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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

締め切り間近のマストアイテム

2018-09-14 10:04:09 | (全)のブログ

今週の月曜日に締め切りを無事終えることができました。
原稿に追われていた私ではありますが、締め切り間近の必須アイテムがあります。

それは、「エナジードリンク」。
日本では「レッドブル」「モンスターエナジー」といったものが代表的です。

エナジードリンクにはカフェイン、アルギニンといった成分が含まれており、覚醒作用、眠気を覚ます、運動能力の向上、倦怠感の改善といった効果がみられます(個人差有り)。
また、味も甘く、炭酸飲料なので爽快感もあり「これから頑張るぞ」というときにはもってこいの飲みもの(個人的な感想)。

高級部サッカー部時代、「炭酸飲料を飲むのは禁止」という暗黙の了解が存在していたのですが、なぜか試合前にエナジードリンクを飲むことは見過ごされていました。
大学時代も、課題や論文執筆など徹夜のたびにエナジードリンクに頼っていました。

私のなかでは必須アイテムとして欠かせないエナジードリンク。

しかし、日本国内では日常的にエナジードリンクを飲んでいた20代の男性がカフェイン中毒により死亡した例や、飲みすぎることで心拍数が上がるといった副作用も明らかにされいます。
実際、私もエナジードリンクに依存していた時期があり同じ経験をしたことがあります。

なにごとも飲みすぎ、食べすぎは注意ということですね。
なにより、11月号ではエナジードリンクに頼ることなく原稿執筆や編集作業を早めに進めていきたいと思います。(全)



交番で警察官に…

2018-09-06 10:00:00 | (全)のブログ
先日、財布を失くした。
気づいたのは勤務中。デスク周りをゴソゴソ探すも見当たらない。

財布を最後に使ったのは、会社近くのコンビニで朝食を買ったとき。
道中で落としたか…と記憶を辿ると次第に汗が噴き出した。

すぐさまクレジットカード会社のコールセンターに電話し止めてもらい、付近の交番へ。
交番で必要事項を記入する用紙が出されたので、淡々と記入していると、
「全さんって日本の方ですか?」と質問された。
「いいえ」
「国籍は?」
「朝鮮です」とおきまり(?)の会話が始まった。

すると警察官は「何しに来られたんですか?お仕事?」と聞かれたので「植民地時代に祖父母が朝鮮から渡ってきたんです」と歴史をおさらい。

より詳しく歴史を教えようかと思ったが、時間もなく財布のことで頭がいっぱいだったので断念。
しかし、今回の交番での会話をはじめ、学生時代のバイトの経験も含めて、日本社会では上記のような質問を頻繁に受ける。

なかには私たち在日朝鮮人の存在や、過去の歴史を正しく理解している人もいるが、そうでない場合がほとんど。
ここに歴史教育の重要性があると思う。
「歴史修正主義」が蔓延するなか、少なからずその影響を受けた日本の若者が在日朝鮮人の歴史や存在について肯定的に思うはずがない。
日本の歴史教科書の変化や、「歴史修正主義」の台頭についてもっと勉強しなければと思った。

そして、財布は先輩が持っていた
自転車のカゴに置き忘れていたのを見つけた先輩が、取っておいてくれました。

最近、財布を置き忘れることが多いので注意します。(全)

ビビンバネットが企画、神奈川中高で関東大震災映画の上映会

2018-08-29 08:45:07 | (全)のブログ



 昨日、8月28日にビビンバネット(神奈川朝鮮学校と多文化共生を考える会)が主催し、企画した「共に学ぶ」映画鑑賞会が、神奈川朝鮮中高級学校で行われた。ここに神奈川朝高生と同ネットの日本市民らが参加し、呉充功監督(63)の映画「隠された爪跡 関東大震災朝鮮人虐殺記録映画」を鑑賞し、グループで意見交換をした。

 神奈川県の多文化共生を目指し、朝鮮学校支援などさまざまな活動を行う、同ネットメンバーの丸谷士都子さんは冒頭挨拶で朝鮮の歴史の勉強を行ったり、朝鮮学校の授業を参観した活動を紹介しながら、「直接交流することで、関東大震災前に生徒たちも、過去について学び、未来に向けてなにができるか日本市民と共に考える機会になれば」と話した。

