ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

「台詞」の力を信じて――朗読劇「サド侯爵夫人」(1)

2015年12月03日 | 游文舎企画


朗読劇「サド侯爵夫人」の、怒濤のような台詞の応酬が今でも耳に残り、心をざわつかせている。こんな舞台に出会えたことはめったにない。
11月28日夜、今春竣工した柏崎駅前ブルボン本社ビル10階大ホールで、「物語シアター」の柏崎公演が行われ、満席の300人が鑑賞した。三島由紀夫生誕90年、没後45年の今年、ドナルド・キーンセンター柏崎で開催されている企画展「ドナルド・キーンの選ぶ三島由紀夫お気に入り作品3」に併せての上演であり、この日のために脚色された、初演の舞台である。
三島由紀夫は、澁澤龍彦の『サド侯爵の生涯』を読み、侯爵よりも夫人の行動――牢獄に繋がれた侯爵を待ち続けた侯爵夫人が、なぜ、夫が自由の身になったとたん離婚してしまったのか――に興味を持ち、サドを登場させることなく、彼を取り巻く六人の女性による戯曲を作り上げた。自ら「惑星の運行のように交錯しつつ廻転してゆかねばならぬ」というように、言葉が相互に絡み合い、緻密に組み立てられた作品である。そのまま演じたら三時間はかかってしまう作品を、「物語シアター」を主宰する堀井真吾さんは、ナレーションを入れることで、大胆にも半分以下にしてしまった。そんな“冒涜行為”も、三島の絶大な信頼を得て三島作品の演出を手がけた演出家・松浦竹夫を師とし、三島作品の舞台に立ったこともある堀井さんだからこそ許される。さらに、三島が主宰した浪漫劇場で三島や松浦のもとで芝居をしてきた森秋子さんの存在は心強い。同時代の体験者として、役者たちを引っ張ってきたという。
吉沢京子さんの、可憐で清楚な侯爵夫人・ルネは「貞淑」を代表し、森秋子さん演じる、謹厳で重厚なモントルイユ夫人は「法・社会・道徳」を代表するものとして描かれているが、この二人の台詞が、容赦ない決闘のように鋭くぶつかり合い、火花を散らし、本性を剥きだしていく。それぞれ「無邪気、無節操」、「神」、「肉欲」、「民衆」を代表させた妹アンヌ、シミアーヌ男爵夫人、サン・フォン伯爵夫人、家政婦・シャルロットが、その傷口を嘗め、雪ぎ、広げ、挑発する。なんとも凄まじいエネルギーが炸裂する。
ここで、堀井さんが追求してきた「朗読劇」というジャンルが、「サド侯爵夫人」の原作にふさわしいことに気づくだろう。レトリックやパラドックスを多用した三島の文体は、装飾過多で、一見情緒的に見えるが実は極めて論理的であり、西洋演劇にも精通していた三島が、「セリフ自体の演技的表現力」こそが、芝居の本質であると信じて作ったものだからだ。簡単な衣装だけ、動きも最小限に抑え、朗読の力を遺憾なく発揮したこの舞台は、観客の意識を否応なしに台詞に集中させることに成功した。