平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

報道カメラマン沢田教一の没後50年

2020年09月26日 |  #沖縄#反戦 #侵略 #茨木市議会議員
 28日締め切りの原稿に埋没しています。なんでも直前にならないとの悪い癖に、議会の討論原稿を書いている気分になります。

 書いているうちにあれもこれもと広がる一方。それを要領よくまとめるのにも時間がかかります。一旦まとめて原稿を見れば、確証のないままに書いてないかと気になり、調べて正確な記述に書き換える。一貫したトーンになっているか。言い回しはこれでいいか。主張は明確かとキリがありません。

【今日の情報紹介】

報道カメラマン沢田教一の没後50年…

 報道カメラマン沢田教一の没後50年。命日を前に沢田の故郷青森市で墓参りをした妻サタさん(95)のことが地元紙に載った。東京でこの秋、沢田の遺品の展示などが予定されている

▼ベトナム戦争の最前線でシャッターを切り続けた沢田は、「安全への逃避」と題された一枚の写真で主に語られる。戦火を逃れ必死に川を渡るふた組の母子の写真だ

▼米ジャーナリズム界の最高権威、ピュリツァー賞を受賞した。沢田は思った。髪を振り乱し胸まで漬かった胸に幼子を抱えていた母親、おびえた表情でしがみついていた少女らはどうしているだろう

▼翌年、村々を訪ねて捜し当てた。記念写真を撮り、賞金の一部を贈った。両家族の生活費1年分に相当する額だった(講談社文庫「泥まみれの死~沢田教一ベトナム写真集」沢田サタ著、1999年)

▼70年10月28日にカンボジアで34歳で銃撃死した沢田は、戦場カメラマンと呼ばれる。そう呼ばれることを、いつしか本人は嫌うようになった。妻に「本当は自然や子どもを撮りたい」「平和なベトナムを撮りに来たい」と話していた(2016年の共同通信の回顧記事から)

▼ベトナムに平和が戻って久しい。あの写真の母親2人は戦後に病死したが子どもたちは自分の子らに囲まれ健在という。母子が逃げた川の近くには小学校が建ち、元気な声が絶えないそうだ。雲の上からカメラを構える沢田を空想する。
・・・・続く・・・・・

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