 はじめに映画「隠された爪跡 関東大震災朝鮮人虐殺記録映画」が上映された。



本作は、大井町のホルモン焼肉店主のアボジ・曺仁承さんの経験を生々しく伝える。慶尚道の貧しい農村出身のアボジは、関東大震災前年の22歳に東京へわたる。その一年後に震災がおき、従兄が殺され、自らも傷害を受ける。
 このようなアボジの経験と、当時虐殺を目撃した日本の老人の証言、荒川の河川敷で行われた関東大震災朝鮮人被害者の遺骨発掘、呉監督が自ら虐殺の土地を訪ね、話しを聞く本作は貴重な記録ドキュメンタリーだ。

 映画が終わると、呉監督の講演が行われた。




両親が植民地時代に日本へわたってきた、2世の呉監督は映画製作時のエピソードを詳細に話しながら、関東大震災朝鮮人虐殺の詳細な事実、撮影過程の被害者の証言など、朝高生にわかりやすく、笑いも交えながら講演した。

 その後、神奈川朝高生と同ネットの日本市民を交えたグループトークが行われた。
12組のグループで行われた、トークでは映画の感想、日本社会の現状などさまざまな意見が飛び交った。




 高3の女子生徒は「関東大震災は授業でも習ったが、今回初めて映画を観て、デマで虐殺されたという事実が悲しかった。今でも目に見えない差別が日本社会にあるなかで、昔と今は根本的な部分は変わっていないんだ」と話した。

 また、高1の女子生徒は「東京都知事が今年も関東大震災朝鮮人虐殺の追悼文を送らないというニュースをみて、95年前の事実を亡くそうとしていて怒りを感じる。映画を観て、朝鮮人が人間以下の扱いをされてきたことを忘れてはいけないと思った」と感想をのべた。

 日本市民は「罪もない朝鮮人が虐殺され、なぜこうなったのかを考えなければならない。大虐殺は昔のことではない。歴史の事実をしっかりとらえて、みつめていきたい」と話した。

 他にも、日本政府の差別や日本社会の歴史認識、日本の市民の方との交流の重要性など活発な議論が行われた。



 最後に呉監督は、「関東大震災時の流言飛語は今の時代のヘイトスピーチとなんら変わりない。この日本社会の現状を変えるためにも、このような地域の交流は大切だ。地域で仲良く、頑張っていきましょうと締めくくった」。

 会の終了後、呉監督に話しを聞いた。呉監督は、「在日朝鮮人社会で世代交代が進むなか、関東大震災の朝鮮人虐殺をどう伝えていくかが問われる。これは民族の歴史であり、在日朝鮮人の歴史である。在日朝鮮人が先頭に立って、遺族の捜索、遺骨の発掘運動を進めていかなければならない」と話してくれた。
現在、呉監督は30年ぶりに3作目となる、記録映画の撮影を行っている。第3作は韓国に住む朝鮮人犠牲者の遺族に焦点をあてている。そのため、韓国でも上映会を開き、遺族に名乗り出てくれるよう呼びかけた。地道な活動を重ね、これまでに10人の遺族を探し出している。

 9月1日には関東大震災朝鮮人虐殺から95年を迎える。

 東京都の小池百合子知事が、毎年9月1日に横網町公園(東京都墨田区)で営まれる関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典に、昨年に引き続いて今年も追悼文を送らない方針だ。その理由に、「すべての犠牲者に哀悼の意を示しており、個別の形での追悼文は控える」としている。関東大震災の被災者と、国家権力である軍と警察を動員し、人の手によって虐殺された朝鮮人被害者を同列に扱うべきではない。(全)

アジア大会開幕!同胞選手らも活躍

2018-08-21 10:00:00 | (全)のブログ
8月18日より、インドネシア・ジャカルタでアジア大会が開幕しました!(9月2日まで)
45ヵ国・地域が40競技でメダルを争うアジア大会は45億の祭典と呼ばれています。

今大会は2020年の東京五輪前に開かれる最大の総合スポーツ大会で、注目度も高いですが、なんといって目玉は開会式の統一旗を掲げた北南朝鮮選手による合同入場!
youtubeで合同入場の映像を検索しましたがヒットせず、自分はまだ観れていません。
後ほどじっくり検索して開会式の様子を観てみたいと思います。

目玉は、合同入場だけではありません。
今大会には、6人の同胞選手が朝鮮代表として参加しています。
選手らの詳細な情報は下記の朝鮮新報Web版でご確認ください。
http://chosonsinbo.com/jp/2018/08/il-1437/


