまらん歌詞、郷愁のあるメロディー、のびやかな歌、若き日の有名ミュージシャンたちのハートフルな演奏といった、ひとつひとつに音魂がこめられている。聴くことでひとつの世界にトリップする。対象は違うが、強いて言えば映画「三丁目の夕日」に観入った時のような胸キュン状態になる。やっぱり歳か。
拓郎は「僕は『顔』が良かったから売れた」とよく語っていた。新人拓郎が世間から仕分けされた「フォーク界」の中では、拓郎は自分は無敵のルックスの良さだったと回想する。そこにルックスのライバルとして登場したのが「加川良」と「友部正人」だったとのことだ。 71年の中津川フォークジャンボリーのライブ盤で、ステージで歌う高田渡と加川良に対して客席からの拓郎の大声の野次の応酬が入っている。拓郎「加川ぁ、今おまえ何やってた?加川良、何のためにそこに座っているんだよぉ(笑)」加川「うるさい広島人!」高田「よしだたくろう、コロしてやろうかと思います(笑)」この空気がたまらなくイイ。拓郎は、俺はフォークではないと繰り返し言い続け、確かにフォークには収まらない「音楽家」だと思う。しかし、このフォークとの蜜月によって刺激され生まれた名曲・名演は確実にあると思うのだ。
加川良のインタビュー(「CDムック吉田拓郎読本2008」)によれば「元気です」のレコーディング中に、拓郎から電話で、「曲余ってないか?」という切羽詰まった依頼があって、当時書いていた「手紙」という詞を、加川良が直々に六本木のスタジオまで届けたそうだ。そこで拓郎が、即興で曲をつけて作品となった。後に拓郎は、「加川良が誰かのために書いた手紙を出す勇気がないのでオレが曲にした」と解説していたようだが、加川良は笑って否定している。ま、たとえ真実でも認めるワケないから真相はやぶの中だ。
「これは曲というよりトーキングだ」と加川良は言ったが、そうだろうか。字余りで饒舌に歌われるが、実に言葉を見事に運ぶメロディーの達人ぶりを感じる。この言葉が生き生きと動き出すようなメロディーこそが真骨頂で、心を揺さぶるのだと思う。
加川良がインタビューの最後に言う。この作品のおかけであまねく世の中に自分の名前が知れ渡ったと。「作詞・加川良」のクレジットだけでなく、あえてタイトルにも「加川良の手紙」という冠したところに、拓郎特有の「気遣い」を感じると結んでいた。1979年のコンサート「十年目のギター」では、拓郎は、加川良の「教訓Ⅰ」をカバーしてみせたことも思い出す。あんましウマくなかったけれど。
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HK & Les Saltimbanks "On l�・che rien" (Japanese subtitles)あきらめないぞ! (いつの世もあきらめたらおしまい。自民党安倍政権が政治の私物化をもくろみ、国民だれでも逮捕自由自在の「なんでも秘密」法(特定秘密保護法は自由民主党が自由と民主の真逆であるのと一緒で、特定ではなく官僚が秘密と言ったら秘密になる)に反対し続けます。この歌に勇気をもらって頑張ります。)
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