日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

在日2世の記憶

2015-03-26 09:00:00 | (瑛)のブログ


 40歳を過ぎた頃からだろうか。2世の話に強く惹かれるようになった。それは一世から聞いたトンネのサトゥリだったり、豚や鶏を飼っていたというトンネの原風景の話もある。

 朝鮮に帰国した友人の話や、日本学校に通ったとき、日本人教員にイジメを受けた話には、いつも過ぎ去ったひとつの時代を感じていた。

 私たちの親の世代は、日本の植民地支配の末期に生まれた人も多く、日本の敗戦末期に戦争というものを体験した人も少なくない。

 元野球選手の張本勲さんは自身の被爆体験について以下のように述べている。

 原爆の投下された八月六日のことは鮮明に覚えています。五歳でした。近所の子たちと遊ぼうと思って、三畳一間が連なる長屋の戸をガラッと開けて表に出た途端、ピカーっと光ってドーンと物凄い音がしたんです。気がついた時は真っ赤な色が目の前にありました。よく見るとそれはお袋の血でした。ガラスの破片で胸を切りながらも私と姉(下)を庇って覆い被さってくれていたんです。
 
… 原爆が落とされてから二日後のことです。避難していたぶどう畑に、負傷した上の姉が担架で運ばれて来ました。赤十字の人が「張本さーん、どこですか?」って大きな声で呼ぶから、慌てて家族は立ち上がりました。担架に駆け寄ると、姉は全身がケロイドで覆われて見るも無残な姿でした。顔を見てもこれが姉ちゃんなのかと分からなかったほどで、家族もようやく名札で確認できたと言います。私にとっては自慢の姉でした。色白で背が高くて優しくて、いつも友達から「勲ちゃんはええのう、綺麗なお姉ちゃんがいて」って言われていたものです。
 その姉が痛い、熱いと一晩中……うめいていました。お袋は二晩中泣いていました。
 私が物心ついてから兄貴に、姉は正確にはいつ亡くなったのかと聞くと、運ばれてきた翌朝もの凄く大きな声で……お袋が泣いたらしいですわ……、その時じゃないかと……。
 
 当然のことだが、人は生まれる時代を選べない。

 今日、5月号の特集で33歳の女性の同胞弁護士を取材してきたが、一世の時代に祖母たちは学校にも行かせてもらえなかったし、2世の母の時代に、「女が大学に行ってどうする」と進学を反対される人は多かった。

 1世とともに暮らし、日本社会の差別を生きてきた60代、70代の2世たちはどんな思いでその時々を過ごしてきただろうか。

 張本さんの発言が紹介されている上記サイト「在日2世の記憶」には、25日現在、9人の在日2世の記憶が載っている。
 個人史をひもとくインタビュー集だ。http://shinsho.shueisha.co.jp/column/zainichi2/

 渡日の経緯や家族の暮らし、貧しさと差別に押しつぶされ、命を投げ出すことまで考えた青年期、祖国分断という荒波のなかで翻弄されながらも、自問自答を繰り返し、チャンスをものにするために努力を続け、揺るがぬ価値観を磨きあげたた貴重な人生経験…。一人ひとりの語りは、どれもその人だけの人生を物語っていた。

 かつて、同胞たちは肩を寄せ合って暮らしてきた。このを脱出したい思いを持った人も多かっただろう。ある指揮者の文章には、当時を覆っていた閉塞感を感じつつも、それまでの体験をすべて血肉にせんとする気迫が伝わってきた。

 2世が、この社会を生き抜いた軌跡は、私たちに大切な何かを残してくれている気がする。

 3世の私も、すでに人生の折り返し地点を過ぎた。一人ひとりの体験は2世が見てきた景色をさらに広げてくれる。

 そして、自分自身ももっと何かができそうな気がしてくる。(瑛)

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
無題 (ブラウ)
2015-03-28 13:05:57
『在日2世の記憶』、読ませていただきました。このサイトを紹介してくださった(瑛)さんに感謝します。

この証言集に登場しているのは、在日の中でも大なり小なり「功成り名を遂げた」方々です。正直、「成功物語」としての要素については「へえ」と思うくらいで、さほど興味は引きませんでした。

私個人として、実は最も重要なことを語っていると思えたのは、9人目の都相太(ト・サンテ)氏の証言ですね。タイトルといくつかの見出しにそれが集約されています。いわく、

「親父はどうして、あんな生き方しかできなかったのか」
「貧しさと父への嫌悪」
「二世の罪を胸に抱いて」…

梁石日的な「露悪趣味」(ファンの方失礼)にはしること無く、おそらく当時ほとんどの同胞大衆が(組織の別や政見を問わず)共有していたであろう生活実感が、もっとも率直に述べられていたと思います。

以前、私よりひと回りくらい下の総連コミュニティの若い人に、一世が時に示した「理不尽さ」について語ったら(私は世代的にギリギリかする程度にはそうした生活実感を知っています)、「まったく思いもよらなかった話」だと驚かれたことがあります。
なにもことさら「歴史の暗部」をほじくりかえせと言いたいワケではありません。ですが、そういう歴史にやたらフタをしたがるのも、一世に対するある種の「冒涜」だと私は思います。
返信する
ブラウ様 ()
2015-03-30 10:43:56
ブラウ様

コメントを通じて、またお会いできて、嬉しいです(笑)
私も都さんの文章には、亡き1世のさまざまなことが浮かび、しばし考えにふけてしまいました。

入社した当時は一世の方も何人いらっしゃいました。
朝鮮語が母語だった方々です。
もうあのように怒ってくれる方もいないと思うと、そのフレーズを含めて寂しく思います。

「理不尽さ」を含めた、「1世がいた時代のまるごと話」を、2世の母と最近よくしています。自分の想像と2世が知る実際を照らし合わせると、その時代が立体的に見えてきて、一世の人間らしさが見えてくる気がします。

いつもコメントをありがとうございます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。