少し、自慢話をするならば、イオ6月号の表紙を飾ってくれた空手の宋尹学選手は大学時代の同級生です。学部も一緒で2年半ほど同じ部屋でした。
常にひたむきに空手の練習に励んでいたのを間近でみていたので、感慨深いです。
宋選手は2014年に仁川で開催されたアジア大会のほか、数々の国際大会も出場しておりメダル獲得の期待も大きいです。
空手の選手団は22日に日本を発ち、宋選手の組み手は26日となっています。
空手選手団の情報はFACEBOOK・在日本朝鮮人空手道協会のページをご覧ください。
https://www.facebook.com/korean.karatedo.japan/


また、サッカーの代表で参加する、韓勇太(朝鮮大学校体育学部4年)、梁賢柱選手(早稲田大学2年)らの朝鮮代表はすでにグループリーグが始まっています。
ミャンマー戦1-1、イラン戦0-3、サウジアラビア3-0と1勝1敗1分のグループ2位の成績でラウンド16へ進出いたしました。
2選手も試合出場しており、韓勇太選手はサウジアラビア戦でスタメン出場を果たしました。
サッカーに関する情報はFACEBOOKの在日本朝鮮人蹴球協会のページをご覧ください。
https://www.facebook.com/ksaj.official/

同胞選手らの活躍とメダル獲得の期待も大きく高まっています!
2020年の東京五輪で北南合同入場、同胞選手らの出場と全国の同胞が沸く東京五輪になるといいなと思うばかりです。(全)

財産

2018-08-07 09:29:25 | (全)のブログ


イオ編集部に配属されて4ヵ月が過ぎ、少しずつ任される記事も多くなってきた。

この間(主に6月-9月号を編集しながら)、朝鮮半島を取り巻く情勢は劇的に変化している。

イオの誌面でもタイムラグはあるが、毎号、激動する朝鮮半島情勢に関する情報、解説などを掲載してきた。

私は政治関係に関心があるということもあり、イオの誌面でも度々、情勢に関するニュースや歴史などの執筆や整理を任された。

その都度、参考にするのが大学時代の資料だ。

イオの過去の記事を参考にすることもあるが、大抵は大学時代に購入した書籍やゼミで読んだ資料を振り返りながら整理している。

今回のイオ9月号でも日本の対朝鮮制裁を簡単に整理したのだが、その時もイオ8月号の特集ページを参考にしながらも、大学時代に参加したシンポジウムの資料があったことを思い出し、参考にした。

一度読んだ資料を読み返すことがまた面白い。
こういった作業を繰り返しながら思うことがある。

これも大学時代の「財産」なんだと。
4年間寝食ともにした友人も、尊敬する恩師も、人生観もすべて大学時代の「財産」だが、大学時代に積み上げた学習資料もまた、「財産」。

なかには卒業間近の寮の整理でなんのためらいもなく、捨てる友人もいた(笑)
自分は、今後の人生必ずこれが役立つ日が来ると思っていたし、これが自身の民族教育の集大成かつ、成果となるものだと思っていた。

今後、自宅にはいろいろ物が増えていくだろうが、これだけは絶対に捨てることはできないなと思った「財産」でした。
写真は「財産」のほんの一部です。(笑)
(全)

ウィンナー焼きが好評

2018-07-30 10:00:00 | (全)のブログ
昨日、東京朝鮮第1初中級学校で同胞大夜会が行われました!

当社からも若い世代を中心に売店を出店!

「たこやき」ならぬ「ウィンナー焼き」です!





午後の16時頃から夜会終了まで延々と焼き続け、1000個を超えるウィンナーやきを6人で作りました。。。


ウィンナー焼きの中にはチーズも入っており、児童生徒らに大盛況!
途中、作るスピードが間に合わずたくさんの方を待たせてしまい申し訳なさでいっぱいでした。
ですが、たくさんの方に喜んでもらうことができてよかったです。


同胞大夜会ということだけあって、たくさんの同胞と触れ合うことができました。
これもまた、取材では味わうことのできない経験です。


同胞が気兼ねなく集まり、学校の未来を語り、同胞社会の未来を語る。
「ウリハッキョ」(朝鮮学校)のパワーはすごいなと改めて感じました。


準備から後片付けまでくたくたな一日でしたが、たくさんの同胞にパワーを分けてもらった一日となりました。

でも当分、ウィンナーもたこ焼きも、チーズも見たくありません。。。(全)

「朝鮮ブーム」?

