日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

卒業式

2019-03-18 10:00:00 | (瑛)のブログ


 昨日3月17日は、日本各地の朝鮮初中級学校で卒業式がありました。私も世話になった子どもたちの顔をみに、足を運びました。幼稚班の卒業生は3人、初級部は8人という少ない人数でしたが、9年間、6年間、きょうだいのように育ったかれらの姿は、この小さな学校で培ったそれぞれの「何か」を伝えてくれて、胸が詰まりました。(写真は南大阪朝鮮初級学校のFBページから。本文とは関係ありません)

 オモニ会を卒業する保護者たちの姿にも、ともに悩み、笑いながら歩んできた月日が思い出され、別れが寂しくもありました。

 卒業式には、保護者だけではなくこの学校を卒業した中学生や、教鞭をとっていた元教師たちも集まり、花を添えてくれます。

 卒業する子どもたちの中には、日本の中学校に進学する子もいれば、他地方の民族学校に通う子どももいます。

 少し先の将来を考えたなら、いずれは、日本や世界といった「大海原」に投げ込まれ、自力で泳いでいかねばならない子どもたち。私たち大人もそうだったように、民族教育を受けた意味というものは、その時に「実感」として迫ってくるのでしょう。

 先日、京都では、人種差別主義者たちが京都朝鮮第1初級学校への襲撃から「10年を祝う」という名目でヘイトスピーチが行うという信じがたい出来事がありました。

 あの事件の時、小学生だった子どもたちは、胸に深い傷を負いましたが、すでに朝鮮高校を卒業したお子さんもいます。

 当時、京都第1初級の保護者だったキム・サンギュンさんが、被害を受けた子どもたちが人種差別主義者たちの攻撃を本当の意味で克服できたかどうかがわかるのは、「親になったかれらが、子どもの教育をどうするのかを決める時だろう」と話していたことがあり、ハッとさせられました。

 この春、入学式を迎える朝鮮学校、どの学校も新入生確保のために奮闘していますね。

 一方で保護者たちの意識を見ると、日本の国家から露骨に差別されている朝鮮学校に子どもを通わせることが、子どもを社会の矢面に立たせるのではないかと心配され、日本の公教育を選択するケースが増えています。日本籍者との結婚が多い背景もありますね。朝鮮学校が直面している現実です。

しかし、差別の標的にされているからこそ、朝鮮人にとっては、日本で朝鮮人という生を授かった自分を肯定し、安心できる場が必要なのだ、と改めて思うのです。さらに「学校」という場は、何よりも子ども自身の成長、子どもの幸せのためにあるべきなのだと。そこに大人の事情を決して介入させてはいけない。すべての大人たちは、そのことを肝に銘じ、教育という場に関わっていかなくてはと感じます。

 卒業シーズン、徳山朝鮮初中級学校が10年前の春に統廃合されたときに保護者だった朴陽子さんのエッセイを読み返しました。当時、たくさん悩みながら書いてくださった文章です(「月刊イオ」2009年4月号)。

…少し前の話になりますが、テレビで離島にあるたった1校の日本の学校を特集していました。島には小学生が一人しか住んでないけど、立派な校舎に5~6人の教師、運動会や行事は島をあげてのお祭りで島民がみんな集まるそうです。

 学校を愛する気持ちは、私たちも決して劣ってはいないのですが、ウリハッキョには行政からの支援がないに等しいですよね。ソンセンニムに情熱があり、学びたいという生徒が7人もいて、トンポの愛情や熱意があっても休校するしかない、53年の歴史に幕を下ろすという選択肢しか残らない。現実は厳しいのです。

 一昔前、朝鮮学校ボロ学校と、からかわれました。今は目に見えないいじめや差別も減り、朝鮮学校を卒業した子どもたちの進路も多種多様になりました。娘たちがオンマになった時代、ウリハッキョに通う子どもが何人になっても学びたい子どもがいる限りハッキョを運営できる時代になっていればと心より願います…。

 3月14日の九州の敗訴判決の現場にもいた朴陽子さんは、今、広島朝鮮初中高級学校のオモニ会会長として現場を支えられています。

 よりよい時代を目指し、歩みを止めない朴さんのような方々が日本各地で学校を守っている。そのことに奮い立たされる卒業シーズンです。(瑛)


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