昨日、A子さんの弟さんから、A子さんの死を知らせる葉書が届いた。 享年92歳だった。
A子さんとは、かつて、NTT系列の清掃会社で、3年間一緒だった。
同女は現場の主任さん、私はふつつかながら支店長として、共に汗を流した間柄である。
彼女は実直に職責を果たし、5人の部下から、頼られ、慕われていた。
私は昭和64年に会社を辞め、その後は、年に一度の年賀状のやり取りが唯一のつながりであった。
年賀状には、何時も近況を知らせる短い添え書きがあり、元気でやっておられるなと安心していた。
ところが、或る年、昨年、乳癌を手術したとの一言があった。その後、4年が経ち、来年は手術から丸5年との知らせも聞いた。
私は、再発の危険は免れたなと、胸をなでおろした。
そんな中、ある時、A子さんから、突然電話がかかってきた。乳癌の再発で老人ホームへ入ることにしたと云うものである。
私は入所先のホームの名称、電話番号などを尋ねたが、呼び出しで、職員の方々に、迷惑をかけるからと、固辞された。
入所中、親族の方の介添えで、一度だけ電話が掛かってきた。それがA子さんと言葉を交わした最後となった。 合掌
A子さんとは、かつて、NTT系列の清掃会社で、3年間一緒だった。
同女は現場の主任さん、私はふつつかながら支店長として、共に汗を流した間柄である。
彼女は実直に職責を果たし、5人の部下から、頼られ、慕われていた。
私は昭和64年に会社を辞め、その後は、年に一度の年賀状のやり取りが唯一のつながりであった。
年賀状には、何時も近況を知らせる短い添え書きがあり、元気でやっておられるなと安心していた。
ところが、或る年、昨年、乳癌を手術したとの一言があった。その後、4年が経ち、来年は手術から丸5年との知らせも聞いた。
私は、再発の危険は免れたなと、胸をなでおろした。
そんな中、ある時、A子さんから、突然電話がかかってきた。乳癌の再発で老人ホームへ入ることにしたと云うものである。
私は入所先のホームの名称、電話番号などを尋ねたが、呼び出しで、職員の方々に、迷惑をかけるからと、固辞された。
入所中、親族の方の介添えで、一度だけ電話が掛かってきた。それがA子さんと言葉を交わした最後となった。 合掌