2018-07-24 10:12:48 | (全)のブログ


先日、スマホのアルバムを見返していると、2年前に朝鮮を訪問した写真が残っていた。
42日間にわたる朝鮮訪問は23年間でもっとも有意義な日々だったなぁと思い出に浸っていた。

実は私には妹がいるのだが、妹も今夏に朝鮮を訪問する。
8月末に出発予定だったのだが、出発が延期になったという。理由を聞くと、朝鮮を訪問する観光客の増加に加えて、朝鮮民主主義人民共和国創建70周年(9月9日)もあいまってホテルがいっぱいで泊まれないということが理由らしい。
直近に朝鮮を訪問した先輩によると、朝鮮のあらゆる観光スポットが観光客でいっぱいで、ガイドの説明も従来より短めなんだとか。

2年前の朝鮮と現在の朝鮮。
めまぐるしい発展を遂げる朝鮮にもう一度行ってみたいと思う今日この頃
祖国で指導してくれた先生に、初めて英語を教えた生徒たち、ホテルの従業員、バスの運転手など再会を果たしたい人は尽きない。

写真は2年前に訪朝した際に撮った写真。
一つでも多くの光景を目に焼き付けておこうと、時間があればホテル近辺をランニングしていた。

再会できるその日まで、成長した姿を見せられるよう、もっと頑張ろうと思った。(全)

フランスが決勝進出!

2018-07-11 09:57:23 | (全)のブログ
暑い夏が続きますね~
アツいといえば、FIFAワールドカップ!

今日の夜中に行われた、フランス×ベルギー!

強豪国同士の試合を観ようと、寝不足の日々。。。。ではありません。
やっぱり、睡魔には勝てないです。試合を夜中ではなく、23時頃にしてもらいたいものです。

フランスが12年ぶりの決勝進出。
決勝トーナメント一回戦のフランス×アルゼンチンの試合を観てから、ひそかにフランスを応援しています。
なんといっても、フランス代表10番のエムバペ!早い!そのドリブル速度は、時速40㌔なんだとか。この速さは、かの有名なウサイン・ボルトと同じくらいらしいです。
今大会まで、エムバペの存在をしらなかったほどのミーハーです。
でも、若いチームは観てて面白いですよね。

以前ブログで、野球のほうが好きと書いていましたが、小中高とサッカー部でした(サッカー部時代はサッカーに夢中でしたよ)。
こうやって、サッカーがクローズアップされるとサッカーがしたくなるものです。といっても、サッカー部時代は毎年のように怪我していました。


高級部1年の冬。
筋トレ中に、バーベルを固定する小さな金具を足に落としてしまい、左足の薬指を骨折するなんともしょうもない怪我。監督は苦笑いでした。

高級部2年の夏。
試合中、相手選手と接触し左足のすねを負傷。病院には行かなかったが、すねの筋肉を損傷していたと思います。夏の中央大会も間に合わず、復帰まで1ヶ月半かかりました。
高2ながらも試合に出ていた自分に、どこか慢心、過信していた部分があったのだと思っています。

高級部3年は、春・夏と二度怪我しました。
踏み込んで走ろうとすると下半身の力が抜けると同時に、骨盤あたりに痛みが走りました。春は立て続けに公式戦があったのでこのことを隠していました。
ある公式戦の前日の調整練習で、コーチが足を引きずりながら走る自分の異変に気づき怪我人名簿へ。
原因は骨盤のずれでした。

そして、夏。
自分はサッカーの足元の技術は全然上手ではなく、体力だけが他人よりずばぬけてあったため、試合に出ていました。
技術力のない自分は、試合中小さなミスを連発。サッカーもうまくいかず落ち込んでいました。
そして夏といえば、冬の選手権にむけて最後の追い込みシーズン。
練習、試合、走り、試合、練習と朝から晩までサッカー漬けの毎日でした。過酷な練習に耐えれなかった自分は、右足を疲労骨折。
夏の最後の中央大会はもちろん間に合わず、復帰したのも選手権県予選の2週間前でした。
高級部3年間は長期的な大怪我というより、短期的にちょくちょく怪我していましたね。


ワールドカップの試合を見ていても、大げさに痛がる選手がいますよね。あれ、本当に痛いんですよ。
時には時間稼ぎや、パフォーマンスでやることもありますけど…(有名なのはブラジルの某代表フォワード)

話は戻り、フランスの決勝の相手は、明日未明に行われるイングランド×クロアチアの勝者とです。
この試合の結果も明日の朝のyahooニュースで知ることになりそうです。

あ、決勝は必ず観ます!(全)

