雨時々霙時々晴れ。最低気温2.3℃、最高気温4.9℃。
四月に入り、昨日からの春の嵐は北海道でも大暴れしている。交通機関はマヒし、浸水や洪水、停電などで被害が続出している。四月は天候も不安定で落ち着かない。
今から91年前の今日の日付をもつ「春と修羅」(一九二二、四月八日)という作品はは四月の不安定な天候とその下で逡巡する青年の心の揺れが共鳴しているかのようだ。
「春と修羅」は宮沢賢治が生前刊行した唯一の詩集『春と修に羅』に収められている。『春と修羅』について、賢治は詩集ではなく心象スケッチという概念でとらえたかったらしい。たとえば大正14年の森佐一宛ての書簡では「詩集」の二字を恥ずかしかったためブロンズの粉で消したとある。
その「春と修羅」は最初からかなり衝撃的だ。冒頭の一部を抜粋
春と修羅(mental sketch modified)
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
この冒頭の言葉を四月の気温や気候と重ねて考えるにふさわしいのはいつか?「今日でしょう!」ということで感じたことを少し書き連ねてみたい。
さて、この時期には突然春めく時があれば、その次の日には霙や雪が激しく降るなど気候状況はくるくると激しく変わる。三月に引き続き四月は光がさらに強さを増す時期でもある。光が強くなるほど影もはっきりと形を結ぶ。孤独な自分の影がくっきりと迫ってくることもあるだろう。光が強さを増すこの時期に、浮き彫りにされる気持ちの不安定さは青年期には耐えがたいものになろうかと思う。その揺れ幅の大きさに苦悩する状態を修羅としての存在と重ねて四月の光に浮き上がらせているかのようだ。まるで映画のワンシーンのように思える。(下の写真は昨年、イーハトーブ館を訪ねた時のもの。右手の賢治像が浮かんでくる。)北海道と岩手県では季節感に少々の違いはあるだろうが、おおむね類似していると考えてみたのだが、どうだろう。
《 イーハトーブ館 2012年10月3日16:40撮影 》