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ギャラリーと図書室の一隅で

読んで、観て、聴いて、書く。游文舎企画委員の日々の雑感や読書ノート。

Niigata Art Typhoon ―熱帯低気圧展―

2017年11月23日 | 展覧会より
外は早くも雪、けれども新潟市美術館市民ギャラリーは季節外れの台風である。

「周りと少し違う」を理念に、第4回、熱帯低気圧展を行います。
新しいメンバーが「熱低」の渦になり、清らかな目になりそうです。
過ぎた事も大事ですが、私達は、今の向こう側を見て制作に精進しています。
それぞれ高いレベルで刺激しあい、さらに深い制作意欲が沸いて来るような「場」で有ること、
熱帯の生命発生的な圧力!熱い気持ち、とこしえに。
                        代表 阿部正広

県内外から9名が出品している。(游文舎企画委員の霜田文子も初参加)
それぞれのこだわりを見て、感じてほしい。
11月26日まで開催。最終日午後4時まで。






直喩から暗喩へ

2017年10月25日 | 展覧会より


10月19日から新潟市のアートサロン「環」で、游文舎企画委員の霜田文子がボックスアート展「ダ・ヴィンチの卵あるいはものがみる夢」を開催している。
ボックスの中にはダ・ヴィンチの描いた頭蓋骨のデッサンを貼り付けた、割れた卵が集積されている。21日のギャラリートークで霜田が言うように、それは自らの脳の代替物であり、思考する主体を示している。背景に貼り付けられた文字もダ・ヴィンチの鏡文字であり、作品が言葉の世界と密接につながっていることを暗示している。
 では、線香で和紙を焼いてつくった地図のようなものは何を表しているのだろうか。実物の地図なら、それはボックスの中で〝もの〟が生起する場所を直喩的に指示するが、地図ならぬ〝地図のようなもの〟であることで、〝もの〟が生起する場所が暗喩的に指示されるのだと言えるのではないか。
 割れた卵を中心にさまざまな〝もの〟が呼び寄せられてくる。それは赤い糸であったり、銅線であったり、錆びた鉄の欠片であったりする。脳がさまざまな〝ことば〟を呼び寄せるように〝もの〟が〝もの〟をたぐり寄せ、〝ものがみる夢〟の世界が作品として形づくられていく。
「無意識は言語のように構造化されている」とジャック・ラカンは言っているが、〝ものがみる夢〟の世界もまた〝言語のように構造化されている〟。夢の世界は直喩と暗喩から成り立っている。〝○○のような〟という近似的なイメージと〝○○のような〟という指標をもたず、より言語類推的なイメージが、夢にあっては混交して出現するのだ。
 だから霜田文子のボックスアートも直喩と暗喩の入り混じった世界として現れるのだと言いうるだろう。全体の構文を支えているのが作家としての霜田の主体だとしても、直喩や暗喩を導入するのは霜田自身ではない。そうではなくむしろ〝もの〟こそが直喩や暗喩を導入していくのだ。
 つまりボックスの中の〝もの〟と〝もの〟との関係は直喩的であったり、暗喩的であったりする。それは詩の世界、とりわけ現代詩と呼ばれる世界における〝ことば〟と〝ことば〟の関係と相即なのであって、霜田文子のボックスアートの世界は〝もの〟で書かれた現代詩なのだと言わなければならない。
 初期の作品も展示されている。2011年の東日本大震災と原発事故に動揺させられてつくった作品、あるいはその直後に書かれた長谷川龍生の「鹿、約百頭の」という詩編に触発されてつくった作品もある。この頃の作品は言ってみれば具象的であり、〝もの〟と〝もの〟との関係はほとんど直喩的なものであった。
 しかし、最近の霜田のボックスアートはより抽象化の方向へ向かっている。そうなるに従ってボックスの色が黒から白に変わっていったのは単なる偶然ではないだろう。背景としての白は黒よりも、より抽象的な場所として相応しい。黒はそれだけで意味を派生させるが、白はそうではないからである。
〝○○のような〟という直喩の指標は、限りなく意味に接近するが、指標を欠落させた暗喩は意味それ自体から遠ざかろうとする。霜田の作品が抽象化していくということは、〝もの〟と〝もの〟との関係がより暗喩的になっていくことを意味している。それは現代詩の趨勢と同様の傾向なのである。
 それにしても何という緊張感だろう。とりわけホワイトボックスの抽象的な作品は、地上の世界を超えた緊張感を漂わせている。抽象美の極致がそこで達成されているのだと思わざるを得ない。(柴野毅実)