猛暑が続く日々

2018-07-03 10:26:43 | (全)のブログ
6月が終わり、今年も残り半分をきった。
2018年が始まり、もう半分以上も経ったのかと思うと…。

私は、3月末に社会人としてスタートをきったので、1月から3月頭までは卒業準備に励んでいた。
この2ヵ月半がすごくあっというまだったことを記憶している。

そして、卒業シーズンとなると個人的にあまり良い記憶が無い。

まず、中級部の卒業シーズンのこと。
卒業式2週間前から、卒業公演の練習をするのだが、そこで私が、「以上で私たちの卒業公演を終えます」という公演の閉めの挨拶を任された。
そして、卒業公演の試演会で閉めの挨拶をすると、「え、(全)がするの?」と、どこからか皮肉交じりの声が…
当時、精神的にも幼かった自分は、その言葉に怒りを覚え卒業公演をボイコット。(今思うと本当に幼かった)
当日は、たくさんの慰めの言葉や励みの言葉をいただき無事、卒業公演を終えることがでた。


次に、高級部の卒業シーズンのこと。
なんと、卒業式の3日前にインフルエンザにかかったのだ。
もちろん、医者からはドクターストップがかかった。卒業式に出るなんてとんでもないといわれた。
しかし、担任の先生と相談し、私も参加したいという気持ちが強かったため、卒業式に強行参加。
卒業式も無事?終え、謝恩会やらなんやらにも参加。
聞いたところによると、卒業式から3日後くらいに、インフルエンザにかかった子が2人ほどいたそうだ(ほんとうにごめんなさい)。


こんな経緯を経て、大学の卒業シーズンもなにか起こるのではないか!と内心思っていたが、特に大きな出来事は無かった。
強いて言うならばタバコを覚えてしまったくらい(周囲には本当に馬鹿だねと言われる始末)。

これから多忙になるにつれ、本数が増えないように気をつけねば。
結局何が言いたいかというと、2018年、残り頑張りましょう!!(全)

歴史に残る激闘-東京朝高サッカー部インターハイ予選準決勝

2018-06-26 10:12:44 | (全)のブログ
 先週の土曜、6月23日に「全国高等学校総合体育大会」(インターハイ)サッカー東京都予選の準決勝が駒沢第2球技場で行われた。
勝てば全国行きの切符が手に入る大一番の試合。東京朝高サッカー部の対戦相手は関東第一高校。この関東一高は15年度から3年連続インターハイを出場しており、16年、17年度連続で選手権大会出場を果たしている強豪校。近年、東京朝高サッカー部の全国大会をかけた試合(インターハイ、選手権の都予選)では関東一高が立ちはだかる局面が多かった。15年度のインターハイ都予選準決勝では1-2、17年度の選手権都予選Aブロック準決勝は延長戦の末に3-4で敗れるなど悔しい思いをしている。

 試合前、東京朝高選手たちは緊張している様子もなく、互いに声をかけあい、良い雰囲気のなかでアップしていた。
 そして、試合開始のホイッスルとともに会場には、東京朝高サッカー部部員による応援団、応援に駆けつけた東京朝高の全校生、保護者、関係者による応援コールが鳴り響く。

 前半8分、相手がPA内でハンドを犯し、東京朝高がPKを獲得。これを10番の洪悧鎭選手(3年、MF)が決め、東京朝高が先制した。

先制し、大いに盛り上がる応援団

 しかし、前半途中から相手のポゼッションも増え相手ペースに。すると同27分に東京朝高が自陣PA内でのファールによりPKを献上し失点。試合は同点になる。その後も相手の猛攻は続くが朝高は競り合いなどの局面で粘り強く対応し、気迫あふれるプレーを展開。しかし、同38分に東京朝高は一瞬のミスを突かれて失点してしまう。1-2とゲームがひっくり返される。

先制し、逆転された東京朝高。そして先制され逆転した関東一高。精神的な部分では前者のほうがダメージは大きい。しかし東京朝高選手たちのメンタルは逆転され落ち込むほどやわではない。それを象徴するかのごとく、前半終了間際に東京朝高は右サイドの深い位置まで切り込んだ2番の安准吾選手(2年、SB)から8番の尹智秀選手(3年、MF)へ、そして最後にパスを受けた10番の洪悧鎭選手(3年、MF)がミドルシュートを放ち得点する。試合は2-2の振り出しに戻り、前半を折り返す。

 後半に入ると、試合は終始、東京朝高ペース。両サイドを幅広く使った攻撃で多くのチャンスを作り出す場面が増える。すると後半13分、相手がまたもハンドを犯し、東京朝高はフリーキックを得る。このフリーキックに4番の鄭攸堅選手(3年、CB)が合わせるが惜しくも外れる。

