平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

どうして素直になれない教育委員会

2006年03月15日 |  #玉島 #平田 #阪急東 #茨木市議会議員
 今日は文教人権常任委委員会。「どうしたのか教育委員会」と言いたくなることがあった。一年前の委員会で学校保健に関わって教育総務課が「調べます」の答弁で終わった事項があり、どうだったか質問したところ、「前回(1年前)の答弁で間違っていた事があり、お詫びして答弁しなおしたい」とのこと。間違った答弁にいつ気づいたかしらないが、分かった時点で報告するのが筋ではないか。それを質問しなければ知らない顔をしておこうでは「教育」委員会の名がすたるというものである。即座に陳謝した教育長はさすがだが、どうも後味が悪い。
 後味が悪いのはこれにとどまらない。教育委員会会議規則というのがある。文字通り毎月定例で開かれる教育委員会の会議をどのように進めるのか定めた規則である。これが一年前に改正された。ところがその直後にこれを見ると古めかしい言葉づかいは愛嬌で笑えたとしても、用語の定義の誤り、教育委員長が教育委員をおろそかにした運営、請願陳情の取扱いのまずさ等々はそうはいかない。いくつも不適当な表現が見つかり、教育委員会もそれを認めた。私は早く訂正するように、そして見直しの結果も報告して欲しいと求めていた。やろうと思えば2時間で手を加え、1週間で教育委員会事務局の成案をまとめ、次の教育委員会で議決できる内容である。大した仕事ではない。「4月に作ったものを即座に変えるのは」の気持ちも分からなくはないが、過ちをそのままにする事のほうが問題だ。相手がいるのに、いつまでも放置するのは誠意の点からも良くない。私だったらそう考える。
 ところが折に触れ指摘してきたにも関わらず一向に取り掛からない。普通の感覚なら一刻も早く訂正して、「これでよろしいか」と誤りを指摘してくれた相手に感謝までは求めないが打診ぐらいはするものである。そこで合意すれば双方気分良く一件落着となる。もちろん私が納得しなくても教育委員会がこれでいきたいということであれば、それはそれで仕方ないし、とやかく言う気はない。しかし何の対応も見られないので言いたくはないがこの前の委員会でも言わざるを得なかった。結局一年が経ち、このように改正しますの報告もなかった。問題はどうしたらいいものが作れるのか、相手がいるのなら、それも配慮すればいいだけのことである。それが大人の、しかも子どもを教育する立場の仕事だろう。そのあたりまえができない教育委員会に苛立ってしまうのである。

 これまで「です。ます」体で上品に書いていましたが、どうもしっくりいきません。それで「である」体に変えて見ました
。 写真は墨田区役所の平和へのメッセージ展から

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