ジャコメッティの謎(2)

2017年08月29日 | 展覧会より

 ジャコメッティの彫刻作品についてまず思いをめぐらせてみる。それが誰にとっても「見える通りに」作られていないことは一目瞭然であり、ならば「見える通りに」を「私に見える通りに」と言い換える必要があるだろう。
 ジャコメッティのものの見方が一般とは違うのではないか。つまりは対象に対して何を見ようとするかという、基本的なところが違っているのだとしか考えられない。
 たとえば、ジャコメッティが対象となる人物の中に、その〝本質〟を見ようとしたのだと考えることもできる。しかし、本質とは何か? 本質とは言語によって分節化された事物や事象を規定する普遍的な概念であって、高度に抽象的なものである。
 ジャコメッティの細長い人物像は、ほとんど表情というものをもっていないし、肉体の固有性も、人物としての固有性すら失われている。だからそれを抽象的な作品と呼ぶこともできるのだが、ではなぜジャコメッティはモデルに拘ったのだろう。
 モデルを長時間坐らせ続け、少しでも動けばすべてが台無しになったとでも言うように、悲嘆の声を上げたのはなぜだったのだろう。それはモデルに対して人間としての普遍性を求めてなどおらず、そのモデルの固有性を追究するためだったとしか思えない。
 そのことは《モデルを前にした制作》のセクションに展示された、弟ディエゴの胸像を見ていると理解されることである。それらの作品は明らかに、夕暮れ時の影のように引き伸ばされた人間の像とは違っている。ディエゴの像はジャコメッティが創造した規範に従いつつも、対象の個性というものを写し取っているではないか。
 ではジャコメッティは抽象的な本質と、個別の本質という二重の規範を打ち立てたのだろうか? そしてジャン=ポール・サルトルが「ジャコメッティは実存を描いた」と言うときの実存とは、どちらのケースに当て嵌まるのだろうか。そもそも個別の本質などというものが存在するのだろうか。
 サルトルは「実存主義はヒューマニズムである」で、「実存は本質に先立つ」という有名なテーゼを残しているが、ジャコメッティは本質をではなく本質に先立つ実存を形象化したのだろうか。
 サルトルの思想が破綻して以降、今日では〝実存〟という言葉はほとんど使われなくなったが、サルトルが言っていることの意味は分かる。本質とは言語の文節機能が生み出す規範(モデル? 典型?)としての概念であり、それはいわば〝制度〟の中に置かれる。それに対して実存は、なにものでもないものとしての存在を意味し、一回きりの固有の存在を意味している(サルトルは神が創り出した規範としての本質と、無神論的な実存とを対比させているが、私は神を持ち出さずに言っている)。
 そこにサルトルのいう実存主義の要諦はあったし、サルトルはジャコメッティの作品の中に自分の思想を裏付ける証拠を見ようとしたのだと言うことができる。
 本当にでは、ジャコメッティはサルトルの言う実存を指向していたのだろうか。確かに〈犬〉という、人物像ばかり作っていたジャコメッティにとっては例外的な作品を見ていると、そこには作者によって感情移入された老残の犬がいて、ジャコメッティはその犬の固有の存在を追究しているのに違いないと思わせる。
 まさに実存的な犬、あるいは存在論的に創造された犬とでも呼ぶしかないそれは、怖ろしい作品ではあるが、ジャコメッティにとってはあくまで例外的な作品なのだ。人物がそのような相貌のもとに形象化されたことはない。