 連続的な攻撃は分厚いディフェンスによって生まれるもの。東京朝高の攻撃が相手にクリアされても分厚いディフェンスを展開し、セカンド(こぼれ球)を拾いマイボールにする。そしてまた攻撃。このように後半は東京朝高が圧倒するが、決めきれない。

 すると今度は相手のチャンスがめぐってくる。後半31分、相手の左サイドの素早い攻撃から失点。試合は2-3に。

点を失っても応援団は「大丈夫、おれらがいる!」といった掛け声で選手たちを鼓舞し声を張り上げる。それに応えるかのごとく、東京朝高の選手たちは怒涛の攻撃を繰り広げる。

後半36分、東京朝高のキャプテン文炯晶選手(3番、DF)が強烈なミドルシュート。しかしキーパーの好セーブに阻まれる。
後半終了間際、10番の洪悧鎭選手(3年、MF)がロングシュートを放つも、これまた相手キーパーが好セーブを連発。

後半アディショナルタイムも残りわずか。最後の猛攻がついに得点へと結びつく。東京朝高、左サイド5番の朴俊範選手(3年、SB)がクロスをあげると4番の鄭攸堅選手(3年、CB)が競り勝つ。こぼれたボールの先にいた2番の安准吾選手(2年、SB)のシュートがゴールネットを揺らし、値千金のゴールを決めた。その瞬間、選手たち、ベンチ、応援団、観客席の歓喜の雄叫びが爆発し、試合会場は最高潮に盛り上がる。同時に後半終了のホイッスルが鳴り、試合は延長戦へと続く。


 延長戦は互いに一歩も譲らないゲーム展開。東京朝高の選手たちは粘り強く、同胞たちの思いを胸に、戦い抜いた。試合の決着はPK戦に委ねられた。

 東京朝高の先攻から始まったPK。一回目は冷静に決め幸先の良いスタート。しかし、相手も全国出場経験のある強豪校。きっちりと決め、PKを成功させる。東京朝高は5人中4人がシュートを決める一方、関東一高は5番手までに全員が成功。これが決まると敗退してしまう。全員が固唾を呑んで見守るなか、東京朝高の守護神、姜ブラマ選手(3年、GK)は相手の5本目をセーブし、PK戦はサドンデスに。サドンデスで味方選手が失敗したが、守護神はまたも相手のシュートをとめ、2回連続でセーブ。
 最終的に7人目のキッカーで勝敗が決したものの、合計スコア3-3、PK4-5という歴史に残る激闘に観客たちは心からの拍手を送った。

 東京朝高選手たちの最後まであきらめずに戦い抜いた勇姿―「朝高魂」は、多くの同胞たちに力と勇気、感動を与えるものだった。関東一高との歴史に残る激闘で今後、東京朝高サッカー部に対する他校のマークはより一層きつくなり、選手権予選でも「打倒、東京朝高」をかかげ、挑んでくる高校も多くなる。冬の選手権予選では同胞たちの期待を胸に、気負うことなく「朝高魂」で全国の切符をつかみとってほしい。(全)

幼馴染からの連絡

2018-06-20 10:00:00 | (全)のブログ

先日、幼馴染から連絡がきた。

「記事見たよ! (全)の記事見て元気が出た! 頑張ろう!」と私の記事の写真と一緒にメールが送られてきた。

自分の記事が月刊イオの誌面で少しずつ掲載されていくなかで、こういった連絡は大学の同期を筆頭に送られてきたが、幼馴染からの連絡は、より一層感慨深いものがあった。

幼馴染とは幼稚園から大学までずっと一緒の仲だ。かのじょは私より1年早く大学を卒業し、ウリハッキョ(朝鮮学校)で初級部の先生になった。

私たちの母校は地元でも人数の少ないハッキョだった。

幼稚園の頃の同級生は3人。そして初級部時代は5人で6年間を過ごした。中級部からは他校の子らと一緒になるので、小さい学校出身だからといって、なめられまいと張り切っていたことを記憶している。時には「かっぺ方面」と言われながら、自分たちとは逆の電車ホームで都市部に帰る大勢の同級生をみてうらやましいと思ったこともあった。

幼稚園、初級部を過ごした母校も、今は私が通っていた頃より児童数が少なくなっている。
幼馴染からの連絡に私はこう返した。


「お盆に地元帰るから、同窓会も兼ねて久しぶりに母校を訪ねて、なにか手助けになることでもしよう!」


数日後には入社して3ヵ月を迎える。
この3ヵ月間はあっというまであり、学ぶことしかなかった。
毎日が勉強なので、新しいことを学ぶ楽しさでいっぱいの日々。
常に初心を忘れずに、もっとたくさんの方に読んでいただける記事を届けたいと思った。(全)

イオ7月号が完成!

