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なぜナチは生き延びるのか――ロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』(1)

2017年03月04日 | 読書ノート
南米には好きな作家が多いが、ロベルト・ボラーニョ(1953~2003)は初めて読む。もっともボラーニョだから、ということではなくタイトルに惹かれてのことだ。主として南米の、架空のナチ文学者30人の、事典の体裁をとった小説である。
第二次世界大戦後、アルゼンチンには、ホロコーストの指導的役割を担ったアドルフ・アイヒマンが潜伏していたことはよく知られている。南米には戦後多くのナチ残党が逃亡していたのである。本書にも二人のドイツ系移民が登場するが、そのうちの一人はチリの〈再生コロニー〉の出身だ。実際、ボラーニョの生まれたチリには元ナチス党員のコミューンがあり、ピノチェト政権時、拷問施設として使われたという。
大戦時には連合国側として参戦したとはいうものの、地勢的に見てそれほど重要な位置を占めていなかったこともあろう。しかしそれ以上に、度々の軍事クーデターや独裁政治に見るように、ファシズムに共感する土壌があったのではないか。例えばアルゼンチンのペロンは、ムッソリーニに感化され、ぎりぎりまで親枢軸国だった。
ボラーニョは存在しない書き手の、存在しない著作を次々と挙げていく。さらにはそれを補強するかのように関連する人物や用語解説まで付す。架空の書物の書評や『幻獣辞典』を書いたボルヘスに先例を見ることが出来る。しかし、本書の特異性は、事典の形を取りながら、その文体には統一感がなく、冷淡なまでにあっさりと書いているものもあれば、今にも作者自身が現れそうに親密な書きぶりがあったり、緊張感漲る書きぶりであったりすることだ。そしてついに30人目のラミレス=ホフマンに至って、抑えきれずにボラーニョ自身が語り手となり、格段の紙数を割く。
ところで「ナチ文学」というはっきりとした定義があるわけではない。登場人物にはもちろん、ヒトラーに直接感化されたり、スペインの「青い旅団」に加わってフランコ軍に協力した人もいる。だがそれだけではない。『日記』の中で、すべての罪をユダヤ人と高利貸しに負わせる作家。第四女性帝国を描く、神秘のオーラに包まれた美人作家。ドイツと日本に占領された1948年のアメリカの歴史を記す作家。精神病院に入退院を繰り返しながら、過剰な暴力や犯罪小説を書く作家。前述コロニー出身の若い詩人は、アタカマ砂漠に理想の強制収容所の見取り図を描く。反ユダヤ主義、アーリア主義などの排外的ナショナリズムや、カルト的なもの、神秘主義的なものが個人の底に潜んでいる限り、たいした毒にはならないが、文学には人に影響を与える力がある。マックス・ミルバレー他いくつもの異名を持つ剽窃の作家はいう。
「文学は一種の秘められた暴力で、社会的尊厳を与えてくれるし、いくつかの若く多感な国々では社会的上昇を装う手段のひとつなのだ。」
ここには文学が、カリスマ的な力に変わっていく不気味さがある。そうしてみると、登場人物それぞれのボラーニョの書き方の温度差とは、オーラやカリスマ性の強度に比例しているのではないか、と思えてくるのである。(霜田文子)

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