残照日記

 趣味の囲碁、探鳥、カメラ、木工を中心に日々のできごとを綴る

貧弱な味覚表現の語彙

2009-11-30 21:51:43 | 日記・エッセイ・コラム

11月30日(月)、私はこれまで日本語の味を表現する語彙の貧弱さを嘆いていた。旅行の番組などで、女優さんが旅先で名物料理を供せられて、発する言葉は申し合わせたように、「うん、美味しい」の一言である。バリエイションは、その上に、それぞれの驚きの身振りが加わる程度だ。味覚が鋭いとされる日本人にして、これは一体どう云うことだろうと疑問に思う。ところが、最近、新発見をした。日本酒のことを調べていて分かったのだが、お酒の味を表現する言葉は実に多彩なのである。辛口、甘口に始まり、淡麗、芳醇、キレ、ふくらみ、コシなど、ざっと数えて18通りもあった。酒以外の分野でも、味覚表現の語彙は実は沢山あるのではないか。日常生活の中で、我々がよう使いこなしていないと云うことに過ぎないのかも知れない。


東海自然歩道を歩く

2009-11-28 20:38:01 | 日記・エッセイ・コラム

 11月28日(土)、今日、瀬戸市赤津の雲興寺から猿投山山頂を目指して東海自然歩道を歩いた。自宅から雲興寺まではマイカーだ。車は雲興寺の参拝者駐車場に入れる。目的外使用は少し気がひけたので、寺にお参りして賽銭を500円はずんだ。お寺の境内に立てられた東海自然歩道の案内板によると、山頂までの道のりは5キロ、所要時間は3時間半とある。往復すると日が暮れる。明るいうちに帰るとして行けるところまで行こうと歩き始める。すぐ山道に入る。谷川沿いに登る。最初はなだらかだったが、やがて急坂に変わった。下って来る人と時々すれ違う。私は必ず「今日は」と声を掛けることにしているが、それに応えない無愛想者もいる。小1時間ほど歩いたら尾根に出た。展望が開けて紅葉した山並みが見渡せる。麓の街並みも見える。時計を見るともう午後1時半、道端に腰を下ろして昼食を摂ることにした。来る途中で買った握り飯3つとペットボトルのお茶をリュックから取り出す。尾根では風当りが強い。かいた汗が冷えて寒さを覚える。昼食を終えたところで、登山はここまで、下山と決めた。近くの道標を見ると山頂まであと4キロとあった。


酒の値段は誰が決める

2009-11-27 12:51:47 | 日記・エッセイ・コラム

 11月27日(金)、家内の食品スーパー買い出しに付き合うのは、品選びに時間がかかって退屈だ。レジデ落ち合うことにして、店内では単独行動をとることにしている。よく行く行先は日本酒の売り場である。我が家の行き付けスーパーには全国各地のお酒が置かれている。稀にしか買わないが、値段や名称の多様さに興味を惹かれる。売り場の王者は「越の寒梅」の別選である。値段は720ml瓶で2,880円と飛びきりである。庶民の手の出るお酒ではない。他に沢山の銘柄が並んでいるが値段の幅に驚く。瓶の容量によって一本の値段は違うので、100ml当たりの価格で比較すると、下は100円、上は400円と4倍の開きがある。何故、これほどの開きがあるのか解せない。私がまず着目したのが精米歩合だ。醸造米は米粒の外側にあるお酒造りに不要な成分は精米によって削ぎ落とす。後に残ったお米の量の割合を示すのが精米歩合だ。数字の小さいものほど精米度は高い。瓶の表示を見ると、50%のものもあれば、70%のものもある。値段と精米歩合には逆比例の関係があると思ったが、必ずしもそうなっていない。精米歩合だけでお酒の価値を判断することは不十分と分かった。次に目を付けたのは醸造用アルコールの添加の「ある」「なし」である。お酒は米と麹と水、それに酵母を加えて醸造される。後からアルコール分を加えたものが、純粋な成分だけのものに勝るわけがないと常識的に考えたからだ。ところが、これも単独では評価要素としては不十分だ。驚いたことに、先に触れた超高級酒「越の寒梅(別選)」でさえ醸造用アルコール添加の表示があるのだ。品物の値段は売れるという裏付けがあって始めて長続きする。お酒の多様な値付けも消費者の支持あってのことだろう。お酒の価値は一つや二つの限られた要素だけでは割り切れないことが分かった。原料から製造過程まであらゆる要素の総合成果によって決まるのだろう。


山の講

2009-11-20 13:10:09 | 日記・エッセイ・コラム

 11月20日(金)、私の生家は長男の兄はとっくに亡くなり、甥の子供が当主を務める時代になった。甥もすでに若死にして居ないが、その嫁さんからかねて、次の世代になっても、親類付き合いを続けたいから、私の長男家族を一度遊びに連れてきて欲しいと頼まれていた。やっとその機会が来たので、都合を聞くため、今日、生家へ電話した。その時、たまたま山の講の話が出た。山の講は「山の神」の祭りで幼年時代の懐かしい思い出に繋がる。山の講では、祭りの前夜、組の者が宿に当たる家に集まって、小豆のおこわを朴葉で包んだ「おつと」を作る。おつと作りは女子禁制で男子だけでやる。山の神は女性で女気を嫌うという言い伝えからである。おつとは祭り当日の早朝、裏山の山の神に供えて、神事が終わると組内に配る。朴葉の香りの移った小豆おこわの美味しかったこと今も忘れられない。山の神は春が来ると山を下りて田の神になるという。


囲碁不調

2009-11-18 22:11:08 | 日記・エッセイ・コラム

 11月18日(水)、気が進まなかったが、当番とあっては休むわけにいかない。ドコモ囲碁クラブへ出かけた。案の定、惨憺たる成績で6連敗。白星なし。ちょっとしたミスで落とした対局が2番あった。注意力が最後まで続かなかった。落ちるところまで落ちるとリバウンドする。次の例会では奮起しよう。