2018-06-14 10:40:00 | (全)のブログ


本日14日に月刊イオ7月号が完成しました。

表紙を飾ってくれたのは、大阪朝鮮高級学校ラグビー部監督の権晶秀さん。
14年以来の花園出場を目指す大阪朝高ラグビー部は「第73回大阪高等学校総合体育大会」(4月8日~5月20日)で準優勝を果たし、大会3位までに与えられる冬の「全国大会」(花園)の府予選Aシードを獲得しました。大阪朝高ラグビー部の花園出場への期待が大きくかかります。

特集は「真の雪解けへ-動き出した朝鮮半島」です。
4月27日の歴史的な北南首脳会談に続き、5月26日には第4回北南首脳会談が電撃的に行われました。板門店宣言履行へと着実に動き出している朝鮮半島。

本特集では、第4回北南首脳会談や板門店宣言後の朝鮮半島情勢と今後のスケジュールをまとめたもの、情勢がもっとよくわかる「朝鮮半島現代史きほんのき」、「蚊帳の外」日本に対する日本人識者の視点や在日同胞作家によるエッセイ、そして本社記者による「統一」への思いなど盛りだくさんの内容となっています。

他にも、総聯24回全体大会、北南統一ムードに沸く在日同胞のイベント「統一マダン東京」、高校無償化適用、補助金再開を求める広島「朝鮮学校ええじゃないね!春の平和パレード」、緊急ルポ 入管の収容問題を追って(下)、ヘイトスピーチ解消法から2年「ネットはヘイトにどう向き合うのか」、連載無償化差別を考える②石井拓児・名古屋大学准教授へのインタビュー、黄裕子さんのエッセイ「朝鮮舞踊家・姜輝鮮先生の意思を継いで」などが載っています。


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さて、6月12日に史上初の朝米首脳会談が行われました。

この朝米関係の大転換期にある今、同胞たちは何を思うのか。私も同日、中北支部(神奈川県)で開かれた「朝米首脳会談を支持する中北支部同胞の集い」に取材で赴き、同胞たちの思いを聞いてきました。この集まりでは、50代から80代のオルシンたち(2世、3世)を中心に15人ほどが参加しました。

集まりでは乾杯をした後、平昌五輪、北南首脳会談と北南関係発展にいたる一連の流れを映像で振り返り、朝米首脳会談に関するテレビ報道をみました。

両首脳が握手する映像が流れるとたちまち起こる拍手。

オルシンたちのさまざまな声を聞くことができました。

「胸が熱くなるような瞬間だ」

「共和国旗と星条旗の見栄えが意外といい」

「うちのアボジ(1世)がこれを見たら、どんな思いだっただろうか」

「今まで言葉では統一や終戦と言っていたけど、本当に実現する日がくるんだ」

「いまウリハッキョに通っている子どもたちこそ、真の統一世代だね」など

今まで、聞く機会が多くなかったオルシンたちの思いを聞くことができた貴重な体験となりました。


米国が植民地解放から間もない朝鮮半島に冷戦の論理をもちこんだことから「二つの国家」が樹立し、同じ民族同士の戦争が起き、分断が固定化された朝鮮半島。朝米間の確執の半世紀の転換に全世界だけでなく、全国の同胞たちも注目しています。(全)



蹴球小僧<野球小僧

2018-06-05 10:00:00 | (全)のブログ

日刊イオブログの初投稿でも紹介したが、私の趣味は野球観戦。
大の野球好きだ。出身が愛知ということもあり、応援しているチームは中日ドラゴンズ。

私が野球を好きになったのは、父の影響を受けたからである。
父も中日ファンで、中日が負けているとテレビのリモコンを投げつけるほど「ドラゴンズ愛」に満ちている。

そんな父の影響もあり、幼少期の私の夢は野球選手になることだった。
リトルリーグに入り、日本の高校で甲子園を目指すという目標もあった。
結局、リトルリーグに通わず、小中高とウリハッキョでサッカーをしていたが…
しかし、小中高とウリハッキョに通い、サッカーをした経験が現在の私の軸になっているのは言うまでもない。
高3の頃は、愛知県サッカーリーグ2部で優勝し、強豪校集う1部に昇格させ、同胞たちに力と勇気を与えようという目標を体現するという貴重な経験をウリハッキョで積むことができたのだ。