 ところで私は、まだ彫刻以外の作品について触れていない。私が見たかったのはジャコメッティの油彩作品だったので、今回それが二点しか展示されていないことに失望を覚えた。
 でも〈マルグリット・マーグの肖像〉と一点の風景画に、ジャコメッティの彫刻とは別の〝規範〟を見る思いがした。マルグリットは正面を向き、手を組んで座っている。こんな変哲もないポーズの肖像画をジャコメッティはなぜ描いたのか。
「見える通りに」描くために、モデルが長時間一定のポーズをとり続けるとしたら、このポーズ以外他にあり得ない。しかし、こんなポーズではその人間の個性や実存など描きようがないではないか。
 そしていつものように、顔はいくつもの黒い線でつぶされていて、まるで黒人の肖像画のようだ。あるいは〝亡霊のような〟と言ってもよい。背景はグレーの絵の具でぞんざいに描かれているから、ジャコメッティの彫刻家としての視点はよく理解できる。背景はほとんど意味をなしていない。
 ところがこのグレーを基調としたいい加減な背景が、亡霊を出現させるための舞台装置となる。顔を黒くつぶされたマルグリットはそこに亡霊のように座っている。リアリティを欠落させた背景の方が、亡霊の舞台として相応しいのである。
 顔が無数の線で描かれると言うよりは、破壊されていくさまを我々は矢内原伊作の肖像デッサンに見ることができる。この線はいったい何なのだろう? 
 真実を確定させるために引かれる無数の線の試行錯誤の軌跡とでも言えばいいのだろうか。とにかくジャコメッティという人は作品の完成を目指そうとしない。それは多分、自分の行為が不可能に向かっての無益なそれであることを自覚していたからなのであろう。
「見える通りに彫刻し、描き、あるいはデッサンすることが、私には到底不可能だということを知っています」という言葉はそのように理解されなければならない。
(この項おわり)

ジャコメッティの謎(1)

2017年08月28日 | 展覧会より
 国立新美術館で「ジャコメッティ展」を観た。アルベルト・ジャコメッティの彫刻作品や油彩作品は、断片的にいろんなところで見てきたが、おそらく私が生きている間では、日本で最後の大規模なものとなるだろう展覧会を観に行かないわけにはいかない。
 主催者挨拶にジャコメッティの有名な言葉が引用されていて、まずこの言葉が観る者を混乱させる。

「ひとつの顔を見える通りに彫刻し、描き、あるいはデッサンすることが、私には到底不可能だということを知っています。
にもかかわらず、これこそが私が試みている唯一のことなのです。」

 この「見える通りに彫刻し、描き、あるいはデッサンする」という言葉が、いわゆるリアリズムの教えるところを言っているのではないということは、ジャコメッティの作品に触れたことのある人間ならば、誰でも理解できることである。
 では、リアリズムの教義を離れたときに「見える通りに彫刻し、描き、あるいはデッサンする」ということが何を意味しているのかという問題になると、ほとんど誰もそのことに答えることができない。
 第一に人体を見るときに、それがあの実際の5~10倍も細長い形に見えるわけがない。夕暮れ時に出現する長い影としか見えないではないか。しかし、影は実体ではないが、ジャコメッティの造形は実体として自己自身を主張している。
「見える通りに」ということがどういうことなのか、作品を見ていくうちにどんどん分からなくなっていくというのが、「ジャコメッティ展」を観る体験そのものとなる。
 会場に入って最初に〈大きな像(女・レオーニ)〉という作品が置かれている。高さ167㎝に対して幅は19.5㎝しかない。これがジャコメッティなのだ。ジャコメッティは20世紀の彫刻の〝規範〟(基準?、標準?、モデル?、典型?)を創ったが、今日に至るまで誰もそれを超えることができていない。
 それをジャコメッティの強烈な個性に帰することはできる。しかし、それが「見える通りに」彫刻されたものだとしたら、それは個性の範疇を超えるものであって、だから私は〝規範〟という言葉を使わざるを得ない。
 ジャコメッティの1901年から1966年の生涯にわたる作品を通鑑しようということだから、初期のキュビズムの時代あるいはアフリカのアルカイックな彫刻に影響された作品も展示されているが、ほとんど興味を喚起しない。このようなものならマックス・エルンストの方がもっとうまくやった。はっきり言ってつまらない。ジャコメッティがジャコメッティになっていないのだ。
《小像》のセクションで、観る者はとんでもないものに遭遇することになる。3.3×1×1.1などという、爪楊枝のような作品もあって、到底肉眼では細部が分からない。
 しかし、これがジャコメッティが対象を見るときの距離の取り方に還元されるのだという解説を読めば、「見える通りに彫刻し」ということがある程度は理解される。
 対象との距離ということがジャコメッティにとって重要なことだったということは分かっても、それらがほとんど作品として意味をなしていない(よく見えないのだから)ということは指摘されなければならない。
 ならば「見える通りに」とは何を意味しているのか? 「ジャコメッティ展」を観る者は、これから彼の彫刻だけではなく、デッサンや油彩作品を見ていくことになるが、そこで解答を見つけることができるのだろうか?(柴野)