大学時代は燃え尽き症候群で、サッカー部には所属していなかった。
そんな私の「ドラゴンズ愛」は変わらず、アウェーであれば中日の試合をみることができるということで、何度も神宮球場の売り子のバイトに応募した。(毎回書類選考で落ちていた)
ほかにも、「中日球団職員になる方法」、「中日の選手の通訳になる方法」などを検索にかけ、なにかしら将来中日に関わる方法を模索していた時期もあった。(笑)

幼い頃は遠い存在であった野球選手。
しかし、今では私の同年代、後輩が主力として活躍している。それを観て「同年代、負けていられない」と刺激を受けている。
分野は違えど「自分もビックになってやる」というくらいの気概で日々、まい進しなければと思う今日この頃。


結局何が言いたいかというと、幼少期に中日の黄金期をみて育った自分にとって優勝争いもできず、ここ何年低迷している中日は正直物足りない。(全)

憧れの一人暮らし

2018-05-24 11:03:04 | (全)のブログ
4月から一人暮らしを始めた私。
一人暮らしは幼い頃からの憧れだった。

しかし実際に一人暮らしを経験してみると、一人暮らしの難しさ(?)を実感する。
一人暮らしを経験する前と今で変わった意識をすこし話したい。

まずは光熱費だ。
実家に住んでいるときも、大学で寮に住んでいるときもさほど節電や節水を意識したことがなかった。
実際一人暮らしを始めて光熱費を自分で支払うとなると面白いほどに節電や節水意識が芽生えた。
細かく例えると、今まではスマートフォンを充電しいているときもしていないときも、充電器をずっとさしたままだったが、今では充電が終わったら即、抜いている。ほかにも、毎朝、使っていない家電のコンセントを抜いているか必ず確認してから出勤している。
今までどんなに常識はずれな電気の使い方をしていたんだと、気づかされた一人暮らし。
オモニ、ごめんなさい(笑)

続いては自炊だ。
寮には食堂、実家に帰れば自然と準備してくれた食事に感謝する毎日。
実は、いまだに炊飯器くらいしか調理器具がない私は自炊のしようがない。ご飯を炊いて、スーパーで納豆買って、サラダ買って、お惣菜を買って夜を済ませる。時には外食も。
節電節水意識はあるのに、食費に関してはかなりルーズ。
とにかく、いつも当たり前に準備された食事の環境のありがたさを知ることができた一人暮らし。


最近は、自分の洗濯の柔軟剤のにおいが強いらしく、お隣さんから苦情も。(汗)
でもやっぱり憧れていた一人暮らしとあって楽しく過ごしている。(全)

充実感に満ちた、都外初取材

2018-05-15 09:37:20 | (全)のブログ
先日、取材で群馬県に赴いた。東京都外での取材は初めてのことだったので、緊張していたが無事取材を終えることができた。しかし、帰路の途中アクシデントが起きた。

前橋駅を夜の21時に出発し、自宅最寄り駅まで2時間ちょっとか、なんて思いながらぼーっと電車に乗っていると乗客がそわそわしている。何かあったのかなとイヤホンをはずすと、アナウンスが流れていた。
「JR西川口駅付近において、前を走る宇都宮線の列車が線路上におかれた自転車と衝突したため、本列車は籠原駅で運転を見合わせます。なお、運転再開のめどはたっておりません」

予定通りいけば23時30分には自宅に着く予定だったが、運転の見合わせで何時に帰れるのかわからなくなってきた。復旧作業や、警察による現場検証の影響で長い時間、列車は止まっている。コンビニで何か買っておけばよかったと後悔しながら運転再開を待っていた。お、やっと動き出したかと思っても、前を走る列車との兼ね合いで進んだり、止まったり。

結局、乗り換えの駅に着いたのは夜中の1時。最寄り駅までの終電はもうない。どうしようと思い、ネットで探してみると、遅延で終電などに間に合わなかった乗客のための対応があった。
「代行輸送依頼書」というものを駅でもらいタクシーに乗れば、最寄の駅まで送ってくれるという方法。しかし、この方法も色々あり、タクシー運転手に代行輸送依頼書を渡せばそのまま送ってくれる場合と、先に代金を支払い後日、駅に請求する場合がある。私は運転手が理解していなく、後者の方法で自宅へ帰った。

自宅に着いたのは夜中の2時。長い1日が終わった。都外初取材は充実感に満ちたものとなった。(全)