「ジャコメッティ展」(国立新美術館、2017年6月14日~9月4日)

炸裂する狂気

2017年06月02日 | 展覧会より

 東京ステーションギャラリーで「アドルフ・ヴェルフリ~二萬五千頁の王国」を見ることができた。アドルフ・ヴェルフリはアール・ブリュットの巨匠といわれ、世界的に高い評価を受けている作家であるが、日本ではあまり知られていない。アール・ブリュットの先駆的な展覧会であった、2008年の「アール・ブリュット 交差する魂展」では、何人か海外の作家の作品が展示されていたのだが、そこでも紹介されていない。
 日本におけるアール・ブリュットは、どちらかというと知的障害者の作品が多く紹介され、精神病者の作品はあまり紹介されていない。しかし、ヨーロッパでは精神病者のアーティストも数多く発掘されている。
 ヴェルフリは1864年にスイスのベルン近郊に生まれ、貧しく悲惨な幼少期を経て、性犯罪を含む数々の犯罪を犯し、31歳の時精神分裂病との診断を受け精神病院に収容されている。35歳から絵を描き始め、1930年に亡くなるまでに、25,000頁にのぼる作品を残したというから怖ろしい。
 知的障害者にも、何かに取り憑かれたかのように無心に描き続け、膨大な作品を残した人もいるが、ヴェルフリほど途方もない量を描いた人はいないだろう。
 ヴェルフリの作品は1m×70㎝くらいの大きな新聞用紙に描かれたものが多く、一枚見ただけで眩暈がするような緻密な図柄を特徴としているから、よほど集中して描いていったのだと思われる。こうした異様なエネルギーはある種の分裂病者やパラノイア症者に特有のもののように思われる。
 知的障害者のアール・ブリュット作品は、特にダウン症の場合、優しくて穏やかな絵が多く、それが日本のアール・ブリュット愛好者の趣味にも合っているようだ。しかし、精神病者のアール・ブリュット作品は、時には攻撃的で怖ろしい狂気の世界をかいま見せる。そのあたりが日本の場合受け入れにくい特徴をなしていると言えるだろう。
 ヴェルフリの作品は余白を残さず、画面を絵や記号、文字や楽譜で埋め尽くされている。しかも、それらの要素を執拗に反復するという暴力性を持っている。ユーモラスな表現もあるが、その執拗な繰り返し自体が暴力的であり、攻撃的である。中でも70㎝×468㎝という巨大な作品〈アリバイ〉はまさに、〝炸裂する狂気〟の表現となっている。
 ヴェルフリは世界中の地所を買い占めて、世界に君臨する「聖アドルフⅡ世」を自称していたそうで、ある意味でヴェルフリの作品は、その偉大な治世の記録でもあるのだ。こうした途方もない妄想も日本人にはなじめない一因となっているのかも知れない。
 初期の作品は絵や記号で埋め尽くす、強迫的に余白を許さないものであれ、それなりの構図というものを持っている。まるで曼荼羅の世界のようであり、曼荼羅のように整然とした構図を誇示している作品もある。
 しかし、晩年の作品になるに従って、文字や楽譜の要素が支配的となっていき、絵を駆逐していく。絵はコラージュとして貼り込まれたものによって代用される。そうなってくると、ヴェルフリの作品を絵画として楽しむ余地がほとんどなくなっていくので、ドイツ語を解さないと彼の妄想にさえ付き合っていけなくなる。
 会場で作品に書き込まれた文字の朗読が流れていた。同じような言葉を執拗に何度も何度も繰り返す、パラノイアックな言葉の連続に不気味なものを感じてしまった。(柴野)